2020/12/14 - 2020/12/18
3896位(同エリア7270件中)
実結樹さん
この旅行記のスケジュール
2020/12/18
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守礼門
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園比屋武御嶽石門
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歓会門
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龍樋
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瑞泉門
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漏刻門
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広福門
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奉神門
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首里森御嶽
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大龍柱保存展示室
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首里杜館地下駐車場
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空から見た富士山
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リムジンバスから見た富士山
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この旅行記スケジュールを元に
阪急交通社「たっぷり5日間で美しき20景と4泊ともデラックスホテルを存分に楽しむ沖縄本島大縦断 ちょっと贅沢な旅」という長いタイトルのツアー最終日の記録です。
ホテルチェックアウト後、空港に向かう途中、時間調整的な短時間でしたが「首里城公園」の「守礼門」から「奉神門」までの無料エリアを30分だけ訪れました。
一年前の2019年10月に北殿・南殿とともに正殿は全焼してしまいましたが、火災の影響を受けなかった各門を辿るだけでも、ちょっとだけ往時の面影を偲ぶことはできると思います。
その後、お昼の便という超もったいない!飛行機で富士山を見ながら家路に就きました。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス JALグループ 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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【ツアー最終日 2020/12/18(金)】
08:30 4泊目の「沖縄ハーバービューホテル」を発ちます。
今回のツアーの一人参加追加料金は4泊で50,000円。
沖縄のホテルはルームチャージ料金が多いので Go Toトラベルの恩恵で半額負担だったのは本当に助かりました (^^沖縄ハーバービューホテル 宿・ホテル
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09:00 空港とは反対方向ですが出発前にちょっとだけ首里城公園を観光します。
まずはお決まりの首里城のシンボルともいえる「守礼門」です。
”守礼” とは ”礼節を守る” という意味で、掲げられている扁額には「守礼之邦(しゅれいのくに)」と書かれています。
「琉球は礼節を重んずる国である」という意味です。
ツアーの皆さんが先に進んだ後、ちょっと斜に構えたアングルで撮りました。 -
第二次大戦で焼失しましたが、戦後、
1958年に守礼門だけが先に復元され、
1992年に首里城正殿が復元されました。
2019年10月に復原からたったの30年弱で正殿は北殿・南殿とともにまさかの全焼。
再び守礼門だけに戻ってしまいました。
守礼門は古くは「首里門(しゅりもん)」ともいわれ、庶民は上の方にある美しい門という意味で「上の 綾門(いいの あやじょう)」と呼んだそうです。 -
門を潜って振り返って見た裏側です。
中国風の「牌楼(ぱいろう)」という形式で建てられています。
長崎の「オランダ坂」「京都タワー」と並び「日本三大がっかり名所」の一つとされていますが、そんなに言うほどでもなく、バランスの取れた綺麗な門であると私は思います。
西暦2000年に発行された二千円札の絵柄にもなっていましたが、そもそもそのお札を見たことさえない若者は沢山居るんだろうなとオバサンは思います (-"- -
門を入ってすぐ、進行方向右手には、
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階段を使わずに車いすやベビーカーでも上がれるスロープがあります
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「園比屋武 御嶽(そのひゃん うたき)石門」は守礼門から直ぐ、左手です。
琉球も日本語圏なのは間違いないと思いますが、どう見てもこういうふうには読めませんね。
ここは強力なパワースポットとかで、この写真を待ち受け画面にしておくとお金が貯まるんだそうですが、添乗員さんは
「長年そうしていても未だにこの仕事であくせくしている・・」と言っていました (^^;
私も、パワースポットとかには全く鈍感なんですよね。
木の扉以外は琉球石灰岩で造られています。
門と言っても人が通る門ではなく、いわば神への「礼拝の門」ともいうべき場所です。 -
ここも世界遺産になっています。
1519年に築かれた門で、王家の拝所として使用されました。
国王が城外に出る時に道中の安全を祈願したり、
聖地を巡礼する行事や、
「最高神女(のろ)」、「聞得大君(きこえおおきみ)」の即位式に際しても最初にここを参拝したといわれています。 -
さらに進みます。
石段が次々にありますが、階段の連続という訳ではないので息が切れるというほどではありません。 -
「歓會門」は首里城の城郭内へ入るための第一の正門です。
中国皇帝の使者「冊封使(さっぽうし)」などを歓迎するという意味でこの名が付けられました。 -
モデルコース。
個人旅行で時間があれば参考になりますね。 -
階段途中の「龍樋(りゅうひ)」
龍の口から湧水が出ています。
この水は王宮の飲料水として使われていました。
また、中国皇帝の使者(冊封使)が琉球を訪れた時には「天使館」という迎賓館まで、毎日ここから水を運んだといわれています。
でも、それにしてはチョロチョロ水で王宮の水を賄えたんでしょうか・・
もっと水量の豊かな井戸とかあったんでしょうかね?
龍の彫刻は1523年に中国からもたらされたもので500年来の年代物です。 -
その先の石段上の「瑞泉門」は修復中。
「瑞泉(ずいせん)」とは ”立派な、めでたい” という意味です。
ここは第二の正門で、別名「ひかわ御門(うじょう)」ともいわれています。
創建は1470年頃。
沖縄戦で焼失しましたが、1992年に復元されました。 -
さらに上って在るのは「漏刻門(ろうこくもん)」。
ここは第三の正門で、別名「かご居せ御門(うじょう)」とも言います。
当時、高官は駕籠にのって登城しましたが、国王に敬意を表し、この場所で駕籠から降りたということからそのように呼ばれています。
創建は15世紀頃。 -
「漏刻門」の説明板。
「漏刻」とは中国語で ”水時計” という意味。
門の上の櫓に水槽を設置し、水が漏れる量で時刻を計ったといわれています。 -
「漏刻門」を抜けた広場から見た景色。
さっき潜って来た左側の「歓會門」とその隣の「久慶門」の間の城壁は本土のお城と違って沖縄らしく波打っています。
遠くには那覇市内が見渡せます。 -
次は「広福門」。
「広福」とは、”福を行き渡らせる” という意味。
「広福門」は別名「長御門(ながうじょう)」ともいい第四の正門です。
建物そのものが門の機能を持っている形式も首里城の城門の特徴。
創建年は不明で明治末期頃に撤去され、1992年(平成4年)に復元されています。
中にあった神社仏閣を管理する「寺社座」と、士族の財産をめぐる争いを調停する「大与座(おおくみざ)」という役所跡は現在は券売所等に利用されています。 -
広福門を抜け「下之 御庭(しちゃぬ うなー)」から順光で見ます。
今日は沖縄に来てから初めて青空を見たような気がします。
「下之御庭」とは ”下の庭” という意味。
正殿前の「御庭(うなー)」へ入る前の一段低い所に在る広場で、「御庭」で行われる様々な儀式の控えの場や、正殿の建築工事の際には資材置場等として使用されました。 -
「下之御庭」までは無料で入れますが「奉神門」からは有料になります。
階段下に具足ならぬフェイスシールドで身を固めた門番が立っています。
門を抜けると広々とした「御庭(うなー)」、その正面には正殿があった筈です。 -
門に掲げられている「奉神」と書かれた扁額
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これは「首里城公園レストセンター 首里杜館(すいむいかん)」にあった、モザイクの掛かった首里城正殿の記念撮影用パネル。
沖縄ツアーというと必ず首里城観光が入っています。
でも、10年ほど前に首里城だけは南殿・北殿及び周辺施設を含め、宮古島の帰りに飛行機の乗り継ぎ時間を利用してざっと個人観光した事があったので、以前は首里城観光が入っていない沖縄ツアーを探していたくらいです。
しかし、そうこうしているうちにまさかの火災焼失。
今となってはあの時見ておいて本当に良かったと思います。
今回、今の時期だけの復元中の首里城正殿も見られるかと期待したのですが、それは叶いませんでした。
確かにツアーの行程表には ”見る” とは書かれていなかった (-"-
早い時間の飛行機搭乗前に ”ついで” に寄っただけですものね (u_u)。 -
「首里森 御嶽(すいむい うたき)」
「下之御庭」にある礼拝所で1997年に復元されました。
「琉球開闢神話」では神が造られた聖地であるとされています。
城内にはここを含めて「十嶽(とたけ)」と呼ばれる10ヶ所の礼拝所があったといわれています。 -
「下之御庭」に建っていた「大龍柱(だいりゅうちゅう)補修展示室」
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首里城正殿の正面に阿吽の口で真っ直ぐ一対で立っていた「大龍柱」。
火災の影響を受けながらも奇跡的に残っていました。
高さは約3.1m、重さは約1.5トン。
焼け跡の台座から取り外し、補修された大龍柱は新しい令和の大龍柱の見本として活用するまでの約2年間、下之御庭の補修作業場で横たわって公開されています。 -
「史跡 首里城跡」の石碑は「首里杜館(すいむいかん)」の近くにあります。
表口ともいえる「守礼の門」からのオーソドックスなアプローチでない場合の、いわば裏口スロープコースの道標のような存在でしょうか?
左奥に見えるのは「木曳門(こびきもん)」。
城の建設や修理・石積修復工事の際の資材搬入時に使用され、通常は石を詰めて閉じられていました。 -
首里城公園の案内図
1429年 琉球王国成立。
1879年に明治政府に明け渡されるまで約450年間に亘り繁栄しました。
築城は14世紀半ばから後半とみられています。
戦前は国宝に指定されていました・・が、その間、
首里城は今回を含め過去5回焼失しています。
1453年 志魯・布里の乱
1660年 失火
1709年 失火
1945年 沖縄戦
2019年 失火
しかしその都度、たくましく再建されてきました。
今回も沖縄のシンボルとして、県民の心の拠りどころとして一日も早い再建を望みます。 -
「首里杜館」地下の大駐車場
9:30 たったの30分だけで首里城を後にします。 -
10:00 那覇空港着。
空港内のコンビニで最後の地域共通クーポン1,000円分で買った今日のランチ。
税込988円はスマホの電卓を叩いてやっと組み合わせた苦心作 (^^;
12円損したけれど・・
ラウンジに飲食物は持ち込めないので近場の椅子でサンドイッチだけササッと頬張り・・ -
クレカで無料で使えるラウンジでジュースをたらふく?飲んで少し時間を潰しました。
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12:10 那覇空港発JAL906便で羽田へ。
来る時は夜遅い飛行機で着いて、帰りはお昼の便なんだから、4泊5日と言っても実質は丸3日の観光でした。
個人旅行だったらこんなに早い便は絶対に使いませんね。那覇空港 空港
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雨模様の那覇空港を後にします。
席もガラガラで、隣に客の居ない窓際席のリクエストも楽々OK。 -
帰りは進行方向左側A席が日も当たらないし、写真も順光で撮れます。
殆どは海の上なんですが、 -
着陸前は陸地の景色も見えて良いと思います。
沖縄は毎日くもり(雨)でしたが本土は良いお天気です。
遠くに富士山が見えます。
14:25 定刻どおり羽田空港着。 -
帰りのリムジンバスから見えた夕焼けの富士山です。
色々不満も無きにしも非ずでしたが、沖縄ほとんど初心者、しかもレンタカーを使えないオバサンの一人旅なので、本島及び周辺9島を駆け足ですが一応くまなく観られて、まあまあのツアーであったと思います。
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