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2021年12月20日(月)11時45分過ぎ、三原山山頂口から山頂遊歩道を中央火口丘へ向かう。外輪山西部から中央火口丘へ向かうルートは、この最短コースの山頂遊歩道(2.2km)の他、南側を回る周回乗馬コース(2.8km)と山頂口ではなく大島温泉ホテルからの裏砂漠コース(3.2km)があり、火口丘を周る火口一周コース(2.5km)で繋がる。火口一周コースにはさらに火口見学道(0.4km)も繋がる。<br /><br />山頂遊歩道は外輪山から火口原(カルデラ)に降り、ほぼ南東方向まっすぐに中央火口丘に登るコースで、塗装された道が続くのでハイキング気分で歩ける。前述したようにこの火口原は元々は表砂漠の一部で、裏砂漠同様に火山灰やスコリアに覆われた黒い砂漠だったが、1951年の噴火など安永以降の3回の溶岩流で覆われ、植物が育っているが、自然界のレベルでは森とも云えないレベル。外輪山を降りてから中央火口丘は旧野増村になる。<br /><br />遊歩道を進むとトンネルのような退避豪が数多く設置されており、活火山であることを改めて認識させられる。山頂口展望所から650mほど進むと安永溶岩丘群がある。江戸中期の1777年から78年に起こった安永の大噴火で、火口の北西麓から湧き出した溶岩が流れ出したところ。<br /><br />ふくらんだお餅のように滑らかに丸みを帯びたものや、縄を並べたようにシワが寄っている溶岩が多い。これは粘性の低い溶岩に特徴的な表面形態でパホイホイ(Pahoehoe)溶岩と呼ばれている。これは「なめらかな」という状態を表すハワイ語に由来している。ハワイ島(Hawaii)のマウナ・ロア火山(Mauna Loa)やキラウエア火山(Kilauea)に多く見られることからハワイ語の名称が地球科学の専門用語となっている。<br /><br />三原山火口の北西麓のこの辺りから流出した溶岩流は、カルデラ内の低所を埋めて北東に流れ下り、現在の大島公園付近で海に達した。また、三原山の南西麓から流れ出た溶岩流はカルデラ南西壁を越えて約6km下り、現在の地層切断面付近まで到達した。1783年からは大量の火山灰を放出する活動が始まり、降灰は山麓でも1.2~1.5mの厚さとなった。この一連の活動で、外輪山の東南外側の裏砂漠も形成され、現在の形になったとされる。<br /><br />山頂口展望所から10分ほどで1986年溶岩流先端部に到着。こちらは一番最近の大噴火。1986年11月19日に火口から流れ出した溶岩の先端部。溶岩流は中央火口丘の外崖を何本も流れ出し合流して遊歩道を覆い、ここで止まった。<br /><br />溶岩の先端部の厚さは約5mで、表面は黒いゴツゴツした岩の塊に覆われている。このような溶岩はアア(Aa)溶岩と呼ばれ、これもハワイ語を語源としている専門用語。表面のトゲトゲした状態を表すが、裸足でこの溶岩を踏むと、熱くて痛くて「アッアッ」と思わず声がでるところからこう呼ばれるようになったという説もある。<br /><br />溶岩の先端部に登ることもできる。奥の中央火口丘を見ると、流れ出した溶岩流が今も山肌から何本もの黒い筋になって残る(下の写真1)。また、先端部から先を眺めると、歩き始めた山頂口が望める(下の写真2)。<br /><br />さらに10分足らず、溶岩流跡の間を抜けていくと、中央火口丘の外崖の急な登りに差し掛かる。1986年溶岩流先端部辺りの一番低いところからからだと約130m上がるが、その約半分を最後の300mほどで一気に上がる。<br /><br />来た方向には山頂口が望め、北側にも外輪山が続くが、火口原は安永溶岩で覆われたところで、この季節は枯れ野原が広がる。やがて道の正面に大きな岩が見えてきて、山頂口から30分で到着。案内図には所要45分とあったが、頑張った!<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8883363308400281&amp;type=31&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />三原山の中央火口丘をグルっと回るが、続く

東京 伊豆大島 三原山 山頂遊歩道(Mt. Mihara Trekking Course,Oshima,Tokyo,JP)

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2021/12/20 - 2021/12/20

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ちふゆ

ちふゆさん

2021年12月20日(月)11時45分過ぎ、三原山山頂口から山頂遊歩道を中央火口丘へ向かう。外輪山西部から中央火口丘へ向かうルートは、この最短コースの山頂遊歩道(2.2km)の他、南側を回る周回乗馬コース(2.8km)と山頂口ではなく大島温泉ホテルからの裏砂漠コース(3.2km)があり、火口丘を周る火口一周コース(2.5km)で繋がる。火口一周コースにはさらに火口見学道(0.4km)も繋がる。

山頂遊歩道は外輪山から火口原(カルデラ)に降り、ほぼ南東方向まっすぐに中央火口丘に登るコースで、塗装された道が続くのでハイキング気分で歩ける。前述したようにこの火口原は元々は表砂漠の一部で、裏砂漠同様に火山灰やスコリアに覆われた黒い砂漠だったが、1951年の噴火など安永以降の3回の溶岩流で覆われ、植物が育っているが、自然界のレベルでは森とも云えないレベル。外輪山を降りてから中央火口丘は旧野増村になる。

遊歩道を進むとトンネルのような退避豪が数多く設置されており、活火山であることを改めて認識させられる。山頂口展望所から650mほど進むと安永溶岩丘群がある。江戸中期の1777年から78年に起こった安永の大噴火で、火口の北西麓から湧き出した溶岩が流れ出したところ。

ふくらんだお餅のように滑らかに丸みを帯びたものや、縄を並べたようにシワが寄っている溶岩が多い。これは粘性の低い溶岩に特徴的な表面形態でパホイホイ(Pahoehoe)溶岩と呼ばれている。これは「なめらかな」という状態を表すハワイ語に由来している。ハワイ島(Hawaii)のマウナ・ロア火山(Mauna Loa)やキラウエア火山(Kilauea)に多く見られることからハワイ語の名称が地球科学の専門用語となっている。

三原山火口の北西麓のこの辺りから流出した溶岩流は、カルデラ内の低所を埋めて北東に流れ下り、現在の大島公園付近で海に達した。また、三原山の南西麓から流れ出た溶岩流はカルデラ南西壁を越えて約6km下り、現在の地層切断面付近まで到達した。1783年からは大量の火山灰を放出する活動が始まり、降灰は山麓でも1.2~1.5mの厚さとなった。この一連の活動で、外輪山の東南外側の裏砂漠も形成され、現在の形になったとされる。

山頂口展望所から10分ほどで1986年溶岩流先端部に到着。こちらは一番最近の大噴火。1986年11月19日に火口から流れ出した溶岩の先端部。溶岩流は中央火口丘の外崖を何本も流れ出し合流して遊歩道を覆い、ここで止まった。

溶岩の先端部の厚さは約5mで、表面は黒いゴツゴツした岩の塊に覆われている。このような溶岩はアア(Aa)溶岩と呼ばれ、これもハワイ語を語源としている専門用語。表面のトゲトゲした状態を表すが、裸足でこの溶岩を踏むと、熱くて痛くて「アッアッ」と思わず声がでるところからこう呼ばれるようになったという説もある。

溶岩の先端部に登ることもできる。奥の中央火口丘を見ると、流れ出した溶岩流が今も山肌から何本もの黒い筋になって残る(下の写真1)。また、先端部から先を眺めると、歩き始めた山頂口が望める(下の写真2)。

さらに10分足らず、溶岩流跡の間を抜けていくと、中央火口丘の外崖の急な登りに差し掛かる。1986年溶岩流先端部辺りの一番低いところからからだと約130m上がるが、その約半分を最後の300mほどで一気に上がる。

来た方向には山頂口が望め、北側にも外輪山が続くが、火口原は安永溶岩で覆われたところで、この季節は枯れ野原が広がる。やがて道の正面に大きな岩が見えてきて、山頂口から30分で到着。案内図には所要45分とあったが、頑張った!
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8883363308400281&type=31&l=223fe1adec


三原山の中央火口丘をグルっと回るが、続く

  • 写真1 1986年溶岩流先端部から中央火口丘の溶岩流跡

    写真1 1986年溶岩流先端部から中央火口丘の溶岩流跡

  • 写真2 1986年溶岩流先端部から山頂口

    写真2 1986年溶岩流先端部から山頂口

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