2023/04/28 - 2023/04/28
203位(同エリア799件中)
zenkyou01さん
- zenkyou01さんTOP
- 旅行記427冊
- クチコミ2189件
- Q&A回答1件
- 447,459アクセス
- フォロワー38人
この旅行記のスケジュール
2023/04/28
-
徒歩での移動
京成佐倉駅から重願寺まで
-
徒歩での移動
甚大寺から京成佐倉駅まで
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
佐倉散策・佐倉城 千葉県佐倉市 全行程5時間38分 京成佐倉駅~(13分)愛宕神社(5分)~(9分)重願寺(3分)~(13分)熊野神社・海隣寺(12分)~(19分)佐倉城址公園・佐倉城址(1時間16分)~(9分)旧河原家住宅・田島家住宅・竹居家住宅・侍の杜・大聖院(34分)~(13分)麻賀多神社(7分)~(24分)延覚寺・勝寿寺(13分)~ (9分)堀田邸・さくら庭園(15分)→(20分)嶺南寺・宗園寺・甚大寺(16分)~(18分)京成佐倉駅
「日時」2023年4月28日
「アクセス」京成電鉄京成佐倉駅下車
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
佐倉市観光協会 京成佐倉駅前にある観光案内所です。営業時間は8;30~17;00です。佐倉市の観光マップをもらいます
-
愛宕神社拝殿 1610年、佐倉藩主土井利勝が佐倉城内に創祀したのが始まりです。御祭神は火産霊命です。第一鳥居と第二鳥居を潜ると、正面に拝殿、その奥に本殿があります。その他、天満宮、境内社、庚申塔を含む石像があります
-
重願寺本堂 浄土真宗大谷派の一寺、1615年、了園上人が岡崎から佐倉城内に移転建立する。本尊は阿弥陀如来像です。山門を潜ると正面に本堂と石造十三重塔があります。白い藤の花が満開でした
-
熊野神社社殿 創建は不詳、御祭神は伊弉諾尊です。鳥居を潜ると、正面に小さな社殿があります
-
海隣寺本堂 時宗の一寺、1187年、開基は千葉常胤(源頼朝の御家人)、本尊は阿弥陀如来像です。下総千葉家の菩提寺です。山門を潜ると正面に本堂と石仏があります
-
海隣寺於茶遺跡 海隣寺一帯の台地は縄文時代から近世にわたる遺跡で、縄文・弥生・古墳時代の竪穴住居跡、土師器、須恵器、小刀、装身具等が発見されています
-
海隣寺千葉氏累代の墓 開基千葉常胤の子孫下総千葉家累代の墓があります。千葉常胤は平良文の子孫で、源頼朝の御家人です
-
佐倉城址公園菖蒲園 佐倉城址公園の一角にある菖蒲園、9000株の菖蒲が植えられています。まだ咲き初めで、見頃は6月です
-
佐倉城角馬出 見事な土塁・空堀に囲まれた馬出が見られます。馬出は虎口の前に土塁と空堀で囲まれた広場です。敵が攻めにくくする施設です
-
佐倉城本丸跡、土塁 築城主は本佐倉城主千葉親胤の大叔父鹿島幹胤、その後の城主、千葉氏、土井利勝、堀田氏です。築城年は十六世紀初め、1610年、土井利勝が完成する。日本城郭協会選定100名城の一つで、現在城址は佐倉城址公園として整備されている。菖蒲園で、佐倉城址公園に入り、姥ケ池を通って、国立歴史民俗博物館の南西にある二の丸角馬出に入ります。南西に向かい、椎の木門跡、三逕園、タウンゼント・ハリス像、堀田正睦公像を通過。二の丸空堀を見る。次に二の門跡、二の丸御殿跡を過ぎ、一ノ門跡から本丸に入ります。本丸跡の周囲は土塁で囲まれています。天守跡、台所門跡、隅櫓跡を見て一ノ門跡から本丸を出る。本丸南西にある水堀を見る。元に戻り、三の丸門跡、三の丸跡、三の丸空堀を見る。大手門跡碑を見て終了。江戸時代完成なのに石垣が使用されていない土造りの城です
-
佐倉城天守跡 天守閣は本丸の一部高台に建てられ、本丸側からは4階建て、高台側からは3階建てになっていました
-
旧河原家住宅 県指定有形文化財です。建築年代は不詳ですが、佐倉市に残されている武家屋敷では最古のものと言われています。300石以上取り藩士の大屋敷にあたると考えられています。会社世界で例えると部長クラスと考えられます
-
旧但馬家住宅 県指定有形文化財です。建築年代は不詳ですが、1821~1837年に建てられたと推定されます。100~200石取り藩士の中屋敷にあたると考えられています。会社世界で例えると課長クラスと考えられます
-
旧竹居家住宅 国登録有形文化財です。建築年代は不詳ですが、十九世紀前半に建てられたと推定されます。100石以下取り藩士の小屋敷にあたると考えられています。長押は禁止されています。会社世界で例えると係長クラスと考えられます
-
侍の杜庭園 佐倉藩士2家の武家屋敷の建っていた敷地を利用して、佐倉藩の侍屋敷林や佐倉藩領における江戸中期の植物を紹介した施設です
-
西村茂樹旧宅「修静居」跡碑 佐倉藩江戸藩邸で生まれ、儒学を安井促賢、砲術・洋学を佐久間象山等に学ぶ。佐倉藩支藩の執政を経て、藩主で筆頭老中の堀田正睦に請われ、外交交渉で補佐役に任命される。明治になってこの地に移り住み、「修静居」と名付けました。その後、東京に出て、役人・議員等で活躍する
-
大聖院本堂 真言宗豊山派の一寺、1471年、開山は日意上人、本尊は大日如来像です。山門を潜ると本堂、石造十三重塔、庭園、お堂、弘法大師像と宝篋印塔、六地蔵があります。墓地には佐倉藩お抱え刀工細川忠義の墓があります。佐倉七福神の大黒天と布袋尊が祀られています
-
大聖院細川忠義の墓 江戸時代幕末の刀工です。佐倉藩主堀田正睦に召し抱えられ、数々の名刀を作る
-
ひよどり坂 武家屋敷通りの隣接した江戸時代とほとんど変わらない竹林に囲まれた小径です
-
麻賀多神社拝殿 創建は不詳(1050年ほど前の延喜式下総の項には社名が記載されている)、御祭神は稚産霊命です。鳥居を潜ると、摂社三峰神社、福禄寿、境内社奥宮、摂社稲荷神社、なで恵比寿、拝殿、本殿があります。佐倉七福神恵比寿尊と福禄寿が祀られています
-
旧今井家住宅 今井氏が「駿河屋」という屋号で呉服商をいとなんでいた古民家で、1890年ごろ建てられた推定されます。江戸時代には、ここに「油屋」という旅籠があり、桂小五郎や清河八郎が宿泊したことがわかっています
-
高札場跡 佐倉おはやし館の前にあります。街道に建てられ、幕府や藩主の基本的な法令や規則を掲示した施設で、今の官報にあたると思います
-
延覚寺本堂 浄土真宗本願寺派の一寺、創建年は不詳、本尊は阿弥陀如来像です。山門を潜ると本堂があります
-
教安寺本堂 浄土宗の一寺、1625年、開基は徳川家康の六男松平忠輝の家老花井吉成の子の花井左門の夫人東専院殿松誉春貞大姉、開山は欣蓮社厭道並大和尚、本尊は阿弥陀如来像です。山門を潜ると鐘楼、石仏、正面に本堂、本堂手前に金銅地蔵菩薩坐像があります
-
勝寿寺本堂 曹洞宗の一寺、創建は不詳です。山門を通ると正面に本堂があります
-
旧堀田邸内部 佐倉藩最後の藩主堀田正倫が1890年に建てた和風邸宅・庭園です。玄関棟、座敷棟七棟が国重要文化財に指定されています
-
庭園から見た堀田邸 庭園を含む一帯は旧堀田正倫庭園(さくら庭園)として国の名勝に指定されています
-
嶺南寺本堂 曹洞宗の一寺、1642年、開基は堀田加賀守正盛(下総佐倉藩初代藩主で、春日局の義理の孫)、開山は陽南良雪大和尚、本尊は釈迦牟尼仏です。山門を通ると本堂、弁財天があります。佐倉七福神の弁財天が祀られています
-
宗圓寺本堂 臨済宗妙心寺の一寺、創建は1638年、堀田正盛が弟安利を弔うために建立した寺を1640年佐倉に移設する。本尊は観世音菩薩像です。山門は閉じられ、境内に入れませんでした
-
堀田正睦の墓 堀田宗家第九代で、質素倹約を励行し、藩財政を立て直す。1855年老中首座となり、日本を開国に導く大役を果たす。将軍継承問題で井伊直弼と対立して隠居、更に開国の罪で蟄居を命ぜられ佐倉城内で亡くなる
-
堀田正俊の墓 下総佐倉藩初代藩主、堀田家宗家初代、春日局の義理の孫の老中堀田正盛の三男。若い時に春日局の養子になり大老まで出世する。 堀田正盛は下総佐倉藩初代藩主、堀田家宗家初代、老中になります。堀田正吉(父は稲葉正成、母は稲葉重通の娘)の嫡男で、春日局(稲葉正成の後妻)の義理孫です
-
甚大寺山門と本堂 天台宗の一寺、創建は1615年、天海大僧正が山形に建立、1701年、堀田正虎(正俊の子)が中興、1746年堀田正亮(正虎の甥)が移封の際、寺を現在地に移転。本尊は十一面観世音菩薩像です。佐倉藩主堀田家の菩提寺です。山門を通ると本堂、毘沙門天像があります。墓地には堀田正俊、正睦等一族の墓があります。佐倉七福神の毘沙門天が祀られています
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
佐倉・四街道(千葉) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
32