2022/07/31 - 2022/07/31
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マジェッドさん
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いまだにコロナ第7波が猛威をふるっていますが、旅行自粛ももう限界
出発2日前に、みどりの窓口で「〇〇のはなし」に空席があるかと尋ねたところ3席あり。即決で1席押さえて、18きっぷの旅に出かけることにしました。
併せてDecoさんの旅行記≪近代化産業革命遺産の光と影 三池炭鉱≫シリ―ズで興味がわいた大牟田市の三池炭鉱も巡ってみたいと思います。
前半は、運行5周年の記念イベントの日にぶつかり、「特別な〇〇のはなし」を楽しんだ話を
後半は趣きをかえて、三池炭鉱と團琢磨の功績をたどってみたいと思います。
といっても、私にはDecoさんのような歴史考証は無理なので、こんな話でお茶を濁します。
①あんまり煙突が高いワケ
②石炭1トンで水11トン汲み上げる謎
③囚人労働が支えた宮原坑
④三池港築港にかけた思い
⑤小麦粉でも起こる粉塵爆発(三川坑炭塵爆発)
それでは、張り切ってどうそ!
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 私鉄
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
令和4年7月30日(土)
広島県呉市の広駅
5時48分発岩国行きで終点まで行きます。
広5:48 →岩国7:49広駅 駅
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岩国からは岩徳線経由で徳山へ
岩国8:09 →徳山9:37高水駅 駅
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徳山に到着
徳山駅 駅
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次の列車まで20分ほど時間があるので、駅の外にでてみましょう。
徳山9:58 →新山口10:40 -
新山口からは、東萩行きのスーパーはぎ号で萩に向かいます。
防長バスと中国JRバスの共同運行(1日4往復:8便)で、11時発は中国JRバスが担当。キティちゃんのバスで女性の運転手さんでした。
新山口と萩を約1時間で結んでいます。
運賃1,600円(予約不要)新山口駅 駅
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当初の計画では、終点東萩駅まで乗って、貸自転車で城下町付近を中心に観光しようと思っていましたが、雨が降りそうなので、城下町近くの萩・明倫センターで降りて、徒歩で廻ることにしましょう。
萩城下町 名所・史跡
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萩城下町は、【明治日本の産業革命遺産】として世界遺産に登録されています。
観光はサラッと切り上げて、萩バスセンターの前にあるサンリブ萩店で弁当と酎ハイを買って列車に持ち込みましょう。 -
サンリブから東萩までは徒歩で15分ほどでした。
オオッ、駅では萩名産の「夏みかんジュース」が振舞われています。
「○○のはなし」運行5周年の記念イベント第1弾
ありがたく1本頂戴しました。東萩駅 駅
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それでは列車を見ていきましょう。
進行方向後ろ側2号車(洋風)
こちらの指定席を取りました。
2号車は、二人掛けの席が海側に向いて2列並んでいるので、知らない人と対面になることがありません。一人で乗るときにはお勧めです。
車販用のカウンターもあります。観光列車 〇〇のはなし 乗り物
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進行方向前側の1号車(和風)
海側は4人掛けのボックス席、山側は2人掛け対面席となっています。 -
係の方から、「これから出発式を行うので、よろしければホームに降りてきて、参加いただけないでしょうか」とお誘いがありました。
折角なので、参列いたしましょう。
ホームでは、萩市のキャラクター『萩にゃん』と奇兵隊も参列して出発式が挙行されます。
萩市長の代行として柴田一郎副市長から挨拶がありました。この中で、「○○のはなしが5周年を迎えますが、この間の指定席の販売率が7割以上と、これはスゴイこと」という話がありました。
確かに、この列車が萩市にもたらした効果は大きいと思います。
つづいて、副市長様による「出発合図」がありますが、これを見ていると列車に乗れないので、2号車に乗り込みます。 -
サンリブで仕入れた昼食
奥真ん中は、駅で振舞われた「夏みかんジュース」
東萩14:13 →下関17:39
この列車には、約3時間半お世話になることになります。 -
次の駅:萩駅でも、お見送りがありました。
萩駅 駅
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2号車では、萩市の職員さんによる「萩にまつわるクイズ大会」が催され、正解者の中でジャンケンに勝ち抜いた方には、萩焼で「〇〇のはなし」のロゴが入ったコーヒーカップが賞品として授与されました。
私は、賞品ゲットとはなりませんでしたが、心配御無用!!
全員に萩のお菓子や記念品が入った麻製のバックが、これまた運行5周年記念として配布されました。
さらに、さらに、クイズの参加賞として、萩焼の「小皿」か「お猪口」(いずれも「〇〇のはなし」のロゴ入り)の欲しい方1つも頂けました。この小皿は家宝とさせてもらいましょう。
萩市の職員さんは、長門市までの乗務で、今度は1号車に移って、再度クイズ大会をやるそうです。 -
長門市で進行方向を変えて山陰本線の支線(仙崎線)を仙崎へ
仙崎駅は盲腸線の終点なので行き止まり駅です。
ここで約30分の停車時間があります。
ーー14:56着 仙 崎 15:25発ーー仙崎駅 駅
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この30分間を利用して、駅から徒歩5分程のところにある「道の駅センザキッチン」に飲み物とツマミの買い足しに向かいます。
道の駅センザキッチン 道の駅
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列車は長門市に戻ってきました。
長門市でもお見送りを受けます。長門市駅 駅
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海がきれいですね。
センザキッチンでの購入品
酎ハイは3本目に突入しました。 -
ーー15:49着 人 丸 15:55発ーー
人丸駅では約6分間停車
ちょこっと駅の外まで出てみました。人丸駅 駅
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女性車掌さん
凛々しいですね。 -
山陰なのに「ずんだ餅」
ずっと飲んだくれているように見えますが、実は勉強もしています。 -
イチオシ
絶景!!!!
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イチオシ
ーー16:11着 阿 川 16:21発ーー
阿川駅には、カフェ「Agawa」もあります。阿川駅 駅
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海・海・海
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萩市、長門市とおもてなしを受けて、最後は下関市の担当です。
童謡詩人:金子みすゞの生涯を紙芝居で紹介 -
ーー下関17:39着
列車は、進行方向を変えて新下関まで行きますが、私はここで降ります。 -
関門トンネルを抜けて九州に向かいます。
下関駅 駅
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途中、小倉で乗り換えて、博多へ
博多で翌日使う「西鉄1DAY PASS(2,700円)」を購入してから、南福岡へ
本日の18キップの旅はここまでとします。
南福岡駅前の南福岡グリーンホテルへ
1泊朝食付き6,200円南福岡駅 駅
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7月31日(日) 南福岡グリーンホテルの朝食
おはようございます。
昨日は、大気が不安定で今日も心配していたのですが、福岡は良い天気のようです。
このホテル、朝食も美味しいし、別棟の翠豊閣温泉にもタダで入れるので、博多で手ごろな宿が取れないときには利用しています。意外とお勧めです。南福岡グリーンホテル 宿・ホテル
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今日は、西鉄を使うので、鉄の抜け道を通って雑餉隈駅に向かいます。
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電車の上に高架が見えます。8月28日から「下大利~雑餉隈」は、高架に切り替えるようです。
雑餉隈駅 駅
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昨日、博多BTで購入した西鉄の1日券
大牟田に行くのに買ったのですが、三つの失敗が発生
〈失敗その1〉
適用エリアは、柳川まで
これでは、もとが取れません。 -
〈失敗その2〉
二日市まで行って、特急に乗り換えるつもりが、天神方面の電車に乗ってしまいました。大橋駅で気づいて反対側ホームへ
理由は分かってるんです。
博多ではJR博多駅の西側に西鉄福岡駅があります。
でも、大牟田方面に向かうと、途中でクロスしているので、南福岡駅と西鉄の雑餉隈駅では、位置関係が逆になります。
そのことを忘れて、南に向かっている電車に乗ったつもりが、逆だったとーー大橋駅 駅
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〈失敗その3〉
失敗かどうかは、分かりませんが、特急だから3000形(転換クロスシート)が来ると思ってたのですが、アイスグリーンの横掛けロングシート車が入ってきました。
朝・夕はそういうのも入っているんですね。
なんか損した気分
でも、スピードは同等で、天神~大牟田を64分で走るようですね。 -
大牟田到着
折り返し天神行きとして「特急」運用に入るようです。大牟田駅 駅
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大牟田到着は9時05分
貸自転車のある「大牟田観光プラザ」は9時30分に開くので、それまでに、駅前の大牟田市庁舎と三池炭山創業碑(笹林公園)を見ておきましょう。
碑文には、〈石炭発見→三池・柳川両藩の炭鉱経営→官営管理→三井への払い下げ〉と辿った歴史が記されています。大牟田市庁舎 名所・史跡
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9時30分になりました。
観光プラザに戻って、電動自転車を4時間(610円)借ります。
なにせ、電動自転車に乗ったことがないので、使い方を一からレクチャーしてもらってからの出発となります。
手のかかるジジイです。大牟田観光プラザ 名所・史跡
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予定としては、大牟田駅前(観光プラザ)から時計回りに、宮浦坑→早鐘眼鏡橋→宮原坑と見て回って、時間があれば三池港にも立ち寄りたいと思います。
観光プラザのお嬢さんは、「4時間あれば十分廻れます」とおっしゃっていました。 -
前方に見えるのは三井化学関連の工場でしょうか。
電動自転車は便利ですね。グイグイ加速しますし、上り坂もまったく苦になりません。 -
三池炭鉱 宮浦坑 明治21年~昭和43年(1888~1968年)
炭坑節で「あんま~り~煙突があぁ高いぃので~」と唄われた煙突です。
では、炭鉱には、なぜ高い煙突が必要なのか?
それは、石炭を燃やしてたからです。
石炭掘るのに、石炭燃やす???
掘った石炭は、地上に運びだす必要があります。
竪坑から巻揚機を使って引っ張り上げていたのですが、当時はその動力源は電気ではなく蒸気でした。
じゃあ、どうやって蒸気を作るか?
手っ取り早い方法は、採れた石炭を燃やせばよいのです。
その排気のために高い煙突が必要だったという話です。
三池炭鉱でレンガ造りの煙突が残っているのは、ここだけのようです。宮浦石炭記念公園 公園・植物園
-
次は、早鐘眼鏡橋を目指します。
宮浦坑からは三井化学の工場を左手にみながら、道なりに進めば着くはずなのですが、どれだけ走っても着きません。
なんか通町という町場に出てきてしまいました。セブンイレブンで、道を尋ねると、すでにガイドマップの区域外で、ルートを大きくはずれていることが判明
トータルで30分以上のロスタイム -
早鐘眼鏡橋
三池炭鉱の遺跡とは直接関係ありませんが、水道関係の部署に長くいたものですから、ルートに加えました・
1674年(延宝2年)に三池藩が灌漑対策で造った日本最古の石造アーチ型の水道橋
橋の下は大牟田川が流れています。
それよりも気になるのが、大牟田川右岸に下半分だけ埋まったコンクリート管です。どういう機能で、どこに流れているんでしょう。早鐘眼鏡橋 名所・史跡
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三池炭鉱 宮原坑 明治31年~昭和6年(1898~1931年)※坑内排水は平成12年(2000年)まで
明治後期から大正期の三池炭鉱での主力坑の一つ
煉瓦造りの第二竪坑巻揚機室と、第二竪坑櫓(やぐら)が残ってます。
ただし、現在工事中で巻揚機室は見学不可
実は、ここ宮原坑は、萩城下町と同じく【明治日本の産業革命遺産】として世界遺産に登録されています。宮原坑(世界遺産) 名所・史跡
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ここでは、ボランティアガイドさんの説明を聞くことができます。
その一部を紹介します。
まずは、團琢磨のはなし
「ああ、作曲家の…」と思ったら、それは團伊玖磨で、琢磨の孫なのだそうです。ちなみに伊玖磨の孫が女優の團遥香です。
琢磨のはなしに戻しましょう。
この方、国の機関:工部省三池鉱山局の技師ですが、技術視察のために外国にいる間に、三池炭鉱は三井に払い下げられてしまいます。
この際、三井側はこう言ったそうです。
「團琢磨を含めての三池鉱山の買収である」
で、三井に入った團は何をしたか?
その一つが、デビ―ポンプの導入です。
三池炭鉱では、石炭を1トン掘ると11トンの地下水が湧き出るそうです。これを排出しなければ、炭鉱は水没していまいます。そこで導入したのが、イギリス製のデビーポンプ。おそろしく高価だったそうです。
動力は、蒸気なので、宮浦坑と同様に「あんまり高い煙突」もありました。
ともあれ、デビーポンプの導入で、出炭量は数倍に跳ね上がります。
二つ目の功績としては、囚人労働の廃止があります。
ここ宮原坑では、一般の坑夫だけでは労働力が賄いきれず、囚人労働でこれを補っていました。
このため、ここから約1.5㎞の場所に三池集治監(刑務所)が開庁され、一時は1,000人を超える囚人がいたそうです。これは、官営から三井に払い下げられても続けられていましたが、團がこれに異を唱えたこともあって、囚人労働は昭和6年(1931年)に廃止されました。
近年の犯罪状況をみてみると、私は囚人労働というのは、むしろ合理的な考えだと思うのですが、当時の時代背景からすると、そうとばかりは言えなかったようです。
例えば、囚人の中には、西南戦争で敗れた薩摩士族も含まれていたと――
三つ目の功績の話に移ります。それは、三池港の築港
港に集めれた石炭は、船で運び出されるのですが、三池港は遠浅のため大型船が接岸できません。このため、まず小型船で三角西港(熊本)まで持って行って大型船に積み替える必要がありました。
これを約6年の歳月をかけて築港、明治41年(1908年)に開港しました。
各坑口と港を結ぶ「三池炭鉱専用鉄道」も明治38年(1905年)に本線開通したことも相まって、石炭は大牟田から、上海やシンガポールに向けて直接輸出することができるようになり、三井はボロ儲けしたそうです(笑)
團は次のような言葉を残しています。
「石炭山の永久などということはありはせぬ。築港をやれば、そこにまた産業を興すことができる。築港をしておけば、いくらか百年の基礎となる。」
平成9年(1997年)に三池炭鉱は閉山となりましたが、團の先見の明と地元愛にグッとくるものがあります。 -
團琢磨以外の話もいっぱい聞きました。
まずは、「三池炭鉱専用鉄道」のはなし
ここ宮原坑の横を通っており、線路敷は現存しています。
鉄道は複線で、最初は馬に引かせていたそうです。これが蒸気機関車、電気機関車と変遷していきます。
つづいては、炭鉱事故の話
ここ宮原坑ではなく、三川坑で昭和38年(1963年)に起こりました。連結が外れてトロッコ8両が坑底に向けて暴走し脱線。大量の炭塵が坑内に蔓延し、何らかの火花で粉塵爆発を起こしたもの。当時、約1400人が坑内におり、458人が死亡(うち20人は爆死,残り438名は一酸化炭素中毒死)、839人が一酸化炭素中毒となり後遺症に悩まされた方も多数おられます。
ガイドさんは、この事故の後、昭和40年に三池炭鉱に就職されたそうですが、この事故までは、(学問の上では)粉塵爆発というものがあることは知っていたけれど、「起こるはずがない」と、みんな思っていたそうです。
ここで、粉塵爆発の仕組みをちょっとだけ紹介したいと思います。
【粉塵爆発の仕組み】
実は、粉塵爆発は、小麦粉でも起こるんです。
小麦粉に火をつけようとしても、せいぜい表面が焦げる程度で、燃えることはありません。燃えるためには酸素が必要だからです。
これを空気中に舞い上がらせると、各粒子のまわりには酸素があるので、ちょっとした火花でも激しく燃え広がる(爆発する)のです。
要するに、酸素と混合した引火性のガスに火花が散るとガス爆発を起こすのと同じ現象です。
石炭の粉でも同様のことが言えます。この場合は、炭塵爆発といいます。
だから、炭鉱では、着火の可能性となるタバコやマッチは持ち込み禁止だったそうです。
ついでに炭鉱火災の消火方法を――
一度火が付くと、石炭は燃え続けるのでとっても厄介なのだそうです。
扉を閉め切って酸欠にするか、水没させるかしか手がないと――
これは、三川坑のことではなく、昭和56年(1981年)に北海道夕張炭鉱で起った火災事故のことかもしれません。坑内に59人を残したまま注水をせざるを得なかったあの事故です。
写真は、第二竪坑巻揚機室と、第二竪坑櫓(やぐら)です。巻揚機室は工事中で中を見ることができませんでしたが、悔しいので、格子窓からレンズを突っ込んで内部を撮ってみました。
ところで、第二竪坑があるなら、第一竪坑もあるはずですね。
今はありませんが、第一の方は囚人労働者用、第二は一般の坑夫用と分けていたようです。 -
11時30分に宮原坑の見学を終えました。
自転車は午後1時40分まで借りているので、時間的には三池港を経由して戻っても余裕があるようです。ガイドさんから、港までのルートを教えていただきました。有栖川に沿って下っていけばよいようです。 -
三池港にぎわい広場から三池港閘門を望む
1908年(明治41年)完成
港内の水位を8.5m以上に保ち、1万トン級の大型船が港に直接入れるようにする水門
こんなに狭い幅を通るのかと、望遠にしすぎました。
たぶん、これが三池港閘門(こうもん)だと思うのだけど…三池港と光の航路 自然・景勝地
-
三池炭鉱 三川坑 昭和15年~平成9年(1940~1997年)
三池港に向かう途中、「本日 三川坑公開中」と入口に看板がでていたので、帰りに立ち寄ってみました。
第二斜坑坑口や坑夫用の脱衣場・浴室が残っています。
まずは、第二斜坑坑口に入ってみましょう。三池炭鉱三川坑跡 名所・史跡
-
階段を下りて(写真左)進んでいくと、その先に見えるのは(写真右)――
-
ここが出口(写真上)
第二斜坑に向かうトロッコの乗降ホームに出ます。
トロッコ入坑口は、コンクリートで埋め込まれています。(写真下)
この先はどうなっているのでしょうか。
Decoさんの考証(あえて旅行記とは言わない)には、次のように語られています。原文のまま掲載します。
=================
三川坑は海底深く掘り進み、なんと県境を越えて佐賀空港の近くまで掘られていたとか。中で四山坑や宮浦坑ともつながっていたようです。ここから採炭現場まで一時間半(!)かかったとか。
地下の採炭トンネルは複雑で、途中で乗り換えもあったようです。
近代化産業革命遺産の光と影 三池炭鉱(1) 大牟田市石炭産業科学館・三川坑から (Decoさん)
https://4travel.jp/travelogue/11723603
=================
この歴史考証シリーズは、すごいわ。
お勧めです。 -
ホームに至る連絡通路の出口上は、部屋になってますね(写真上)
入ってみましょう(写真下)
トロッコの制御をここでしていたのでしょうか。 -
線路は外の操車場にもつながっています。
外に出てみましょう。
小さな列車は、坑夫を運ぶトロッコです。 -
第二斜坑口の外観
この隣に第一斜坑口もあったのでしょうか。
後で知ったのですが、例の「炭塵爆発事故」があったのは、ここの第一斜坑だったようです。 -
操車場につながってます。
-
三川坑は、昭和15年の開坑以来、戦後の日本の復興にも大きく貢献してきました。
昭和38年には、炭塵爆発事故もありましたが、平成9年3月30日まで操業を続けていたそうです。この日をもって三池炭鉱は終焉を迎えました。 -
三池炭鉱専用鉄道の電気機関車も展示されています
-
B形の5号機
国内に現存する最古級の電気機関車だそうです。
1908年(明治41年) アメリカ(ゼネラル・エレクトリック社製) -
坑夫が入浴の際使っていた脱衣場
-
浴場
建物は相当に傷んでいて、屋根や壁に穴があいていますが、その分リアリティーがありますね。
平成の初めころまで、三川坑からの入出坑があったようなので、それまでは使われていたのでしょうか。 -
三井港倶楽部
三川坑すぐ隣にあります。
三井財閥の社交場、外国高級船員の宿泊接待所として三池港の築港にあわせて建てられたもの。
現在もレストラン営業をされており、料理の鉄人で有名なフレンチの巨匠坂井シェフ監修のランチやディナーをいただくことができるようです。
私は、博多まで戻ってから昼食をとるので、外観を眺めるだけにしておきます。三井港倶楽部 グルメ・レストラン
-
9時40分に電動自転車で出発して3時間
12時40分に大牟田観光プラザに戻ってきました。
それでは西鉄特急で博多に戻りたいと思います。
ちょうど12時53分発の特急が入ってきましたよ。
でも、「車両不具合により大幅に遅れて到着」と放送されてます。
結局5分遅れで発車
西鉄福岡駅(天神)には2分遅れの13時57分に着きました。大牟田駅 駅
-
天神から博多駅前までは連接バスに乗りました。
西鉄の1日券でカバーしているのですが、なにせ150円のエリアなので、ぜんぜん元がとれません。 -
14:20
博多駅前地下街の名代ラーメン亭で、遅めの昼食
ラーメンセット名代ラーメン亭 博多駅地下街店 グルメ・レストラン
-
広島には、博多バスターミナル16時発の高速バスを予約しているので、博多駅で家用の「辛子明太子」を購入後、BT2階のマックで時間調整しましょう。
-
博多BT16時発の広福ライナーで帰路につきます。
広島駅南口には20時44分に到着の予定
広福ライナー 開業20周年割引運賃で2,000円の適用ができるはずなのですが、出発3日前の予約だったからか、すでにその枠は完売でWEB割で3,600円で決済しました。それでも通常運賃4,250円に比べれば格安です。
そのWEB割で購入可能な席は3席しかなかったはずなのに、実際乗ってみたら乗客は私を含めて9名
まあ、そんなものですかねー
皆さん、最後までお読みいただきありあがとうございます。
次回は、18キップの旅:第2弾として、『ボンネットバスで巡る鞆の浦〈坂本龍馬はクレーマーか〉』を近日アップする予定です。吉志パーキングエリア 道の駅
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この旅行記へのコメント (2)
-
- Decoさん 2022/08/14 20:15:30
- 行動力と探求心と
- マジェッドさん、久しぶりの旅行記、待ってました!
近代化遺産をめぐる旅、お疲れ様でした。一日目に萩、二日目に大牟田という旅程はかなりハードだったかと思います。しかも大牟田は三時間のうちによくぞあれだけ廻られた。マジェッドさんの旅で感心するのは行動力と好奇心と探求心。今回もそれが遺憾なく発揮された旅だったと思います。
また、拙旅行記をお褒めいただき、またご紹介いただきありがとうござます(引用していただいた部分は、白状すると、大牟田市石炭産業科学館のガイドさんから教えていただいた話です。後からわかったのですが、三池炭鉱は三川坑、四山坑など戦後も使用された坑だけでなく、江戸時代から使用された坑も含めてすべてつながっていたようです)。
宮浦石炭記念公園から通町のセブンに行かれた話、三井化学を”左手に”見ながら…ということは、大浦のコンビナートの中を通って行かれたのでしょうか。大変な大廻で、体力を消耗されたことと思います。ただ、あのコンビナートの中の道は、大牟田を象徴する場所かも知れないので、貴重な経験だったのかも知れません(それに、三池炭鉱で初めて西洋近代技術が投入された大浦坑は、あの周辺にあったのです)。
団琢磨ですが…三池に限らず筑豊や長崎でも、炭鉱では納屋制度という悪質な下請け労働がありましたが、団琢磨は徐々に直雇いを増やして福利厚生を整え、最終的には廃止にこぎつけ、労務管理を含めてあらゆる面で炭鉱を近代化した人だと思います。
囚人労働に関しては、その労働力に大きく依存していたし、国も絡んでいたため、なかなか廃止できなかったようですし、ある時期までは団琢磨も積極的に使役する方向で考えていたのではないかと思います。最終的には近代化へと大きく舵を切る中で廃止の方向に持って行ったわけですが。三池炭鉱だけでなく日本自体も、団琢磨が非業の死を遂げなければ、もう少し良い方向に行っていたのではないかと思います。
宮原坑、巻揚げ機室が工事中で残念でした…が、三池港閘門を船が通過するのは、なかなか見られないと思います。これは良いタイミングで行かれたと思います。
三川坑にも行かれたのは良かったと思います。いろんな意味で三池炭鉱には悲しいけど大切な場所ですから。大浴場、私が行ったときは種々の事情で見学しなかったんです。マジェッドさんの写真を見て、また行きたくなりました(*^^)v
Deco
- マジェッドさん からの返信 2022/08/14 21:40:43
- RE: 行動力と探求心と
- Deco様
マジェッドです。
早速のコメントありがとうございます。
三川坑から坑道がどう伸びているのか、いろいろ検索したり、入手した資料を読み返したりしたのですが、どこにも記載されておらず、Decoさんの情報は大変貴重で助かりました。(検索で唯一ヒットしたのが、Decoさんの4トラの記事だったときには笑いました)
迷子事件ですが、ご指摘のとおり「大浦のコンビナート」の中を通ったのだと思います。
峠を一つ越えて着いたのが通町のセブンでしたが、電動自転車はスゴイですね。登り坂も苦になりません。
團琢磨の件、そうですね。
「納屋制度」については、あえて書きませんでしたが、当時の日本では、いろいろあったのだと思います。
今回の旅行記は、Decoさんの歴史考証に触発されて、学校では歴史が大の苦手だった自分が、日本の近代史をテーマにいろいろ考えた栄えある第1号となりました。
今後ともご指導よろしくお願いします。
まずはお礼まで
マジェッド
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