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2021年4月5日(月)2時半過ぎ、玉津岡神社から地蔵禅院(玉峰山地蔵院)へ。玉津岡神社の南隣、井手の里を一望できる高台に建っている。創建は不詳だが、白鳳時代に橘諸兄によって開創されたとも伝えられる。玉津岡神社の神宮寺であったとも伝わる。<br /><br />元は華厳宗の寺院であったが、江戸初期には当時には廃寺となっていた。1628年に現在の千葉県大多喜町の曹洞宗 東長寺の物外麟応和尚を開山として再興。徳川四天王の一人本多忠勝の長男で姫路藩の初代藩主の本多忠政の正室妙高院をスポンサーである壇越(だんな)としていた。妙高院は家康の長男で切腹させられた松平信康の次女で、母は信長の長女の徳姫。<br /><br />江戸中期には18の末寺を有する中本山格の寺院で、曹洞禅を鼓吹していたと云う。また、寺に残る古文書によると西側と南側門前に密教系寺院が隣接していたとあるが、今はない。<br /><br />玉津岡神社の朱色のニノ鳥居の少し下から西に小道があり、それを進むと南向きの山門がある。山門を抜けると正面に本堂。幕末の1856年に修復され、さらに1995年にも修復されたものらしい。ご本尊の地蔵菩薩像の他、文殊菩薩像と十一面千手千眼観世音菩薩像を所蔵しており、観世音菩薩像は橘諸兄の持仏であったと伝えられる。本堂前左手に橘観世音菩薩像が建っている(下の写真1)が、これは2002年に建立されたもので、それとは違う。<br /><br />本堂の左手前に鐘楼があるが、この横にあるしだれ桜は京都府の指定天然記念物。1727年に植樹されたもので、幹周2.4m、樹高約10mある古木。地上約1mの部分で南へ支幹が分岐し、更に主幹は二分して東側の一支幹はほぼ水平に南方へ伸び出し、優雅な姿を魅せているが、近年は樹勢が衰えており、土壌改良などの延命治療が行われている。<br /><br />この桜は約300年前にこの寺の境内にあった別のしだれ桜より株分けされたものだが、京都市内の円山公園の初代のしだれ桜も同じ親木から株分けされたもので、兄弟木にあたる。ただし、円山公園の初代しだれ桜は1947年に枯死してしまって、現在は桜守としても知られる第16代佐野藤右衛門の父、第15代佐野藤右衛門により植樹された2代目となっている。現在の京都府庁のしだれ桜は円山公園の初代しだれ桜の孫とのこと。<br /><br />その横には1953年の南山城水害の復興記念にと当時の京都府知事から贈られたソメイヨシノ(下の写真2)もあるのだが、どちらも時すでに遅し。遅すぎた・・・<br /><br />その他にも鐘楼下の畑に1905年(明治38年)に日露戦争戦勝を記念して株分けされた2本のしだれ桜の子桜「夫婦桜」や、江戸彼岸、彼岸桜や遅咲きの八重桜、高知のヒョウタンザクラ、福島三春の三春タキザクラ、新宿御苑のシダレザクラなど約30本の桜があり、花見シーズンには約2000人が見物に訪れる。境内から眼下に広がる風景は京都百景のひとつ。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.7220219838047978&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />&lt;2022年追記&gt;<br />2022年4月6日(水)に再訪。今度は見事に満開だった。素晴らしい!<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.7485266738209952&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br />&lt;2022年追記完&gt;<br /><br /><br />玉水をもう少し歩くが、続く

京都 井出 地蔵禅院(Jizozen-in Temple, Ide, Kyoto, Japan)

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2021/04/05 - 2021/04/05

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ちふゆ

ちふゆさん

2021年4月5日(月)2時半過ぎ、玉津岡神社から地蔵禅院(玉峰山地蔵院)へ。玉津岡神社の南隣、井手の里を一望できる高台に建っている。創建は不詳だが、白鳳時代に橘諸兄によって開創されたとも伝えられる。玉津岡神社の神宮寺であったとも伝わる。

元は華厳宗の寺院であったが、江戸初期には当時には廃寺となっていた。1628年に現在の千葉県大多喜町の曹洞宗 東長寺の物外麟応和尚を開山として再興。徳川四天王の一人本多忠勝の長男で姫路藩の初代藩主の本多忠政の正室妙高院をスポンサーである壇越(だんな)としていた。妙高院は家康の長男で切腹させられた松平信康の次女で、母は信長の長女の徳姫。

江戸中期には18の末寺を有する中本山格の寺院で、曹洞禅を鼓吹していたと云う。また、寺に残る古文書によると西側と南側門前に密教系寺院が隣接していたとあるが、今はない。

玉津岡神社の朱色のニノ鳥居の少し下から西に小道があり、それを進むと南向きの山門がある。山門を抜けると正面に本堂。幕末の1856年に修復され、さらに1995年にも修復されたものらしい。ご本尊の地蔵菩薩像の他、文殊菩薩像と十一面千手千眼観世音菩薩像を所蔵しており、観世音菩薩像は橘諸兄の持仏であったと伝えられる。本堂前左手に橘観世音菩薩像が建っている(下の写真1)が、これは2002年に建立されたもので、それとは違う。

本堂の左手前に鐘楼があるが、この横にあるしだれ桜は京都府の指定天然記念物。1727年に植樹されたもので、幹周2.4m、樹高約10mある古木。地上約1mの部分で南へ支幹が分岐し、更に主幹は二分して東側の一支幹はほぼ水平に南方へ伸び出し、優雅な姿を魅せているが、近年は樹勢が衰えており、土壌改良などの延命治療が行われている。

この桜は約300年前にこの寺の境内にあった別のしだれ桜より株分けされたものだが、京都市内の円山公園の初代のしだれ桜も同じ親木から株分けされたもので、兄弟木にあたる。ただし、円山公園の初代しだれ桜は1947年に枯死してしまって、現在は桜守としても知られる第16代佐野藤右衛門の父、第15代佐野藤右衛門により植樹された2代目となっている。現在の京都府庁のしだれ桜は円山公園の初代しだれ桜の孫とのこと。

その横には1953年の南山城水害の復興記念にと当時の京都府知事から贈られたソメイヨシノ(下の写真2)もあるのだが、どちらも時すでに遅し。遅すぎた・・・

その他にも鐘楼下の畑に1905年(明治38年)に日露戦争戦勝を記念して株分けされた2本のしだれ桜の子桜「夫婦桜」や、江戸彼岸、彼岸桜や遅咲きの八重桜、高知のヒョウタンザクラ、福島三春の三春タキザクラ、新宿御苑のシダレザクラなど約30本の桜があり、花見シーズンには約2000人が見物に訪れる。境内から眼下に広がる風景は京都百景のひとつ。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.7220219838047978&type=1&l=223fe1adec

<2022年追記>
2022年4月6日(水)に再訪。今度は見事に満開だった。素晴らしい!
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.7485266738209952&type=1&l=223fe1adec
<2022年追記完>


玉水をもう少し歩くが、続く

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  • 写真1 橘観世音菩薩像

    写真1 橘観世音菩薩像

  • 写真2 ソメイヨシノ

    写真2 ソメイヨシノ

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