2022/09/26 - 2022/09/26
9位(同エリア1090件中)
たびたびさん
- たびたびさんTOP
- 旅行記843冊
- クチコミ41172件
- Q&A回答431件
- 6,834,574アクセス
- フォロワー687人
今日は太宰府の二日目。まずは二日市温泉の周辺のスポットをいくつか回って、宝満宮 竈門神社へ。そこから太宰府天満宮に戻ってきて、菅公歴史館のほかちょっとマイナースポットをチェック。実質的に太宰府の方はこれで終了です。
二日市温泉の周辺のスポットは天拝山ほか。天拝山は紫藤の滝で身を清め、山頂で七日七夜にわたって、天に無実を訴えたという逸話の山ですが、その麓には境内に紫藤のある武蔵寺、紫藤の瀧、御自作天満宮といった見どころはいずれも菅原道真に深い縁があるんですね。太宰府天満宮からは少し離れた場所だし、全体に古びて廃れかかった雰囲気がなくもないですが、それがゆえにかえって、逆境にあった道真に思いを馳せるにはベストスポットかもしれません。
左遷は藤原時平の讒言によるものとも言われますが、それを恨むのではなく、ひたすらに無実を訴え、都を懐かしみ、天皇や国の弥栄を祈る。その祈りは報われることはなかったのですが、道真の思いに共感する人々の心には強く響くもの。ひいては学問の神様として崇められ、天神さんを祀る天満宮は全国各地に建てられることになったのですが、宗教家でもない人物がここまで神格化された例は他には聖徳太子くらいしかないかもしれませんね。
続いて太宰府天満宮の菅公歴史館では、道真の生い立ちやエピソードを改めてチェック。母の思いから早熟な才能の片りんを見せると文武両道の若者へ成長。民心を理解し、相手の機微にも触れる政治・外交手腕などなど。しかし、パーフェクトな人生は最後に暗転。太宰府に左遷されてからは、子息も亡くしているんですね。これでは神格化することでしか道真の魂は救われないかな。また、そうしたことで我々のやり場のない気持ちが和らいだ面がなくもないでしょう。
こうした敗者にかかる事例は桓武天皇の異母弟、早良親王を祀った御霊神社や神格化ではなく鎮魂という意味では後醍醐天皇の菩提を弔う天龍寺、北条一族の菩提を弔う宝戒寺とか枚挙にいとまがないのですが、それにしても天神さんの天満宮は明らかに別格ですね。ミーハーといえばミーハーですけど、太宰府にきてそんな思いを新たにしたたびたびです。
そして、後半は春日市の方に移動して奴国の丘歴史資料館ほか。翌日に吉野ケ里遺跡を予定しているので、そのつなぎ的な意味もあったのですが、この後も、長門の土井ヶ浜遺跡、人類学ミュージアム、糸島の伊都国歴史博物館から新町遺跡展示館や唐津の末盧館への旅と続いていくことになりました。
縄文時代、弥生時代、古墳時代。これまで数多くの遺跡を見てきましたが、私的にはこれでやっと一つの結論に至ったような気分。これから予定している旅行記も含めてですが、その辺りに少しづつ触れていければと思っています。今回は、そのイントロのイントロです。
-
早朝、宿を出発して、まずは二日市温泉周辺の散策です。
塔原塔跡は、県道、塔原交差点の脇。さりげなくあるのですが、国の史跡。
古代寺院の塔の礎石で、中心に釈迦の遺骨を納めるための穴、舎利孔があるのが最大の特徴なんだとか。また、この寺は、筑紫大宰帥の蘇我臣日向が白雉5年(654年)に孝徳天皇の冥福を祈って建立した般若寺ではないかともされているようです。 -
そばに詳しい地図もあって
ここは大宰府政庁と天拝山の間。観世音寺に匹敵する寺があったとしてもおかしくない場所だと思います。 -
もう天拝山のふもとまでやってきました。
この武蔵寺は、菅原道真ゆかりの天拝山の登山口。天台宗のお寺です。 -
境内から出土した瓦や経塚は、九州最古の仏蹟。天智天皇の3年、筑紫に下った天皇に協力して、土地の豪族、藤原虎麿が七堂伽藍を建立したのが始まりとも。
-
境内にはその藤原虎麿が植えたという長者の藤もあって、これが道真にもゆかりの紫藤ということでしょう。
-
ただ、境内はかなり古びて荒れている風。
太宰府天満宮からは相当離れた場所だし、そこはまあ仕方ないかもしれません。 -
武蔵寺境内から御自作天満宮に向かう石段の手前すぐにあるのが紫藤の瀧。
-
落差2mほどの小さな滝です。
菅原道真は無実の罪が晴れるようにと天拝山で祈りますが、その際に身を清めたとされるのがこの滝。滝の左側の自然石が道真が衣を掛けたという衣掛けの岩。まあ、そう言われているくらいかもしれません。 -
そこから少し石段を上がると御自作天満宮。天拝山頂にある祠の下宮にあたる神社です。
-
菅原道真が武蔵寺に参詣した際、自ら像を刻んだという謂れから、御自作天満宮。武蔵寺の境内から、紫藤の瀧を経由するほんの限られたエリアです。
-
しっかりとした石垣に守られた境内ですが、こちらもちょっと古びて荒れた感じがなくはない。あんまり長居する雰囲気ではないかな~
-
そこから、ほとんど続きの天拝山歴史自然公園へ回ります。
-
こうやって武蔵寺の方から訪ねると山の中だし、整備も行き届いていない感じでしたが、
-
そこを下って行って、その辺りだと芝生の広場があって
-
それなりの公園かな。
-
ため池があって視界が広がるし
二日市温泉の方から上がってくる人たちもいて、ちゃんと地元で親しまれているのが分かりました。 -
イチオシ
今度は二日市温泉の市街の方に出てきましたよ~
ちなみに、二日市温泉は、開湯が奈良時代という歴史ある温泉。大宰帥であった大伴旅人の詠んだ次の歌は、大宰府赴任時に妻を亡くした心境を詠ったもの。湯の原は二日市温泉のことで、万葉集に収められています。
湯の原に 鳴く芦田鶴は わがごとく 妹に恋ふれや 時わかず鳴く
老舗旅館、大丸別荘の前には別の歌碑があって。こちらは三条実美が大宰府落ちした後、王政復古をめざした激しい心情を詠ったもの。
ゆのはらに あそふあしたつ こととはむ
なれこそしらめ ちよのいにしへ
至って普通の穏やかな温泉街ですが、いろんな歴史を重ねてきたことを思うとまた景色も変わって見えてきます。 -
天然温泉博多湯は、お前湯と並ぶ二日市温泉の日帰り湯。同じ通りにはす向かいで建っています。お前湯より始まる時間が遅いのですが、こじんまりとして温泉宿の感じはこちらの方があるかな。いずれにしても、二日市温泉の湯はちょっととろんとした名湯。気軽に楽しめます。
-
こちらは、老舗の中村屋。
-
天拝饅頭をいただきました。白あんの甘さが落ち着いていて、やっぱり老舗の味ですね~
-
二日市温泉から太宰府駅へ。
太宰府周辺の史跡は電動自転車ならたいがいのところは回れるのですが、竈門神社はけっこう山の上なのでコミュニティバスまほろば号を利用します。ただ、バス停は大宰府駅の真ん前ではなくて、少し離れた場所なので要注意かな。 -
宝満宮 竈門神社は終点で下車して、バス停からすぐの石段を上がっていきます。
-
さて、こちらは、大宰府の鬼門(東北)である宝満山にあって、大宰府鎮護の神とされる神社。
-
最近は、「かまど」つながりから鬼滅の刃の絡みでも人気があるようですが、神社は知らないうちにそうなったという認識みたいですね。
-
しばらく石段を上ってたどり着いた境内は意外にさっぱりとしたもの。
-
イチオシ
一方で、社務所の方にはかわいらしいお守りが揃っていて、これは目の保養になりました。
-
絵馬の方は鬼滅の刃がちらほらくらい。
-
脇の方には宝満山への登山口。
まあ、私はそれを確認するくらいで終わりです。 -
竈神社からの帰りは途中下車して、天開稲荷社へ。
最近では太宰府天満宮内随一のパワースポットとされる神社。 -
太宰府天満宮の境内の一番奥の方といった場所なのですが、山道に入ると何本かの赤い鳥居やびっしりと並ぶ幟が立っていてちょっとした活気も感じます。
-
がんばって上っての本殿ですが、
-
これはまあまあ。稲荷神社としてはしっかりしていると思います。
-
改めて、太宰府天満宮の方に下っていきますと
これは、お石茶屋。
この日はお休みでしたが、この雰囲気。確かに人気のほどがうかがわれます。 -
照星館は、太宰府天満宮の裏手。いくつか茶店がある一角なんですが、たぶん、ここが一番の大手。この日も大勢の修学旅行の団体を受けれていて、大勢の生徒が席についている光景はちょっと壮観でした。
-
そういう意味では少し大雑把なお店なのかなとも思いましたが、いただいたおろし梅のぶっかけうどんはなかなか。ごぼうの梅漬けとか小気味がよくて悪くない。しっかりしたお店だと思います。
-
落ち着いたところで菅公歴史館を訪ねますが、
その途中、太宰府天満宮の本殿を裏に回ったところにある夫婦楠という楠です。
大きい方の楠は、推定樹齢は300年以上。高さは13m。大きいことは大きいのですが、太宰府天満宮の境内の樹はどれもそれなりに大きいので、ずば抜けて大きいという感じにはならないですね。まあまあくらいの印象です。 -
で、これが太宰府天満宮菅公歴史館。
-
メインは菅原道真の生涯を解説するジオラマ展示。
-
以前来た時は撮影禁止だったような気がしましたが、今はそうではないようですね。
文武両道に加えて、その人間味でも人々を魅了した道真が讒言により左遷の憂き目にあう。しかし、自らの潔白を訴えつつも、国家や皇室の繁栄をひたすらに祈るというストーリーはお馴染みです。
以下、順を追って。。(コメントは菅公歴史館からの引用等です) -
(二)お母さまの祈り
わが子の学問ができるように、また達者に成長するように、毎日お参りして、心からお祈りをささげられました。 -
イチオシ
(三)文武の達人
道真公は幼いころより学問とともに弓道にも励み、26才の時に、都良香邸での弓の会に百発百中の腕前を示され、多くの人々を感動させられました。 -
イチオシ
(四)文章博士
はやくも33才で文章博士となり、立派な学者となられましたが、つねに日本人としての魂をもとにして、中国の学問を役立てることに努められました。 -
イチオシ
(五)名外交官
道真公は、39歳の時、渤海国が朝廷に献上品を奉りましたので、そのもてなし役として立派な歓迎の詩を作り使者のみんなを感心させられました。 -
(六)情深い政治家
42才で讃岐守となり、四国に赴かれましたが、貧しき農民を憐れみ、よい政治をされましたので、人々はその徳を慕いました。 -
(七)紅葉のにしき
道真公は宇多天皇のお供をして、奈良のたむけ山八幡に参られ、「このたびは幣ぬさもとりあへず手向山たむけやま 紅葉もみぢの錦にしき 神のまにまに」と読まれ、この歌は百人一首に選ばれています。 -
イチオシ
(八)恩賜の御衣
56才の時、宮中の詩宴で「秋思」という題ですぐれた詩を作られましたので、醍醐天皇は感心されて、ご褒美に御衣を脱いで賜りました。 -
(九)流され人
道真公は右大臣として学問や政治に大きな功績がありましたが、藤原時平の讒言にあい、57才で太宰権帥として太宰府に流されることになりました。 -
(十)紅梅殿の別れ
その時、お庭の梅の枝に「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな」という歌を短冊に書いて結び付け、家族の方々と悲しい別れをなさいました。 -
(十一)都をあとに
道真公が罪なくして都を追われ、遠く太宰府に流されていかれるお心もちを察し、道筋の都人は、深く同情して、涙ながらに見送るのでした。 -
(十二)道明寺の別れ
伯母さまの尼君のおられる大阪の道明寺では、尽きぬ名残りを語り明かされ、早くもなく一番どりの声に急いで出発されるありさまでした。 -
(十三)博多に到着
道真公は高弟、味酒安行とともに、幼い球磨さまと紅姫さまを連れ、海路はるばる博多につかれました。長旅でお疲れの道真公のために漁師が船のとも綱を巻いて座るための敷物を作ってさしあげました。 -
(十四)去年の今夜
太宰府での生活は苦しく、隈麿さまもなくなってしまいます。去年の今夜にいただいた御衣を眺められる道真公です。また、読まれた詩がこちら。
去年の今夜清涼に侍し
秋思の詩編独り腸を断つ
恩賜うの御衣は今此に在り
捧げ持ちて毎日余香を拝す -
(十五)天拝山の祈り
ある日天拝山に登られ、激しい雷鳴風雨もいとわず、日本の国と皇室の繁栄を一心に祈られたと伝えられます。 -
(十六)安楽寺
配所のご生活3年、59才でおなくなりになりますとご遺骸は安楽寺に葬られ、その上にやがてお社が建てられまして、太宰府天満宮とあがめられることになりました。
以上、こうして華やかなジオラマで拝見すると本当に光り輝くよう。素直に道真の遺徳が偲べるように思います。 -
後半の展示は、天神さんの置物とか。
菅原道真にあやかって子どもの健やかな成長を祈るというのは、全国各地で定着した習わしですからね。 -
では、ここからもう少し天満宮の境内や近場をチェックして、太宰府を締めたいと思います。
楓社は、太宰府天満宮の境内にある小さな摂社。 祭神は菅原道真の奥方、宣来子命(のぶきこのみこと)。夫婦円満、安産、子宝の守護神とされています。ただ、目立たず、ひっそりと建っているので、気付く人は少ないかもしれません。 -
太鼓橋を渡って
-
越えたところが
-
志賀社。
これも摂社ですけど、檜皮葺、正面千鳥破風、唐破風付き向拝という重厚な意匠が歴史を育んだ雰囲気。室町時代、1458年の建立は太宰府天満宮でも最古の建物。本殿と並んで国の重要文化財に指定された貴重な建物です。 -
イチオシ
境内から出てすぐのところに建つ菅原道真公歌碑。刻まれているのは「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」の歌。
大宰権帥を命ぜられた道真が今日を出立するにあたり、紅梅殿の梅に惜別の思いを込めて詠んだあまりにも有名な歌。碑の方は流麗な字なので読みにくいのですが、丁寧な説明板があって親切です。 -
そこから光明禅寺に回ります。
文永10年(1273年)、聖一国師の門下にあった鉄牛円が創建した禅宗のお寺。庭園が有名で、特に重森三玲の作による本堂裏の「一滴海庭」は秋の紅葉シーズンが美しいんですよね。 -
今は長期の修復工事中で拝観はできませんが、以前拝見した時は、枯山水庭園というか静かな平庭。京都の圓光寺庭園の印象に似ているなと思いました。
-
工事中ですが、前庭の「仏光石庭」の方はこうしてちらりと拝見できます。
-
光明禅寺から国立博物館の方へ。
国博通りは、太宰府の市街中心部から九州国立博物館まで向かう通り。光明禅寺の前を通って裏通りみたいなところを山の方に上って行きます。写真はかなり近づいた辺りのちょっとカーブしているところ。ただ、別に何か特別なものはありません。 -
長い石段を上がって、国博へ。
-
その先、九州国立博物館に隣接した場所に浦ノ田遺跡という遺跡があるんです。
ちょっと公園のように整備された一角があって、それ。鎌倉時代から室町時代にかけての五輪塔や板碑、火葬墓が多く発見されたということです。 -
再び、門前町の方に戻ってきまして。
これは、太宰府館。太宰府の観光ほかあれこれの情報発信や地元の文化交流等に資する複合施設で、一階にはちょっとしたショップ、物産コーナーも備えています。 -
ただ、観光客はほとんどいない。ロビーには大きなスクリーンがあって、太宰府の街並や四季を紹介していました。休憩がてら拝見しましたが、なにげに美しくて、まあいわゆるお宝映像ですね。意外に楽しめました。
-
で、最後は気になっていた藤丸さんへ。
入口からして、ちょっと只者ではないですね~ -
打ち水がきれいにかけてある路地を入った先が玄関。
入ったすぐの空間も素晴らしいんですが、残念ながら撮影は禁止。お見せすることはできませんが、ちょっとうっとりでした。 -
イチオシ
お菓子を注文した後、待っている間にお茶のサービス。
ちょっぴりですけど、なるほどこれならOK。格調の高さが感じられる逸品です。 -
いただいたのは、こちら。お任せで選んでもらいました。
-
太宰府の方を終えて、今度は春日市の方に移動します。
まず向かったのは春日市奴国の丘歴史公園。こちらは、金印「漢委奴國王」でも知られる奴国の中心地とされる場所。建武中元二年(57年)、後漢の光武帝に朝貢し金印を授かったことが後漢書東夷伝に記された弥生時代の国家。文献上に現れたという意味では邪馬台国もそうですが、こちらの方がそれより約100年早い。文献で記載された国家では奴国が日本最古ということになります。
公園は芝生できれいに整備された丘陵。奥に見えているのは甕棺墓群を見学できる覆屋です。 -
春日市奴国の丘歴史資料館は、奴国の丘歴史公園の中に建つメイン施設。
-
入り口を入って
-
竪穴式の住居での生活スタイルを見せるやり方とか
弥生時代の展示としてはオーソドックスですね。
-
ところで、弥生時代は、前期の土壙墓、木棺墓の時代から中期に入ると甕棺墓が多くなってくるのですが、
-
ここが奴国の中心と推定されるのは、その甕棺墓に多くの副葬品が伴っているからとの説明。
-
つまり、副葬品の多い墓は王墳や王族墳と考えられていて、それがゆえにここは原始的な国家であったと推定されるとの論旨です。
-
弥生時代は稲作が定着して、富の集積が可能となり、原始的な国家も生まれてくる。
-
確かに、始めに稲作が伝わった北部九州にはそうした原始的な国家がいくつも出現したことは想像に難くない。
-
その一つがこの辺りだったとしても、しかし、それが奴国なのかどうかについてはやっぱり推定の域はでませんね。
-
イチオシ
ただ、それがどこであろうとも、小さな国家の離合集散から巨大な国家も出現する。その辺りの全体的なダイナミズムがポイントなんだろうと思います。
-
ともあれ、王墓とされる根拠となった副葬品。
あれこれありますが、30面の前漢鏡が決め手のよう。筑後平野ではここ以外で見つかったところはないということです。 -
銅鏡は中国から国家と認められた場合に与えられるものということなんでしょうが、まあ、それでもだからここが奴国だとなるものでもないでしょう。それなのに、春日市奴国の丘歴史資料館と堂々と名乗っているのは、不思議な感じ。邪馬台国の方だと、近畿説と九州説が華々しく論議されていますからね。つまり、邪馬台国の方はヤマト政権につながるかもしれないということですからどこにあったかが重要になる。奴国は弥生時代の数ある小国家のひとつなので、どこにあったかはさほど問題にはならない。そんなところなのかもしれません。
-
ここからは、春日市コミュニティバスやよいで次の目的地に向かいます。
-
やってきたのは春日神社。春日市の名前の由来ともなっている神社です。
-
始まりは、神護景雲二年(768年)。大宰大弐であった藤原田麻呂が故郷、大和国春日の春日大社より三柱を迎え祀ったことから。
-
しっかりした境内は凛とした雰囲気。
-
春日の婿押しという面白いお祭りについても紹介されていました。
-
長円寺は、春日神社のはす向かいに建つ浄土真宗本願寺派のお寺。特に由緒とかはないようですが、変わっているのはその本堂の建物。正面に五重塔が建っているのかと思ったら、そうではなくて、五重塔の半分が壁に貼り付けてあるというデザイン。ちょっと意表を突いた発想です。
-
そこからしばらく歩いて、春日公園へ。さすが県営公園だけに、野球場やテニスコート、その他の球戯場も備えていますが、
-
圧巻は広大な芝生の広場や噴水広場など。
-
散策やジョギングをするコースとしても、この広さなら十分すぎるくらい。
-
イチオシ
特に噴水の造形は巨大でもあり、アートを感じるもの。かなりのインパクトがあると思います。
-
ここから今晩の宿、鳥栖に入りまして。
これは鳥栖駅の5番ホームにある中央軒。 -
かしわうどんをいただきました。やわらかくて、ぶつんぶつん切れるようなうどん。どうかするとうどんが伸びたような感じもしなくはないので、地元の人じゃないと評価は分かれるかもしれませんね。私は食べ進むにつれてじわじわ良さが分かってきたような。甘辛く煮込んだほろほろの鳥肉と甘い出汁が腹に沁みました。
-
で、泊りはトスステーションホテルマツザカ。
鳥栖はホテルが多いことは知っていましたが、確かに鳥栖駅の前はホテルだらけ。サッカー場があるのでそれもあるのかなと思いますが、これだとホテルは競争が激しいでしょう。
このホテルはその中でも値段がリーズナブルなんですが、駅からは遠くないし、部屋もそれなりにきれい。バスとトイレが別になっているのもやっぱり使い勝手が良くて楽ですね。これだと連泊も嫌じゃないかも。当たりのホテルだと思います。
さて、明日は吉野ケ里遺跡。長年気になっていた遺跡ですが、とうとうやってきたという感じ。楽しみですね~
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
もっと見る
太宰府(福岡) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
98