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2021年12月20日(月)朝の7時45分頃裏砂漠東端を出発。大島一周道路に戻り、さらに南に数分進むと、今度はちゃんとした舗装道路が右手にある。月と砂漠ラインへの入口。ここから3㎞足らず山道を進み、8時頃月と砂漠ライン駐車場に到着する。<br /><br />月と砂漠ラインは大島一周道路を折れるところから、この駐車場を経て、三原山東側の外輪山北端の櫛形山までのコースを指し、駐車場から先は車両は通れない。大島一周道路からこの駐車場までの道は、駐車所の南の標高619mの二子山山頂にある航空保安無線施設、ボルタック(VORTAC)に向かう通称ボルタック道路を利用して2006年4月に開通した道。山道だが、さほど坂もきつくなく舗装されてるので何と云うことはない。<br /><br />駐車場に車を止め(下の写真1)、北側に茂みの中を7分ほど歩くと視界が開けて、右手の下にさっき行って来た裏砂漠が広がる。ここが裏砂漠の項に書いたもく星号遭難の地で、標柱が建てられている。もく星号は1952年(昭和27年)4月9日に羽田を朝の7時半過ぎに離陸し、大阪経由で福岡に向かった日本航空301便で、暴風雨と濃霧の中、ここに墜落し、乗客・乗務員37名全員が死亡した。<br /><br />戦後の国内民間航空史上、最初の大事故だった。使用されていたのは現在のロッキード・マーティン社(Lockheed Martin)が開発・製造した双発レシプロ旅客機マーチン(Martin)2-0-2。<br /><br />当時はまだフライトレコーダー(FDR)やボイスレコーダー(CVR)が装備されておらず、また航空管制や事故捜査は米軍の統制下にあり、墜落事件の詳細は今もって不明な点が多い。管制官は全てアメリカ人で、航空機の整備と運用はノースウエスト・オリエント航空(Northwest Orient Airlines)に委託、機長と副操縦士もノースウエスト・オリエント航空のアメリカ人だった。<br /><br />もく星号遭難の標柱のもう1段上にも石柱が立てられていたが、何も彫ってないので何か分からず、後でネットで調べても分からなかった。何なんだ…(下の写真2)。<br /><br />ここからは外輪山の尾根を歩く。駐車場から700mほどで第1展望台。8時15分頃到着。左手には表砂漠を挟んで中央火口丘が見える。第1展望台を過ぎるといったん下がって、標高670mの櫛形山山頂の第2展望台へ向かう。左手に中央火口丘、右手に外輪山外側の裏砂漠が続く。スコリア道は結構疲れる。<br /><br />8時25分頃山頂に到着。山頂には案内板の上にポールが1本と左手に多分観測機器と思われるものがあるだけだ。古くはこの先にも外輪山が続いていたが、江戸時代中期の1777年から78年に起こった安永の大噴火でなくなり、今はここで外輪山は終わっている。西側(左)、北側、東側(右)に見晴らしが広がり、なかなかのもの。北側の先には海を隔てた富士山が綺麗に見えて、見てて飽きない。いいわ~<br /><br />10分ほど富士山を満喫して駐車場に引き返す。歩いて来た外輪山の尾根がもく星号遭難の地辺りから斜度を増して標高736mの白石山に続いている。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8817272435009369&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />8時45分過ぎに駐車場に戻るが、続く

東京 伊豆大島 月と砂漠ライン(Moon and Desert Line,Oshima,Tokyo,Japan)

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2021/12/20 - 2021/12/20

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ちふゆ

ちふゆさん

2021年12月20日(月)朝の7時45分頃裏砂漠東端を出発。大島一周道路に戻り、さらに南に数分進むと、今度はちゃんとした舗装道路が右手にある。月と砂漠ラインへの入口。ここから3㎞足らず山道を進み、8時頃月と砂漠ライン駐車場に到着する。

月と砂漠ラインは大島一周道路を折れるところから、この駐車場を経て、三原山東側の外輪山北端の櫛形山までのコースを指し、駐車場から先は車両は通れない。大島一周道路からこの駐車場までの道は、駐車所の南の標高619mの二子山山頂にある航空保安無線施設、ボルタック(VORTAC)に向かう通称ボルタック道路を利用して2006年4月に開通した道。山道だが、さほど坂もきつくなく舗装されてるので何と云うことはない。

駐車場に車を止め(下の写真1)、北側に茂みの中を7分ほど歩くと視界が開けて、右手の下にさっき行って来た裏砂漠が広がる。ここが裏砂漠の項に書いたもく星号遭難の地で、標柱が建てられている。もく星号は1952年(昭和27年)4月9日に羽田を朝の7時半過ぎに離陸し、大阪経由で福岡に向かった日本航空301便で、暴風雨と濃霧の中、ここに墜落し、乗客・乗務員37名全員が死亡した。

戦後の国内民間航空史上、最初の大事故だった。使用されていたのは現在のロッキード・マーティン社(Lockheed Martin)が開発・製造した双発レシプロ旅客機マーチン(Martin)2-0-2。

当時はまだフライトレコーダー(FDR)やボイスレコーダー(CVR)が装備されておらず、また航空管制や事故捜査は米軍の統制下にあり、墜落事件の詳細は今もって不明な点が多い。管制官は全てアメリカ人で、航空機の整備と運用はノースウエスト・オリエント航空(Northwest Orient Airlines)に委託、機長と副操縦士もノースウエスト・オリエント航空のアメリカ人だった。

もく星号遭難の標柱のもう1段上にも石柱が立てられていたが、何も彫ってないので何か分からず、後でネットで調べても分からなかった。何なんだ…(下の写真2)。

ここからは外輪山の尾根を歩く。駐車場から700mほどで第1展望台。8時15分頃到着。左手には表砂漠を挟んで中央火口丘が見える。第1展望台を過ぎるといったん下がって、標高670mの櫛形山山頂の第2展望台へ向かう。左手に中央火口丘、右手に外輪山外側の裏砂漠が続く。スコリア道は結構疲れる。

8時25分頃山頂に到着。山頂には案内板の上にポールが1本と左手に多分観測機器と思われるものがあるだけだ。古くはこの先にも外輪山が続いていたが、江戸時代中期の1777年から78年に起こった安永の大噴火でなくなり、今はここで外輪山は終わっている。西側(左)、北側、東側(右)に見晴らしが広がり、なかなかのもの。北側の先には海を隔てた富士山が綺麗に見えて、見てて飽きない。いいわ~

10分ほど富士山を満喫して駐車場に引き返す。歩いて来た外輪山の尾根がもく星号遭難の地辺りから斜度を増して標高736mの白石山に続いている。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8817272435009369&type=1&l=223fe1adec


8時45分過ぎに駐車場に戻るが、続く

  • 写真1 駐車場のパジェロミニ

    写真1 駐車場のパジェロミニ

  • 写真2 もく星号遭難の標柱の1段上の石柱

    写真2 もく星号遭難の標柱の1段上の石柱

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