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2021年12月20日(月)11時半、元町港を出発。御神火(ごじんか)スカイラインを経て三原山山頂口へ向かう。御神火は火山を神聖なものとし、その噴火・噴煙を意味する言葉で、特にこの三原山のものを指す。<br /><br />このスカイラインは元町地区と三原山山頂口を結ぶ道で、火山噴火災害に備え、三原山登山道路が不通となった場合の代替避難道として、1989年に開通した。着工から完成まで33年掛かったそうだ。<br /><br />噴火災害でなく土砂や倒木により被害を受けており、2003年に台風26号に起因した大規模土砂災害で通行止め、2019年にも台風15号による倒木被害等で通行止めとなっているが、ドライビングルートとして使われるだけでなくロードレースの大会のコースとして採用されたり、ウォーキング、ハイキングイベントのコースとしても使われている。<br /><br />元町地区から山頂口をショートカットしている路線で15分もかからずに山頂口に到着する。車の無料駐車場にレストセンター、トイレ、派出所の他、歌乃茶屋と御神火茶屋の2つの食堂がある。ただし、140年前に創業したという御神火茶屋はこの時は休業していた(2020年7月にリニューアルオープンした)。<br /><br />御神火茶屋の横を抜けると外輪山三原山展望所。三原山外輪山の元町側の頂で、西側の火口原から中央火口丘を見渡す展望所になっている。三原山は伊豆大島の中央部にある活火山。最も高い峰は中央火口丘にある標高758mの三原新山で島の最高峰。海底まで含めると1,000mほどの高さになる。<br /><br />外輪山は幅2.5km、長さ3.2kmのまゆ型のカルデラで、中央火口丘を取り囲んでいる。複数のカルデラ地形が複合していると考えられており、この展望所がある西側や南側ははっきりしているが、東側は朝一番で行ってきた月と砂漠ラインは櫛形山で切れており、その外側にさらに裏砂漠が広がり、外輪山の際ははっきりしていない。北側も東に向かって崖がなくなっている。これは安永(1777年から78年)の噴火で、溶岩がカルデラを越えて現在の泉津の大島公園辺りの海まで流れ出したことによるもの。<br /><br />伊豆大島では約2万年前から現在まで、100年ないし200年毎に合計100回前後の大噴火が起きたと考えられている。三原山の「三原」は、出産のように溶岩や土石流を噴出することから、子宮や体内を表す「御腹(みはら)」から来ているとされる。<br /><br />1950年(昭和25年)から翌年の噴火までは火口の北東にある標高754mの剣ガ峰が最高峰だったが、火口の南部にこれより高い三原新山ができた。1986年11月の噴火では溶岩が内輪を超えて北西部からカルデラに800m流れ出し、さらに外輪山外の北西山腹からも割れ目噴火が始まり、溶岩が斜面を流れ下り、最終的に元町の人家から数百mまで迫った。<br /><br />地震活動も激しくなったため、全島避難が決定され、翌日朝までに約1万人余りの全島民及び観光客の救出が完了した。この避難の様子は後に(2000年5月)NHKの「プロジェクトX」で放送された。この出来事、リアタイで覚えてるし、プロジェクトXも見たわ。なお、島民が島に戻れたのは約1か月先だった。<br /><br />展望所の下に広がる緑や枯草に覆われた部分は、元々は朝行った裏砂漠のように黒いスコリアに覆われていたが、安永以降の3回の溶岩流で覆われた部分。一番最近は1951年で、その後風や鳥が運んできた植物が定着している。<br /><br />中央火口丘の右手の黒くふたコブに突き出たところが三原新山。その左手前に展望台があり、さらにその左手に三原神社上社が見える。さらに火口北側の白い噴煙の左手奥にあるのが、朝に上ってきた裏砂漠第二展望台のあった櫛形山。中央火口丘の山肌に見える黒い線は流れ落ちた溶岩の跡。<br /><br />展望所の左手には展望避難休憩舎があり、土日の日中には1階でジオパーク展が開かれる(現在の状況は不明)。ガイドさんが常駐し、臨場感あふれる噴火体験談を聞いたり、噴火の映像を見ることができるそうだ。<br /><br />実際には帰路に寄ったのだが、さらにその左手の森の中を上がっていくと三原神社下社がある。伊豆大島の総鎮守、三原大明神を祀る三原神社の下社。さらに奥(上)に行くとコンクリートの東屋がある展望広場もある。ここからも当然中央火口丘が望める。<br /><br />そう云えばこの道沿いに椿が咲いていた。伊豆大島は椿の名所だけど、12月に咲いてるのはさすがに珍しいのでは?1月から4月初めが時期とのこと。ちなみに椿の名前は葉の艶や生命力から来ており、葉の丈夫さから「強葉木(ツヨバキ)」、葉にツヤがあることから「艶葉木(ツヤハキ)」、葉が厚いことから「厚葉木(アツバキ)」などと呼ばれていたものが転じて「椿」となった。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8868672786536000&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />山頂遊歩道を歩いて三原山火口に向かうが、続く

東京 伊豆大島 三原山山頂口(Mt. Mihara Trailhead,Oshima,Tokyo,Japan)

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2021/12/20 - 2021/12/20

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ちふゆ

ちふゆさん

2021年12月20日(月)11時半、元町港を出発。御神火(ごじんか)スカイラインを経て三原山山頂口へ向かう。御神火は火山を神聖なものとし、その噴火・噴煙を意味する言葉で、特にこの三原山のものを指す。

このスカイラインは元町地区と三原山山頂口を結ぶ道で、火山噴火災害に備え、三原山登山道路が不通となった場合の代替避難道として、1989年に開通した。着工から完成まで33年掛かったそうだ。

噴火災害でなく土砂や倒木により被害を受けており、2003年に台風26号に起因した大規模土砂災害で通行止め、2019年にも台風15号による倒木被害等で通行止めとなっているが、ドライビングルートとして使われるだけでなくロードレースの大会のコースとして採用されたり、ウォーキング、ハイキングイベントのコースとしても使われている。

元町地区から山頂口をショートカットしている路線で15分もかからずに山頂口に到着する。車の無料駐車場にレストセンター、トイレ、派出所の他、歌乃茶屋と御神火茶屋の2つの食堂がある。ただし、140年前に創業したという御神火茶屋はこの時は休業していた(2020年7月にリニューアルオープンした)。

御神火茶屋の横を抜けると外輪山三原山展望所。三原山外輪山の元町側の頂で、西側の火口原から中央火口丘を見渡す展望所になっている。三原山は伊豆大島の中央部にある活火山。最も高い峰は中央火口丘にある標高758mの三原新山で島の最高峰。海底まで含めると1,000mほどの高さになる。

外輪山は幅2.5km、長さ3.2kmのまゆ型のカルデラで、中央火口丘を取り囲んでいる。複数のカルデラ地形が複合していると考えられており、この展望所がある西側や南側ははっきりしているが、東側は朝一番で行ってきた月と砂漠ラインは櫛形山で切れており、その外側にさらに裏砂漠が広がり、外輪山の際ははっきりしていない。北側も東に向かって崖がなくなっている。これは安永(1777年から78年)の噴火で、溶岩がカルデラを越えて現在の泉津の大島公園辺りの海まで流れ出したことによるもの。

伊豆大島では約2万年前から現在まで、100年ないし200年毎に合計100回前後の大噴火が起きたと考えられている。三原山の「三原」は、出産のように溶岩や土石流を噴出することから、子宮や体内を表す「御腹(みはら)」から来ているとされる。

1950年(昭和25年)から翌年の噴火までは火口の北東にある標高754mの剣ガ峰が最高峰だったが、火口の南部にこれより高い三原新山ができた。1986年11月の噴火では溶岩が内輪を超えて北西部からカルデラに800m流れ出し、さらに外輪山外の北西山腹からも割れ目噴火が始まり、溶岩が斜面を流れ下り、最終的に元町の人家から数百mまで迫った。

地震活動も激しくなったため、全島避難が決定され、翌日朝までに約1万人余りの全島民及び観光客の救出が完了した。この避難の様子は後に(2000年5月)NHKの「プロジェクトX」で放送された。この出来事、リアタイで覚えてるし、プロジェクトXも見たわ。なお、島民が島に戻れたのは約1か月先だった。

展望所の下に広がる緑や枯草に覆われた部分は、元々は朝行った裏砂漠のように黒いスコリアに覆われていたが、安永以降の3回の溶岩流で覆われた部分。一番最近は1951年で、その後風や鳥が運んできた植物が定着している。

中央火口丘の右手の黒くふたコブに突き出たところが三原新山。その左手前に展望台があり、さらにその左手に三原神社上社が見える。さらに火口北側の白い噴煙の左手奥にあるのが、朝に上ってきた裏砂漠第二展望台のあった櫛形山。中央火口丘の山肌に見える黒い線は流れ落ちた溶岩の跡。

展望所の左手には展望避難休憩舎があり、土日の日中には1階でジオパーク展が開かれる(現在の状況は不明)。ガイドさんが常駐し、臨場感あふれる噴火体験談を聞いたり、噴火の映像を見ることができるそうだ。

実際には帰路に寄ったのだが、さらにその左手の森の中を上がっていくと三原神社下社がある。伊豆大島の総鎮守、三原大明神を祀る三原神社の下社。さらに奥(上)に行くとコンクリートの東屋がある展望広場もある。ここからも当然中央火口丘が望める。

そう云えばこの道沿いに椿が咲いていた。伊豆大島は椿の名所だけど、12月に咲いてるのはさすがに珍しいのでは?1月から4月初めが時期とのこと。ちなみに椿の名前は葉の艶や生命力から来ており、葉の丈夫さから「強葉木(ツヨバキ)」、葉にツヤがあることから「艶葉木(ツヤハキ)」、葉が厚いことから「厚葉木(アツバキ)」などと呼ばれていたものが転じて「椿」となった。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8868672786536000&type=1&l=223fe1adec


山頂遊歩道を歩いて三原山火口に向かうが、続く

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