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京田辺市から木津川を山城大橋で渡ると、国道307号線の南側に並行して流れる青谷川の北側は城陽市、南側は井手町と別れる。井手町の話は前に玉川堤の山吹を見に行った時に書いた( https://4travel.jp/travelogue/11623729 )が、井手町の北半分、JR奈良線の山城多賀駅を中心とした地帯は、昭和33年(1958年)までは多賀村だった。<br /><br />はっきりした資料は見つけられなかったのだが、この辺りは古墳時代の6世紀初めに同志社大学京田辺キャンパス辺りに筒城宮を開いた第26代の継体天皇が近江の国から移って来た時に一緒にやって来た志賀の豪族・多賀一族が住み着いたところで、そこから名付けられたらしい。ちなみに多賀一族は金属技術者の集団であったらしく、滋賀の多賀町にある多賀大社の社家。<br /><br />明治22年(1889年)の町村制の施行により、多賀村として自治体を形成したが、昭和33年に井手町に合併した。特産品は和紙、麦こがし飴、京竹炭、たけのこ、茶、みかん、竹酢液など。2024年に開通予定の新名神の城陽スマートICから近いこともあって、城陽市にまたがる白坂地区に白坂テクノパークを開発し、企業誘致を行っているが、井手町発祥の有名企業がある。<br /><br />国道307号線と府道70号線の交差点から府道70号線を少し南に進んだところにあるワタキューセイモア。リネンサプライ事業の大手で、特に病院・福祉事業に強く、全国に拠点を持ち、2019年の売上高は1500億円近く、グループ全体の社員数は1万5千人近くに達しているが、その本社がここ。<br /><br />発祥は綿屋の久七こと村田久七が明治5年(1872年)に始めた綿の製造業「村田製綿所」だったが、昭和10年(1935年)からこの場所に本社事務所が置かれた。戦後の昭和25年(1950年)に綿久製綿(株)を25歳で設立した久七の孫の初代社長村田清次が昭和37年(1962年)に病院寝具のリースに着目し、これが第2の創業となった。1981年まで使われた木造の建物は、現在は歴史資料館となっているが、一般公開はされていない。1992年に現在の社名に変更。私は現役時代に、埼玉の越谷の工場に仕事でお邪魔したことあるが、井手町発祥の会社とは知らなかったわ~<br /><br />そこから府道70号線を少し南に進んだ右手、西側に学部は違うが私が卒業した立命館大学の後輩にあたる漫才コンビ、サバンナの八木君の出身校の多賀小学校の隣にJR奈良線の山城多賀駅がある。各停のみ停車。1955年(昭和30年)に開業した駅で、2000年に橋上駅舎となった。さらに2001年に新しいホームが追加され、列車の行き違いが可能となった。<br /><br />山城多賀駅から南西側に道を降りて行くとあるのがJA京都やましろ井手町なごやか市。2009年にオープンしたJA京都やましろ直営の5店目の常設直売所。年始年末以外の毎日、朝の9時から3時半までの間、その日の朝に収穫した地元産の新鮮で安全な野菜や果物や花及び加工品を販売している。我々も切り花(下の写真)や梅干し、ミカンかりんとうやヨモギ大福など購入。<br /><br />散歩していると、この辺りに限った話ではないが、この季節(7月に入ったところ)、咲いてる花は少なくなった感じだが、秋に向けて栗やクルミ、柿などの実が実り始めている。青々とした実もなかなかいい。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.4210830852320240&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />以上

京都 井手町 山城多賀(Yamashiro Taga, Ide, Kyoto, JP)

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2020/07/01 - 2020/07/01

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旅行記グループ 井手

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ちふゆ

ちふゆさん

京田辺市から木津川を山城大橋で渡ると、国道307号線の南側に並行して流れる青谷川の北側は城陽市、南側は井手町と別れる。井手町の話は前に玉川堤の山吹を見に行った時に書いた( https://4travel.jp/travelogue/11623729 )が、井手町の北半分、JR奈良線の山城多賀駅を中心とした地帯は、昭和33年(1958年)までは多賀村だった。

はっきりした資料は見つけられなかったのだが、この辺りは古墳時代の6世紀初めに同志社大学京田辺キャンパス辺りに筒城宮を開いた第26代の継体天皇が近江の国から移って来た時に一緒にやって来た志賀の豪族・多賀一族が住み着いたところで、そこから名付けられたらしい。ちなみに多賀一族は金属技術者の集団であったらしく、滋賀の多賀町にある多賀大社の社家。

明治22年(1889年)の町村制の施行により、多賀村として自治体を形成したが、昭和33年に井手町に合併した。特産品は和紙、麦こがし飴、京竹炭、たけのこ、茶、みかん、竹酢液など。2024年に開通予定の新名神の城陽スマートICから近いこともあって、城陽市にまたがる白坂地区に白坂テクノパークを開発し、企業誘致を行っているが、井手町発祥の有名企業がある。

国道307号線と府道70号線の交差点から府道70号線を少し南に進んだところにあるワタキューセイモア。リネンサプライ事業の大手で、特に病院・福祉事業に強く、全国に拠点を持ち、2019年の売上高は1500億円近く、グループ全体の社員数は1万5千人近くに達しているが、その本社がここ。

発祥は綿屋の久七こと村田久七が明治5年(1872年)に始めた綿の製造業「村田製綿所」だったが、昭和10年(1935年)からこの場所に本社事務所が置かれた。戦後の昭和25年(1950年)に綿久製綿(株)を25歳で設立した久七の孫の初代社長村田清次が昭和37年(1962年)に病院寝具のリースに着目し、これが第2の創業となった。1981年まで使われた木造の建物は、現在は歴史資料館となっているが、一般公開はされていない。1992年に現在の社名に変更。私は現役時代に、埼玉の越谷の工場に仕事でお邪魔したことあるが、井手町発祥の会社とは知らなかったわ~

そこから府道70号線を少し南に進んだ右手、西側に学部は違うが私が卒業した立命館大学の後輩にあたる漫才コンビ、サバンナの八木君の出身校の多賀小学校の隣にJR奈良線の山城多賀駅がある。各停のみ停車。1955年(昭和30年)に開業した駅で、2000年に橋上駅舎となった。さらに2001年に新しいホームが追加され、列車の行き違いが可能となった。

山城多賀駅から南西側に道を降りて行くとあるのがJA京都やましろ井手町なごやか市。2009年にオープンしたJA京都やましろ直営の5店目の常設直売所。年始年末以外の毎日、朝の9時から3時半までの間、その日の朝に収穫した地元産の新鮮で安全な野菜や果物や花及び加工品を販売している。我々も切り花(下の写真)や梅干し、ミカンかりんとうやヨモギ大福など購入。

散歩していると、この辺りに限った話ではないが、この季節(7月に入ったところ)、咲いてる花は少なくなった感じだが、秋に向けて栗やクルミ、柿などの実が実り始めている。青々とした実もなかなかいい。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.4210830852320240&type=1&l=223fe1adec


以上

  • 切り花

    切り花

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