2022/12/02 - 2022/12/02
597位(同エリア1805件中)
kojikojiさん
- kojikojiさんTOP
- 旅行記1760冊
- クチコミ1205件
- Q&A回答73件
- 3,460,279アクセス
- フォロワー169人
大磯の「旧吉田茂邸」の見学を終えた後はバスに乗り、西湘バイパスを通って小田原に向かいます。西湘バイパスを走るのは何年振りでしょうか。この日はあまり天気が良くなく、富士山は一度も姿を見せませんでしたが、この時だけは南側の海が晴れていて、初島から伊豆大島、利島まで何とか見ることが出来ました。帆を張った漁船を見ると子供の頃に舟の上で釣りをしたことを思い出します。バスは早川を少し遡った箱根口ICで西湘バイパスを降りて「鈴廣かまぼこの里」に停車します。ここで午前11時という早めのお昼になります。2階の休憩スペースが仕切られ、「金目鯛炙り飯&謹製おでん」というランチセットをいただきます。これがなかなか美味しい料理で、金目鯛炙り飯は蒸しあがったばかりの熱々ですし、おでんもコンロに火が入って熱々がいただけます。午前中は寒い中を歩いたのでお酒でもいただこうかと思っていたのですが、冷たいビールにしました。食事の後は買い物になりますが、この日いただいた神奈川県のクーポン券はここで使い切らないと、最後の立ち寄り先は静岡県になってしまいます。QRコードを読み取って電子クーポンにすると1週間ほど先まで使えるということですが、翌週は北海道へ行ってしまうのでここで使い切りました。友人たちにお土産と干物を買ったらちょうど使い切りました。午後の観光はここからも至近距離の「松永記念館」と「皆春荘」の見学に移ります。ツアーを2つに分けてそれぞれ入れ替えでの見学になります。我々は最初に「皆春荘」へ向かいました。第23代内閣総理大臣の清浦奎吾によって明治40年の1907年に土地が購入されて別邸として建てられたものです。その後の大正3年の1914年に南に隣接する山縣有朋の別邸の別庵として編入されました。山縣有朋というと京都にある「無鄰菴」の庭園が好きなので比較してみたいと思っていました。かなり規模が小さい印象を受けましたが、なかなか趣のある建物でした。次に行った「松永記念館」は戦前・戦後と通じて「電力王」と呼ばれた実業家であり、数寄茶人としても高名であった松永安左ヱ門(耳庵)が、昭和21年に小田原へ居住してから収集した古美術品を一般公開するために、昭和34年に財団法人を創立して自宅の敷地内に建設した施設です。今回は茶室「葉雨庵」と安左ヱ門の居宅「老欅荘」の見学にとどまりましたが、個人的にはここの見学が一番良かったと思います。この後は箱根の山を越えて御殿場の「東山旧岸邸」に向かいます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 観光バス 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
-
大磯の「旧吉田茂邸」の見学を終えた後はバスに乗り、西湘バイパスを通って小田原に向かいます。高校を卒業したあとの最初の同窓会が終わった後に友人のファミリアに乗って明け方の西湘バイパスを走ったことは忘れられない思い出です。
旧吉田茂邸 美術館・博物館
-
キラキラ輝く穏やかな相模湾の向こうに伊豆大島が見えました。富士山は雲に隠れて見えませんでしたが、三原山はきれいに浮かんで見えます。今年の10月には都民割を利用しながら、地元の友人たちと1泊2日で島を巡りました。椿の頃にもう一度行ってみたいと思っています。
-
伊豆半島のどこまでが見えているのかまでは分かりませんが、かなり遠くまで見渡せました。近いうちに熱海の温泉を楽しみながら2泊くらいしてじっくり旅してみたいなと考えています。
-
遠くに三角形の形をした利島もかすかに見えました。風を受けて船尾が風下に向けて安定させる為のスパンカーを張った漁船もたくさん浮かんでいました。この日は東から風が吹いているのだと分かります。
-
こんなポカポカ陽気で波も穏やかであれば海岸線に降りてみたくなります。
-
蜃気楼で海に浮かんだような初島が見えてくると海岸線を離れてバスは箱根口ICで一般道に降ります。
-
早川沿いの「鈴廣かまぼこの里」でバスを降りて、午前11時という早い時間のお昼になります。
鈴廣かまぼこ博物館 美術館・博物館
-
金目鯛炙り飯&謹製おでんというセットメニューです。午前中の大磯が少し肌寒かったので熱燗でも貰おうかと思いましたが、料理が熱々なのでビールにしました。
鈴廣 かまぼこの里 グルメ・レストラン
-
10月下旬からずっと全国旅行支援を利用して全国を巡り、どれだけお昼から飲んでいるでしょうか。体重を落とすように医者に言われているのですが、一向に減りません。
-
鈴廣の蒲鉾はやっぱり美味しいですね。汲み上げ豆腐は塩でいただきました。
-
コンロで熱々になったおでんも練り物が特に美味しいです。おだしもきっちり飲んでしまいました。
-
一番美味しいのは金目鯛の炙ったものをご飯に乗せて蒸したものです。これも熱々で美味しかったです。
-
新宿で手続きを済ませた際に神奈川県のクーポン券を1人3,000円いただいていました。大磯では使う場所も無く、小田原を過ぎると御殿場は静岡県なので使えません。必然的にここで使い切らなければならないので、皆さん真剣に買い物をしています。QRコードを読み込んで電子クーポンにすると1週間先まで使えるそうですが、その頃は北海道に行っています。
-
夫婦2人のお土産では使いきれないので、友人たちに練り物のお土産を買い、自宅用に練り物と鯵とエボ鯛と得てガレイの干物を買いました。
-
お昼前にバスに集合して移動しますが、次に向かう「皆春荘」と「松永記念館」はほんの数分で着いてしまいます。「小田原板橋・内野邸・武功庵」という明治時代に建築された醤油醸造業を営んでいた邸宅の前でバスを降りましたが、この建物の見学がしたかったです。
-
香林寺の山門の前でツアーのメンバーを2つに分けて、「皆春荘」と「松永記念館」を別々に見学することになります。それぞれガイドさんが付いてイアフォンガイドを利用します。
-
光林寺は北条氏綱の妻である養珠院殿が開基とするようですが、室町時代創建とする説もあるようです。早川の海蔵寺と久野の総世寺と並んで「小田原三寺」と称されます。山門の大棟には北条氏の執権などが用いた北条鱗の紋が見えます。
-
六地蔵が散り始めた椿の下に佇んでいます。
-
我々のグループは先に「皆春荘」に向かいます。この道は以前は両側に竹藪があったそうですが、片側はその面影も残っていません。
-
「皆春荘」に着くすぐ手前に「割烹旅館山月」の看板が見えました。すでに廃業されているみたいですが、ガイドさんによると元々は大倉喜八郎の別邸「共壽亭」として、大正9年の1920年に建てられたそうです。
-
財界人の刺客や暗殺などが度々あったので様々な護身用の工夫がなされ、建築に携わった大工もブロックごとでしか仕事をさせず、全体像を知るのは喜八郎と一部のものに限られたようです。「共壽亭」は大倉喜八郎の死後、同じ新潟出身の主婦と生活社の大島秀一社長に買い取られ、その後は割烹旅館「山月」として営業したそうです。
-
打ち捨てられた旅館の篆刻も調べれば価値があるのではないかと思います。NHKの「美の壺」では武器商人として身をたて、明治の元勲と人脈を築きながら富を蓄えた大倉が、政治家山縣有朋の別邸の向かいを選んで建てたと紹介されていました。玄関の隣りの客人がまず最初に通される部屋には、湘南を舞台にした仇討物語「曽我物語」で、兄弟2人が着ている蝶と千鳥の着物の柄が、描かれています。 大倉はこの透かし彫りを地元の職人に作らせたそうです。また婦人の部屋には渋沢栄一から贈られたという江戸時代の蒔絵師の小川破笠(おがわはりつ)の作と言われる板襖もあったようです。祖父の家にもあった作家なので見てみたいと思いました。
-
「皆春荘(旧清浦奎吾別邸)」に着きました。ここは元々は明治から大正期に各大臣を歴任し、内閣総理大臣も務めた清浦奎吾の別邸として造られた邸宅でした。その後大正時代の始めにすぐ近隣の山縣有朋の別邸「古稀庵」の一部に編入されます。古稀庵の近くに造られたのは、清浦が元々山縣有朋の側近だった為と言われます。
皆春荘 名所・史跡
-
先ほど見学してきた「旧吉田茂邸」の「兜門」にも似た意匠が残されています。かなり傷んだ印象を受けました。山縣有朋の別邸「古稀庵」と「暁亭」はすでに建物は無く、あいおいニッセイ同和小田原研修所の敷地になっています。
-
庭園は山縣有朋が自ら指揮したと言われており、足を踏み入れるとすぐに京都の「無鄰菴」に代表される山縣庭園に欠かせない水の流れが見られます。現在は水が流れていませんが、辿っていくとあまり目立たない位置に水道の入り口を示すような石組も残っているようです。
-
今日に残る京都の「無鄰庵」と東京目白の「ホテル椿山荘東京」、そして小田原の「古稀庵」が山縣三名園と言われております。椿山荘は子供の頃からよく通っていますし、結婚式はフォーシーズンだったころのことでした。京都の「無鄰菴」にも妻と旅した所ですし、今回これで3つとも見学することが出来ました。
-
黄色いクチナシの実が生っていました。和名のクチナシの語源には諸説あるようで、果実が熟しても裂開しないため、口がない実の意味から「口無し」という説が有力なようです。母が庭先に植えていたのですが、日当たりが悪かったせいか花が咲いたのを見たことがありませんでした。なので実が生ったのも初めて見た気がします。
-
長年非公開だったようですが、2018年11月より公開されているとのことです。玄関で靴を脱いで内部の見学に移ります。建物の内部はここまでのガイドさんではなく、係員の方がしてくれました。
-
玄関の正面には山縣有朋の手による額が架かっています。
-
明治の元勲の書は立派なものがたくさん残されていますが、現代の歴代の総理大臣の書などを見るとがっかりすることがあります。飯塚の旧伊藤伝右衛門邸でもそんなことを思いました。
-
襖には一面の楓の葉で埋め尽くされています。銀色に輝いているのはキラと呼ばれる雲母を刷ったものです。よく見ると同じ版をリピートさせて4段で1枚の襖紙を作っています。
-
主屋は座敷棟、玄関、台所棟、離れ棟、納戸棟から成り、面皮付部材、絞り丸太、曲線を用いた垂壁等の数寄屋風建築の特徴を随所に見ることができます。
-
通常の数寄屋の部屋に比べると非常に天井が高い印象を受けました。これは山縣が五尺六寸五分=171.2センチメートルと当時としては非常な長身だったからのようです。建具などは昔のままのようで、かなり経年劣化しているように見受けられます。
-
山縣と同じく長州閥出身で大勲位となった伊藤博文と対比され、伊藤が政党や議会を高く評価する一方で、否定的な山縣との思想は全く異なっていましたが、当人たちの仲は非常に良好で、お互いのよき相談役であったようです。伊藤の死を聞いた際には「かたりあひて尽し丶人は先立ちぬ 今より後の世をいかにせむ」と弔歌を詠んでます。この歌は安倍晋三元総理の国葬の際に菅義偉の弔辞のなかでも引用されていました。
-
「皆春荘」では月の会もしばしば開かれたようで、早くに先の妻友子を亡くした後、事実上の妻として長年山縣を支えてきた貞子夫人は和歌を詠み、踊り、琴や笛の音で山縣をいやしたそうです。
-
正式の後妻となることを望まれましたが花柳界出身のため、当時の社会時事用で一旦養子に出てからという手続きが面倒だと一蹴した気丈な女性だった貞子は1人の女性として、「風流人」として山縣に愛されたそうです。
-
「古稀庵」で最期に山縣は貞子の手をとり「いろいろお世話になりました」と言って亡くなり、風流な日々の想い出深い「皆春荘」は貞子に受け継がれました。
-
京都の「無鄰菴」の庭が好きで何度も見学に行きましたが、元々の別邸である「古稀庵」と「暁亭」を含めた全体像を見ていないので比較にはなりません。
-
「椿山荘」「無鄰菴」と「古稀庵庭園」は山縣が自ら想を練り、近代庭園の先覚者として知られる7代目小川治兵衛をはして築かせたものです。これらは山縣の好みに従った自然を活かした構成であり、伝統的な日本庭園とは一線を画す近代主義的・自然主義的日本庭園と評価されます。その全体像が見られないのが残念です。
-
少し時間があったので庭園にも降りてみます。
-
この築山の奥が下り坂になり、「古稀庵庭園」に繋がっていましたが、後に間の一部が割譲されているようで、現在は民家が建っていました。多分庭園の姿も違い、遠くには相模湾や富士山も見えたのではないでしょうか。
-
この時期は盛りの紅葉が美しいだけの庭園でした。
-
見学を終えて妻の手を引いて石段を下りました。祖母の手を引いて桂離宮や修学院離宮の庭園を巡った30数年前のことを思い出します。母の手を引くことはありませんでしたが、最近は妻の手を引くことが多くなりました。
-
自分が先に死ぬときには妻に「いろいろお世話になりました」と言い残したいと思います。
-
続いて「松永記念館」の見学に移ります。まずは記念館のトイレをお借りします。この日のツアーは寒い中を一日中歩いているのでトイレが近くなります。
松永記念館 美術館・博物館
-
「松永記念館」は現在の9電力体制を作り、日本の電力事業に貢献した電力王や電力の鬼とも呼ばれる松永安左ヱ門の邸宅です。号を耳庵(じあん)と称し茶の湯の世界では最後の数寄茶人として有名な方で、昭和21年にこの地に移り住み本邸として晩年をここで過しました。
-
耳庵の号は論語の六十而耳順(60にして耳に従い)から取ったものですが、当初は60を期に茶室の名前で使いましたが、この名前を気に入り自らの号にしました。池の周りには待合いが設けられ、その奥には茶室も見えるので、どのように茶会を開いたのだろうかと気になってしまいます。
-
「踏み石」
鈍翁と号した益田孝ゆかりのもので、「掃雲台」の本館の沓脱ぎ石だったものです。 -
「欅と巨石」
「老欅荘」の名称は登り口にそびえる欅の老木に由来します。この欅は樹齢400年から500年はあろうと言われています。欅の前の巨石は富山県の黒部ダムで有名な黒部川上流の自然石で、重さ10トンはあると言われています。 -
黒部ダム建設は電力を確保するためのもので、松永安左ヱ門もこの工事に携わっています。
-
「下り龍」
登り口の脇には益田孝(鈍翁)ゆかりの下り龍という石塔があります。益田邸「掃雲台」の不動滝にあったものです。三井財閥の益田孝(鈍翁)と三越百貨店社長などを歴任した野崎廣太(幻庵)と電力界の大御所松永安左ヱ門(耳庵)は実業家として活躍する一方で、茶の湯を趣味とし、数寄者として近代における茶の湯の交流に大きな役割を果たしました。彼らが小田原に構えた茶室は数寄者たちが集う交流の舞台だったようです。 -
益田鈍翁は明治39年の1906年に小田原板橋に広大な掃雲台の造営を開始し、大正3年の1914年に三井を退くと共にここに移り、茶の湯三昧の晩年を過ごして「掃雲台」は多くの数寄者たちの交流の舞台ともなりました。野崎廣太(幻庵)は大正7年の1918年に三越の社長を退任するとともに、小田原の十字町諸白小路に自怡荘(じいそう)、天神山伝肇寺裏に安閑草舎・山房を設け、この地で晩年を過ごします。
-
「閑室(石碑)」
柳瀬山荘に旧蔵されていた石碑の2文字は江戸時代の陶工で絵師であった尾形乾山の書と言われます。 -
「土塀と露地門」
登り口を登ったところに土塀がありますが、かなり低いものになっています。露地門は昭和30年代に益田孝(鈍翁)の「掃雲台」より移築したもので、瓦は通称十能瓦と言われる珍しい形をしています。 -
土塀も傾いていますがこれは当初からわざと傾けさせているとのことです。
-
春日大社の社家が集まり柳生街道の入り口にも当たる奈良の高畑町清水通りの様な瓦を塗りこめた土塀は美しいです。
-
「三畳茶室」のこの窓は松永耳庵自らデザインした窓だそうです。茶人であっただけに茶釜の形を思い浮かべますが、耳庵曰く平安時代をイメージしたと答えているようです。
-
下地窓にもなっていないので不用心というか中が覗かれそうな気がします。ここは元々の本玄関に当たる位置なので、建物の外部と内部を一体化させる意味合いがあったのでしょうか。
-
「老欅荘(ろうきょそう)」は松下亭として15坪ほどの小さな屋敷として始まりました。「松下亭」の名前の由来は大きな松の枝の下に建てたれたことからとなります。
-
「老欅荘」は耳庵が晩年を過ごした邸宅です。松永記念館では「葉雨庵」と並んで国登録有形文化財になります。
-
茶人の居宅として数奇屋建築の意匠が各所で見られ、昭和21年の12月に埼玉県柳瀬(現在の所沢市)より移り住むために建てられました。
-
建物の中の案内はここまでのガイドさんではなく「松永記念館」の係員さんが説明してくれます。靴を脱いでの見学ですが、事前に厚手の靴下を履いてきた方が良いと言われていました。
-
「仁遠乎哉」
これは論語の中にある「子曰く仁は遠からんや」からきています。訳は「孔子曰く仁(人間の愛)の道は我らの手に届かない遠くにあるものではない。」となります。 -
これには続きがあり、「我欲仁斯仁至矣」とあります。「私が仁を求めればすぐにそれは手に入るものだ。」ということです。
-
客間の床の間は非常に大きく、「自分が死んだら床間に遺体を安置してくれ」という、耳庵の遺言によって体型に合わせて造られましたが、実際に亡くなった後は床間に安置される事はなかったそうです。
-
11月から12月に咲く枇杷の花が生けられていました。庭先に枇杷の木があったかは定かではありませんが、通っていた幼稚園に大きな枇杷の木が何本かあり、実が生ると1人1個もらえた記憶があります。
-
この部屋は他の部屋に比べると全体的に繊細にデザインされています。この部屋の欄間には鴨井と敷居の溝が1本の所に建具が2本入っているという造りになっています。中庭に面したガラス戸と障子の上の欄間には小さな櫛型がさりげなく取られています。
-
それぞれの部屋で細かく意匠が違い、この部屋の天井は網代になっています。床柱がポイントになった床の間も使いやすそうな大きさです。生けられた野草が見事ですが、こちらの係員の方が心得があるのでしょうか。
-
水屋も使いやすそうです。ついついお茶会の情景を想像してしまいます。
-
8畳の鎖の間はお茶をいただいた後にゆっくり食事や酒を楽しむ場所だそうです。かなり暗い印象の部屋でしたが、櫛型の窓と障子から差し込む光に谷崎潤一郎の「陰影礼賛」という言葉が頭に浮かびます。
-
しきたりに厳しい茶の湯の作法から開放されて宴を楽しむ場として用意されたそうで、縁のない琉球畳が敷き詰められています。
-
瓦で囲んだ樋受石(というけいし)の見事な配置です。雨が降った時に来てみたくなります。
-
この部屋は10畳の書院造りの客間ですが、よく見ると7種類の畳が使用されています。パズルのように位置を間違えると畳が入らない構造になっているようです。畳敷きの縁座敷に格式の高さを感じます。
-
「三重塔」
三重塔は益田孝(鈍翁)ゆかりのもので、他の物と同じく「掃雲台」の本館にありました。当時は客間からこの三重塔越しに相模湾を眺めるのを耳庵は好んだとのことです。 -
苔庭に配置された飛び石を伝い、奥に進むと風情のある石灯籠と蹲踞(つくばい)が並んでいます。
-
一番奥に位置する茶室「松下亭」の躙り口への石組みが良く見えます。
-
かなり大きな躙り口なのは理由があったのでしょうか。使いやすそうな4畳半台目の茶室です。
-
床には益田鈍翁の書「詩歌屏風」の部分を複製した軸が掛かっています。
-
「九重塔」
こちらも益田孝(鈍翁)ゆかりの九重塔です。益田邸掃雲台の「春雨庵」にあったものです。 -
土塀の中に道祖神が祀られています。
-
田舎家「無住庵」は埼玉の農園にあった築200年の古民家の一部を用いたもので、耳庵の田舎趣味を体現することができる建物です。翁の亡き後は近隣に移されていましたが、建物の持主から寄贈を受け、令和2年の2020年に松永記念館敷地内に移築復元されました。
-
この無住庵は普段は番茶席として利用していたそうですが、翁が気の置けない友人らとともにウイスキーのお湯割りを楽しむ微笑ましい様子も写真に残されています。
-
天井に掛かる大梁や緩いよしずの化粧天井など田舎家の風情が残されrています。
-
現在は銅板葺きですが、その下には茅葺の屋根を見ることが出来ます。最近岩手県の遠野で南部曲り家を数々見てきたばかりなので懐かしいです。
-
野趣にあふれた建物ですが、建具は洗練されたデザインです。下段には反故紙が貼られ、中央部は細かい桟の障子、上段は襖になっています。ここでも縁の無い畳が使われています。
-
格子戸を見ると子供の頃に行った父の実家の薄暗さを思い出してしまいます。古くて薄暗くて怖くて行くのが嫌でした。
-
猪目の下地窓がありました。長苆(ながすさ)と呼ばれる藁を土に混ぜた土壁も美しいです。若い頃に大山崎の妙喜庵の奥さんと祖母や叔母と桂離宮に行った帰りに「待庵」でお茶を入れていただいたことがあります。その時に「見学に来られる方が壁の長苆(ながすさ)を剥がして持って帰られて困る。」とおっしゃっていたのを思い出します。「待庵」の修復をする際に、祖父の家が同じ頃に建てられたことから土壁の材料や成分を調べることからのご縁だったと聞いています。
-
元々は柳瀬山荘にあった鎌倉時代の「法華塔」です。
-
「露地行灯」
年代不詳のものですが、昭和30年代には庭園の池の畔にあった茶室「池畔亭」の路地にあったものだそうです。 -
山の上の見学を終えて池に戻ってきました。
-
反時計回りに庭園を散策します。
-
室町時代の石灯籠がさりげなく置かれてあります。午前中に見学した「旧吉田茂邸」の庭園にもたくさんの石塔や燈籠がありましたが、ガイドさんは特に由来は無いと言っていましたがそんな訳はないと思います。
-
「葉雨庵(よううあん)」
野崎広太(幻庵)の「自怡荘」にあった茶室「葉雨庵」です。大正13年に建てられたものですが、貸席として茶会や会合などに利用する事もできるようです。「松永記念館」では「老欅荘」と並んで国登録有形文化財です。 -
「天台烏薬」は中国の中南部を原産とするクスノキ科の常緑低木で、独特の芳香を放つ根が胃薬となり、薬木として江戸時代の享保年間に日本へ渡来したものが野生化し、本州や九州の暖地に分布しています。秦の始皇帝が探し求めていた不老長寿薬の最有力候補とされた植物としても有名です。
-
「烏薬亭(うやくてい)」
「葉雨庵」の利便を図るために設けられた施設で、湯沸し室やトイレがあるようです。建物の近くにある小田原では珍しい樹木「天台烏薬」にちなんで名付けられています。 -
「東大寺石造蓮池」
路地に置かれた蓮池は奈良県華厳宗東大寺のものです。石棺ではないかとも言われているそうです。奈良と聞くと酒舟石など古代の遺物ではないかと想像してしまいます。 -
12月の池の周りは寒々しい限りです。
-
最初に見えた待合いまでやってきました。
-
「織部型灯篭」
「桂離宮」にも数多くあるキリシタン燈篭によく似たデザインです。時代的には江戸時代の物のようですが、部分的には鎌倉時代までさかのぼるようです。 -
「長岳寺石橋」
奈良県天理市にある長岳寺のもので、年代は不詳です。中央部に”むくり”があるので水がたまらないように仕掛けになっています。その水が縁を伝わらないように溝も切ってあるのがデザインになっています。「桂離宮」の御殿に入る沓脱石は長手方向にくむりがありました。 -
「長岳寺五重塔」
高野山真言宗の長岳寺五重塔です。平安時代のもので関東で最古の五重塔と言われているようです。椿山荘の庭園にも数多くの石塔や燈籠があったので一度じっくり見学しなければと思いました。ここからは箱根を越えて御殿場の「東山旧岸邸」に向かいます。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったグルメ・レストラン
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2022大磯・小田原・御殿場の旅
0
101