2021/03/22 - 2021/03/24
735位(同エリア819件中)
SHU2さん
この旅行記のスケジュール
2021/03/24
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電車での移動
朝食後、7:23ホテルを出発。広島駅から広電に乗り平和記念公園へ。
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7:52広島平和記念公園に到着。平和記念資料館と原爆死没者慰霊碑、平和の灯、平和の鐘などを見学。
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公園から元安橋を渡り、動員学徒慰霊塔と原爆ド-ムを見て、また広電に乗りホテルへ。
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ホテルから車で移動し9:54広島城に到着。二の丸や本丸にある広島護国神社や広島大本営跡をみて天守閣へ
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天守閣(博物館)を見てから、展望室から広島市内を眺める。
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広島城から約28kmの荘山田展望台から桜を眺め、その先の灰ヶ峰展望台から雄大なパノラマ風景を見る。
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灰ヶ峰展望台からアレイからすこじまに移動し、海上自衛隊の色々な護衛艦や潜水艦を目の前で見る。
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周辺の串山公園や歴史の見える丘を巡り、旧海軍施設などを巡る。
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さらに、大和ミュ-ジアム周辺の展示物や、てつのくじら館の潜水艦内部、呉 ハイカラ食堂などを見学。
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14:22、昼食は潜水艦桟橋の前にある港町珈琲店で、くろしお特製“広島風"柔らか牛すじカレーを食べる
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食後は、音戸の瀬戸公園で平清盛像と2つの音戸大橋を眺め、竹原へ
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16:50、道の駅たけはらに到着。江戸の面影を残す竹原町並み保存地区を散策し、広島空港へ
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飛行機での移動
19:13広島空港に到着。19:50広島発JAL266便に乗り、羽田空港21:13に到着。
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この旅行記スケジュールを元に
2月20日、広島県のまん延防止等重点措置が解除になったため、感染対策を徹底しての3月22日~24日広島のぶらり旅です。
1日目は、三原城跡、尾道、鞆の浦周辺を巡り福山に宿泊。
2日目は、福山市の神社と福山城を巡り、笠岡、向島を観光し広島に宿泊。
ぶらり旅3日目は、広島市の平和記念公園と広島城を見学し、灰ヶ峰展望台で瀬戸内海の雄大なパノラマ風景を眺め呉市へ。呉市では旧海軍と海上自衛隊ゆかりのスポットを見学し海軍カレ-を食べて音戸へ。最後は安芸の小京都・竹原に立ち寄り、広島空港から羽田に帰ってきました。広島の有名な観光地以外にも、まだまだ素晴らしい観光地があることを実感できました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- レンタカー JALグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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広島ぶらり旅 3日目は、6:57 ホテルの朝食からスタ-トです。1階の朝食会場は7時からなのですが、3分前に朝食会場に着いたらすでに4~5名の人が席に座り食事をしていました。せっかちな私よりせっかちな人がいました。時間まで会場に入れないホテルもありますが、ここの対応はありがたかったです。
ホテル 広島ガーデンパレス 宿・ホテル
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朝食はコロナの影響のためブッフェ形式から定食形式(和定食)で、焼魚・だし巻き玉子、温泉玉子、ロールキャベツ・チキントマト・ソーセージ、色々な小鉢、サラダ、御飯・汁物・煮物、サラダ、飲み物と、宿泊料4100円の朝食としてはすごく豪華でした。なおセルフですが、パンも用意されていました。
計画では、料金的に簡単な朝食と思い込み7:20頃には出発できると考えていたため、残念ながら美味しかったのですがゆっくり味わることはできませんでした。ホテル 広島ガーデンパレス 宿・ホテル
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朝食後、広島駅南口の広島電鉄(広電)広島駅から路面電車(3両連接車)に乗り約13分、袋町で下り平和記念公園へ。運賃は市内線は均一運賃(大人190円)で、SuicaやPASMO等の交通系ICカードも利用できます。
運が良ければ広島復興のシンボル・被爆電車(650形:1942年製造)が3両走っているので、乗りたかったです。広島駅電停 (広島電鉄) 駅
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なお広電は、軌道線と鉄道線を合わせた輸送人員と路線延長は、路面電車としては日本一なのです。
平和記念公園に行く途中、平和大橋の麓付近からは、元安川沿いの原爆ドームが望めます。平和大橋 名所・史跡
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公園に入ると、最初に目に入ったのが、昭和39(1964)年に作られた「祈りの泉」です。東西27m、南北19mの長円形の上に二層の池を積み重ねた噴水で、原爆で「水を水を」と言いながら死んでいった犠牲者の霊に捧げる噴水です。
平和記念公園 公園・植物園
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7:54、まだ開館していない「広島平和記念資料館:8:30開館」の下をくぐり、平和の池から「原爆死没者慰霊碑」と「平和記念資料館」を撮影。記念館本館が、2019年4月にリニュ-アルオープンしていたことは全く気づいていませんでした。何回でも、原爆の悲惨さと平和の尊さを学びに来なけれ行けませんね。
広島平和記念資料館 美術館・博物館
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少し戻り、原爆死没者慰霊塔前から、「平和の灯」と「原爆ドーム」を撮影。丹下健三氏の設計で、資料館と慰霊塔、平和の灯、原爆ドームが一直線に並んでいることは知っていましたが、祈りの泉や嵐の中の母子像も一直線に並んでいることを今回初めて知りました。
1つ気になり違和感があったのは、原爆ドームのバックにある大きな建物(左端)でした。平和記念公園 公園・植物園
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平和の灯の先には、三脚のドーム型の台座の頂上に折鶴を捧げ持つ少女のブロンズ像(原爆の子の像)があります。被爆により12歳で亡くなった佐々木禎子さんをはじめ、原爆で亡くなった多くの子どもたちの霊を慰め、世界に平和を呼びかける碑です。
像の周囲には折り鶴の展示ブースがあり、平和のシンボルとして考えられている折り鶴が、日本や海外から寄せられていました。 昔より折り鶴が少なくなっていたのが少し心配ですが、平和を願う人が多くなっていることを信じたいです。平和記念公園 公園・植物園
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平和の灯の斜め左には、4本の柱に支えられた、宇宙を表現したドーム型の屋根の鐘楼があります(平和の鐘)。この鐘は、第18回東京オリンピックの20日前の1964年9月20日に核兵器や戦争のない平和な世界への祈りを込めて作られました。また鐘には、原水爆禁止の思いをこめて原子力マークが入っていました。
核兵器や戦争のない世界を願い、鐘を撞きたかったのですが、鐘が撞けるのは8:45頃時~17時15分頃であったため、8:06では早すぎて鐘は撞けませんでした。平和記念公園 公園・植物園
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元安川沿いの資料館と原爆ドームが一直線に並んでいる位置からの景色です。
原爆ドームは、第2次世界大戦末期に人類史上初めて使用された核兵器により被爆した建物です。むき出しの鉄骨や崩れ落ちた外壁など、ほぼ被爆した当時の姿のまま立ち続け、核兵器のむごたらしくいたましさを伝えています。
原爆ドームを写真に撮ると、やはりド-ムの左側には広島商工会議所が、そして右側にはおりづるタワ-が写ってしまいます。どちらも公私の公にあたる施設なので、もう少し配慮ができなかったのかなと思いました。原爆ドーム 名所・史跡
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公園から元安橋を渡り川沿いをドーム方向に歩くと、ドームの直ぐ手前の右側に「動員学徒慰霊塔」が立っていました。戦時中に、勤労奉仕に強制動員され戦禍にたおれた中学生以上の学徒を慰霊する碑です。若い人たちの慰霊碑は、原爆ドームとどのように関連しているか分かりませんが、どちらも胸が痛くなります。
今旅行記を書いていて思たことは、志願して自国のために戦っているウクライナの人達、そして国に残っている人達や避難している人達、さらにロシアが核兵器を使用するのではないかと心配です。罪のない大勢の人達が亡くなっているのに国連はなぜ動かないのでしょうか。 -
核による惨劇の痕跡・原爆ドームが、人間の過ちの歴史を伝える最後の負の遺産になって欲しいです。
ロシアが、広島・長崎のような悲劇を繰り返さないように願っています。またこの先も忘れてはいけないと思いました。原爆ドーム 名所・史跡
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原爆ドーム前から広電に乗り広島駅に戻ってきたら、1957年に製造された1913号(嵯峨野)が元気に働いていました。1913号は、元々は京都市電で頑張っていたのですが1978年に京都市電が廃止となり、広電に移籍?した電車です。還暦を過ぎてます(64歳)が頑張って走っていました(見習いましょう)。
ホテルに戻り、車で広島城へ。 はじめから車で移動しても良かったのですが、ただ路面電車に乗りたかっただけでした。広島駅電停 (広島電鉄) 駅
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広島市中央駐車場に駐車し、広島城へ。その際の行き方は、①駐車場から地上に出て、城南通りを城方面に行き、広島城南の交差点を渡る。②渡ると地下道があり城南通りを横断する(地上に横断歩道がないため)。③地下道を上ると右手に広島城の御門橋と表御門・平櫓、多聞櫓が目に入ります(写真)。なお右手奥に見えるのが太鼓櫓です。
大きかった広島城も、現在は内堀と二の丸、本丸のみしか残されいません。広島城 名所・史跡
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表御門をくぐるとそこは二の丸になります。写真は二の丸から表御門と平櫓、多聞櫓を撮ったものですが、平櫓から太鼓櫓までつながっている西側塀の内部は無料で公開されていて、帰りに見学しました。
なお表御門は1593年頃に創建された門で、昭和20年8月6日の原爆被爆で焼失するまで現存していて、広島城築城四百年を記念して平成3年に復元されました。広島城 名所・史跡
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内堀を渡って桝形的な構造になっている中御門跡を抜けると本丸です。ただ橋は土橋で木橋ではありませんでした。珍しいなと思いながら地図を見たら、本丸と二の丸は内堀に囲まれているため、本丸へは木橋ではないことが一応納得しました。
なお中御門跡には、原爆投下による火災でできた、焼けてひび割れた石垣や城内最大の鏡石も残っていました。広島城 名所・史跡
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本丸に入ると左側(米蔵と馬場跡)には 「広島護国神社」があります。さらにその先の石段を上がると、被爆や戦争の記憶を残す広島大本営跡や毛利輝元が1589年に築城し原爆で倒壊した天守閣跡、そして被爆樹木を見ることができます。
広島城 名所・史跡
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さらに奥には、昭和33年(1958)に復元された現在の広島城があり、博物館となっています。 観覧料は大人 370円(65歳以上180円)で、広島市中央駐車場を利用して天守閣に入館した方は、駐車料金のサービス券を1枚(30分)もらえます。
再建後63年以上経過している鉄筋コンクリート造りの現天守は、老朽化による耐震対策が問題になっていましたが、2021年広島市は木造で再建する方針を決定したようです。 鉄筋コンクリ-トの城はあまり好きではありませんが、黒塗りの広島城を囲む桜は素晴らしかったです。広島城 名所・史跡
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城に入ると中は、武家文化を中心に紹介する歴史博物館になっています。
一層の展示室内では、広島城の構造などを模型で展示しています。その他に体験コーナー、ミュージアムショップがあります。
二層は城下町広島のくらしと文化を、実物の資料や復元建物、映像などで展示しています。広島城 名所・史跡
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三層は甲冑・刀剣などの展示で、撮影は禁止です。
四層は企画展示で、今回は「広島かわいい大博覧会」でした。
なお館内は基本撮影禁止ですが、体験コーナーや復元武家屋敷・商家、案内板、五層展望室は、写真撮影は可能となっていました。広島城 名所・史跡
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五層は展望室で、一休みしてから外に出て素晴らしい景色を眺めて下さい。なお雨の時などは濡れるので、華頭窓と呼ばれる窓から景色を楽しんでください。
また城の展望室では珍しい、広島城記念のメダルやピンバッチの販売機がありました。
ここは鉄筋コンクリ-ト造りですが、残念ながらエレベーターがないため、車いすや階段を上れない人は大変です。広島城 名所・史跡
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天守閣からの景色は絶景で、広島市内を一望できます。
城北方向では、正面に立派な広島市立基町高等学校が見え、遠い先は石見銀山になります。広島城 名所・史跡
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たぶん城東方向では、左側に28階建てのタワ-マンション、真中にRCC中国放送のタワ-、右側に分譲マンションとオフィスからなる43階建ての超高速複合型ビルが見えます。そして遠い先は竹原市になり、RCCタワ-の奥に広島駅があるはずです。
眼下には、広島城の桜が綺麗に咲いていました。ちなみに桜は、城内には染井吉野を中心に285本、そして堀の外周りに155本の合わせて440本の桜があるそうです。広島城 名所・史跡
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城南方向では、正面に県庁やリーガロイヤルホテル広島が見え、その左下が広島市の繁華街(八丁堀、紙屋町)になります。また内堀の先(奥)にはなぜか洋風の噴水も見え、その右側には緑の屋根の広島グリーンアリーナがあります。
なお噴水の右奥の樹木の中に原爆ドームらしき姿を見ることができました。広島城 名所・史跡
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位置をずらしてアップしてみると、間違いなく原爆ドームでした。
宮島は、広島グリーンアリーナのず~と奥にあり、宮島の山影がかすかに見えました。広島城 名所・史跡
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天守閣から裏御門跡を見学し、本丸入り口になる中御門跡付近の石垣から二の丸を眺めました(写真)。
右から表御門、その横に表御門と多聞櫓を結ぶ平櫓、次に平櫓と太鼓櫓を結ぶ長い櫓の多聞櫓、最後は二重櫓の太鼓櫓で、全て平成6年(1994)に復元されました。広島城 名所・史跡
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残念ながら表御門と太鼓櫓の2階は公開されていませんでしたが、他の櫓は公開していました。
まず櫓の入り口で靴を脱いで入ります。平櫓は1階建ての櫓で、畳の場所もあり想像していたより豪華でした。また展示物は、二の丸紹介パネルと毛利元就書状レプリカのみでシンプルで良かったです。広島城 名所・史跡
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多聞櫓は太鼓櫓と平櫓を結ぶ長い櫓で、総延長が35間(約63m)もあります。櫓の中には、二の丸表御門模型や太鼓櫓と平櫓のミニチュア模型、再現鯱瓦、山城模型などが展示されていました。
広島城 名所・史跡
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太鼓櫓は二重櫓で、二階には時を告げる太鼓が置かれていたそうです。ただ階段が急なためか二階は立ち入り禁止になっていましたが、階段の後ろ側にひっそりと太鼓が置いてありました。 太鼓をたたきたかったのですが、たたける雰囲気でなかったので(しかし禁止の張り紙は無し)、小心者はゆびでちょっとたたくだけでした。
広島城の見学を終了し、灰ヶ峰展望台へ。広島城 名所・史跡
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広島城から約28kmの灰が峰展望台に向かって走って行く途中、灰ヶ峰展望台から約4km手前の格子屋根休憩所から約700m先の荘山田 展望台までの道路は、染井吉野や枝垂れ桜、八重桜などが咲いていて素晴らしかったです。夜景の綺麗な所として知られていますが、桜もいいですよ。
灰ヶ峰 自然・景勝地
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もちろん夜景でなくても景色は素晴らしく、呉の街や瀬戸内海を見ることも出来ます。 なお道路は曲がりくねって少し急ですが、整備はされ、片道1車線は確保されているので、そんなにきつくはないと思います(ただ最後の約1kmは少し狭くなっています)。
灰ヶ峰 自然・景勝地
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荘山田 展望台から約3km、灰ヶ峰気象レ-ダ-観測所(兵舎跡)の下にある灰ヶ峰展望台駐車場に到着。駐車場は約6台駐車ができ、約100m手前にあるトイレ前にも2~3台駐車できます(無料)。
灰ヶ峰は標高737mで、標高334mの函館山より2倍以上の高さがあり、「中四国三大夜景」になっていています。夜景はまるで天上から眺めているようで呉のロマンチックスポットらしいです。灰ヶ峰 自然・景勝地
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駐車場から、右側の素晴らしい景色を見ながら約50m進むと2階建ての丸い展望台(灰ヶ峰防空砲台跡)があります。展望台からの眺望は素晴らしく、眼下の呉市街や瀬戸内海の多島美など、360度の雄大なパノラマ風景が見ることができます。さらに気象条件の良い日には遠く四国連山まで見渡すことができるようです。
灰ヶ峰 自然・景勝地
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呉市街と反対方向には、来る途中に見かけた電波塔があり、その先は東広島方面と思われます。
ここは周辺でほぼ1番高い所であるため電波塔も多く、海軍の防空砲台があったのは納得がいきました。灰ヶ峰 自然・景勝地
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展望台から呉の市街地までは前面を遮るものが無い急斜面のガケで、呉市街をアップすると、基盤の目のように整然とした呉市の街並や、海沿いの造船所、海上自衛隊の桟橋や艦艇・潜水艦、江田島なども見ることができます。
夜ならもっと素敵なんでしょう。灰ヶ峰 自然・景勝地
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灰ヶ峰展望台から17km、アレイからすこじま駐車場(無料)に到着。場所は、アレイからすこじまの中央付近にある「港町珈琲店:コンビニの2階」から山側に300m上がるとあります。アレイからすこじままでは少し大変ですが、周辺には駐車場は少ないです。
アレイからすこじま 名所・史跡
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駐車場からアレイからすこじま(臨海公園)に到着。公園は、海上自衛隊第一潜水隊群司令部前から約300mの海の沿遊歩道で、レンガ色を基調にした雰囲気の良い所です。
公園からは、海上自衛隊の色々な護衛艦や潜水艦を目の前で見れる絶好のスポットです。 まず目の前にあった艦船は多用途支援艦かな?アレイからすこじま 名所・史跡
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右側を見ると、国内で唯一いやたぶん世界で唯一、多数の潜水艦を間近で見ることができます。さらに横の埠頭(Sバース)には練習艦(元護衛艦)の「せとゆき」と「はたかぜ」がイカリを下ろしていました。
呉の潜水隊は、12隻の潜水艦と2隻の練習潜水艦によって編成されていますが、なんと7隻の潜水艦を見ることができました。アレイからすこじま 名所・史跡
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左奥には、ケーブル敷設装置などを装備して戦略海域等に水中聴音監視装置を敷設する敷設艦ARC-483「むろと:4,950t」と、手前には音響情報を収集して他国の潜水艦の静粛化や隠密行動能力を調べていると思う 音響測定艦AOS-5203「あき:2,900t」が停泊していました。詳細は開示されていなし、よくわかりませんが、ここでしか見れない艦船と思われます。
とにかく子供の頃の戻って興奮して眺めていました。アレイからすこじま 名所・史跡
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臨海公園から駐車場に戻る途中で左側の高台を見ると、防空監視所跡や防空壕跡らしきものが見えました。 その高台は現在の串山公園(旧串山防空機銃砲台)で、呉市の桜の名所の一つになっていて桜が園内に約830本植えられいるようです。
気になり高台に上がる階段を上がって行くと、思ったより長いのです。 -
長い階段の途中からは、昔呉が海軍の本拠地だったことを偲ばせるトーチカ跡、防空監視所跡、地下工場の通気孔、防空機銃砲台跡などが確認できました。
こから軍港に出入りする船などを監視していたようです。 -
行った時は、階段の周辺は木々で覆われ、北東側(呉港側の海自呉地方隊方向)はよく見えませんでしたが、荒れ地を歩き回りなんとか潜水艦桟の潜水艦や護衛艦を見ることができました。このエリアは旧海軍施設跡が残っているで、きればもう少し整備してほしです。
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標高63mの頂上にあった砲台は、現在は串山公園になっていて砲台床等は何も残ってなく、階段と石垣の跡地だけが残っていました。ここからは、景色は一応周りを見渡すことができますが、木々が邪魔をして眺めは桜以外は今一でした。
ただ公園から少し下りると正面や左右には太平洋戦争中の遺構が残って、眺めもいい所があるので、是非一度串山公園に行ってみて下さい。 -
駐車場に戻り約2km、歴史の見える丘に到着。呉を象徴する造船関係の工場群が一望できるスポットで、1969年に建てられた大和の艦橋をかたどった塔と主砲徹甲弾を見ることができます。
歴史の見える丘 名所・史跡
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なおここからは、明治39年(1906)に建築された旧海軍関連施設や、戦艦大和をはじめ長門・赤城などを建造したドック跡を見ることができました。
軍事秘匿のため目隠し用に作られた屋根の骨組みは今も残っていているようです。歴史の見える丘 名所・史跡
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1.5km先には、2005年(平成17)に開館した大和ミュ-ジアム(正式名:呉市海事歴史科学館)があります。一般的には見学時間は1~2時間を要しますが、計画より45分遅れていたことと、今回が3回目で内容が前回とあまり変わっていなかたため外観と外の展示物だけの見学でした。
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム) 美術館・博物館
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ただ5年前の写真で少しだけ説明させて下さい。
館内1階の大和ひろばでは、設計図や写真、潜水調査水中映像などをもとに、可能な限り詳細に再現した、全長26.3m(実際の10分の1)もある戦艦「大和」が展示されていています。大和にとっては少し狭い所にあるため、大きな大和を写真の中に全部入れるのは大変でした。呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム) 美術館・博物館
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同じく1階の大型資料展示室では、本物の零式艦上戦闘機六二型や特殊潜航艇「海龍」、特攻兵器「回天」(試作型)、九三式魚雷・二式魚雷などが展示されていました。初めて来た時は、日本には本物のゼロ戦は知覧のボロボロのゼロ戦1機と、復元機が7~8機しかありませんでした。
他にも貴重な資料や展示物もあるので、まだ来たことがない人はぜひ1度足をお運びください。呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム) 美術館・博物館
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大和ミュ-ジアムから1分、てつのくじら館(正式名:海上自衛隊呉史料館)があり、展示館と潜水艦の2つの施設からなっています。入り口は、潜水艦の真中の真下が入り口になっていて、新型コロナウィルスの影響で 入替え制の入場制限での見学でした。運よく入館できても運が悪いと見学時間は30分(最高1時間30分)です。
初めて潜水艦「あきしお」を目の前で見ると、間違いなくその大きさに驚きます。海上自衛隊呉史料館(てつのくじら館) 美術館・博物館
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まず施設館1階で、海上自衛隊の歴史を知り、ショップでてつのくじら館オリジナルグッズや自衛隊グッズ買って、カフェで「あきしおカレー」などオリジナルメニュー食べます(ご自由に)。2階に上がると、機雷掃討に関する展示があります。3階で潜水艦の活躍を学んだあと潜水艦の館内に移動します。
潜水艦の館内では、有効に使っている生活空間や操縦桿、計器類を見ることができます。でも1番は、潜望鏡を見て触り覗くことができることです。
残念なことは、ギリギリ入ることができましたが見学時間が短く、写真を撮る余裕もなかったことでした。なお入場無料なので文句も言えませんね(言うつもりもありませ)。海上自衛隊呉史料館(てつのくじら館) 美術館・博物館
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大和ミュ-ジアムと、てつのくじら館の中間の芝生広場には、1969年(昭和44)に日本で初めて建造された有人深海調査艇「しんかい」が、大和ミュ-ジアムオープンと同時(2005年:平成17)にここに展示保存されました。なお中には入れません。
海上自衛隊呉史料館(てつのくじら館) 美術館・博物館
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また大和ミュージアム海側にある大和波止場は、実物大の戦艦 大和をイメージした公園で、大和の艦橋になる所が、大和の艦橋上レーダーを模した屋根がある休憩所になっていました。高台になっている休憩所から海岸沿いを眺めると、大和の甲板の左半分の実物大になっていました。ぜひこの休憩所(深海調査艇しんかいの横)から海を眺めて下さい、実感しますよ。
海上自衛隊呉史料館(てつのくじら館) 美術館・博物館
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大和ミュ-ジアムから2~3分、折本マリンビル3号館2階にある、総合観光施設・日招きの里に14:10に到着。店内には戦艦大和のオブジェや陸海空軍のグッズ、広島土産の売店があり、そして奥が「呉ハイカラ食堂」になります。お店の内装やスタッフの制服も海上自衛隊の雰囲気感は出ていましたが、コロナの影響か今一つ覇気は感じられませんでした。
呉 ハイカラ食堂 グルメ・レストラン
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呉ハイカラ食堂の入り口には、テッパンカレ-(1500円)の見本が出ていて「完売」になっていました。有名店なので混むと思い、営業時間(11:00~15:00)の遅い時間にしたのが失敗でした。 店内をよく見たら、団体客用の広いスペースの席や潜水艦内を想わせる見覚えのある席があり、前にここでカレ-を食べたことを思い出しました。前回は帰りの電車の時間が迫っていたため、急いで食べたためか味は覚えていませんでした。まあ、不味くも美味くもなかったということで、気になっていたもう一軒の店へ。
呉 ハイカラ食堂 グルメ・レストラン
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気になっているお店は、次の見学地(音戸町)に行く途中にある「港町珈琲店」で、少し前に見学したアレイからすこじまの前にあるお店です。
ここは、海上自衛隊呉基地・艦艇ごとのカレ-が味わえる24店舗のうちの1店舗で、潜水艦くろしお特製“広島風"柔らか牛すじカレーを味わえます。 ハイカラ食堂のテッパンカレーは潜水艦「そうりゅう」のカレ-のようです。港町珈琲店 グルメ・レストラン
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またここは、海上自衛隊の潜水艦桟橋の前にある店のため、潜水艦や護衛艦を目の前で見ることができます。そのため艦艇マニアや海上自衛隊に興味が無い人にも人気で、絶好の撮影スポットになっています。
テラス席で写真を撮り店内へ。港町珈琲店 グルメ・レストラン
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メニューを見ると、パスタが目立ちますがハンバ-グやみすじステ-キ、オムライスなどもあります。さらにケーキやワッフル、アイスもあり、大人のファミレス風です。もちろん、くろしお特製“広島風"柔らか牛すじカレー(サラダ・ドリンク付:980円)もあり、驚くことにランチタイム(11~15時)は、ピザ食べ放題のサービス付きでした。カレ-は牛スジもたっぷり入っていて、旨味と甘味と辛さのバランスも良く、非常に美味しかったです。
港町珈琲店 グルメ・レストラン
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店内の雰囲気もよく、スタッフは海上自衛隊風の制服ではありませんでしたが?親切で対応が素晴らしかったです。
旗付きのカレ-も美味しかったのですが、焼き立ての美味しいピザが次から次へとサービスされたうえ、港が一望できて980円なら、星5つでした。港町珈琲店 グルメ・レストラン
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港町珈琲店から約6km、音戸の瀬戸公園駐車場に到着。駐車場からスロ-プを上って行くと山頂は公園になっていて、その中に高烏台(たかがらすだい)展望台があります。
海抜200mの展望台からは、眺めがよく情島や奥の愛媛松山方向を見ることはできましたが、位置的には音戸方向は見れませんでした。音戸の瀬戸公園 公園・植物園
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公園の先には、1967年(昭和42)に建てられた、伝説のとおり日没の方向に右手に扇子をかざした平清盛像が建っています。
清盛公は高い所にいるので瀬戸内海を眺めることはできますが、像の前からは瀬戸内海は見えません。音戸の瀬戸公園 公園・植物園
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前に進み広島方向を見ると、江田島は見えましたが広島や呉は桜などの木々が邪魔でよく見えません。また音戸大橋方面も木々が邪魔で今一の景色でした。コロナの関係で管理も大変と思いますが、整備すれば瀬戸内海を全部見渡すことができると思います。よろしくお願いします。
周りは桜で囲まれていましたが、残念ながら少し早かったようです。音戸の瀬戸公園 公園・植物園
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音戸大橋(左の橋)と第二音戸大橋(右の橋)を撮りたいため公園から少し下り写真を撮っていたら、写真真ん中下に塔の屋根らしきものを見つけました。その時は何も気にしないで駐車場に戻りましたが、家で写真をチェックしていたら「平清盛二重の塔」でした。その塔は、平清盛が音戸の瀬戸を切り開いた記念に建てたようで、もし当時の建物であれば1165年頃になり重文か国宝級なのですが、何も文化財になっていません。寺の塔でないただの記念塔は文化財にならないのかな。
音戸の瀬戸公園 公園・植物園
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第二音戸大橋から約57km、16:50「道の駅たけはら」の無料駐車場に到着。12年前頃に来た時は工事中であた道の駅は、1階に物産直売コーナ-やレストラン、休憩所、トイレがあり、2階には観光情報コーナ-もありました。営業時間は18時までなのですがコロナの影響で17時までになっていましたが、トイレと休憩所、駐車場は少なくとも夜遅い時間まで使用できました。
なお、たけはら町並み保存地区は駐車場はほぼないので注意して下さい。
道の駅の写真を撮るのを忘れましたが、奇麗でお店の人達は親切でした。
道の駅から「たけはら町並み保存地区」までは約200mで、県道などの道から少中に入った所にあり、一帯は重要伝統的建造物保存地区に選定されています。
写真は、たけはら観光コース入口(本町通り:町並保存地区)です。竹原町並み保存地区 名所・史跡
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保存地区の入り口(栄町通り)から鳥羽町通りの突き当りを右折すると、すぐ先の左側に本町通りがあります。約500mの通り(本町通り)は石畳になっていて、左右は江戸の面影を残す風情漂う建物が軒を連ねています。
少し通りを歩くと右側に、軒先に新酒が出来たことを知らせる杉玉が吊られている竹鶴酒造があります。NHK連続テレビ小説「マッサン」のモデルになった、ニッカウヰッスキ-創業者・竹鶴政孝の生家です。見学はお断りしてお酒を買う人だけが入れるようですが、17時を過ぎていたし酒はほとんど飲まない私は、外観だけ見学。竹鶴酒造 名所・史跡
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40m先の左側には、竹原を代表する華やかな商家「松坂家住宅」があります。波打つような屋根と、2階の菱格子の出窓が豪華で、前回見た座敷から眺める庭は素晴らしかったです。ただ今日は休館(水曜日)で、開館は16時までです(料金は300円)。
旧松阪家住宅 名所・史跡
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少し先の右側には、明治4年に建てられた「初代郵便局跡:旧上吉井家住宅」があります。建物も趣がありいいのですが、建物の前には明治4年頃に設置された黒い郵便ポスト(複製)があり、現在も手紙などを投函できるようです。
この郵便局跡の横道が、西方寺の参道になります。上吉井邸 (初代郵便局跡) 名所・史跡
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初代郵便局跡横の参道を進み、長い石段を上った高台の門をくぐると、正面に西方寺の本堂があります。一見城郭を思わせるような壮大な石垣の上に建つ西方寺境内からは、竹原の商家木造建築物など竹原市内の町並みが一望できます。次に行く普明閣から眺める町並も良かったですが、山門から瓦屋根を間近に見るのも、町の雰囲気を感じられて良かったです。
西方寺 普明閣 寺・神社・教会
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西方寺本堂横の高台に位置する1758年建造の普明閣(観音堂)は、鐘楼の脇の階段を上っていきます。方三間宝形造、本瓦葺の二重屋根、舞台作りとなっていて、舞台は京都・清水寺を模して建てられたといわれています。
竹原の町のどこからでも見上げることができ、竹原に来た人は必ずここに上ると言う場所でもあります。西方寺 普明閣 寺・神社・教会
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舞台からの眺めは、眼下は歴史町並み保存地区の古い家屋が一望できて良かったのですが、遠くは市役所や電波塔、ショッピングセンタ-、高いマンションなどが見え、歴史町並み保存地区とのギャップを少し感じました。
また竹原駅方向は製煉所の大きな煙突が気になりますが、瀬戸内海を見ることができました。 景色は悪くないのですが、安芸の小京都となると…‥。西方寺 普明閣 寺・神社・教会
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普明閣の裏山に上がり、町を眺めるとまたちょっと違う感じになります。また山の向こうに沈む夕日も、よかったです。
西方寺 普明閣 寺・神社・教会
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本町通りに戻り約100m進むと、保存地区の中では珍しい淡い緑の洋風の建物が目を引きます。昭和初期に図書館として建てられた洋風建築で、町に繁栄をもたらした製塩業や酒造業の歴史・資料などを展示しているそうです。
また横の広場には、ニッカウヰスキー創業者の竹鶴政孝(マッサン)と妻のリタの銅像がありました。竹原市歴史民俗資料館 美術館・博物館
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民俗資料館から約20m進み、右側の小径を上って行くと「おかかえ地蔵が」があります。お願い事を祈願しながら石のお地蔵さんをかかえ、思ったより軽く感じられると願い事が叶うという言い伝えがあります。残念ながら少し重いと感じたので、コロナはしばらくはこの状態が続くと思います?
竹原を出発する時間が近づいてきたので、大小路や阿波屋小路を通り道の駅へ。
たけはら町並保存地区は、昔にタイムスリップしたみたいな感覚になれる素敵な場所でした。おかかえ地蔵 名所・史跡
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竹原の景色で、ちょっと一言いったショッピングセンタ-で、夕食とガソリンを補給し、レンタカ-店へ。空港には19:13に到着しましたが、空港のお店はコロナの影響か、半分くらいは閉まっていました。
19:50 広島発(JAL266)は、予定通り羽田空港に向けて出発。広島空港 空港
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搭乗率約70%のJAL266便は、21:00東京湾上空を通過し、羽田空港には予定より2分早い21:13に到着しました。
不織布のマスクと手洗いをし、密にならない所・時間を考えて旅行してきました。その結果、見落としていた素晴らしい観光地を発見でき大変有意義な旅行でした。 ただ人と触れ合う旅行もしたいですね。
見ていただき、本当にありがとうございました。羽田空港 第1旅客ターミナル 空港
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