多賀城・塩釜・利府旅行記(ブログ) 一覧に戻る
旅の二日目は、陸奥一宮である鹽竈神社に参拝するため、塩釜を訪れる。塩釜は初めて訪れる場所なので、楽しみであった。ただ、市内にある二つの酒蔵が、どちらも日曜日が定休日であったのが残念である。後半は、多賀城跡などの史跡を巡る。ここでもレンタサイクルを利用したのだが、思ったよりも広範囲な上、坂が多く、予定していた『地底の森ミュージアム』を訪れる時間が無くなってしまった。そして、旅の最終日には、周遊バスで仙台市内を巡る。しかし、月曜日だと言うのに観光客が多く、途中で切り上げることになった。中途半端な締めとなってしまった旅だったが、また訪れる楽しみが残り、良かったのかもしれない。<br /><br />(2022.12.24投稿)

歴史溢れるみちのくへ【2】~陸奥一宮と多賀城跡、そして仙台~

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2022/11/27 - 2022/11/28

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旅行記グループ 【陸奥国】陸前国

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旅猫

旅猫さん

旅の二日目は、陸奥一宮である鹽竈神社に参拝するため、塩釜を訪れる。塩釜は初めて訪れる場所なので、楽しみであった。ただ、市内にある二つの酒蔵が、どちらも日曜日が定休日であったのが残念である。後半は、多賀城跡などの史跡を巡る。ここでもレンタサイクルを利用したのだが、思ったよりも広範囲な上、坂が多く、予定していた『地底の森ミュージアム』を訪れる時間が無くなってしまった。そして、旅の最終日には、周遊バスで仙台市内を巡る。しかし、月曜日だと言うのに観光客が多く、途中で切り上げることになった。中途半端な締めとなってしまった旅だったが、また訪れる楽しみが残り、良かったのかもしれない。

(2022.12.24投稿)

旅行の満足度
3.5
観光
3.5
ホテル
3.5
グルメ
4.0
ショッピング
3.5
交通
3.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
高速・路線バス 新幹線 JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
利用旅行会社
楽天トラベル
  • 翌朝、一ノ関駅から、7時42分発の『やまびこ50号』に乗り、仙台駅へと向かう。30分で到着した仙台駅で、8時27分発の仙石線の普通列車に乗り換え、鹽竈神社の最寄り駅である本塩釜駅を目指した。車内は混み合っていたが、駅に着く度に人が減って行く。そして、30分足らずで本塩釜駅に着いた。記憶はほとんど無いが、以前、この駅を一度だけ利用したことがあるのを思い出した。

    翌朝、一ノ関駅から、7時42分発の『やまびこ50号』に乗り、仙台駅へと向かう。30分で到着した仙台駅で、8時27分発の仙石線の普通列車に乗り換え、鹽竈神社の最寄り駅である本塩釜駅を目指した。車内は混み合っていたが、駅に着く度に人が減って行く。そして、30分足らずで本塩釜駅に着いた。記憶はほとんど無いが、以前、この駅を一度だけ利用したことがあるのを思い出した。

  • 駅舎を出ると、大きな常夜燈が立っていた。大燈籠と呼ばれるそれは、大正13年(1924)に、旧塩釜駅前の広場に建てられたものだそうだ。仙石線の高架化により、本塩釜駅となった駅前に移設されたそうである。

    駅舎を出ると、大きな常夜燈が立っていた。大燈籠と呼ばれるそれは、大正13年(1924)に、旧塩釜駅前の広場に建てられたものだそうだ。仙石線の高架化により、本塩釜駅となった駅前に移設されたそうである。

  • 駅前から鹽竈神社の方へと歩いて行くと、大通りに面して大きな建物が立っていた。壱番館と呼ばれるその建物がある場所には、昭和56年の高架化前まで、本塩釜駅があったそうである。傍らには、大燈籠と共に建てられた鹽竈神社の標柱が残されていた。

    駅前から鹽竈神社の方へと歩いて行くと、大通りに面して大きな建物が立っていた。壱番館と呼ばれるその建物がある場所には、昭和56年の高架化前まで、本塩釜駅があったそうである。傍らには、大燈籠と共に建てられた鹽竈神社の標柱が残されていた。

  • その標柱の建つ場所で大通りを渡ると、右手に史跡案内板があった。それによると、鹽竈神社を参拝した芭蕉が、ここから松島へ向けて船出した場所だそうである。その当時は、この辺りが海岸線であったそうだ。

    その標柱の建つ場所で大通りを渡ると、右手に史跡案内板があった。それによると、鹽竈神社を参拝した芭蕉が、ここから松島へ向けて船出した場所だそうである。その当時は、この辺りが海岸線であったそうだ。

  • 大通り沿いに歩いて行くと、鹽竈神社の東参道が見えて来た。鳥居の扁額には、『鹽竈神社』と並んで『志和彦神社』の文字が刻まれている。参道の両側は駐車場となっていたが、昭和の頃までは、多くの商店などが建ち並び、賑わっていたそうである。

    大通り沿いに歩いて行くと、鹽竈神社の東参道が見えて来た。鳥居の扁額には、『鹽竈神社』と並んで『志和彦神社』の文字が刻まれている。参道の両側は駐車場となっていたが、昭和の頃までは、多くの商店などが建ち並び、賑わっていたそうである。

  • 参道を石段で登ると、道は左へと折れる。右手には、江戸時代まで、鹽竈神社の別当寺であった法蓮寺があったそうだが、今は、客殿であった勝画楼を残すだけとなっている。境内跡は立入禁止となっていて、勝画楼を観ることは出来なかった。

    参道を石段で登ると、道は左へと折れる。右手には、江戸時代まで、鹽竈神社の別当寺であった法蓮寺があったそうだが、今は、客殿であった勝画楼を残すだけとなっている。境内跡は立入禁止となっていて、勝画楼を観ることは出来なかった。

  • 黒坂と呼ばれる参道は、石畳である。なかなか風情のある道であった。

    黒坂と呼ばれる参道は、石畳である。なかなか風情のある道であった。

  • 途中に東屋があり、辺りは名残の紅葉が美しかった。

    途中に東屋があり、辺りは名残の紅葉が美しかった。

  • しばらく歩くと、朱色の鳥居と石造りの鳥居が見えて来た。朱色の鳥居が、志和彦神社である。まずは、志和彦神社に参拝する。志和彦神社は、延喜式神明帳に明神大として記載のある古社である。以前は別の場所に鎮座していたそうだが、明治初期に鹽竈神社の境内に遷座したそうである。

    しばらく歩くと、朱色の鳥居と石造りの鳥居が見えて来た。朱色の鳥居が、志和彦神社である。まずは、志和彦神社に参拝する。志和彦神社は、延喜式神明帳に明神大として記載のある古社である。以前は別の場所に鎮座していたそうだが、明治初期に鹽竈神社の境内に遷座したそうである。

  • 志和彦神社に参拝した後、隣に鎮座する鹽竈神社に参拝する。陸奥国一宮である鹽竈神社であるが、何故か延喜式神明帳には記載がない。にも拘らず、特別な扱いを受けてたと言う不思議な社である。

    志和彦神社に参拝した後、隣に鎮座する鹽竈神社に参拝する。陸奥国一宮である鹽竈神社であるが、何故か延喜式神明帳には記載がない。にも拘らず、特別な扱いを受けてたと言う不思議な社である。

  • この日はちょうど七五三のお祝いで参拝に来た家族連れが多く、境内は大いに賑わっていた。参拝には時間は掛からなかったのだが、御朱印をもらうのに少々待つことになった。境内を拝観することにしたが、拝殿前に、変わった形をした燈籠があった。『文治の燈籠』と呼ばれるもので、かの芭蕉も観たそうである。

    この日はちょうど七五三のお祝いで参拝に来た家族連れが多く、境内は大いに賑わっていた。参拝には時間は掛からなかったのだが、御朱印をもらうのに少々待つことになった。境内を拝観することにしたが、拝殿前に、変わった形をした燈籠があった。『文治の燈籠』と呼ばれるもので、かの芭蕉も観たそうである。

  • 向かいには、樹齢約5百年と云う大きな多羅葉の樹があり、小さな赤い実をたくさんつけていた。

    向かいには、樹齢約5百年と云う大きな多羅葉の樹があり、小さな赤い実をたくさんつけていた。

  • 御朱印を受け取り、随身門から出る。向かいには、表参道の急な石段があり、とりあえず、一度麓へ降りることにする。

    御朱印を受け取り、随身門から出る。向かいには、表参道の急な石段があり、とりあえず、一度麓へ降りることにする。

  • 石段を降りると、陸奥国一宮の扁額が掛かる鳥居がある。傍らの石柱には、『東北鎮護鹽竈神社』と刻まれている。広大な陸奥国を鎮護する要の社であったのだ。

    石段を降りると、陸奥国一宮の扁額が掛かる鳥居がある。傍らの石柱には、『東北鎮護鹽竈神社』と刻まれている。広大な陸奥国を鎮護する要の社であったのだ。

  • 麓の道沿いに駅の方へと少し戻ると、銘酒『阿部勘』を醸す阿部勘酒造があったが、残念ながら休みであった。そのすぐ先に、七曲坂の入口があった。七曲坂は、鹽竈神社の最も古い参道で、奈良時代からあったそうである。つづら折りの未舗装の坂は、人影も無く、とても風情があった。

    麓の道沿いに駅の方へと少し戻ると、銘酒『阿部勘』を醸す阿部勘酒造があったが、残念ながら休みであった。そのすぐ先に、七曲坂の入口があった。七曲坂は、鹽竈神社の最も古い参道で、奈良時代からあったそうである。つづら折りの未舗装の坂は、人影も無く、とても風情があった。

  • 登り切ると、そこには年季の入った博物館があった。館内には、奉納された多くの刀剣が展示され、なかなか見応えがある。

    登り切ると、そこには年季の入った博物館があった。館内には、奉納された多くの刀剣が展示され、なかなか見応えがある。

    鹽竈神社博物館 美術館・博物館

  • 博物館を後にして、東参道を下って行く。その途中に、旧亀井邸と言う所があったので、立ち寄ることにする。そこは、総合商社カメイの初代社長が建てた住居だそうである。

    博物館を後にして、東参道を下って行く。その途中に、旧亀井邸と言う所があったので、立ち寄ることにする。そこは、総合商社カメイの初代社長が建てた住居だそうである。

    旧亀井邸 名所・史跡

  • 木造の純和風の建物であるが、一部に洋風建築が付属していて、『和洋併置式』と呼ばれる様式なのだそうだ。

    木造の純和風の建物であるが、一部に洋風建築が付属していて、『和洋併置式』と呼ばれる様式なのだそうだ。

  • 特徴だったのは、襖などの取っ手である。色々な意匠のものがあり、中でも蝙蝠を模ったものは、とても面白い。なかなか興味深い建築物であったが、訪れる人は少ないようで、私を含めても三人しかいなかった。

    特徴だったのは、襖などの取っ手である。色々な意匠のものがあり、中でも蝙蝠を模ったものは、とても面白い。なかなか興味深い建築物であったが、訪れる人は少ないようで、私を含めても三人しかいなかった。

  • 麓に降り、次に向かったのは鹽竈神社の末社である御釜神社である。その境内には、鹽竈の地名の由来となった神竃が4口祀られているそうだが、拝観することは出来なかった。

    麓に降り、次に向かったのは鹽竈神社の末社である御釜神社である。その境内には、鹽竈の地名の由来となった神竃が4口祀られているそうだが、拝観することは出来なかった。

  • その社の向いに、木造の古い大きな建物があった。説明板に寄れば、幕末に建てられたゑびや旅館の建物で、今は一部が喫茶などになっている。食事が出来る様なので、ここでお昼を食べることにした。

    その社の向いに、木造の古い大きな建物があった。説明板に寄れば、幕末に建てられたゑびや旅館の建物で、今は一部が喫茶などになっている。食事が出来る様なので、ここでお昼を食べることにした。

    カフェはれま グルメ・レストラン

  • 注文したのは、店の名を冠した『はれまカレー』。挽肉を使った手作りのカレーで、これが思いの外美味しかった。店内の雰囲気も良く、とても寛ぐことが出来た。

    注文したのは、店の名を冠した『はれまカレー』。挽肉を使った手作りのカレーで、これが思いの外美味しかった。店内の雰囲気も良く、とても寛ぐことが出来た。

  • 店を出て駅へと歩いて行くと、寺のような立派ない玄関のある建物があった。かの『浦霞』を醸す佐浦酒造である。説明板があったので読んでみると、なんと、明治初期に廃寺となった別当法蓮寺の向拝を移築したものだそうだ。試飲などがしたかったのだが、こちらもお休みであった。

    店を出て駅へと歩いて行くと、寺のような立派ない玄関のある建物があった。かの『浦霞』を醸す佐浦酒造である。説明板があったので読んでみると、なんと、明治初期に廃寺となった別当法蓮寺の向拝を移築したものだそうだ。試飲などがしたかったのだが、こちらもお休みであった。

  • 駅へ戻ると、予定より1時間少々過ぎていた。ゆっくりし過ぎたようである。少し待ち、12時22分発の列車に乗り、次の目的地である多賀城駅へと向かった。当初の予定では、東北本線の国府多賀城駅から徒歩で回ることにしていたのだが、多賀城駅にレンタサイクルがあると知り、予定を変更したのである。

    駅へ戻ると、予定より1時間少々過ぎていた。ゆっくりし過ぎたようである。少し待ち、12時22分発の列車に乗り、次の目的地である多賀城駅へと向かった。当初の予定では、東北本線の国府多賀城駅から徒歩で回ることにしていたのだが、多賀城駅にレンタサイクルがあると知り、予定を変更したのである。

  • 駅の観光案内所で自転車を借り、早速、多賀城跡へと向かう。もらった地図がかなり広域で、途中で何度も確認する。しかも、想像よりも起伏があり、電動アシストを借りれば良かったと後悔する。そして、20分ほど走ると、途中に多賀城廃寺跡と言う場所があったので、立ち寄ることにする。そこは、多賀城と同時に建立された付属寺院のあった場所で、金堂や講堂、塔の跡がしっかりと残されていた。

    駅の観光案内所で自転車を借り、早速、多賀城跡へと向かう。もらった地図がかなり広域で、途中で何度も確認する。しかも、想像よりも起伏があり、電動アシストを借りれば良かったと後悔する。そして、20分ほど走ると、途中に多賀城廃寺跡と言う場所があったので、立ち寄ることにする。そこは、多賀城と同時に建立された付属寺院のあった場所で、金堂や講堂、塔の跡がしっかりと残されていた。

    多賀城廃寺跡 名所・史跡

  • 廃寺跡のすぐ近くに、多賀神社と言う小さな社があった。古の多賀神社は、近江の多賀大社を勧請したものらしく、奈良時代の風土記にも神事の記載があったそうである。現在の社は、その当時の多賀神社と繋がりは無く、明治時代に改めて創建され、延喜式内社に加えられたそうである。要するに、途絶えていた名跡を継いだ形である。

    廃寺跡のすぐ近くに、多賀神社と言う小さな社があった。古の多賀神社は、近江の多賀大社を勧請したものらしく、奈良時代の風土記にも神事の記載があったそうである。現在の社は、その当時の多賀神社と繋がりは無く、明治時代に改めて創建され、延喜式内社に加えられたそうである。要するに、途絶えていた名跡を継いだ形である。

    多賀神社 寺・神社・教会

  • 廃寺跡から、再び自転車を漕ぐ。すると、多賀城跡への最後の関門が待ち構えていた。東北本線を跨ぐ跨線橋である。これがまた長い坂道であり、日ごろの運動不足が見事に効いた。そして、辿り着いたのが、日本三古碑のひとつである多賀城碑である。奈良時代に建てられたと云われる多賀城の修造などを伝える碑である。平成の調査で、建立当初からこの場所にあった可能性があるそうだ。歴史を伝える古の石碑を間近で実物を観ることが出来、嬉しい限りである。

    廃寺跡から、再び自転車を漕ぐ。すると、多賀城跡への最後の関門が待ち構えていた。東北本線を跨ぐ跨線橋である。これがまた長い坂道であり、日ごろの運動不足が見事に効いた。そして、辿り着いたのが、日本三古碑のひとつである多賀城碑である。奈良時代に建てられたと云われる多賀城の修造などを伝える碑である。平成の調査で、建立当初からこの場所にあった可能性があるそうだ。歴史を伝える古の石碑を間近で実物を観ることが出来、嬉しい限りである。

    多賀城碑 (壷碑) 名所・史跡

  • 多賀城碑のすぐ先に、多賀城跡の入口があった。入ってみると、史跡公園として整備の真っ最中の様である。広い政庁南大路跡を進むと、石段の下に着いた。この上が、多賀城の中心であった政庁の跡となる。

    多賀城碑のすぐ先に、多賀城跡の入口があった。入ってみると、史跡公園として整備の真っ最中の様である。広い政庁南大路跡を進むと、石段の下に着いた。この上が、多賀城の中心であった政庁の跡となる。

    多賀城跡 名所・史跡

  • 多賀城と言えば、大和朝廷による東北支配の拠点であり、大宰府と並ぶ重要な施設であった。高橋克彦氏の『風の陣』など、蝦夷を主人公とした一連の作品群の中でもしばしば登場している。そんな歴史の舞台に立っているというのは、非常に感慨深いものがある。今静かに佇む史跡であるが、整備が進むと観光地化され、多くの人で賑わうことになるだろう。その前に訪れることが出来て良かった。

    多賀城と言えば、大和朝廷による東北支配の拠点であり、大宰府と並ぶ重要な施設であった。高橋克彦氏の『風の陣』など、蝦夷を主人公とした一連の作品群の中でもしばしば登場している。そんな歴史の舞台に立っているというのは、非常に感慨深いものがある。今静かに佇む史跡であるが、整備が進むと観光地化され、多くの人で賑わうことになるだろう。その前に訪れることが出来て良かった。

  • 多賀城跡を観た後、東北歴史博物館を目指して来た道を戻る。途中で、多賀城碑の鞘堂が描かれたマンホールを見つけた。

    多賀城跡を観た後、東北歴史博物館を目指して来た道を戻る。途中で、多賀城碑の鞘堂が描かれたマンホールを見つけた。

  • そのすぐ近くに、遺跡の案内板を見つけたので立ち寄ってみる。館前遺跡と呼ばれるもので、礎石らしきものが僅かに残るだけである。しかし、国の特別史跡に指定させており、陸奥に赴任した国司の館跡と考えられているそうである。

    そのすぐ近くに、遺跡の案内板を見つけたので立ち寄ってみる。館前遺跡と呼ばれるもので、礎石らしきものが僅かに残るだけである。しかし、国の特別史跡に指定させており、陸奥に赴任した国司の館跡と考えられているそうである。

    舘前遺跡 名所・史跡

  • 東北歴史博物館は、その遺跡から、東北本線の国府多賀城駅を挟んで反対側に位置する。広い駐車場に自転車を置き、早速見学する。なかなか立派な建物で、展示内容もかなり見応えがあるものであった。非常に美しい展示で、しかもわかりやすい。

    東北歴史博物館は、その遺跡から、東北本線の国府多賀城駅を挟んで反対側に位置する。広い駐車場に自転車を置き、早速見学する。なかなか立派な建物で、展示内容もかなり見応えがあるものであった。非常に美しい展示で、しかもわかりやすい。

    東北歴史博物館 美術館・博物館

  • 幕末の展示まで来ると、奥羽越列藩同盟旗が誇らしげに掲げられていた。薩長を中心とした新政府による会津藩への理不尽な対応に、奥羽越のほとんどの藩が参加して結成された義勇同盟の旗印である。現在でも、各地の祭りなどで翻り、東北の結束の強さを象徴するものとなっている。

    幕末の展示まで来ると、奥羽越列藩同盟旗が誇らしげに掲げられていた。薩長を中心とした新政府による会津藩への理不尽な対応に、奥羽越のほとんどの藩が参加して結成された義勇同盟の旗印である。現在でも、各地の祭りなどで翻り、東北の結束の強さを象徴するものとなっている。

  • 東北歴史博物館を堪能した後、多賀城駅へと戻る。思いの外時間が過ぎていて、予定を変更し、この日は多賀城市内で切り上げることにする。自転車を返す時間にはまだ少しあったので、駅を通り過ぎ、南側の住宅がの中にある国の名勝『興井(沖の石)』を観に行く。そこは、小野小町が『古今和歌集』の中で詠んだりと、古より歌枕の地として知られ、芭蕉も訪れている。今は、住宅街の中に取り残されたようになっていた。

    東北歴史博物館を堪能した後、多賀城駅へと戻る。思いの外時間が過ぎていて、予定を変更し、この日は多賀城市内で切り上げることにする。自転車を返す時間にはまだ少しあったので、駅を通り過ぎ、南側の住宅がの中にある国の名勝『興井(沖の石)』を観に行く。そこは、小野小町が『古今和歌集』の中で詠んだりと、古より歌枕の地として知られ、芭蕉も訪れている。今は、住宅街の中に取り残されたようになっていた。

  • そのすぐ北側には、恋愛を象徴する歌枕の地として知られる『末の松山』がある。芭蕉も訪れ、『おくのほそ道』にその記載がある。

    そのすぐ北側には、恋愛を象徴する歌枕の地として知られる『末の松山』がある。芭蕉も訪れ、『おくのほそ道』にその記載がある。

    末の松山 名所・史跡

  • そろそろ時間なので、自転車を返す。途中には、鮮やかな紅葉があった。中途半端な時間になったので、駅近くの『多賀城市埋蔵文化財調査センター展示室』を見学。そこには、多賀城碑の実物大の複製が置かれていた。

    そろそろ時間なので、自転車を返す。途中には、鮮やかな紅葉があった。中途半端な時間になったので、駅近くの『多賀城市埋蔵文化財調査センター展示室』を見学。そこには、多賀城碑の実物大の複製が置かれていた。

  • そこから急な坂道を下って行くと、野田の玉川と言う用水路のような川に出る。そこに架かる『おもわくの橋』も、歌枕として知られる。かの西行も『山家集』の中で詠んでいる。名の由来は、阿部貞任が、想い人の所に通うために渡った橋だという説もあるそうだ。歌枕とされた風景が多いのは、多賀城に赴任した者が、都にもたらしたからであろう。

    そこから急な坂道を下って行くと、野田の玉川と言う用水路のような川に出る。そこに架かる『おもわくの橋』も、歌枕として知られる。かの西行も『山家集』の中で詠んでいる。名の由来は、阿部貞任が、想い人の所に通うために渡った橋だという説もあるそうだ。歌枕とされた風景が多いのは、多賀城に赴任した者が、都にもたらしたからであろう。

    野田の玉川 おもわくの橋 自然・景勝地

  • 冷え込んで来たので、駅へ戻り、仙石線の列車で宿のある仙台駅へと向かう。この日の宿は、以前、出張で利用したことのある駅近くのホテルだ。普通のビジネスホテルだが、比較的安く泊まれるので、今回も利用することにしたのだ。

    冷え込んで来たので、駅へ戻り、仙石線の列車で宿のある仙台駅へと向かう。この日の宿は、以前、出張で利用したことのある駅近くのホテルだ。普通のビジネスホテルだが、比較的安く泊まれるので、今回も利用することにしたのだ。

    ホテルユニサイト仙台 宿・ホテル

  • そして、いつものように夕食を求めて街に出る。とは言え、東北最大の都市である仙台の駅前なので、個人経営の店を探すのは難しい。仙台銀座と言う魅力的な横丁もあったが、まだほとんど開店前だったので諦める。

    そして、いつものように夕食を求めて街に出る。とは言え、東北最大の都市である仙台の駅前なので、個人経営の店を探すのは難しい。仙台銀座と言う魅力的な横丁もあったが、まだほとんど開店前だったので諦める。

  • 歩き回ったが、日曜日が休みと言う店が多く、なかなか見つからない。そんな時、クラフトビールの店があったので、つい入ってしまった。しかし、これが失敗で、肝心の麦酒が、よくある銘柄ばかりでつまらない。

    歩き回ったが、日曜日が休みと言う店が多く、なかなか見つからない。そんな時、クラフトビールの店があったので、つい入ってしまった。しかし、これが失敗で、肝心の麦酒が、よくある銘柄ばかりでつまらない。

  • しかも、えびせんを頼んだら、何やら虹のようなものが出て来た。どうも、若者向けの店に入ってしまったようである。

    しかも、えびせんを頼んだら、何やら虹のようなものが出て来た。どうも、若者向けの店に入ってしまったようである。

  • それでも、ソーセージは悪くは無かった。

    それでも、ソーセージは悪くは無かった。

  • 餃子があったので、焼き上がるまでもう一杯いただく。

    餃子があったので、焼き上がるまでもう一杯いただく。

  • そして、焼き餃子が登場。クラフトビールの店なのだが、なぜか焼き餃子が定番と言う変わった店である。自慢するだけあり、これはなかなか美味しかった。

    そして、焼き餃子が登場。クラフトビールの店なのだが、なぜか焼き餃子が定番と言う変わった店である。自慢するだけあり、これはなかなか美味しかった。

  • 餃子を食べると、やはり麦酒が欲しくなる、と言うことで、締めに黒麦酒をいただいた。たまには、こんな経験も良いだろう。

    餃子を食べると、やはり麦酒が欲しくなる、と言うことで、締めに黒麦酒をいただいた。たまには、こんな経験も良いだろう。

  • 翌朝、7時58分発の仙山線の列車に乗り、東照宮駅へと向かう。月曜日の朝と言うことで、通勤通学客で駅も車内も大いに賑わっていた。

    翌朝、7時58分発の仙山線の列車に乗り、東照宮駅へと向かう。月曜日の朝と言うことで、通勤通学客で駅も車内も大いに賑わっていた。

  • 東照宮駅は、駅名の通り、近くに東照宮がある。なかなか見応えのある社殿があると知り、訪れてみたのである。参道の先にあった石段を登ると、両側に奉納された石灯篭が建ち並び、その奥に随身門が聳えている。

    東照宮駅は、駅名の通り、近くに東照宮がある。なかなか見応えのある社殿があると知り、訪れてみたのである。参道の先にあった石段を登ると、両側に奉納された石灯篭が建ち並び、その奥に随身門が聳えている。

  • 随身門を潜り、正面の拝殿で参拝。脇に回り込むと、裏手に唐門と本殿の屋根が見えた。仙台東照宮は、伊達家二代忠宗により建立されたもので、本殿、唐門、随身門などが国の重要文化財に指定されている。日光東照宮のような煌びやかさが無いのが、ある意味好ましいように感じる。

    随身門を潜り、正面の拝殿で参拝。脇に回り込むと、裏手に唐門と本殿の屋根が見えた。仙台東照宮は、伊達家二代忠宗により建立されたもので、本殿、唐門、随身門などが国の重要文化財に指定されている。日光東照宮のような煌びやかさが無いのが、ある意味好ましいように感じる。

  • 東照宮から駅へ戻る途中に、仙岳院と言う寺があった。風情を感じる佇まいだったので、立ち寄ることにした。この寺は、東照宮の別当寺として建立されたものだそうだ。本堂脇に小さな御堂があり、小萩観音と呼ばれる十一面観世音菩薩が祀られている。何でも、奥州藤原氏滅亡の際、秀衡の三男和泉三郎忠衡の娘が落ち延び、その念持仏であったものだそうだ。

    東照宮から駅へ戻る途中に、仙岳院と言う寺があった。風情を感じる佇まいだったので、立ち寄ることにした。この寺は、東照宮の別当寺として建立されたものだそうだ。本堂脇に小さな御堂があり、小萩観音と呼ばれる十一面観世音菩薩が祀られている。何でも、奥州藤原氏滅亡の際、秀衡の三男和泉三郎忠衡の娘が落ち延び、その念持仏であったものだそうだ。

    仙岳院 寺・神社・教会

  • 駅へ戻り、満員の列車に揺られて仙台駅へと戻った。そして、駅前のバスターミナルで、観光循環バス『るーぷる仙台』を待つ。月曜日なので空いているかと思ったが、バスが来る頃には長蛇の列が出来、結局乗り切れないほどの混み様であった。

    駅へ戻り、満員の列車に揺られて仙台駅へと戻った。そして、駅前のバスターミナルで、観光循環バス『るーぷる仙台』を待つ。月曜日なので空いているかと思ったが、バスが来る頃には長蛇の列が出来、結局乗り切れないほどの混み様であった。

  • まずは、10分余りで着いた瑞鳳殿前バス停で下車。そこから歩いて、伊達家の歴代藩主が眠る経ケ峯へと登る。ここを訪れるのも久しぶりである。墓所へと続く石段の風情は変わらない。

    まずは、10分余りで着いた瑞鳳殿前バス停で下車。そこから歩いて、伊達家の歴代藩主が眠る経ケ峯へと登る。ここを訪れるのも久しぶりである。墓所へと続く石段の風情は変わらない。

  • 拝観料を払って中へ入ると、鮮やかな紅葉が出迎えてくれた。そして、すぐの場所に、初代藩主伊達政宗の霊屋『瑞鳳殿』があるのだが、残念ながら修繕中で観ることは出来なかった。

    拝観料を払って中へ入ると、鮮やかな紅葉が出迎えてくれた。そして、すぐの場所に、初代藩主伊達政宗の霊屋『瑞鳳殿』があるのだが、残念ながら修繕中で観ることは出来なかった。

  • さらに歩いて行くと、二代藩主忠宗の霊屋『感仙殿』と三代綱宗の霊屋『善応殿』が並んで立っている。黒を基調とした建物だが、極彩色の彫刻が施され、独特な美しさのある霊屋である。ただ、瑞鳳殿も含め、昭和に再建されたものである。創建時の霊屋は、残念ながら戦災で焼失してしまっている。

    さらに歩いて行くと、二代藩主忠宗の霊屋『感仙殿』と三代綱宗の霊屋『善応殿』が並んで立っている。黒を基調とした建物だが、極彩色の彫刻が施され、独特な美しさのある霊屋である。ただ、瑞鳳殿も含め、昭和に再建されたものである。創建時の霊屋は、残念ながら戦災で焼失してしまっている。

  • バス停へ戻ると、多くの人がバスを待っている。遅れてやってきたバスも混み合い、満員状態である。この後、仙台城跡に寄る予定だったが、購入した一日乗車券を無くしてしまった上、あまりにも混んでいるので、仙台城跡でどっと降りて座れたこともあり、そのまま大崎八幡宮まで乗車することにした。

    バス停へ戻ると、多くの人がバスを待っている。遅れてやってきたバスも混み合い、満員状態である。この後、仙台城跡に寄る予定だったが、購入した一日乗車券を無くしてしまった上、あまりにも混んでいるので、仙台城跡でどっと降りて座れたこともあり、そのまま大崎八幡宮まで乗車することにした。

  • 朱色の大きな鳥居を潜り少し歩くと、石橋で水路のようなものを渡った。説明板に寄れば、推理に恵まれていなかった仙台城下に水を引くため、江戸時代初期に造られた旧四ッ谷用水の痕跡だそうだ。

    朱色の大きな鳥居を潜り少し歩くと、石橋で水路のようなものを渡った。説明板に寄れば、推理に恵まれていなかった仙台城下に水を引くため、江戸時代初期に造られた旧四ッ谷用水の痕跡だそうだ。

  • 長い参道を歩いて行くと、長床と呼ばれる建物が見えて来た。通り抜けが出来る割拝殿と言う造りである。その長床を潜ると、伊達政宗により建てられた国宝の本殿があるのだが、残念ながら修繕中で、その壮麗な姿を拝むことは出来なかった。

    長い参道を歩いて行くと、長床と呼ばれる建物が見えて来た。通り抜けが出来る割拝殿と言う造りである。その長床を潜ると、伊達政宗により建てられた国宝の本殿があるのだが、残念ながら修繕中で、その壮麗な姿を拝むことは出来なかった。

  • 参拝後、バスで仙台駅へ戻ることにしていたのだが、1日乗車券も無いので、最寄りの東北福祉大前駅へバスで出ることにした。しかし、ホームは混み合い、やってきた列車も通勤列車並みに混んでいる。遅れが出ているためらしく、すぐに次が来るというので待つことにした。すると、3分ほどで次の列車がやって来たのだが、こちらは座れるほど空いていた。

    参拝後、バスで仙台駅へ戻ることにしていたのだが、1日乗車券も無いので、最寄りの東北福祉大前駅へバスで出ることにした。しかし、ホームは混み合い、やってきた列車も通勤列車並みに混んでいる。遅れが出ているためらしく、すぐに次が来るというので待つことにした。すると、3分ほどで次の列車がやって来たのだが、こちらは座れるほど空いていた。

  • 仙台城跡に立ち寄らなかったことなどもあり、仙台駅には三時間近く早く戻って来てしまった。先に出る列車で帰ろうかと思ったが、かなり混んでいて指定券が取れない。仕方が無いので、仙台駅お昼を食べながら待つことにした。そして、色々探した挙句入ったのは、駅ビルにあった鶏料理の店である。とりあえず、麦酒と焼き鳥、唐揚げを注文。鶏料理の店だけあり、どれも美味しい。

    仙台城跡に立ち寄らなかったことなどもあり、仙台駅には三時間近く早く戻って来てしまった。先に出る列車で帰ろうかと思ったが、かなり混んでいて指定券が取れない。仕方が無いので、仙台駅お昼を食べながら待つことにした。そして、色々探した挙句入ったのは、駅ビルにあった鶏料理の店である。とりあえず、麦酒と焼き鳥、唐揚げを注文。鶏料理の店だけあり、どれも美味しい。

    炙屋十兵衛 仙台エスパル店 グルメ・レストラン

  • 蔵王産の卵で作ったタルタルソースがかかったチキン南蛮も、衣がサクサクでとても美味しかった。

    蔵王産の卵で作ったタルタルソースがかかったチキン南蛮も、衣がサクサクでとても美味しかった。

  • お酒は、東北各地の地酒が並び、地元宮城の酒も7種類ほどあった。その中から、気仙沼の『水鳥記 特別純米』を注文。初めて呑む酒だが、超辛口だけあり、きりりとした味わいであった。

    お酒は、東北各地の地酒が並び、地元宮城の酒も7種類ほどあった。その中から、気仙沼の『水鳥記 特別純米』を注文。初めて呑む酒だが、超辛口だけあり、きりりとした味わいであった。

  • 最初に頼んであったつくねが出てきたが、チーズが載っている。どうも、店員が間違えたようだが、そのままいただくことにした。しかし、これはチーズ無しの方が美味しかったと思う。

    最初に頼んであったつくねが出てきたが、チーズが載っている。どうも、店員が間違えたようだが、そのままいただくことにした。しかし、これはチーズ無しの方が美味しかったと思う。

  • 続いて、一迫町の『綿屋 特別純米』を呑む。これも初めて呑む酒だったが、かなり上品な味わいである。名前のとおり、優し気な飲み口だ。

    続いて、一迫町の『綿屋 特別純米』を呑む。これも初めて呑む酒だったが、かなり上品な味わいである。名前のとおり、優し気な飲み口だ。

  • 締めには、銘酒『一ノ蔵』の『大和伝 特別純米』をもらう。『一ノ蔵』は名の知れた酒だが、『大和伝』は珍しい。旨味もあるが、切れもある。これはなかなか良い酒だった。一緒に頼んだ『クリームチーズ仙台味噌漬といぶりがっこ』は、味噌の味がほとんど感じなかった。

    締めには、銘酒『一ノ蔵』の『大和伝 特別純米』をもらう。『一ノ蔵』は名の知れた酒だが、『大和伝』は珍しい。旨味もあるが、切れもある。これはなかなか良い酒だった。一緒に頼んだ『クリームチーズ仙台味噌漬といぶりがっこ』は、味噌の味がほとんど感じなかった。

  • 結局、1時間ほどしか時間を潰せず、その後は、1時間半ほど土産物などを物色して過ごした。そして、予定通り、15時32分発の『こまち28号』にのり、仙台を離れた。天気に恵まれた三日間であったが、二日目が思ったよりも時間が掛かり、予定していた『仙台地底の森ミュージアム』に行けなかったのは残念だった。最終日も、乗車券を無くしたり、思わぬ混雑に気乗りがしなくなったりと、少々しりすぼまりの旅となった。

    結局、1時間ほどしか時間を潰せず、その後は、1時間半ほど土産物などを物色して過ごした。そして、予定通り、15時32分発の『こまち28号』にのり、仙台を離れた。天気に恵まれた三日間であったが、二日目が思ったよりも時間が掛かり、予定していた『仙台地底の森ミュージアム』に行けなかったのは残念だった。最終日も、乗車券を無くしたり、思わぬ混雑に気乗りがしなくなったりと、少々しりすぼまりの旅となった。

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この旅行記へのコメント (4)

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  • ポテのお散歩さん 2022/12/31 17:50:14
    多賀城跡
    旅猫さん こんにちは。

    多賀城碑の辺りは地図で見ると遺跡が多いですね。
    この辺りの事は全く知らないので『多賀城』って戦国時代にあった
    お城かなと思ったのですが、大和政権とか遺跡というワードが出て来るので
    古い歴史が残っている地なのですね。

    これがわかって、初めて旅猫さんの旅のお話しが理解出来ました(^-^;
    この辺りを歩く時は『炎立つ』だけでも読んで予習して行くと、
    少し感じ方が変わるでしょうね。

    今年も残り数時間となりました。
    よいお年をお迎えください。
    来年も旅猫さんの旅行記を楽しみにしています(*^-^*)

      ポテ

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2022/12/31 20:39:49
    RE: 多賀城跡
    ポテさん、こんばんは。

    いつもありがとうございます。
    今年も、いよいよあと僅かですね。

    多賀城跡を中心として、古代大和朝廷の北の要の痕跡がそこかしこにあります。
    とは言え、跡だけなので、ある意味何もありません。
    多賀城碑は必見です!
    東北歴史博物館は、とても綺麗で、展示も見応えがあるのでおすすめですよ。

    『炎立つ』は、安倍氏や源氏が活躍する時代ですが、多賀城の描写としては、『風の陣』が一番おすすめです。
    蝦夷4部作の第1作で、大和朝廷の蝦夷への抑えとして築かれた多賀城が描かれています。

    今年もありがとうございました。
    来年も、どうぞよろしくお願いします。
    良いお年をお迎えください。

    旅猫
  • チーママ散歩さん 2022/12/25 11:52:10
    「末の松山浪こさじ」 ・・・?(o^^o)
    こんにちは 旅猫さん。

    いつも旅猫さんのしっとりした語り口調の旅日記。
    拝見していてとても参考になっております。
    Wikipediaの貼り付けのように...
    どれを見ても同じな旅行記になりがち
    旅人の集まる所なので皆さんご存じの場所。
    そう思いながら、私も注意しているのですが、
    私の場合は妄想と独り言が多くなってしまい 
    旅そのものから外れてしまうのですよね 笑
    歴史にしても、お酒の銘柄にしても深い知識
    があると語れるのですが 笑

    今回は「末の松山浪こさじ」
    大好きな日本酒ではなく、たまには違った物も
    試したくなる(^_^)
    でも最終的には慣れ親しんだ日本酒が一番と
    言うことに気づくのですね。
    めでたしです。
    そうは言っても愛方さんが たまには・・と
    言ったらこまりますが 笑
    クリスマスですね。
    大人なしっとりとしたクリスマスをお過ごしでしょうね。
    そして早いもので仕事納め。
    あと2日お仕事がんばらなくては。
    北風小僧が我が物顔で猛威を振るっております。
    どうぞご自愛くださいませ。

    今年最後のご挨拶になりますね。
    一年間いいねありがとうございました。


    旅猫

    旅猫さん からの返信 2022/12/26 21:07:39
    RE: 「末の松山浪こさじ」 ・・・?(o^^o)
    チーママ散歩さん、こんばんは。

    書き込みありがとうございます。
    妄想と独り言、いいじゃないですかぁ
    旅は、自分の好きな場所を好きなように訪ね、勝手な想像をするのが最高です(笑)
    勝手な印象で綴っている旅行記が、チーママ散歩さんの参考になっているなんて、嬉しいです。
    歴史好きでお酒好きなので、つい、そちらに偏って語ってしまい。。。
    他はあまり詳しくないのです(^^;

    知り合いに歌人と俳人がいて、そちらも少々気になっていまして。
    たまに、旅先で一句ひねったりしているのですが、所詮は素人。
    下手の横好きになってしまいます。

    クリスマスは、学生の頃までは騒いでいましたが、すっかり気にしなくなりました。
    日本の四季の行事や季節の移ろいに心が動きます。
    28日で仕事納めです。
    あと2日、頑張ります。
    とは言え、この年末年始は6日しかないので、明けて4日は仕事です。。。

    こちらこそ、たくさんのご訪問、ありがとうございました。
    来年もまた、よろしくお願いします。
    良いお年をお迎えください。

    旅猫

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