2022/11/03 - 2022/11/03
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ドクターキムルさん
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神奈川県山北町山北に鎮座する室生神社では毎年11月3日の例大祭に流鏑馬が神事として古儀に基づき行われている。神奈川県指定無形民俗文化財になっている。
古儀というのは、2騎が馬場を駆け、先頭が露払い、その後を射手が疾走し矢を一の的、二の的、三の的へと射る。農家の人々により受け継がれていた時期もあり、かつては的の当たり矢によって翌年の稲作を占う神事としても行われていた。三つの的は、一の的が早稲、二の的が中稲、三の的が晩稲のできをあらわしていた。
今年は1から3回の騎射では全て的中であった。ただし、2回目は1回目ほど馬の走りは早くはなかった。4回目は新人射手であったために3つの的を全て外してしまった。しかし、氏子は最初はそんなものだと言っている。帰り道に観客から「大丈夫」と声が掛かっていた。最後の5回目は二の的は矢を持ったまま通過し、的中は2つの的であった。計11的中であった。
山北町山北の宮地に所在する室生神社に伝わるもので、起源は源頼朝の石橋山挙兵(治承4年(1180年))の際、平家方に味方したため領地を没収され、斬刑に処されるところであった河村義秀(かわむらよしひで)が、 建久2年(1191年)に鎌倉で行われた流鏑馬の妙技により刑を免ぜられ、旧領に復帰できたという故事(『新編相模国風土記稿』『吾妻鑑』)によるとされている。9年もの間、大庭景能預かりになっていたのであるから、頼朝は義秀を斬首するつもりはなかったのではないだろうか。
芸は身を助けるというが、この故事は武芸の流鏑馬で命を助けられたということである。しかし、これも眉唾だ。
故事では鎌倉の鶴岡八幡宮で流鏑馬(https://4travel.jp/travelogue/10499868)が行われたのは建久2年(1191年)なので、義秀が旧領に復帰した翌年から「室生神社の流鏑馬」が始まったとすれば、現在まで約840年余り続いていることになる。鶴岡八幡宮の歴史(建久2年(1191年)11月21日から始まる)と同等に古く、古式である可能性が高いであろう。
また、こうした古代からの神事でもあり、女性を遠ざけて1ヶ月も籠って禊をするとも言われている。室生神社の宮司は老齢のために、最近娘にその職を譲ったが、流鏑馬神事の「馬場駈け」「流鏑馬開始の式」「馬場入りの儀」「垢離取り(こりとり)の儀」「流鏑馬始式」「騎射」の順に執り行われ、拝殿前の「終了報告」と続くが、全て男性が行うしきたりであるために、岩原八幡神社(https://4travel.jp/travelogue/11787865)の中村宮司(67)が司っていた。中村宮司は「私の弟子に頼まれたので断れなくて来た。」と話している。室生神社の女性宮司は還暦を過ぎているように見受けられる。また、女性宮司は鳥居横のやぐらの上で自治会長や氏子総代などの人たちとこうした神事を見物しているだけだ。室生神社の宮司でさえ、女性であるが故に関われないという不可解な伝統行事となってしまっている。
流鏑馬神事(https://dr-kimur.at.webry.info/202108/article_60.html)については一社の例だけを捉えていたのてはその本質を見失い兼ねない。
神社近くの家々では残っているのは奥さんやお婆さんばかりであったが、門柱の影からとか流鏑馬を見ていた。それも、警察か神社の放送では家から出たり、窓から流鏑馬を見ないように通知があった。また、流鏑馬馬場の片側だけに歩道があり、的が立っている片側には係員と警官、神社から依頼を受けたプロの女性カメラマンしか入るのが許されてはいないのだ。あちら側の住人とて同じで身動きできないのだ。
また、観客側には町の公報の男性2人がカメラを持って撮影に来ており、他には、和服姿の流鏑馬関係の人も今日はカメラマンをやっている。町の公報2人は神社に話を通してはおらず、和服のカメラマンは神社に話をして断られたのだという。おそらくは、町の公報の2人も話をしたら神社からは断られたであろう。
この神事の流鏑馬馬場の見物人の中に怒鳴り合っている女性たちがいる。何と場違いな。眼鏡を掛けた小柄の母親が背の高いご夫婦の奥さんと言い争っているのだ。氏子の家の女性でも隠れるようにひっそりと流鏑馬神事を見守っている中で、氏子でもない女性が言い争いとは…。実は、流鏑馬神事が始まる前に放送できつく叱られていたのがこの眼鏡の母親の子供たちである。相手は子供なのにと思ったが事故が起きたら、自己責任でなどとは言えない。主催者側の警備責任が問われるからだ。しかし、あの母親では子供にろくな躾ができなさそうであり、このような神事の場を汚す行為を平気で行う類の親なのだろうと感じでしまった。こんな輩はお断りだ。
【開催日】 11月3日(祝日)
【場 所】 室生神社(神奈川県足柄上郡山北町山北1200)
14:00 馬場駆け(神社前馬場)
14:20 流鏑馬開始の式(神社拝殿外)
14:30 馬場入りの儀(神社前馬場)
14:50 垢離(こり)取りの儀(垢離取り場)
15:00 流鏑馬始め式(神社鳥居前)
騎射(神社前馬場) ※15:50頃まで、通常5回騎射を行います。(https://www.town.yamakita.kanagawa.jp/0000000566.html)
(表紙写真は室生神社の流鏑馬神事「馬場駈け」)
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JR山北駅前の案内所。女性もいたのだが、室生神社の例大祭ではここだけに女性が動員されていた。
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観光案内所の看板にある室生神社の流鏑馬神事。露払いが前を駆け、2騎一組で流鏑馬馬場を疾走する。
小笠原流や武田流にはない作法だ。
また、古墳から出て来るような兜を頭に着け、小笠原流や武田流のような陣傘などでもないのも古式を感じる。
さらに、戻る際にも、馬の手綱を持つ人がいない。 -
「神奈川県指定無形文化財 室生神社流鏑馬」。
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境内で岩原八幡神社の中村宮司に再会して、「馬はサラブレッド」と教えられたが、実物を見て、戻って来て、「馬は在来種だった」と訂正してくれた。確かに、低い高さと太い足だ。
この拝殿側を向いて2頭分のテント張りの馬屋がある。 -
若い牝馬。
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老馬の牡馬(ぼば)。
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この馬はタレント馬なのだという。時々、TVの出演もあるのだという。
先日は、NHKで、阿部寛さんが甲冑を着けて乗馬し疾走したのは放送されたという。疾走する速度は52kmだったという。
20kgもある甲冑を着けないのであれば、それ以上の速度が出る。 -
老馬。5回目の流鏑馬では戻って来る時に観客の方に度々目を向けていた。
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神社拝殿横に。
馬場駈けの騎手や流鏑馬神事の露払いの騎手と射手は氏子の中で組織されている室生神社流鏑馬保存会が選ぶ。
近年は氏子も減り、流鏑馬保存会の中には親戚が多く、喪中があると神事に参加できなくなり、何年か前には流鏑馬神事が取り止めになったことがあったと氏子の誰もが言う。 -
神社本殿横で馬場駈けの準備・出立が行われる。
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馬場駈けの準備中。
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神社の裏を回って、流鏑馬馬場の中頃に出て、神社の先の出発点に向かう。
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この馬場駈けでは50kmを超える速度で疾走した。私のデジカメで写真が撮れたのが不思議なくらいだ。
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これから流鏑馬開始の式が始まる。
この場に及んで、ベビーカーを押して鳥居横に止めるお婆さんがいる。孫は乗ってはいないようだが、私がいう戦中戦後のどさくさで躾を受けなかった世代の二世なのだろう。 -
流鏑馬開始の式。中村宮司は幣でお祓いしていた。
残念ながら、流鏑馬神事の前にバッテリー4が切れてしまった。前回、酒水の滝(https://4travel.jp/travelogue/11786825)を訪れた際に2個のバッテリーを使い切ったが、それがリュックに入れたのだが、出て来ない。
今日はバッテリーが3個あると思ったていたのだが、現用と予備の2個しかなく、室生神社に着く前にその内の1個は使い切っていた。
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