2022/12/02 - 2022/12/02
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kojikojiさん
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小田原の観光を終えてバスは国道1号線に戻り、お昼を食べた「鈴廣かまぼこの里」の前を通過して箱根に向かいます。箱根湯本を越えるころから雨が降り出しどんどん強くなってきます。大磯から富士山が見えなかったのはこの雨雲がずっとかかっていたからのようです。車で乙女峠を越えるのは初めてだったと思いますが、すぐ近くに金時山があったなと思い出しました。子供の頃に父と登った山ですが、その当時いた金時娘は代が変わってまだ続いているのだろうかなどと考えます。峠道から下り出すと雨はだんだん弱くなってきました。御殿場IC近くの「東山旧岸邸」の駐車場に着いたのは午後2時40分で、ここで午後4時まで邸宅の見学と自由時間になります。邸宅も2グループに分かれての見学になり、先に邸宅の見学となりました。それ以外の方は先に「とらや工房」でお買い物と休憩になりました。ここでもガイドさんがついての説明になりますので、建物の細かいところまで教えてもらい勉強になりました。この建物も吉田五十八の設計です。午前中に「旧吉田茂邸」で見てきたばかりなのでその特徴を比較することが出来てさらなる勉強になりました。4つ見てきた建物の中では唯一住んでみたいと思わせる建物だったと思います。「東山旧岸邸」の見学が終わり、少し離れた「とらや工房」へ行ってみましたが、林の中に建つ曲面の建物は内藤廣の設計だということです。鳥羽の海の博物館で日本建築学会賞と第18回吉田五十八賞を受賞していました。建物の内部と外部が上手く調和した建物で、小雨が降っていましたがかえって風情があったように思えます。ここで出来立てのどら焼きと大福とお茶のセットを注文し、持ち帰りで柚子もちなど買い求めました。バスに戻る道は午後4時前には薄暗くなり始め、竹林の中を歩きましたが普段では味わえない季節を感じました。「東山旧岸邸」は現在は虎屋のグループが管理していて、岸信介元総理の孫たちを見ていると複雑な気持ちになってきます。午後4時にバスは出発し、あっという間に御殿場ICから東名高速で東京に向かいます。新宿駅でバスを降りて、大江戸線で地元に帰り友人たちに鈴廣のお土産を渡して長い1日が終わりました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
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「松永記念館」と「皆春荘」の見学を終えるとバスは早川沿いの道に戻り、お昼を食べた「鈴廣かまぼこの里」の前も通過します。そのまま国道1号線を箱根を越えるルートのようです。
松永記念館 美術館・博物館
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箱根湯本駅辺りに差し掛かると雨が強くなり始めます。午後から天気が下ってきたのと箱根の山は午前中から雲がかかっていました。
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いくつもの温泉を越えて行きますが、ここまで奥に来たことが無いので目新しい風景です。今度じっくり調べてから箱根にも来てみたいものです。妻と日帰り温泉のつもりで新宿からロマンスカーに乗って、結局1泊どまりになってしまったのはもう20年以上前のことで、それ以降来たことはありません。
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午後2時40分に「東山旧岸邸」に到着しました。ここで邸宅の見学と併設された「とらや工房」での買い物と休憩を入れて、出発は午後4時と告げられます。外回りは「桂垣」で覆われていますが、背が低いので桂離宮の様な圧迫感は感じられません。「桂垣」は「桂離宮」の門の両側にある竹垣が名前の由来で、竹の穂先を横に編み込んでいます。材料の竹は背後にいくらでもありますが、手間のかかる垣根には違いありません。
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東山旧岸邸は首相を務めた岸信介の自邸として昭和44年の1969年に建てられました。その後、30年ほどの時を経て、平成15年の2003年に御殿場市に寄贈されたあと、一般公開されました。
東山旧岸邸 名所・史跡
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平成21年の2009年からは虎屋のグループ会社である株式会社虎玄が指定管理者として管理運営を行なっているようです。広大な敷地は茅葺門を潜ると竹林が広がり、いつの時代にいるのか分からなくなります。小路には道祖神が置かれ、小さな祠にも石仏が置かれてあります。
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左手には手入れの行き届いた杉林が続きます。
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しばらく歩くと「東山旧岸邸」が見えてきます。外観を見ただけでその美しさを感じてしまいます。1階部分はパブリックスペースとし、2階部分が住宅として使われたそうです。
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まずは管理棟の1階に集合して2グループに分けられます。先に邸宅を見学するグループと先に「とらや工房」で休憩するグループです。我々は先に邸宅を見学するグループでした。
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吉田五十八の晩年の作品であるこの邸宅は施主の岸信介の生活に配慮しつつ、伝統的な数寄屋建築の美と、現代的な住まいとしての機能の両立を目指して設計されました。「旧吉田茂邸」でも見たアルミニュームのパイプを多用したデザインがここにも見られます。
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邸内の見学はボランティアガイドの方が付いてくれ、細かい説明がとても分かりやすかったです。置かれてあるソファや椅子のいくつかは実際に座ることが出来るのはありがたいです。このソファは田五十八がデザインしたもので、脚部が竹で出来ています。
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座った時の視線の高さなどを感じることが出来るのですが、妻は単純に休憩しているようです。1日に4つの邸宅の内部と庭園を歩いているのでさすがに疲れてきました。
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「応接」
フローリング張りの広い居間は一番過ごしやすそうな空間です。床に敷かれたペルシャ絨毯もこれだけの大きさですからすごい価値のあるものだと思います。 -
岸信介はこの場所に座って庭を眺めるのが好きだったそうです。実際にその場所に座ることが出来るのはありがたいです。スイス製と言われるソファの座り心地も良かったです。紅葉の時期はテーブルのガラスに映り込んでとてもきれいなのだそうです。
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天井の照明も民芸風な意匠は芹沢銈介のデザインしたアイヌ模様のように見えました。実際は設計者の吉田五十八のデザインによるもので、特注で作った鋳物の装飾が施されて存在感があります。蛍光管の交換が難しく交換の度に業者を呼んでいたそうです。LEDの時代になってそんな苦労も無くなったのではないでしょうか。
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「書斎兼応接間」
「玄関ホール」の北向きにある部屋は10畳の書斎兼応接間です。落ち着いた木目の壁材には胡桃が使われており、使い込むほどに光沢が出てきます。 -
「水屋」
和室に向かう廊下の端には「水屋」があります。床に1センチの縁を付けて、水が跳ねにくいように工夫されています。この廊下は現在はバリアフリーに配慮し、段差のないフローリングとなっていますが、もともとは1段低い土間だったようです。 -
「和室」
右手の地袋にはヒーターが隠されています。地袋は木製でなく鉄製の枠とアルミで出来たモダンなデザインですが、和室にもしっくりと溶け込んでいます。 -
床柱はシンプルな竹が1本立つだけです。自然な素材がそのまま使われていますが、不思議と新素材と調和して見えるのが不思議です。
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細かい納まりなど学生時代の気持ちに戻って見入ってしまいます。床柱を黒塗りの框で受けてそのまま床の間を形成しています。
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畳の縁も通常より狭いものがデザインされています。これはちょっと目の錯覚を起こすので、ここでお茶会をやったら道具を置くために畳の目をいくつにしたらよいか迷いそうです。
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和室と和室の間には欄間を設けず、強度的に必要な吊束を設けず、黒く見える金物を通してデザインを成立させています。一体になった天井が広さを感じさせます。
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1階はパブリックな空間ではありますが、和室から見る庭園は居間から見る庭とは違った趣きが感じられます。
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ここで草履を履いて庭先に出てみたい衝動にかられます残念ながら見学できるのは邸内の1階だけです。この庭にある石灯籠は元々吉田茂が持っていたものだそうです。そうなるとやはり「旧吉田茂邸」の燈籠の由来が知りたくなります。
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庭園を座って眺められるようにお茶席座布団が置かれてありました。こんな邸宅のお茶会に招かれてみたいものです。
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吉田五十八というと柾目の材を使うと想像しますが、柱は板目にするしかなかったのでしょうか。午前中に見学した「旧吉田茂邸」では柱の見えない大壁が多く見られましたが、ここでは真壁なのは岸信介の意向だったのではないでしょうか。
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部屋から部屋に見学は移りますが、妻は椅子から椅子へ、ソファーからソファーを渡り歩いています。
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「雪の富士山」
松林桂月は山口県出身の日本画家で写実的画風の作品を多く残しています。この作品は御殿場邸に飾られていたものを平成17年の2005年に長女の安倍洋子から御殿場市に寄付されたそうです。山口とのかかわりを感じるとともに、安倍総理のことを思い出してしまいます。 -
「食堂」
12人座れる大きなテーブルでは、要人をもてなすこともあったそうです。カバーの付いた椅子は座ることが出来て、美しい庭を見ることが出来ます。 -
ニッチになった壁面には黄金が眩しい蒔絵装飾のパネルが嵌め込まれています。これは明治座の緞帳デザインや外務省飯倉公館ホールの壁面画などにも携わった縣治朗(あがたじろう)の手によるものです。
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食堂にはキッチンへ連絡するスイッチ類が並んでいます。昭和を感じさせるデザインです。スリランカの建築家ジェフリー・バワの自宅のダイニングではテーブルの裏側にスイッチが仕込まれていました。
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幅5メートルほどある掃き出し窓は障子とガラス戸、網戸と雨戸のすべてが収納できる押込戸になっています。敷居とサッシュのレールの数がすごいことになっています。居間には外側から雨戸3枚、網戸2枚、ガラス戸3枚、障子3枚の11枚分があります。
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庭園はホテルニューオータニの日本庭園などを手掛けた岩城亘太郎によるものです。小川治兵衛の甥の岩城亘太郎は大正5年の1916年に植治に入門します。植治で修行後の昭和5年の1930年に植治の関東の仕事すべてを引き受けて上京し、昭和14年の1939年に独立します。
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庭園の木々は春には梅やフジザクラ、夏はビヨウヤナギやハナイカダ、秋にはイロハモミジ、冬はロウバイなど四季折々の花を楽しむことができるそうです。象徴的なノムラモミジは岸信介が自身で植えられたと言われています。
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庭園は散策もできるように整備され、池やせせらぎがあり、その茂みには初代内閣総理大臣の伊藤博文が持っていたものを譲り受けたという古い石灯篭もあります。
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要人が来たときにだけ流す人口の滝の脇に伊藤博文が所有していた石灯篭が見えました。
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縁側にはムクロジの実が置かれてありました。手にとって振ると、カラカラと音を立てる薄い飴色の実は、皮をむけば中から真っ黒な種が現れます。黒い種は正月遊びの羽根突きの羽の黒い玉に使われます。この実の部分は石鹸の代わりになるのですが、8年前に妻と旅したミャンマーのインレー湖の中で立ち寄ったシルバーの店ではソープ・シードで銀を磨いていましたが、あれもムクロジだったのではないだろうかと思いました。
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「厨房」
システムキッチンなど無かったであろう昭和30年代にしては斬新なデザインのキッチンです。 -
厨房で目を引くのがズラッと並ぶ配電盤スイッチです。これは現在とあまり変わらないですが、施錠されていないのに驚きました。
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その右側には呼び出しサインボードがあります。呼び出しされるとその場所のライトが点灯するシステムのようです。
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「女中室」
岸信介の住んでいた当時は3人の女中さんがいて、そのうちの1人は住み込みでだったそうです。これで邸内の見学は終わりです。一度管理棟に戻って絵葉書やお土産を少し買ってから「とらや工房」に向かいます。 -
このロータリーの中央には太郎冠者と名のついた椿の巨木があったはずですがその姿はありませんでした。この椿は樹齢400年近い古木であり、国内で現存する太郎冠者の中でも最長寿に近いものといわれています。岸元首相は生前この椿をとても気に入り所望されていましたが、その民家で代々受け継がれてきた大事な椿だったためにそれは叶いませんでした。
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しかし、新東名高速の建設工事による伐採の危機から免れるためにこの地へ移植されることになりました。岸信介が亡くなられてから約30年後に生前の願いが叶うことになりましたが、現在はどこへ?
とらや工房 グルメ・レストラン
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林の中を少し下ったところに「とらや工房」の建物がありました。庭園側は全面ガラス張りになり、大きなキャノピーが乗った開放的なデザインです。設計したのは内藤廣という建築家です。
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お土産に12月の和菓子の柚子もちなどを買い求め、併設されたカフェではどら焼きとお茶のセットを注文しました。御殿場産のさくら玉子をたっぷり使い、少し硬めに焼きあげた歯ごたえのある皮に餡が挟まっています。「ふじと」マーク入りの「どら焼き」食べたかったです。
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妻の食べた大福はこしが強くて歯切れのいもち米を使った生地に小倉餡が包まれています。セルフですがお茶はおかわりが出来るのが嬉しいです。
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お土産に買った季節限定のくるみ餅は隠し味に地場産の醤油を使った求肥の生地で、白飴餡を包んでありました。これは11月下旬から12月初旬までのお菓子で8年振りに作られたそうです。
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柚子もちは高知産の柚子を使用して、香り豊かな皮を道明寺に混ぜ、白餡には果汁も入れているようです。道明寺のもちもちとした食感とやわらかな餡から甘酸っぱい柚子の香りがしました。賞味期限は当日だけなのでお土産にはしませんでした。
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お店も程よい混み具合でした。パラソルタイプの屋外用ヒーターも置かれてあるので冬場は寒いのでしょうね。
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店内からは表にある池に視線が集まるようになっています。池の反対側から建物を見たかったのですが、雨も降っているので諦めました。御殿場市の東山エリアは白洲正子や黒澤明、政界の要人や皇族が別荘を築いた避暑地として有名ですが、今もなお自然が多く残っていることに驚きます。
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このような雨の日にここへ来ると店先のキャノピーのありがたさを痛感します。先月用事があってアメリカンクラブへ向かうタクシーの中から見た「とらや赤坂店」のことを思い出しました。
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ゆっくりお茶もいただいて楽しい1日でした。午後4時の出発に合わせてバスに戻ります。ここから御殿場ICはすぐ近くで、そのままバスは東京に向かって走ります。
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1度トイレ休憩があり「海老名サービスエリア」に立ち寄ります。ここで晩御飯のお弁当を買おうと思いましたが、近所の中華料理店に行こうと気が変わりました。
EXPASA海老名 上り 道の駅
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東京へ向かう途中から渋滞にはまり、新宿に到着したのは予定より1時間遅かったです。いつも迎えに来てくれる友人から連絡が入り、厚木で仕事をした帰りで海老名にいることが分かりました。そこから渋滞になるので電車で地元に帰ることにします。
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大磯では紅葉も楽しめましたが、東京の黄葉も捨てたものではありません。地元の友人にLINEでメッセージを送って、お店をやっている友人の所へお土産を取りに来てもらうことにします。晩御飯はその後です。
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ここにきてコロナの新規感染者数が増えてきているので都庁は真っ赤にライトアップしています。都庁を真っ赤にされても全国旅行支援は国の決めたことなのでそれに従います。久し振りに参加した日帰りツアーも楽しかったです。
東京都庁 名所・史跡
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2022大磯・小田原・御殿場の旅
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