2022/03/28 - 2022/03/28
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この旅行記スケジュールを元に
大河内山荘から北に出て,落柿舎から常寂光寺あたりを散策しました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
トロッコ嵐山駅。
トロッコ嵐山駅 駅
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北へ。
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御髪神社なるものがあるそうです。
御髪神社 寺・神社・教会
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ここはもう,嵯峨野になるのでしょうか。
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歩きます。
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常寂光寺。
常寂光寺 寺・神社・教会
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常寂光寺
日蓮宗の寺院である。慶長元年(一五九六),
本圀寺十六世究竟院日禛が,此の地に隠棲して開
創した。寺域が小倉山の中腹を占め,幽雅閑寂で,
天台四土にいう常寂光土の観があるとことから常
寂光テレの寺名がつけられたといわれる。
多宝塔(重要文化財)は元和六年(一六二〇)
の建立で、並尊閣といい,前面に霊元天皇の勅額
を掲げている。本堂は伏見城の建物の一部を当寺
二世通明院日韶が移転修造してものといわれる。
仁王門はもと本圀寺客殿の南門を移転,妙見堂は
能勢妙見を分祀し,歌仙祠には藤原定家・家隆の
木像を安置する。また,時雨亭は定家山荘がこの
付近であるとして建てられたものである。
京都市 -
落柿舎が見えてきました。
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落柿舎。
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俳句でも読みましょうか。
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かやぶきの家。
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落柿舎
ここは,蕉門十哲の一人をして名高い向井去来
(慶安四年(一六五一)~宝永元年(一七〇四)の閑
居の跡として知られている。当時、庭にあった四十本
の柿の実が一夜のうちにほとんど落ちつくし,かねて
買約中の商人を気の毒に思って価を返してやった。
これが落柿舎の名の由来である。芭蕉も晩年,三度
当庵を訪れて,名作「嵯峨日記」を著した。
庭には去来のよんだ
柿主や梢はちかきあらし山
の句碑がある。
去来は長崎の生まれ、芭蕉に師事して俳譜を学
び,その芭蕉をtて「洛陽に去来ありて、鎮西に俳譜
奉行なリ」どいわしめた。かつて武人であった去来は
極めて篤実真撃な人柄で、芭蕉に仕えるさまは、
ちょうど親に対するようであった。
その句
鴨なくや弓矢を捨てて十余年
はよく知られている。
京都市 -
落柿舎。
落柿舎 名所・史跡
-
清涼寺に出てきました。
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立派な門です。
嵯峨釈迦堂(清凉寺) 寺・神社・教会
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寺内。
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本堂。
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サクラの花。
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きれいに,
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咲いています。
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見事です。
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きれい。
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いいですね。
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本堂。
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なんてかいてあるのでしょうか。
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おや!
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秀頼の首塚。
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秀頼公首塚。
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大坂の陣の戦士の墓。
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清涼寺をあとにして,
嵯峨釈迦堂(清凉寺) 寺・神社・教会
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宝筐院の横を過ぎて,
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宝筐院(ほうきょういん)
善入山と号する臨済宗の寺である。
当寺は,平安時代に白河天皇により創建され,
当初,善入寺と称した。南北朝時代に夢窓疎石
の高弟,黙庵が入寺し,室町幕府二代将軍足利
義詮の保護を得て,伽藍が復興された。更に,
義詮の没後,その院号宝筐院に因んで現在の寺
名に改められた。以後,足利氏歴代の崇敬を得て
栄えたが,室町幕府の衰亡と共に寺も衰微し
ていった。
現在の堂宇は,明治時代以降に再建されたもの
で,本堂には,十一面千手観世音菩薩を安置
している。
境内には,貞和四年(正平三年,一三四八),
四条畷の合戦で戦死した楠木正行(正成の子)の
首塚と伝えられる五輪石塔及び義詮の墓と伝えられる
三層石塔がある。
京都市 -
渡月橋のほうに戻ります。
宝筐院 寺・神社・教会
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