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現在は、この観音霊場巡りは実施されておらず、今は1987年に改編された「秋田三十三観音霊場」が、巡礼路となっている。<br /><br />開創者とされるのは、横手長者森の満徳長者である卜部保昌(出家後は保昌坊)である。<br />その保昌坊が西国観音霊場巡拝の後、仏師の定朝に観音像33体を作らせ、故郷のお寺に奉納して霊場の開創になったとされる。時期は、長久年間(1040~1043年)であり、<br />現在の秋田県の行政区ではわからないが、<br />当時の秋田六郡(雄勝郡・平鹿郡・仙北郡・河辺郡・秋田郡・山本郡)が霊場のエリアとなっているようだ。<br />開創後、しばらく廃れていた時代があったが、享保14(1729)年に復活した。<br /><br />「秋田六郡三十三ヶ所観音霊場」は、「秋田三十三観音霊場」とは異なるので、秋田三十三観音霊場の制覇を記念して、整理してみた。<br />

秋田六郡三十三ヶ所観音霊場って 秋田三十三観音霊場とどこが違うの?

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2021/08/13 - 2021/08/13

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旅行記グループ 三十三観音霊場めぐり

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はた

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現在は、この観音霊場巡りは実施されておらず、今は1987年に改編された「秋田三十三観音霊場」が、巡礼路となっている。

開創者とされるのは、横手長者森の満徳長者である卜部保昌(出家後は保昌坊)である。
その保昌坊が西国観音霊場巡拝の後、仏師の定朝に観音像33体を作らせ、故郷のお寺に奉納して霊場の開創になったとされる。時期は、長久年間(1040~1043年)であり、
現在の秋田県の行政区ではわからないが、
当時の秋田六郡(雄勝郡・平鹿郡・仙北郡・河辺郡・秋田郡・山本郡)が霊場のエリアとなっているようだ。
開創後、しばらく廃れていた時代があったが、享保14(1729)年に復活した。

「秋田六郡三十三ヶ所観音霊場」は、「秋田三十三観音霊場」とは異なるので、秋田三十三観音霊場の制覇を記念して、整理してみた。

旅行の満足度
3.5
  • 1番	湯ノ峰 御嶽山 白滝観音 <br />ここは、横手市山内大松川字観音沢1にある。<br />塩湯彦神社の大松川側の参道の白滝の滝壷(岩場)に安置されている観音様がそれである。文政(1818~30)年中に、朽廃していた白滝観音を再興したという記録があるため、当時の観音様ではないようだ。<br /><br />2番 実入野 十一面観音<br />横手市杉沢字吉沢2にある吉沢神社が、それらしい。<br />寛弘2年(1005)9月9日満徳長者致尚建立とされている。<br /><br />3番 旭岡山 三井寺 (写真)<br />現在の 三番と一緒である。

    1番 湯ノ峰 御嶽山 白滝観音 
    ここは、横手市山内大松川字観音沢1にある。
    塩湯彦神社の大松川側の参道の白滝の滝壷(岩場)に安置されている観音様がそれである。文政(1818~30)年中に、朽廃していた白滝観音を再興したという記録があるため、当時の観音様ではないようだ。

    2番 実入野 十一面観音
    横手市杉沢字吉沢2にある吉沢神社が、それらしい。
    寛弘2年(1005)9月9日満徳長者致尚建立とされている。

    3番 旭岡山 三井寺 (写真)
    現在の 三番と一緒である。

  • 4番	無量寿寺 千手院 <br />ここは、廃寺となった。現在 横手市城南町4にある沢之神神社は、かつて千手院の境内の中にあった と 沢之神神社前の標柱に書かれている。<br /><br />5番	光明院 多武峯観音<br />ここも、廃寺となった。現在 横手市平鹿町醍醐明沢26 にある沢口神社あたりである。<br />神社庁のHPによると、沢口神社のページに、「明治元年戊辰8月9日戦争の砌り、別当光明院兵火の為焼失」とある。<br /><br />6番	三輪山 久昌寺 (写真)<br />現在の六番である。

    4番 無量寿寺 千手院 
    ここは、廃寺となった。現在 横手市城南町4にある沢之神神社は、かつて千手院の境内の中にあった と 沢之神神社前の標柱に書かれている。

    5番 光明院 多武峯観音
    ここも、廃寺となった。現在 横手市平鹿町醍醐明沢26 にある沢口神社あたりである。
    神社庁のHPによると、沢口神社のページに、「明治元年戊辰8月9日戦争の砌り、別当光明院兵火の為焼失」とある。

    6番 三輪山 久昌寺 (写真)
    現在の六番である。

  • 7番	野中山 向野寺 (写真)<br />現在の七番であるが、無住の寺である。<br /><br />8番	東鳥海山<br />湯沢市の南東にある東鳥海山は、権現山とも呼ばれる信仰の山で、山頂には東鳥海山神社が祭られている。延暦20年(801)に坂上田村麻呂が、奥州征伐の際、戦勝祈願のために創建したと伝えられる古い社とのことである。<br /><br />9番	横掘山 正音寺<br />九番札所は、東安山 誓願寺が 預かり寺となっている。<br /><br />10番	上院内観音堂<br />湯沢市上院内町後95 にある 愛宕神社の境内にあったそうだ。<br />神社庁のHPによると<br />江戸時代に入って佐竹氏久保田に転封の後は、秋田十二社の内に指定され、藩主の参勤交代に当たっては藩主或は代人の参拝があった。 とか<br />江戸中期、当社の別当阿闍梨渕清が、参拝の人々が、中風を初め悪病に犯される事のないようにと熱願を捧げ、自ら生き埋めとなり竹の筒より読経を続けて即身成仏となった。とか<br />中風の神様、ころり地蔵尊として氏子は勿論、広く雄平仙三郡の人々の信仰を集めている。という説明がある由緒ある神社だそうだ。<br /><br />

    7番 野中山 向野寺 (写真)
    現在の七番であるが、無住の寺である。

    8番 東鳥海山
    湯沢市の南東にある東鳥海山は、権現山とも呼ばれる信仰の山で、山頂には東鳥海山神社が祭られている。延暦20年(801)に坂上田村麻呂が、奥州征伐の際、戦勝祈願のために創建したと伝えられる古い社とのことである。

    9番 横掘山 正音寺
    九番札所は、東安山 誓願寺が 預かり寺となっている。

    10番 上院内観音堂
    湯沢市上院内町後95 にある 愛宕神社の境内にあったそうだ。
    神社庁のHPによると
    江戸時代に入って佐竹氏久保田に転封の後は、秋田十二社の内に指定され、藩主の参勤交代に当たっては藩主或は代人の参拝があった。 とか
    江戸中期、当社の別当阿闍梨渕清が、参拝の人々が、中風を初め悪病に犯される事のないようにと熱願を捧げ、自ら生き埋めとなり竹の筒より読経を続けて即身成仏となった。とか
    中風の神様、ころり地蔵尊として氏子は勿論、広く雄平仙三郡の人々の信仰を集めている。という説明がある由緒ある神社だそうだ。

  • 11番	龍渕山 大慈寺(写真)<br />現在の十一番である。<br /><br />12番	朝日岡 正観音<br />横手市大沢上庭当田123の 旭岡山神社にあったとされる。<br /><br />

    11番 龍渕山 大慈寺(写真)
    現在の十一番である。

    12番 朝日岡 正観音
    横手市大沢上庭当田123の 旭岡山神社にあったとされる。

  • 13番	万年山 祇薗寺(写真)<br />現在の十三番。

    13番 万年山 祇薗寺(写真)
    現在の十三番。

  • 14番	東光山 本覚寺(写真)<br />現在の十四番である。<br /><br />15番	黒尊仏 森の観音(鳩留尊仏)<br />仙北市田沢湖玉川の 玉川ダムそばの山にある 鳩峯神社かと思う。

    14番 東光山 本覚寺(写真)
    現在の十四番である。

    15番 黒尊仏 森の観音(鳩留尊仏)
    仙北市田沢湖玉川の 玉川ダムそばの山にある 鳩峯神社かと思う。

  • 16番	小杉山 円満寺(写真)<br />ここも 十六番 変わらず。<br /><br />17番	高寺山 千手院 高善寺<br />大仙市協和峰吉川高寺28 <br />養老二年(718)に行基が開山し観音堂(高寺観音堂)は延暦12年(897)坂上田村麻呂が建立とされるが、何度か火災にあっていて、現在の本堂は、平成4年に建立となっているため、そのまま、十七番として残らなかったのではと推測する。

    16番 小杉山 円満寺(写真)
    ここも 十六番 変わらず。

    17番 高寺山 千手院 高善寺
    大仙市協和峰吉川高寺28 
    養老二年(718)に行基が開山し観音堂(高寺観音堂)は延暦12年(897)坂上田村麻呂が建立とされるが、何度か火災にあっていて、現在の本堂は、平成4年に建立となっているため、そのまま、十七番として残らなかったのではと推測する。

  • 18番	唐松山 光雲寺 <br />ここは、廃寺となった。<br />現在の唐松神社(写真)と 思われる。

    18番 唐松山 光雲寺 
    ここは、廃寺となった。
    現在の唐松神社(写真)と 思われる。

  • 19番	両沢山 千手院(写真)<br />十九番は 変わらず。<br /><br />20番	法喜山 観音院<br />秋田市下北手宝川堂ケ下136 の 保食神社が それらしい。<br />保食神社は 創立年月日不詳、明治41年焼失、同年再建

    19番 両沢山 千手院(写真)
    十九番は 変わらず。

    20番 法喜山 観音院
    秋田市下北手宝川堂ケ下136 の 保食神社が それらしい。
    保食神社は 創立年月日不詳、明治41年焼失、同年再建

  • 21番	太平山 源正寺(写真)<br />変わらず。<br /><br />22番	藤倉山 長命寺<br />ここは、廃寺となった。<br />秋田市山内藤倉8の 藤倉神社 (通称藤倉観音) と思う。<br />秋田ペット霊園の隣だ。

    21番 太平山 源正寺(写真)
    変わらず。

    22番 藤倉山 長命寺
    ここは、廃寺となった。
    秋田市山内藤倉8の 藤倉神社 (通称藤倉観音) と思う。
    秋田ペット霊園の隣だ。

  • 23番	亀像山 補陀寺(写真)<br />二十三番は 変わらず。

    23番 亀像山 補陀寺(写真)
    二十三番は 変わらず。

  • 24番	亀甲山 古四王堂<br />秋田市寺内児桜1丁目5-55 の 現在の古四王神社(写真)だと思う。

    24番 亀甲山 古四王堂
    秋田市寺内児桜1丁目5-55 の 現在の古四王神社(写真)だと思う。

  • 25番	湯殿山 龍泉寺(写真)<br />二十五番は 変わらず。<br /><br />26番	補陀洛山 長谷寺 椿妙見堂 <br />男鹿温泉郷の湯本ホテルのそばにある<br />男鹿市北浦湯本隠台34 の 星辻神社 <br />神社庁のHPだと延暦年中、坂上田村麻呂勅命を奉じ賊徒征討の際、男鹿に至り、戦勝祈願のため、湯本村に北辰神社(維新後星辻神社と改称)を勧請建立された。<br />という由緒ある場所だ。

    25番 湯殿山 龍泉寺(写真)
    二十五番は 変わらず。

    26番 補陀洛山 長谷寺 椿妙見堂 
    男鹿温泉郷の湯本ホテルのそばにある
    男鹿市北浦湯本隠台34 の 星辻神社 
    神社庁のHPだと延暦年中、坂上田村麻呂勅命を奉じ賊徒征討の際、男鹿に至り、戦勝祈願のため、湯本村に北辰神社(維新後星辻神社と改称)を勧請建立された。
    という由緒ある場所だ。

  • 27番	赤神山 遍照院 光飯寺 <br />は 廃寺となった。<br /><br />男鹿市北浦真山水喰沢97 の 真山神社(写真) がここではないか。

    27番 赤神山 遍照院 光飯寺 
    は 廃寺となった。

    男鹿市北浦真山水喰沢97 の 真山神社(写真) がここではないか。

  • 28番	瀑峯山 天龍寺<br />ここも廃寺となった。<br />山本郡八峰町八森館10 の 白瀑神社(写真)だと思われる。<br /><br />29番	高岩山 聖観音<br />能代市二ツ井町荷上場字五輪台23 の 高岩神社 だと思われる。<br /> 神社庁のHPによれば、創立年月日不詳。<br /> 当高岩山の頂上に玄牡玄牝の形をした霊岩あり里人神霊として斎祀し、この岩を雄御殿雌御殿と呼ぶ。中古慈覚大師という僧山籠して建立の伝承あり。<br /> 境内地には巨岩や洞窟が点在してそれぞれに名称伝説がある。旧藩主佐竹義和公筆の社額あり。という 由緒ある神社だ。

    28番 瀑峯山 天龍寺
    ここも廃寺となった。
    山本郡八峰町八森館10 の 白瀑神社(写真)だと思われる。

    29番 高岩山 聖観音
    能代市二ツ井町荷上場字五輪台23 の 高岩神社 だと思われる。
     神社庁のHPによれば、創立年月日不詳。
     当高岩山の頂上に玄牡玄牝の形をした霊岩あり里人神霊として斎祀し、この岩を雄御殿雌御殿と呼ぶ。中古慈覚大師という僧山籠して建立の伝承あり。
     境内地には巨岩や洞窟が点在してそれぞれに名称伝説がある。旧藩主佐竹義和公筆の社額あり。という 由緒ある神社だ。

  • 30番	七座山 宝蔵観音<br />現在の七座神社(写真)、観音像は紛失したとのこと。<br />七座神社も 神社庁のHPを見ると 由緒ある神社だから<br />30番となったものと思う。<br />

    30番 七座山 宝蔵観音
    現在の七座神社(写真)、観音像は紛失したとのこと。
    七座神社も 神社庁のHPを見ると 由緒ある神社だから
    30番となったものと思う。

  • 31番	鳳凰山 玉林寺<br />三十一番は 変わらず<br /><br />32番	松峰山 不動仏 は<br />廃寺となり、<br />大館市松峰仁王田141-5 の松峯神社 だと思う。 <br />大館郷土博物館のHPには、<br />「松峯神社の縁起によれば弘仁8年(817)弘法大師によって開基されたとある。・・・かつては真言宗松峰山という寺であったが、明治政府の神仏分離政策により神社風に改修し、神社として主神を月夜見命とし、名称を松峯神社と改め現在に至っている。縁起書によれば、本堂本尊が不動明王秘仏(弘法大師御作)。前立二童子が御堂東向に。末社が薬師堂、山之御神、宇賀神社。秋田仙北六群観音巡礼の参拾参番之内卅二番札所とある。」<br /><br />

    31番 鳳凰山 玉林寺
    三十一番は 変わらず

    32番 松峰山 不動仏 は
    廃寺となり、
    大館市松峰仁王田141-5 の松峯神社 だと思う。 
    大館郷土博物館のHPには、
    「松峯神社の縁起によれば弘仁8年(817)弘法大師によって開基されたとある。・・・かつては真言宗松峰山という寺であったが、明治政府の神仏分離政策により神社風に改修し、神社として主神を月夜見命とし、名称を松峯神社と改め現在に至っている。縁起書によれば、本堂本尊が不動明王秘仏(弘法大師御作)。前立二童子が御堂東向に。末社が薬師堂、山之御神、宇賀神社。秋田仙北六群観音巡礼の参拾参番之内卅二番札所とある。」

  • 33番	岩本山 信正寺<br />変わらず。<br /><br />今の 秋田三十三観音霊場と 比較すると<br />鹿角市(南部藩)・由利本荘市(亀田藩) は 秋田六郡に含まれないのは当然だったが、佐竹北家の角館が 入っていないのは 意外だった。

    33番 岩本山 信正寺
    変わらず。

    今の 秋田三十三観音霊場と 比較すると
    鹿角市(南部藩)・由利本荘市(亀田藩) は 秋田六郡に含まれないのは当然だったが、佐竹北家の角館が 入っていないのは 意外だった。

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