2022/02/07 - 2022/02/09
228位(同エリア797件中)
ヘチマさん
散歩中に見かける「月山、羽黒山、湯殿山」と記された石碑が気になって調べた所、出羽三山参拝を記念するものでした。
これは千葉県に多い記念碑で、以下の県立博物館による調査あり。
https://www.chiba-muse.or.jp/NATURAL/special/bonten/index.html
出羽三山信仰が盛んな地域には、「男は一生に一度は三山(サンヤマ)に行くもの」という意識があり、この登拝が「奥州参り」
「奥州参り」は、山に集まる先祖霊供養の為と、山を巡る事で生きながらに死後世界を体験し、穢れた自我(エゴ、プライド)を捨てて蘇(よみがえ)る為。
つまり、奥州参拝は男の死支度であり、「いつ死んでもOK」という意識を準備します。
登拝後は、一般人とは異なる「行人:ぎょうにん」となり、「三山講」メンバーとして、地域の安泰や豊作を祈願する行事に参加。
芭蕉の「奥の細道」にも出羽三山参拝の記録があります。
芭蕉は46歳で江戸から奥州への旅に出発し、51歳で「奥の細道」を完成。その半年後に「旅に病んで 夢は枯野を 駆け巡る」と辞世の句を残して大阪で死去。
芭蕉の句にも、霊的なインスピレーションを色々と感じます。
道元「正法眼蔵、坐禅箴」要旨は、
天界(鳥:天使)と地上(魚:人間)との連結により生じる身心等の状態から仏祖との親しい証(天地一体である、という微妙な直感と染汚無き行持)が現成する。との事。
この知識を前提に、以下の芭蕉「奥の細道」旅立ちの句を読み解きます。
ゆく春や 鳥啼魚の 目は泪
この「鳥啼(な)き魚」とは「天界の声を出す人間」を意味し、霊的な真理を意味する「水」の中にある目は泪(なみだ)です。
つまり、芭蕉は自分を鳥啼(な)き魚に例えて、道元と同様に、天地一体の直観から出句するのだ、という自負が感じられます。
これらは、現今の観光旅行とは異なりますが、そのルーツです。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
-
これは上志津の西福寺にある出羽三山参拝の記念碑群。
手前のものが最新で、梵天という飾りが部分的に残っています。
今でも、奥州参拝や三山講が行われる地域あり。 -
これが後ろにある江戸時代のもの。文化などの年号あり。
古い記念碑は、月山ではなく湯殿山が中央に記されている事も特徴。 -
寛政のもの。
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明治以降は、このように、月山が中央に来ます。
出羽三山の帰りに佐渡へ渡る場合があり、これには、「三途の川を渡る」という意味もあったようです。 -
西福寺には、女性が参拝した記念である秩父観世音供養塔も多くあり。
男性は奥州へ、女性は秩父へ、一生に一度だけ行く、庶民の団体旅行。
この旅行に行くと、自分が死ぬ時の用意(死支度)が整う、と考えました。
つまり、団体旅行で死後の世界に関する知識を得れば、「いつ死んでもOK」という老人(行人)になれる、という事。 -
これは、勝田の梵天塚にある出羽三山参拝記念碑群。
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勝田の出羽三山講は、この円福寺で行われますが、参拝記念碑は数百メートル離れた梵天塚に集められています。
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これは、井野の加賀清水公園の脇にある稲荷神社に建立された出羽三山参拝記念碑群。
ここには、古い江戸時代のものはありません。
表紙写真は、ここの記念碑です。 -
これが加賀清水公園。
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(おまけ)加賀清水の説明看板。
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