2022/11/03 - 2022/11/03
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ドクターキムルさん
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神奈川県山北町岸に鎮座する八幡神社は新編相模風土記稿(1841年)には、「八幡宮」とあり、村の鎮守で、本地佛・三尊阿弥陀を奉じていたようだ。祭礼は3年に一度8月15日に行っていた。往古には城山に在った。12世紀の創建であろうか。その後、河村氏が河村城を築いた際には城内にあったようだ。
正平8年(1353年)に、河村城が落城するや、岸湯坂梵天山山下に遷座し、更にその後、現在地である字岸西谷戸、日月宮の社地に遷座した。15世紀から16世紀には麓に河村館が造られたが、その頃に現在地に移ったのではないだろうか。
それにしても、祭神は一般的な八幡宮の祭神とは異なっており、明治以降に村の天満宮や諏訪神社、稲荷神社、浅間神社、八坂神社等が合祀されたようだ。
もし、浅間神社が河村城が築かれた浅間山にあった可能性もあろうか?今は浅間山(248m)の西側には「富士山展望」の地もあるからだ。
拝殿は赤く塗られているので、トタン屋根であろうか。しかし、本殿は銅葺き屋根である。
八幡神社境内では菊まつりということで菊の鉢植えが800円と1,000円で売られている。販売人が2人いるだけで誰もいない。
(表紙写真は八幡神社拝殿)
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八幡神社のくすのき。
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八幡神社のくすのき。
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「山北町指定天然記念物
八幡神社のくすのき
昭和五十九年二月一日指定
くすのき(樟・楠)は、クスノキ科の常緑高木、関東以西の暖地に産し、五月頃白色の小花をつける。
材は堅く、独特な薫りがあり、樟脳や樟脳油がとれ、建築材や船材としても使われる。
八幡神社のくすのきは樹高約二〇m、根廻り七.二m、樹齢三〇〇年(推定)である。
その姿は根本から約六mのところで大きく二つの幹に分かれ、しかも斜めに張り出した巨木でその葉は幹がかくれる程茂っていて樹勢は旺盛である。
又、根元の小枝は関東大震災(大正十二年九月一日)によって根本がさけて、その先端から生じたもので学術的にも貴重な現象である。郷土の貴重な天然記念物として、指定し、保護するものである。
昭和六十三年六月
山北町教育委員会」。 -
「定」。
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石段踊り場に鳥居。
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狛犬。
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狛犬。
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八幡神社拝殿。
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八幡神社拝殿向背。象の木鼻。
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八幡神社拝殿に掛かる「正八幡大神」の扁額。
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扉。
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「神徳維馨」(大正15年(1926年)銘)。
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「縁起由緒
「新編相模国風土記稿」(一八四一年)によれば、八幡宮は「村の鎮守、本地仏、三尊弥陀を安ず。三年に一度、祭祀を行う。祭日は八月十五日。往古は城山に在した、後年この地、日月宮の社地に遷せりなり」と云う。
加えて「般若院智積寺」の所有する貞享二年(一六八五年)当代十一代傳栄和尚の筆による縁起より抜粋すれば「河村岸の鎮守正八幡大菩薩は、往古、河村、城山の城主河村秀高公が城内に建立せられ、建立の年代は不詳なれども、秀高公開基菩提寺般若院智積寺の建立が高倉天皇(一一六一~一一八一年)の御宇承安二年(一一七二年)なる故、同年代を遠く離るるに非ず。その後、、正平八年四月一日(一三五三年)、河村城落城するや、岸湯坂梵天山山下に遷し、更にその後、現在地字岸西谷戸、日月宮の社地に遷し奉り、村の鎮守の宮として村人の崇敬する所となれり」とある。
祭事
元旦祭 一月 一日
祈念祭 二月第一日曜日
例大祭 四月第一日曜日
臨時祭 七月第二日曜日
新嘗祭 十一月第三日曜日
天長祭 天皇誕生日
大祓祭 十二月第三日曜日」。 -
「秋葉山常夜」と石碑。
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石碑。
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社務所。
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