2022/03/28 - 2022/03/31
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fmi(ふみ)さん
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3月末になり佐倉市内もソメイヨシノが開花しました、今回も佐倉市内の春を楽しもうと、お花を探してきました。
今回は3月下旬に佐倉地区を集中してめぐり、有名な城址公園と堀田邸の桜、そして周辺の寺社の桜を見てきました。まさに春満開です。
佐倉の春をお楽しみください。
佐倉の花と紅葉の散策シリーズ
1.「千葉県佐倉市内で紅葉見物をしよう2021」
https://4travel.jp/travelogue/11662722
2.「千葉県佐倉市内であじさい見物をしよう」
https://4travel.jp/travelogue/11697836
3.千葉県佐倉市内で花見をしよう2022.3月-梅林編-
https://4travel.jp/travelogue/11742283
4.千葉県佐倉市内で花見をしよう2022.3月-河津桜編-
https://4travel.jp/travelogue/11743570
5.千葉県佐倉市内で花見をしよう2022.3月-志津・臼井のカンザクラ編-
https://4travel.jp/travelogue/11744792
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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まずは京成線で京成佐倉駅へ。桜の季節だけ、「京成 桜 駅」と名乗る。
市長が現職になってから毎年これやってる京成佐倉駅 駅
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今回は、佐倉地区、堀田邸庭園を起点に、佐倉城址公園を終点にし、東から西へ移動するようにして紹介する。
まずは佐倉駅から堀田邸まで徒歩で移動。バスもあるけど、1時間毎。
堀田邸庭園は3月30日に取材。旧堀田邸(重要文化財旧堀田家住宅) 名所・史跡
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佐倉市では佐倉城址公園につぐ桜の名所である堀田邸庭園。
さくら庭園 公園・植物園
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桜は庭園の隅、崖線になってるところに群生している。庭園から見た堀田邸。
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屋敷の側から南側の庭園を見る。
庭園は高台に位地、南西側に向けて崖になって低くなっていく。
屋敷周辺は芝生に松を点在し、借景式になる南西あたりの崖線に、桜をはじめモミジなどを植えている。 -
桜と堀田邸
文部科学省指定名勝であるさくら庭園 公園・植物園
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典型的な明治の庭園様式らしい
さくら庭園 公園・植物園
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このさくら庭園は、入場無料で自由にみられる。
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秋は紅葉の綺麗なところだ。
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旧堀田邸の内部も紹介しよう。
堀田邸内部は3月26日取材。
朝9時半から4時半まで入館可能で、有料。大人1人350円、団体割引あり、市内他の施設との割引共通入場券もある。旧堀田邸(重要文化財旧堀田家住宅) 名所・史跡
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堀田邸そのものは、明治23年に、佐倉藩最後の藩主だった堀田正倫が建てたもの。
これも明治期の典型的な建築様式で、建物そのものが国の重文。
純和風に見えるが、和洋折衷の建築方式がとられており、そういう点でも明治の建築物の典型として貴重。旧堀田邸(重要文化財旧堀田家住宅) 名所・史跡
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建物の全てが公開されているのではなく、建具や調度品が特に貴重な書斎や2階部分は日を限定して公開している。
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佐倉藩は江戸幕府にとっては東の守りとして重要な藩であり、藩主は歴代の老中経験者がつとめている。代表的なのが初代の土井利勝、享保の改革で有名な松平乗邑など。
通算して任期が一番長い堀田家は佐倉惣五郎事件までの前掘田期と田沼時代以降幕末までの後堀田期に分かれる。惣五郎事件の後、時の堀田正信は改易されたがその子孫である堀田正亮の時に佐倉に戻り、以降明治まで藩主となった。 -
幕末に老中首座を勤めハリスと通商交渉を行った堀田正睦がとくに有名でその子が正倫である。正睦は安政の大獄に連座して蟄居させられそのまま死去、正倫わずか8歳の時。
明治になり堀田家は存続が許され、伯爵に叙せられた正倫は農業振興につとめた。堀田邸はその振興策の一環である。
正倫の孫にあたるのが、佐倉市第三代市長、故・堀田正久氏である。 -
堀田邸座敷棟、客間。一番広い部屋。昔の武家屋敷と同じく、来客のための公的な空間であり「居間」ではない。
旧堀田邸(重要文化財旧堀田家住宅) 名所・史跡
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板間と次の間。湯殿だった。
来客用の湯殿とのことで、住人の風呂場は別にあったらしい。
全体的に旧大名屋敷としては、質素である。 -
堀田邸を後にし、西へと成田街道を歩く。
石渡家住宅 名所・史跡
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佐倉市の検察庁と裁判所(簡易・家庭裁判所)
ここも桜が綺麗なんだよね -
新町寺社群の桜。
まずは教安寺の桜教安寺 寺・神社・教会
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お寺の門に立派な桜の木が一株あった。
教安寺 寺・神社・教会
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つり鐘のそばにはボケの花
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その教安寺の西の奥、妙隆寺
そこにはしだれ桜
この2つのお寺は、3月28日取材妙隆寺 寺・神社・教会
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しだれ桜とユキヤナギ
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妙隆寺山門
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宗円寺の桜、1本大きな木がある
宗円寺 寺・神社・教会
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そのお寺の隣には、先述した堀田正睦、正倫の墓所があるが、そこにも大きな桜の木が一本。
歴代堀田氏の菩提。 -
お寺を後に新町あたりの成田街道を西へと進む
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房州屋というそば屋があるのでそこでおそばを食べていく
房州屋 新町店 グルメ・レストラン
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ここのおそばはあっさり系でほんとうまい。
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麻賀多神社前の交差点をちょっと南下、JRの駅へ行く坂。
景色が開ける。宮小路町というところ。武家屋敷が近い。 -
道端の菜の花と桜
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遠くに最初に訪れた堀田邸庭園が見える
麻賀多神社方向へ戻ることにする -
麻賀多神社と桜
佐倉の鎮守、麻賀多神社は、境内には桜の木はないけど、周辺に桜の古木が数株ある。麻賀多神社 寺・神社・教会
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春の麻賀多神社。
稚産霊命を祀っている古い神社で慶長のときに佐倉藩鎮守となった。
社殿は天保の時に老中堀田正睦が建立。
七五三とかでお参りする人が多い、昨年の総選挙の時は、なぜか菅喜偉前首相がお参りに来た(地元の自民党代議士が菅グループだからか)。
堀田家の甲冑などが宝物として奉納されている。 -
麻賀多神社近く、成田街道交差点にある古い保存商家。お祭りや金毘羅市などのイベントの際に使用される。成田街道を市役所方向に北上する。
旧平井家 名所・史跡
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市役所向かいにある古い味噌屋と工場。
佐倉は、味噌が名産品である。
3月30日取材ヤマニ味噌 グルメ・レストラン
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市役所隣りの海隣寺も、桜が咲いていた。
3月30日取材。海隣寺 寺・神社・教会
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海隣寺のすぐわきに、桜に囲まれた市役所が。
佐倉市役所の現庁舎は、実を言うと、1971年に、海隣寺の敷地に建設されている。それまでは、佐倉図書館の建物が市役所だった。
なので、市役所の周囲は墓地と寺社に囲まれている。福祉事務所の隣、忠霊塔の裏がお墓(ここも桜が結構咲いてたりする)。西の麓も、重願寺の境内でお墓がある。風水的にあまりよくないんだよね。海隣寺 寺・神社・教会
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黒川紀章の作と言われる市庁舎と桜。
古くなってきたので移転の話もあったのだが。 -
その市役所の西の麓にあるのが重願寺。
目の前の公園に桜が何本も植えてある。重願寺 寺・神社・教会
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重願寺と桜
重願寺 寺・神社・教会
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左の丘の上に立ってる白い建物は、市役所の庁舎である。
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重願寺の近くに、城址公園の入口がもう一か所ある。
高台に広がる城址公園だが、この周囲は谷あいで、姥ヶ池や訓練用十二階段、そして初夏を彩るs菖蒲田がある。日本百名城佐倉城(佐倉城址公園) 公園・植物園
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悲しい入水伝説のある姥ヶ池を通ると、坂を登り、台地ぬ上へ、そこが一面桜並木が広がる所だ。
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二の丸の桜
姥ヶ池からちょうど西側の高台。国立歴史博物館の南側。 -
園内いたるところに桜の並木があるが、特に見事なのが、ここ二の丸と天守台跡、そして一面サクラの森となる三の丸周辺と市民広場。700本以上の桜が植えられている。
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本丸・天守台跡。城址公園の一番南側の高台。
広場をぐるっとくるわが囲い、その上に桜並木が植えられている。佐倉城址のさくら 花見
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本丸跡全景
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本丸跡の桜
佐倉城址は3月28日取材 -
本丸はカンザクラも植えられていて、3月の早い時期から桜を楽しめる。
現在の佐倉城址は、建物の類は残っておらず、空堀とか土塁とか地形が残ってるのみだが、一応日本百名城に入る。天守閣再建の動きもあるが具体化していない。
現在は天守のごとく歴史民俗博物館がでんと建っているが、もともとは譜代大名、佐倉藩11万石の居城。 -
佐倉市の中心部である鹿島の台地、その鹿島川に面した一番西側の出っ張った部分をまるまる城にしていた。
1610年、初代佐倉藩主土井利勝の時に築城、完成し、以降代々老中を勤める譜代名門の居城となった。天守は早いうちに焼失し、以降再建されなかった。
将軍家綱の頃に佐倉惣五郎事件を起こした佐倉藩であるが、江戸時代後期の後堀田時代は、藩政改革が奏功し、藩の運営は安定するようになった。
幕政後期の飢饉が続いた時期に「間引き」が領内で発生したようで、特に堀田正睦は児童育成に力を入れており、今でいう児童手当のような制度も制定した。
佐倉城は、石垣の類はなく、自然地形を有用に活用し、麓に堀を設けているのみ。 -
明治維新のとき、どっちつかずの態度に近かった佐倉藩、そのためではないだろうが、明治になると、城の屋敷は全て破壊され、城跡には、陸軍第57連隊の兵舎が建設された。
佐倉は藩庁から軍都となったのである。軍の輸送の為、南側の麓には鉄道(総武線)がひかれ、西の広大な平原(現在の四街道市から佐倉市の志津地区)に砲兵学校の練兵場、佐倉藩の牧場だった成田市西南部には皇室の御料牧場が設置された。 -
このあたり一面の桜だらけのところが、三の丸跡と市民広場。
一番佐倉市内で花見客が来るところで、本来ならござひいて宴会となる場所だが、コロナのせいで自粛かなあ。
佐倉城址の兵営歩兵第57連隊は、太平洋戦争中は中国東北部からマリアナ諸島の激戦地に転進し、そこで全滅、残った兵はわずかだった。
佐倉そのものも軍の重要地点であるから戦争末期には米海軍の艦載機が幾度となく来襲し、銃撃や爆撃を受けている。佐倉城址にはその頃の防空壕も残っているが非公開。
戦後も軍の施設だった病院が残り、さらに城址公園として整備も始まり、病院が移転すると、その跡地に、昭和58年、国立歴史民俗博物館が開館し、現在に至る。 -
三の丸と空堀の周囲にたくさんの桜が植えられた
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三けい亭と桜
茶室として、有料で抹茶がふるまわれている三けい亭であるが、コロナのせいで休業中。
京の大徳寺にある茶庵を模したもの。一般の客が利用できるのは日曜休日でたしか400円だったか。茶室 三逕亭 グルメ・レストラン
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佐倉市内で一番の花見スポットである
佐倉城址公園は入園自由で無料。城址公園横にある「くらしの植物園」は、入場料100円で9時半から16時半まで。
広い駐車場がある城址公園だが、花見シーズンの週末はすぐに満杯になる。 -
佐倉城大手門からの道も、桜並木
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大手門の広場も、昨年あたらしく桜やカンビサクラが植えられたので、今後育っていくでしょう。ここにも駐車場がある。
佐倉城大手門跡 名所・史跡
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見事な桜を見た後、ここからJRの駅まで戻り、帰路に就いた。
佐倉市と言えば、やはり桜はここ佐倉城と堀田邸です。
しかし、臼井地区や志津地区にも桜の名所は点在します。次回はそちらの主ポットや印旛沼周辺の桜を取り上げます。
4月になりましたが、佐倉市は現在4月2日が一番見頃です。多分、来週の半ばまでは満開が続くでしょう。 -
補足
市内 武家屋敷通りにも行ってきました。
4月7日撮影
武家屋敷ですが、桜の樹は「但馬家住宅」に、大きなものが一本のみあり、満開でした。武家屋敷(旧河原家住宅 旧但馬家住宅 旧武居家住宅) 名所・史跡
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河原家住宅と但馬家住宅では、そのほかにも、ボケの花が見ごろでした。
旧但馬家住宅 名所・史跡
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補足最後
武家屋敷付近、やかん坂から見た鏑木町風景
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旅行記グループ 千葉県佐倉市で花見をしよう2022
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