2022/10/29 - 2022/10/30
909位(同エリア7469件中)
キートンさん
この旅行記スケジュールを元に
2022年10月、全国旅行支援が始まった。
例によって「チャリと行く」シリーズ再開!といきたいところだが、それにはリスクが伴う事情があった。
今年8月初旬、普通は再発しないはずの右耳の突発性難聴が再発した。
昨年同様すぐに治療すればほぼ回復すると思いきや、今回は重症だったらしい。
多少回復したとはいえ、3ヶ月近く経っても右耳だけでは会話が聞き取れない状態。
それ以上に深刻なのが、今回はめまいの症状があり、未だにふらつきの後遺症が残っていることだ。
日常生活で自転車に乗るのはあまり問題はないが、サイクリングをメインする旅はさすがにリスクが高い。
されど全国旅行支援のチャンスを逃すのはもったいない。
台風の季節も過ぎようとする時期なので、久しぶりに往復飛行機で南方への旅にしようと思った。
30数年ぶりの沖縄本島とかねてから気になっていた奄美大島とをフェリーで結ぶ計画を立てた。
LCCの航空券とフェリーと全国旅行支援(宿泊費40%補助+地域クーポン3000円)対象の宿を確保し、11月29日出発で6泊7日の旅の準備を着々と進めた。
ところが、なんと南洋で熱帯低気圧が発達し出発2日前に台風22号となった。
接近しないとしても南西諸島にはかなり影響があるという。
タイミングは最悪、どうする・・・
どうするも何も、中止という選択肢はありません。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- ホテル
- 4.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 徒歩 Peach
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
11月29日、関西空港第2ターミナル。
14:00発ピーチ航空MM217便。
いつもなら3時間以内のフライトなら窓側の座席を指定するのだが、めまいの症状が残っているので、念のためトイレ近くの後方の通路側座席を指定した。
大阪は晴れだが、沖縄の天気は不安定らしい。
なお、今回の旅のスケジュールは以下の通り。
10/29(土):関空→那覇(沖縄)
1日目 10/30(日):那覇→本部
2日目 10/31(月):本部
3日目 11/1(火):本部(沖縄)→名護(奄美大島)
4日目 11/2(水):名護
5日目 11/3(木):名護→加計呂麻島→古仁屋
6日目 11/4(金):古仁屋→奄美空港→関空 -
MM217便はほぼ定刻で那覇空港に到着。
酔い止め薬が効いたかどうかは定かではないが、気分が悪くなることはなかった。
那覇の空模様は、雲が多いものの青空が見えているのでひと安心。 -
16:35発のゆいレール。
本格的な観光は明日からだが、遅延もなかったのでこれからプチ観光しようと思う。那覇空港駅 駅
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17:00過ぎ、儀保駅に到着。
これから首里城西側に位置する玉陵(たまうどぅん)へと向かう。儀保駅 駅
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儀保駅から徒歩10分弱で龍潭池に到着。
ここから首里城の一部が見えるが、現在は正殿復元のための白い素屋根が目立っている。 -
17:20過ぎに玉陵(たまうどぅん)に到着。
見学は18:00までだが、入場は17:30までなので結構きわどかった。
入場料は300円。 -
明るいうちに屋外エリアを見学する。
ガジュマルのトンネルの向こうに見える建物は東の御番所。 -
東の御番所の見学は後に回して、その手前にある前門から入る。
-
玉陵の全景。
玉陵は、琉球王国、第二尚氏王統の歴代国王が葬られている陵墓。
第3代尚真王(在位1477年~1527年)が父、尚円王を葬るために建築したものである。世界遺産のひとつで沖縄県最大の破風墓。
「玉陵」と名が付く墓所はほかに伊是名玉陵と山川の玉陵がある。 -
後門に向かって左側に玉陵碑がある。
1501年(弘治14年)に建てられた、玉陵に葬られるべき人々を規定したもの。尚真王のほか8人の名が記されているという。
碑文には尚真王の長男・次男の名が記されてなく、王室内に勢力の対立があり、規定は廃されたと考えられている。 -
後門をくぐると、中央に中室、向かって右に西室がある。
中室は葬儀の後、当時の琉球の葬制に基づき遺骸が骨になるまで放置し、数年後に骨を取り出して洗骨した。
洗骨した後に遺骨を骨壺に収め、王と王妃以外の王族は西室に納められた。 -
イチオシ
向かって左の東室には、王と王妃の遺骨を収めた骨壺が納められた。
玉陵 名所・史跡
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東室の左上には、子供の獅子を愛撫する雌獅子が立っている。
また、西室の右上には、玉紐をくわえて王と遊ぶ雄獅子が立っている。 -
東の御番所は、沖縄戦前までお墓を守る番人がお墓の管理をしていた。
王国時代には墓参りに来た王様が休憩をしたところでもある。 -
2000年(平成12年)年に発掘調査が行われ、東西約18m、南北約12mにわたり、柱を支えた礎石や建物の周囲に巡らされた石敷、便所跡などの遺構が発見された。
さらに、瓦や釘、中国製の青磁や染付、壺屋焼の陶器などの破片も出土した。
現在の東の御番所は、遺構や写真などを元に分析して復元されたもの。 -
チケット売場のある奉円館に戻り、展示物を見学。
東室、中室、西室の内部の様子がわかる模型。 -
沖縄で厨子(じーし)と呼ばれる骨壺が納められた配置がわかるようになっている。
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様々なタイプの厨子(じーし)の展示。
約30分玉陵を見学すると、夕暮れ時になっていた。奉円館 名所・史跡
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イチオシ
玉陵から東へ歩き、ライトアップされる首里城へと向かう。
守礼門付近でライトアップされるのを少し待った。
守礼の門は、首里を東西に貫く大通りである綾門大道の東側に位置する牌楼型の門(楼門)で、日本城郭でいう首里城の大手門に値する。守礼の門 名所・史跡
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守礼門から東へ歩くと、首里城の城郭内へ入る第一の正門である歓会門がある。
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歓会門付近から振り返って見た守礼門のシルエット。
守礼門がシルエットになるってことは、東側からのライトアップはしていないようだ。 -
イチオシ
通用門として使われていた門で、おもに女性が出入りしていたという久慶門。
曲線と直線を組み合わせた凹凸のある城壁の造形が、ライトアップで際立って見える。
曲線状の城壁は本土の城ではあまり見ない気がする。 -
弁財天堂の方へ行こうと思ったが、付近が工事中で龍潭池に沿った遊歩道に出てしまった。
まあいいか、このまま進んで儀保駅への方へ戻ろう。 -
1時間ちょっと前に通った道に戻った。
日が落ちてすっかり夜景になった。 -
この1時間あまりで、少しだけ小雨がぱらついた。
明日の天気は、残念ながら今日より良くなることはないらしい。 -
儀保から美栄橋までゆいレールで移動し、今日の宿ホテル・エアウェイに19:00過ぎに到着。
フロントスタッフは丁寧な対応で、好感が持てるものだった。 -
シングル1泊朝食付で5140円のところ、40%引きで3084円。
土曜日泊は休日に該当するので、受け取った地域クーポンは1000円である。 -
やや古めのビジネスホテルだが、標準的な設備はそろっている。
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バスルームの浴槽はやや狭い。
とはいえ、朝食付で5000円程度なので、満足度は高し。 -
ホテルから徒歩5分以内にコンビニエンスストアが5~6店舗あるので便利だ。
夕食は沖縄っぽいのを一品入れてみた。 -
11月30日、実質観光1日目。
朝食は6:30からで弁当だったが、みそ汁とお茶付だった。 -
美栄橋からゆいレールで首里に向かう。
今日も不安定な天気らしい。 -
首里に8:00頃到着し、首里城の南側を西へと歩く。
途中にあった西来院(達磨寺)の花が鮮やかだった。西来院 寺・神社・教会
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イチオシ
首里城の外郭の第3門で正殿の裏側にあたり、日常の通用門として使われていた継世門。
雨上がりの青空が清々しい。 -
首里金城の大アカギへと至る北からのルートはかなり細い道だった。
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雨で滑りそうな石段を下りて行くと、右手に首里金城の大アカギがあった。
推定樹齢200年以上と思われるアカギの大木が5本自生していて、国の天然記念物に指定されている。 -
50m程度の遊歩道が設置されていて、一番奥のアカギが特に大きく感じた。
首里城周辺には多くのアカギの大木が自生していたが、ほとんどが戦争で焼失し、この地区だけだ奇跡的に戦火をまぬがれて残ったという。 -
幹の途中にヤドリギのような植物も見られる。
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首里金城町石畳道は、1522年頃に築かれた約10kmのうち、戦火をまぬがれたわずか300mほどが残っている。
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イチオシ
屋根の上のシーサー。
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家の門にもシーサー。
シーサーは沖縄の魔除けや守り神として知られる。 -
石畳道を進むとどんどん下って行くので、途中で引き返すことにした。
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交差点の角にガジュマル。
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その交差点の角にある首里金城村屋。
金城村屋 名所・史跡
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ちょうど首里城復興祭が昨日から開催されているので、それに関連した催物の準備中らしい。
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首里金城村屋の西隣には金城大樋川(かなぐすくうふひーじゃー)がある。
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金城大樋川は、貯水池に水を引き入れていた井戸の跡である。
金城大樋川 名所・史跡
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所々階段状になっている石畳道を上って行く。
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8:40過ぎ、首里城跡の西側に到着。
首里城跡は有料区域と無料区域があり、有料区域の開場時間は9:00~17:30なので、開場するまで無料区域を見学する。 -
展望の良い西のアザナへ。
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西のアザナは、主に西側の展望が開けている。
展望解説板も設置してある。 -
遠く、那覇空港や泊港まで見渡せる。
もう少し見通しが良ければ、慶良間諸島まで見ることができるようだ。 -
やや北寄りの見晴らし。
見えている海は東シナ海。 -
上空は青空も見えるが、雲多し。
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有料区域の開場5分前に奉神門に来てみると、開門を告げる朝の儀式が行われているようだ。
奉神門は、首里城正殿のある御庭(うなー)へ入る最後の門である。
1562年には石造欄干が完成したという記録があることから創建はそれ以前と考えられる。 -
首里城復興祭が10月29日から11月3日まで開催されている。
国王・王妃による儀式の再現や、首里城復興への機運を高めるため、琉球舞踊や創作芸能などの披露など、公園内で琉球王朝文化を堪能できる様々な催しが実施されるという。 -
9:00開場で奉神門を通り、有料区域へ入場。
入場料は400円。 -
イチオシ
奉神門の北側には第四の門である廣福門があり、その北側に漏刻門がある。
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さらにその北側には、(手前から)久慶門、歓会門、守礼門が見える。
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2019年(令和元年)10月31日未明に火災が発生し、正殿、北殿、南殿が全焼したほか、合わせて7棟の建屋、延べ4,800平米が焼失した。
2026年秋の完成を目指して、現在再建が進められている。
本日は日曜日なので実作業の様子は見れないらしい。 -
正殿再建のため、現在巨大な素屋根で覆って作業が進められている。
首里城は、琉球王朝の王城で沖縄県内最大規模の城であった。
創建年代は明らかではないが、尚巴志が三山を統一し琉球王朝を立てると、首里城を王家の居城として用いるようになった。
戦前は沖縄神社社殿としての正殿などが旧国宝に指定されていたが、1945年(昭和20年)の沖縄戦と戦後の琉球大学建設によりほぼ完全に破壊され、わずかに城壁や建物の基礎などの一部が残っている状態だった。
1980年代前半の琉球大学の西原町への移転にともない、本格的な復元は1980年代末から行われ、1992年(平成4年)に、正殿などが旧来の遺構を埋め戻す形で復元された。 -
正殿の屋根には焼物を組み合わせて作られた巨大な龍の装飾があった。
その残骸が展示されている。 -
未婚の王女の日常の居室で、国王が亡くなると次期国王の即位の儀礼が行われた世誇殿。
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世誇殿の内部は、映像が流れていて、休憩場所として利用できる。
この後、突然の雨でここに避難した。 -
世誇殿近くにある首里城復興展示室の展示物。
2022年3月までに首里城復興基金に約55億円の寄付が集まり、城郭内の施設などの復元に活用されている。 -
屋根瓦の残存物。
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獅子瓦の残存物。
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世誇殿の裏では催物の準備中。
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順路に従い、白銀門を通って東のアザナへと向かう。
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東のアザナへ続く石段。
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東のアザナ手前から首里金城町方向を望む。
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東のアザナから東方向を望む。
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東のアザナの先端。
東のアザナは、城郭の東端に築かれた物見台で、標高約140mの位置にあり城外の町や城内の正殿裏・御内原一帯を展望することができる場所である。 -
東のアザナの西側に寝廟殿と白銀門。
寝廟殿は、国王が亡くなったときに一時的に霊柩を安置するところである。 -
東のアザナの北西側は、寄内ノ御嶽(よりうちのうたき)で散策できるようになっている。
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東のアザナから北側を望む。
二重の城壁に囲まれていて、このあたりは外側の城壁と近くなっている。 -
東のアザナから下りてきて、世誇殿と寝廟殿の間に位置する金蔵跡。
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世誇殿の北側には、女官たちの入浴施設と考えられる湯屋がある。
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イチオシ
淑順門から寄内ノ御嶽を通って階段を上り、東のアザナの東側へと来た。
この方向から東のアザナの城壁を見ると、北側(右)が直線的で角があり、南側(左)が曲線的で、独特の造形になっている。 -
東のアザナの東側から寄内ノ御嶽を望む。
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国王やその家族に仕える女官らが御内原へ入るときにくぐった淑順門。
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右掖門を通って西に歩くと、久慶門(右手前)と歓会門(左奥)がある。
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門の手前右側にある龍樋(りゅうひ)と呼ばれる湧水にちなんで名付けられた瑞泉門。
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守礼門と歓会門との間にある園比屋武御嶽石門。
1519年に第二尚氏王統第3代王の尚真のときに造られた。
人が通る門ではなく、琉球国王が各地で巡礼に行く際に安全祈願をした拝所である。
奥には琉球の信仰における聖域である御嶽と呼ばれる森が広がっている。
世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」に登録された9史跡のうちのひとつとなっている。 -
沖縄のランドマークともいえる守礼門。
めったに見かけない二千円札にデザインされている。
沖縄県内では二千円札が結構使われているという。
第二尚氏王朝の時代、中国からの冊封使が琉球に来た際には、国王以下の高官らが守礼門まで出迎えた。
朱の二重の屋根に4本の柱という独特の様式は、首里城のほかの城門とは異なるデザインとなっている。守礼の門 名所・史跡
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10:10頃、概ね首里城公園の観光を終え儀保駅の方へ向かう。
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途中、円鑑池にある弁財天堂に寄ってみた。
円鑑池は1502年に造られた人工池で、首里城や円覚寺からの湧水・雨水が集まる仕組みになっている。
ここからあふれた水が隣の龍潭池へ流れている。
今は工事中で足場とブルーシートが目立っている。円鑑池 名所・史跡
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弁財天堂は、航海安全を司る水の女神・弁財天を祀っていた。
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10:30頃、儀保からゆいレールでおもろまちへ移動する。
儀保駅 駅
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おもろまち駅前から10:57発のやんばる急行バスで本部町へと向かう。
首里城の東のアザナで一時的に雨に降られたが、ここまでは順調に予定を消化できた。
明日から少なくとも2日間は天気に期待ができないので、なんとか夕方までは天気がもって欲しいものである。
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