2014/10/14 - 2014/10/16
1897位(同エリア8625件中)
ワニさん
今回はベトナムのハノイ観光後、そのままカンボジアに行った記録となります。
まずはアンコール・トムとなりますが、この遺跡には色々な時代の建造物があったり、内戦の傷跡が残っていたりと、今回の旅行記を書くにあたり、それらについて調べた内容に触れておりますのでウンチクくさい内容となってしまいました。
私としては非常に楽しんで書く事が出来たのですが、読む方にとっては面白くも何ともない疲れるだけの内容だと思います。
という訳で、アンコール・トム観光の旅行記であると同時に、個人的に勉強したカンボジアの歴史についての備忘録です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
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シェムリアップに着いたのは、完全に日も暮れた夜の時間帯でしたので、観光は翌日以降となります。
空港からはホテルへ直行、こちらでお世話になるのはプリンス ダンコール ホテル&スパ。
クメール調のインテリアで統一され、異国感溢れる演出がされています。
到着した頃は、ちょうどフロントでピアノ演奏中で、これまたホテルの雰囲気にピッタリの音楽でした。プリンス ダンコール ホテル & スパ ホテル
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明けて翌日、ホテルで朝食を済ませた後は、早速アンコール・トムの観光です。
まずは南大門にやって来ました。
アンコール・トムは5つの城門があるそうですが、観光ではこの南大門から開始するのが一般的なようです。アンコール トム 南大門 史跡・遺跡
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アンコール・トムはそれ自体が一つの遺跡ではなく、どちらかというと城塞都市として機能していたらしく、周囲は大きな濠で囲まれていました。
南大門に入る手前は濠を渡る為の橋となっていますが、左右に神々や阿修羅を模った石像が並んでいます。アンコールトム 建造物
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濠はアンコール・トム内にあるバイヨン寺院中心に周囲12kmに渡って掘られているそうで、橋から見える濠の折り返し部分までは約1.5kmくらいでしょうか。
建設は12世紀後半頃とされており、当時これを人口で掘ったのですから、大変な人員が投入された事でしょう。
日本で言うと鎌倉時代あたり、私は「イイクニ(1192)作ろう鎌倉幕府」で覚えた世代です(笑)
今は「イイハコ(1185)作ろう鎌倉幕府」ですね。 -
南大門をくぐると更に長い一本の道のりが…。
先程の濠を見ても分かりますが、本当に広いです。
この辺りは居住区があったそうで、寺院の遺跡がある中心部分まで進む必要があります。
寺院は石造なので現代でも残っておりますが、居住区は木造だったため残っておらずジャングルと化しています。
ここから遺跡部分までは、確かトゥクトゥクを利用したと思います。 -
「バイヨン寺院」が見えて来ました、高く聳え立つのは中央祠堂です。
こちらを建設したのはアンコール王朝全盛期の王、ジャヤヴァルマン7世だそうですが、それ以前からこの地には過去の王が建てた王宮や寺院があったそうで、それらを残したまま新たに建設されたのが、このバイヨン寺院を中心としたアンコール・トムなのだそうです。バイヨン 史跡・遺跡
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この辺りは第一廻廊と呼ばれる場所だったと思います。
石の壁に囲まれており、その周囲に沢山の石柱やレリーフがありました。
アンコール王朝は802年にジャヤヴァルマン2世により建国され、1431年にアユタヤ王朝に滅ぼされるまで、約600年続いた王朝である事は帰国後に調べて得た知識ですが、恐らくガイドさんが現地で説明していたはず(笑) -
第一廻廊と第二廻廊の間から見上げたバイヨン寺院。
間近で見ると大きいです。
それぞれが細かい装飾の彫られた石像が沢山積まれているので、物凄い迫力があります。
王朝の没落後400年以上もの間、これだけ巨大な石造建築物が誰からも忘れ去られ、密林の中ひっそりと建っていたとは、確かに神秘的なものを感じずにはいられません。 -
第二廻廊を渡り上部テラスへ登ると、視界に入るのは大きな観世音菩薩の顔が彫られた四面仏塔。
49の塔に、それぞれ4面に顔が彫られており、全部で196の顔があるそうです。 -
登って来た門の反対から第二廻廊を出た辺り。
この辺も石柱が多いです。 -
レリーフも沢山ありますが、所々、内戦の激しさを物語る痛々しい銃痕も…。
この内戦についてもこれまで詳しくは知りませんでしたが、カンボジア内戦とはインドシナ連邦としてフランス統治時代から独立し、その後1970年のノン・ロルによるクーデターから、1993年の国連監視下の選挙による民主政権が発足されるまでの間を指すようですね。
国民大虐殺で有名なポル・ポト政権は内乱時代のうち1976年~1979年の4年間とのこと。 -
ポル・ポト政権中に、ヘン・サムリンという元将校がベトナムの後ろ盾で内乱を起こしたことで、ポル・ポト派は逃れる形でアンコール遺跡を本拠地にしたそうです。
それまでも何度か左右両派が遺跡を本拠としたそうですが、銃撃戦により弾痕が多く残ってしまったのはポル・ポト派が本拠にした頃だとか。
近くに寄って見ると、銃痕が生々しい…(汗) -
さてバイヨン寺院を出て、アンコール・トム敷地内を北方向へ進むと、見えてくるのはバプーオンという遺跡です。
国家鎮護寺院として1060年頃に、ウダヤディティヤヴァルマン2世という王が…って、名前長いわ!バプーオン 史跡・遺跡
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バイヨン寺院より100年以上前に建設されたのですね。
当時は、こちらの寺院が王朝の中心だったそうです。
この遺跡の特徴は、200mある空中参道でしょう。 -
先程のバイヨン寺院は仏教寺院でしたが、それに対しこちらはヒンドゥー教の寺院だそうです。
当時はここを中心とした東西600m、南北300mの王宮があったそうですが、アユタヤ軍との戦争で王朝没落時に木造の宮殿が焼かれてしまい、現在は城壁と門しか残っていません。 -
更に北へ進むと、ピミアナカスという階段ピラミッドのような遺跡が現れました。
「天上の宮殿」とも呼ばれ、王族の菩提寺だったそうです。
一応記しておくと、11世紀初頭にスールヤヴァルマン1世がヒンドゥー教寺院として建造。ピミアナカス 史跡・遺跡
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ピミアナカスから東方向にある、アンコール・トム以前の王宮の正門をくぐります。
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すると「象のテラス」の上に出ました。
このテラスは350mあるそうで、その壁一面に象の彫刻が施されています。
当時はここで象使いのトレーニング場として利用されており、テラス上から王が見守っていたとガイドさんによる説明がありました。
バイヨン寺院と同じジャヤヴァルマン7世により建造。象のテラス 史跡・遺跡
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こちらは鼻の彫刻が見事です。
当時、人と象は切っても切り離せない関係だったそうで。 -
象のテラス横の「ライ王のテラス」と呼ばれる場所。
壁一面にギッシリと神々の彫刻が彫られており圧巻です。ライ王のテラス 史跡・遺跡
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その後は入って来た南大門とは反対側にある北門からアンコール・トムを後にしました。
約3時間の観光で色々な遺跡を見る事が出来ましたが、圧倒されるばかりの見応え満載といった感じで、終わるころには爽快感にも似た感覚が。
ですが、カンボジア観光は始まったばかり。
この後はトンレサップ湖へ向かいます。
ちなみに、北門付近ではカニに出くわしました。
こんなジャングルにカニがいるとは驚きです(笑)
その②へ続く。
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