2021/11/28 - 2021/11/28
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しにあの旅人さん
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★隼人の瀬戸の巌も年魚走る吉野の滝になお及かずけり★ 6-960
△隼人の瀬戸の神秘的な巨巌も、鮎の走っている吉野の激流にはやはり及ばないことだ△
(現代語訳は万葉集中西)
万葉集の旅人の歌です。
隼人(はやひと)の瀬戸とは、黒之瀬戸のことです。
旅人は現在の薩摩川内の薩摩国府から黒之瀬戸を往復したと仮定しました。
私たちもやってみました。
参照、引用した資料は「旅人@九州1」に列挙しました。引用に際し、僭越ながら敬称を略させていただきました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
黒の瀬戸に旅人が行ったのは、養老4年(720年)に征隼人時節大将軍として大隅に行った行きか、帰り。あるいは神亀5年(728年)から天平2年(730年)、大宰帥として太宰府に滞在した間の可能性があります。
大隅からの帰りは、藤原不比等の死で急遽都に呼び返されたので、そんな余裕はない。
太宰府滞在中、大宰帥として九州視察というのは、ないでしょうね。このころ旅人は歌に熱中していたころで、もし行っていたらこの1首ですむはずがない。一人で行くはずもない。筑紫歌壇の何人かを無理にでも連れていって、盛大に歌会をやったでありましょう。
やはり大隅に出陣する途中です。
現在の薩摩川内に薩摩国府がありました。ここで1万人を超える征隼人軍団の最後の編成をやったはずです。
旅人のことです、暇なときに遊びに行くなどと不謹慎なことはしない。
補給路の確認に行ったのではないか。黒之瀬戸大橋 名所・史跡
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太宰府から兵員と物資を船で、筑後川、有明海、八代海を経て黒之瀬戸を通り、現在の薩摩川内市にあった国府の外港に運ぶのが最短で、最も効率がいい。その時にいくつか難所を通りますが、もっともやばそうなのが黒之瀬戸ではないか。それなら見に行こう。最高司令官直々の視察です。
十分ありえます。
日露戦争の時東郷大将は、重要なポイントは部下任せにせず、必ず自分の目で確認したそうです。 -
薩摩川内市はかつての薩摩国高城(たき)郡です。
市内には、国分寺跡や国府跡があり、古代の面影が残っています。
散歩してみます。
薩摩国は大宝2年(702年)の隼人の乱を契機に成立し、大宝4年(704年)に薩麻(摩)国となりました。720年の旅人の時代に国府がどこにあったか厳密には分かっていないようです。 -
これは薩摩国分寺跡。
発掘され、公園として整備されています。
手前が塔跡、奥が金堂跡です。薩摩国分寺跡 名所・史跡
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復元伽藍想定図です。出典国分寺跡説明パネル。以下も同じです。
ただし建立は8世紀後半で、旅人のころはまだありません。 -
国府は国分寺跡の西に隣接していることが発掘で分かっています。出土物から奈良時代後半から平安時代後期にかけて機能していたらしい。旅人のころは、もっと小規模であったかもしれません。
出典:「薩摩国府跡」
https://www.jomon-no-mori.jp/old/sensikodai/214.pdf
上記によると、当初国府は19世紀半ばの古文書「三国名勝図会」により、1km北西だと考えられていたのですが、県立川内高等学校の考古学クラブの調査がきっかけで、現在地であることが分かりました。
高校生、やったね!
右端の青4区画が国分寺跡、中央の赤碁盤の目が国府あとで、中央の4区画が国府官衙推定地です。 -
推定復元模型。
息子の家持は天平宝字8年(764年)に薩摩守ですから、役所はここであった可能性があります。
薩摩川内市では、旅人、家持親子では、圧倒的に家持に人気があります。
親父さんは長くても1ヵ月ちょっと、家持は国司として1年以上ここにいたので、やむをえません。 -
薩摩川内市川内歴史資料館の裏手に立つ家持像。
-
背後のお家の中が入らないようにするのが苦労。
-
家持はこのとき、藤原仲麻呂暗殺計画に関与した疑いで、辺境薩摩国に左遷されたという説もあります。天平宝字8年(764年)のことです。
47歳ごろ。
くたびれた感じで、47には見えない。68歳まで当時としては長生きしたので、健康だったはずです。
銅像の作者は、失意でやつれた家持を表現したのかな。
家持に薩摩の歌はありません。この時期、家持はすでに歌を忘れたカナリアでした。 -
薩摩川内駅東口にはもう一つ家持像が建っています。
この日は町のお祭で、駅前でイベントがありました。若い女性だけの和太鼓グループが「焼酎天国」という歌を熱演しておりました。川内駅 (鹿児島県) 駅
-
「親父の前で歌ってくれよな」と家持さん。
一書に曰く、
薩摩川内の駅前は、広々、閑散としておりました。
道は広く、真っ直ぐで、まさかシャンゼリゼとは、いかにわたくしでも言えませんが、悠々としております。
駅前広場には、銅像など立ちまして堂々であります。
朝晩は混むのかもしれません。昼間は、ドライバーには夢のようにすいすい進めるのであります。
その大通りの裏通りで夕食を摂りまして、ぶらりぶらりと帰ってきましたら、小さい子供を連れた家族が、何家族も目につきます。あれれ?
こんなに沢山小さい子がいるなんて、いいぞ。
最近どこへ出かけても、少子化を、ひしひしと感じておりましたので、さすが鹿児島、大丈夫みたいね。と注目しておりましたら、皆さん、駅前広場へ集合でございます。
お祭りらしい。わーい。
プログラムがありましたので、覗いてみましたら、和太鼓演奏、なんとかの踊り、歌手ナントカさん出演!とか書いてありました。
歌手の名前は、すみません。存じ上げなくて、歌は「焼酎天国」だったと思います。
そんな歌あるんだ。と驚いたので、これは覚えております。
結構、知られているらしく、司会の人が、「みなさまお馴染みの」とか言ってました。へえ、さすが薩摩。焼酎と言えば薩摩ですもんね。
あ、熊本焼酎もあるか。
日本の未来は明るいと、さっきは喜んだのですが、お祭りなのに、これしかいないのか、、、
ちょっと寂しかったです。
私達団塊ですからね。
いっつもギュウギュウで育ちましたから。
1クラス60人とかでしたよ。今は30人切ることもあるそうですね。
地方の寂れ方は、私みたいなノンポリから見ても問題ですね。
By妻 -
薩摩川内-黒之瀬戸、41.6kmです。
道筋はほとんど山の中で、距離のわりに時間がかかりました。
黒之瀬戸大橋を渡り、長島の展望台を目指しました。 -
到着8時25分。展望台からです。まともに朝日でした。
-
補正しません。逆光の黒之瀬戸大橋は美しかった。
-
黒之瀬戸と黒之瀬戸大橋の全景です。
左が八代海、右が東シナ海。幅500m、長さ4km。黒之瀬戸大橋 名所・史跡
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海峡側に張り出した展望台があります。
-
展望台に立つと海峡を流れる波の音が聞こえます。ザブーンという寄せては返す波の音ではなく、ザザザという川の流れのような音です。最大潮流は8ノットと非常に早く、日本三大急潮の一つです。「一に玄海、二に鳴門、三に薩摩の黒之瀬戸」というそうです。
-
海峡の彼方の島は甑(こしき)島だと思います。
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八代海側は、左が天草諸島、遠くにかすんでいるのは宇土半島でしょう。
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★隼人(はやひと)の瀬戸の巌も年魚(あゆ)走る吉野の滝になお及(し)かずけり★ 6-960
△隼人の瀬戸の神秘的な巨巌も、鮎の走っている吉野の激流にはやはり及ばないことだ△
今回のメインテーマ、旅人の歌です。
旅人は吉野の肩を持っております。 -
吉野宮の上流、菜摘の吉野川です。
-
比較的川幅が広いところです。
これが隼人の瀬よりもいいというのは、旅人さん、身びいきが過ぎます。
なにか黒之瀬戸がよほど気に入らなかった。
あるいは吉野の川に特別な思い入れがあった。
単にそのとき機嫌が悪かった。
「なんだ、黒之瀬戸なんて、たいしたことねーじゃないか。吉野川はもっとすげーんだぞ」と、いわば八つ当たり。
思いのほか、子供ぽいところがある人です。 -
展望台の対岸、九州本土の大橋右詰めに、うずしお展望所があります。
旅人が黒之瀬戸を見たとき、現場はたぶんこの辺り。黒之瀬戸 自然・景勝地
-
海峡の中央に渦潮ができておりました。対岸には、たしかに「瀬戸の巌」のようなものが見えます。
-
このようなものを見たのではないか。
旅人の視察の目的、この海峡を補給路として安全に通れるか。 -
私たちの前をちょうど漁船が東シナ海から八代海に向かって通りました。最初から船首で波を切っておりましたが、
-
突然白波が大きく立ち上がりました。渦潮に突っ込んだのではないか。
旅人もなんらかの方法で潮流の速さを測ったでありましょう。結論として、大量の船団をこの海峡を通すのは危険である。
旅人さん、ここを通る補給路はいいアイデアだと思っていた。ところが実際に見てみるとダメっぽい。そこで機嫌が悪くなって、黒之瀬戸に八つ当たり、
★隼人(はやひと)の瀬戸の巌も年魚(あゆ)走る吉野の滝になお及(し)かずけり★
この解釈、いかがでしょうか。
一書に曰く、
ホテルを早立ちしまして、黒之瀬戸に来ました。
素晴らしい景色でした。
渦潮で有名らしいですが、私達がいたときは、あんまりすごくはなかったです。
房総沖と、あんまり違わなかった。
船に乗ったら、違うのでしょうけれど。
そんな印象を、旅人も受けたのでしょうか。
ずいぶんとなめたこと言ってくれちゃうじゃないですか。
吉野って。なんで、そこと比べるかなあ。
比べるなら、鳴門でしょうに。
結構旅人さんこどもっぽい?
かっわいい。小学生のガキかよ。
とも思ったのですが。
最近、私、恐ろしい本を読んでしまいました。
そこからの妄想でございますよ。
こういうのはいかがですか?
持統天皇の
春すぎて 夏きにけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山
というのが 衣替えの歌ではなく、実は、戦いを促す歌だとか、いろいろ解釈があります。
その伝でいきますと、
吉野というのは、ほら、壬申の乱でございますよ。
天武天皇が鮎で占って吉と出た、あの吉野から始まった戦いほどの用意周到な計略もないじゃないか。隼人の戦いは。
という意味というのは、いかがでしょう?
隼人さんよ、おまいらでは、吉野から蜂起した天武さんには、ぜーんぜん かなわねーよ。
つまりクーデターは、失敗しちゃうよって。
何で、ベらんめいなのかは、わかりませんが。
恐ろしい本というのは、坂東眞砂子の「朱鳥の陵」でした。こわかったでしゅ。
By妻
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旅行記グループ
旅人@九州
この旅行記へのコメント (7)
-
- 前日光さん 2022/04/14 23:50:23
- 壬申の乱と隼人の乱を?
- 吉野と黒之瀬戸を比べたというよりは、あの古代におけるクーデターである「壬申の乱」と「隼人の乱」を、旅人は想起したというわけですか。。。
機嫌が悪かったわけではなくて。
ホント!by妻さんって、どういう脳の構造をされているのでしょうか?
私はおよそ、こういう発想はできない、いわゆる頭の硬いタイプなんです。
ベタな妄想はよくするのですがねぇ(~_~;)
家持像が、越中だけではなくて薩摩川内にもあるなんて。
そうそう、家持は薩摩国にも赴任していたのでしたよね?
因幡国や多賀城にいたことは頭にあるのですが、薩摩というのは抜け落ちておりました。
なにしろ因幡国庁に降る雪を眺めながらの歌を最後に、かれは筆を絶ってしまいましたからね。
万葉集の永遠の謎、なぜ家持は歌を詠まなくなったのか?
それにしても家持のこの像は、47歳の時のですか?
昔の人は老成していたとは言え、あの斜めってる署名の文字からは、ちょっと想像出来ない生気のなさ。
南国の暑さに弱かったのかな?
越中では、あんなに素晴らしい歌を詠んでいるのに。
薩摩川内では、旅人よりも家持人気が高いのですね?
歌一首も詠まないのに?
像の前で「焼酎天国」なんて歌わないでほしいわ( ̄△ ̄)
繊細な家持様が、ますます筆を執る気を失くしちゃうじゃないですか!
黒之瀬戸の流れは激しいかもしれませんが、八代海と東シナ海との間にあるなんて、位置的にはカッコイイ!と思ってしまうミーハーです。
旅人さんに呆れられてしまいますね。
吉野と黒之瀬戸を比較して、吉野の方に軍配を上げた旅人は、この時どんな気持ちだったのでしょうね?
前日光
- しにあの旅人さん からの返信 2022/04/15 07:25:37
- Re: 壬申の乱と隼人の乱を?
- 旅人は、黒之瀬戸と、吉野川をくらべて、吉野川の方がいいという。あの展望台に立った人は、「おかしくね」とみんないうはず。
鮎走るっていうなら、こっちはマグロやクジラだって泳ぐぞ、とつまらんツッコミを入れます。
こういうことを思いつくのが、歴史の現場に行ってみる醍醐味です。
黒之瀬戸大橋の展望台、黒之瀬戸うずしお展望所、別にスポットにまとめてあります。両方とも車で行けますから、機会があれば、おすすめです。
旅人が見たのとほぼ同じものを見られると思います。大橋は、想像力で消します。
By妻の発想が面白いのは、毎度のことですが、脳の一部が古代と直結、または古代から進化していないからです。
家持銅像は貧相でした。
高山の家持はもっとハツラツとしていますか。確か家持の全盛期ですよね。創作意欲まんまんの頃。
家持は薩摩には遙任で、来ていないという学説もあるそうですが、薩摩川内人は意に介せず、銅像、歌碑建てまくりです。
焼酎天国、ナントカという有名な演歌歌手の歌だそうです。女性だけの和太鼓グループが元気よく歌っていました。地元では有名なグループのようです。声援盛んでした。
家持さんから太鼓まで動員して、なんとか町おこしをしようと頑張っていました。
-
- kummingさん 2022/04/13 14:47:12
- 万葉の散歩道♪
- 鹿児島県、夫父方のお墓掃除にお盆前の真夏、高速道路で直行直帰していました。何処にも寄らず(ーー;) 毎度、一種の義務感に駆られての日帰り強行軍でした。川内市、行った事ありません。お墓がある出水さえ、観て廻った事ない!という…。
ここが『万葉の散歩道』とは!薩摩国分寺跡、国府?8世紀にこんな地方に、こんな立派な施設が建っていたのですね。家持さまの凛々しい、ちょっと淋しげなお姿、ハートマークはなんぞや?しにあさんの家持ラブ♪と思ったら、見せてはいけないモノ隠す為でした。
優れた将は、必ずロジテイスクの重要性を認識していますね。補給線が延び過ぎたり、機能しない事は、軍の無機能化に直結する、という自明の理。さすが出来るおのこ、家持さま♪ 将自らが現地視察、そうでしょうとも!直近では、 ロシア軍のキーフ侵攻失敗も兵站確保に失敗したからだとか?
黒の瀬戸、長島の展望台から海を見渡す高台の風景、しにあさんの昔のブログにて似たようなのを見たような?(鑑真が流れ着いた、とか、南方から日本に進軍してきた古人の話だったか?)いつもby妻さんの恐るべき嗅覚と共に、こうして古人の軌跡をなぞる旅、その熱意には脱帽し敬服するばかり。
日本三大潮流、鳴門以外、玄海も薩摩の黒の瀬戸にも行った事ない、近いのに!?八代海と南シナ海に挟まれた海峡の潮流を見て、ココを通るのはムリ、と諦めた家持さまが取った次の一手は?負けん気出して詠んだ歌、憎めない、意外とかわいい性格^o^
春すぎて夏きにけらし~、の異訳、私もなんちゃって本のとんでも解釈、見かけました。内容を忘れてしまいましたが(ーー;)歌って、時代背景や人物像、解釈する人によって、如何様にでもよめる?!
by妻さんが「怖かったでふ」とおっしゃる『朱鳥の陵』、怖い本(殺人事件のミステリーでさえ)読むと、夜中トイレに行けなくなるのでm(._.)m
- kummingさん からの返信 2022/04/13 14:52:10
- 訂正m(_ _)m
- 投稿してすぐですが、途中、旅人さま→家持さま、間違えています、主人公は旅人さま♪でございます(ーー;)
- しにあの旅人さん からの返信 2022/04/13 16:53:14
- Re: 万葉の散歩道♪
- 今回は比較的素直な縦の旅旅行記。
私はこの解釈が、旅人さんらしくて、いいのではないかと思います。
どう見ても吉野川が黒之瀬戸よりいいという結論は出ません。絶対機嫌が悪かった。
久留米から鹿児島って、意外と近いのですよね。ぜひKumming調で、鹿児島旅行記をお願いします。
高台の風景は、多分秋目浦の鑑真記念館でしょう。11月にも行きました。これもまた、いずれ旅行記にまとめます。
この時は野間岳があるナントカ半島(地名忘れました)を一周する予定でしたが、鑑真記念館から番所鼻に忘れ物を取りに戻って、薩摩川内に直行。行けませんでした。
このあたり絶景の連続だそうですよ。おすすめです。(とそそのかす)
薩南の頴娃方言について何かご存じですか。鹿児島県人が、「頴娃弁は方言がきつくて分からん」と言うそうです。このあたりの探報記など読みたいな。
ようつべで聞いたことありますが、一言も分からなかった。イタリア語の方が聞き取れる単語がありました。
これはリクエスト。
「朱鳥の陵」は怖いらしい。怖いなら読まなければいいのに、と思う今日この頃。
-
- mistralさん 2022/04/12 12:48:48
- 薩摩川内
- しにあの旅人さん
こんにちは。
前回の旅行記、何故旅人の歌は残されなかったか、をめぐってのご考察、
納得の一編でした。
旅人さんの人物像にも触れられて、そんな篤いこころを持った人だったなら、
多くの後悔の残った隼人戦争の終結となったこと、と思われました。
今回の黒之瀬戸の検証旅行記、
旅人さん自ら補給路として最適かを確認のために赴かれた、
その瀬戸をしにあさんご夫妻も検証されにいらっしゃったんですね。
三大急潮にも挙げられるという黒之瀬戸、お写真から拝見しますと
かなり急流な様子です。
その海路を補給路として考えていたけれど、思ったより危ないような、
そう考えられた旅人さん、ちょっとがっかりして
吉野のよりも大したことないじゃないか、と歌に詠まれたのか?
なかなか複雑な方だったようなご様子ですね。
薩摩川内は用件に追われて国分寺跡も訪問できませんでした。
もちろん、夜、街歩きをした折にも家持さんとのご対面も果たせず。
最後の、by妻さんのコメント
坂東真砂子さんの朱鳥の陵、実は以前読んでみようと思いそのままでした。
朱鳥という言葉から、きっと大津皇子にも大きく関わることなのでしょうね。
再び興味、惹かれてしまいました。
mistral
- しにあの旅人さん からの返信 2022/04/13 15:34:41
- Re: 薩摩川内
- 朱鳥の稜、大津皇子出てくるそうです。怖いので適当に読んだらしくて、話が要領を得ません。
なら読まなければいいのに。
薩摩川内は列車でしたっけ? 西口駅の向かって右端に二つ目の家持さんが立っています。近くを通ったかもしれませんね。
黒の瀬戸の対岸、長島は、Mistralさんがお好きな石、石垣が何やら有名だそうです。石垣を営々と築いて畑を作ったとか。島内を走りましたが、そういえば、段々畑が多かった。
海が川のように流れるというのは不思議な景色でした。確かに流れておりました。うずしお展望所から見るとよくわかります。
旅人さんも、変なものだなと思ったでしょうね。対岸に岩がゴロゴロしていて、彼はここで同じものを見たんだ、と思いました。九州側と長島側では流れの向きが違うんじゃないかな。
黒之瀬戸と長島はおすすめです。長島には遣唐使漂着記念碑というのもあります。スポットに書いておきました。
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