2021/05/21 - 2021/05/24
491位(同エリア1495件中)
かるあみるくさん
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日本航空のどこかにマイルで当たった山口宇部空港の旅の初日前編です。
羽田空港から日本航空291便で山口宇部空港へ。その後レンタカーで吉田地区の東行庵と奇兵隊陣屋を見学した後長府に移動し、高杉晋作が決起した功山寺と功山寺同様長府藩毛利家の菩提寺だった笑山寺を見学するところまでのパートになります。
どこかにマイルで山口宇部空港へ!山口・大分の旅-準備編
https://4travel.jp/travelogue/11694461
どこかにマイルで山口宇部空港へ!山口・大分の旅-1日目前半(←イマココ
https://4travel.jp/travelogue/11695643
どこかにマイルで山口宇部空港へ!山口・大分の旅-1日目後半
https://4travel.jp/travelogue/11695656
どこかにマイルで山口宇部空港へ!山口・大分の旅-2日目前半
https://4travel.jp/travelogue/11696647
どこかにマイルで山口宇部空港へ!山口・大分の旅-2日目後半
https://4travel.jp/travelogue/11696739
どこかにマイルで山口宇部空港へ!山口・大分の旅-3日目前半
https://4travel.jp/travelogue/11700039
どこかにマイルで山口宇部空港へ!山口・大分の旅-3日目後半
https://4travel.jp/travelogue/11700051
完結しました。いつも皆様ありがとうございます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- レンタカー JALグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今回は日本航空利用なので第一ターミナル、ビッグバードからの出発ですが昔と随分雰囲気変わりましたね。飛行機撮影も趣味だったのでデッキに行ったりしていますが、今までANA利用だったのでカウンターなどをしっかり見るのは第二ターミナル完成後初めてだったりします。
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自動チェックイン機がかなりたくさんあるのですが、休止中になっているものも多かったです。旅客需要の軽減に伴ってのものだと思いますが、電源は入っているようで画面は転倒していました。
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第一ターミナルからの出発は2013年に北九州に行く際に利用したスターフライヤーを使った時以来なのですが、ずいぶんと進歩して自動荷物預け入れ機も設置されていました。ANAで使った事もありますがJALのものはずいぶんと仕様が違う様子でした。
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保安検査を抜け制限エリアに入ると日本トランスオーシャン航空の宮古行きのB737-800が出発していきました。2021年夏ダイヤから日本航空便名に変更になりましたが、運航は日本トランスオーシャン航空が行っています。
昔と違って社名以外日本航空と変わらなくなっちゃいましたね。羽田空港 第1旅客ターミナル 空港
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今回出発はバスラウンジからです。減便が進みほとんどボーディングブリッジ横づけですし、沖止めスポットはほとんど利用していない航空機で埋め尽くされていますが、需要が少ないからか山口宇部行きはバスで飛行機に向かう形でした。
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ちなみに当日羽田空港第一ターミナルの出発便のうちバスラウンジ出発の便はこれだけです。4便あるように見えますが、7G85とNH3885は同じ便でコードシェアされているだけなので3便です。そのうちの1便にあたりました(笑。
羽田空港 第1旅客ターミナル 空港
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第一ターミナルはバスゲートが6か所あるようです。これでもコロナ禍以前は相当な混雑だったんだと思いますが、いかんせん搭乗者数の少ない一便があるだけなのでとても閑散としていました。
どこかにマイルでの搭乗なのでまあ空いている便に当たったんでしょうが、実際のところ他の三か所の便はどれくらいの混雑だったのかなと。青森は北ウイングなのでともかく長崎と宮崎はゲート見に行けばよかったかなと今になって思います。 -
バスラウンジいつ以来かな・・・。随分と整然とした印象を受けました。ビッグバードもANAが移転後改修工事なども行っていたのでかなりリニューアルされていますし以前とは雰囲気も変わっていますよね。まあ元々南ウイングはJALが使っていたので来たことはなかったと思いますが・・・。
こんだけゲート並んでいても朝は山口宇部空港行きの便だけです。
ちなみに日本航空は優先搭乗を現在も行っていますが、バスだと結局同じバスで行くことになるのであまり意味がないのかなと・・・。車内で座る事は出来ますが・・・。 -
バスへ乗り込みしばらくすると出発。バス一台で全員乗り切りました・・・。
バスはターミナル下を走って西貨物地区の30番台スポットまでやってきました。駐機している数がすごい数です・・・。コロナ禍以前はバスでこの辺りからの出発も多かったようですが、現在はほぼ駐機中の機体ばかりの様子。
沖展以前はこの辺りからANAやJASが出発することも多かったですね。 -
展望デッキからみるトーイングカーはすごく小さく感じますが、こうやって近いところで見るとかなり大きく感じます。何よりこの巨大な飛行機をプッシュバックするわけですからタイヤも大きくパワーを感じます。
羽田空港(東京国際空港) 空港
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搭乗機材はB737-846、JA334Jでした。2010年製造の機体で当初はJALエクスプレスに導入された機材です。165人乗りの機体ですがバスに乗っている人数それよりもものすごくに少ない・・・。
日本航空で導入している機材では小さい部類ですが、こうやってみるとかなり大きく感じますね。昔はB747SRなどでも沖止めが当たり前だったわけですが、それは本当に大きく感じたのでしょうね。羽田空港(東京国際空港) 空港
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後方席、というか左側最後尾席なので付近に誰もいません(笑。
前方はそこそこ人がいましたがこの空き具合の中わざわざ後方席を取る人なんていないのでガラガラ。まあゆっくりできるので基本的に後方を狙って座席取っている私が変わりものですが・・・。 -
最後尾席から見た機内の様子はこんな感じ。シートが黒色なのでわかりにくいですが、頭が飛び出ているのでそこは人のいる席。それ以外は(たぶん)空席です。
まあバスラウンジにいた人数やランプバスに乗っている人数で察しは付きますがガラガラです。
コロナ禍で、っていうのはもちろんあると思うんですが、ターミナルで見た他のゲートはある程度人がいたので、やはり宇部空港行きは少ないんだと思います。だからバスラウンジ出発になったんだと思いますし・・・。 -
07:55に羽田空港のRW16Rを離陸しました。離陸上昇中にD滑走路が見えましたので撮影。そういえばD滑走路出来てから明るい時間にRW16Rからの離陸機に乗ったことないかも。
昔の話ですが冬場で朝便の山口宇部行きの羽田離陸はRW34Lからの離陸、通称ハミングバードデパーチャーになることもありましたね。現在この離陸方式は廃止されているみたいですが、あれを機内から見たかったなあ・・・。 -
RW16Rを離陸後右に旋回し本牧から陸地上空に入り西へと向かいます。眼下には磯子の工業地帯が望めます。それにしても横浜は団地多いなあ・・・。
まだそんなに高度が高くないですが、三浦半島の方まで景色が望めます。 -
ほぼ同じ位置なんですが一眼でズームで金沢八景の方を撮りました。真ん中の島は八景島シーパラダイスです。野島公園や柴公園なども見えますね。
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眼下には横浜、遠くには三浦半島や江の島も見えます。離陸直後に富津方面も見えましたが、南関東はあまり大きくないので有名な観光地などもたくさん一望できますね。
横浜市内はほとんど緑は見えないですが、鎌倉や三浦半島の方はそれなりに緑が残っているんだなあと実感。
この後すぐに雲の中に突入しました。元々関東は曇りの予報でしたし、朝東横インを出発した時点では小雨が降っていたので仕方ないですね。 -
日本航空に乗ったのでせっかくなのでスカイタイムをリクエストしました。初代はキウイ味、そのあと柚子味になったのは知っていたけど、シークワーサー味、復刻盤を経て昨年から「ももとぶどう」味になっているそうです。
前回岡山の帰りはコンソメスープをもらっていてこれもJALらしいけど、初めて機内でスカイタイムを飲めました。
ちなみに搭乗者が少ないからかCAさんからお代わりいかがですかと尋ねられたので遠慮なくいただきました。
やはり空の上で飲むスカイタイムは美味しいですね。 -
長野あたりで雲が減り中京圏に来た頃はほとんど雲は見えなくなってきました。
これは名古屋空港、昨年夏にちょっと寄りました。飛行機を利用したわけではないですけど・・・。
本来反対側の席に座っていますがCAさんに許可を頂き撮影しました。とは言え本当に撮影したかったのは名古屋空港ではないのですが、それは雲の下で撮影できず・・・。 -
機体はさらに進み関西方面へ。
ちょっと暗くなっちゃいましたが右奥に淡路島、そこから左下方面に向かっているのが明石海峡大橋です。 -
GPS情報からおそらく加古川だと思うんですが、前日が嵐のような天気だったためか濁流になった様で茶色く濁った水が海に注いでいました。
報道などでは時々みる光景ですが自分で見るのは初めてでしたし、何より荒れたとは言え災害、という状況ではなくてもこうなるんだなと怖さを感じました。 -
岡山上空付近から降下を開始し順調に降下をし続け雲の中に突入するところです。とは言えだいたい長野上空あたりからは雲がないところが多く山口に近づいて雲が出てきたのでこうなったときは、えっ!?雲出てたのって感じでした。
こういう風景が見れるのも飛行機ならではですね。 -
機体はさらに降下を続け9:17に山口宇部空港のRW25へ着陸しました。スポイラーを立てて減速中です。
半分海上空港の様な宇部空港ですが地形的にRW25への進入を直進で行うと防府市街地上空を通ることになってしまうので、海上を降下してきて滑走路直前で正対し着陸という形でした。完全なサークリングアプローチではないですが、滑走路を見ながら降下していくのもなかなか面白いですね。山口宇部空港 空港
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タキシングしてターミナルビルにまで飛行機がやってきました。ターミナルにはスターフライヤーが・・・。SFJ11便として定刻では20分前に到着していた様です。日本航空はガラガラでしたけど向こうはどうだったんですかね・・・。あまりこの状況じゃ需要ないのかな・・・。
JL291は搭乗者が少なくてまた安定したフライトだった事もあってかCAさんから話題を振られたりもしました。グッズももらったりとうれしいフライトでした。山口宇部空港 空港
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降機して手荷物受取場に来ました。最後尾に座っていたので降機が一番最後の方だったので、ここに来た時には既に荷物が回りだしていました。
猿が「おいでませ」の看板を掲げていますが、宇部市にあるときわ動物園にちなんでですかね。 -
手荷物受取所の一角には国宝の瑠璃光寺五重塔の模型が・・・。2013年に見に行っていますが山口市内もすべて見てきたわけではなかったので、この時点では3日目の見学先の候補に入れていました。日本三大塔にも数えられることもありとても美しい五重塔だったのはいまでも覚えています。
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到着ゲートに出ると記念スタンプの横にこんなのが・・・。厚狭郡宇部村が単独で市制を施行し宇部市になってから今年で100年だそうです。ちなみに昭和の合併、平成の合併でも新設合併をせず吸収合併だったのでこの時の宇部市が今まで残っているという形になっているそうです。
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山口宇部空港の展望デッキにやってきました。日差しはものすごい強いですが、風が涼しくてすごく気持ちいい場所でした。ちなみにここは右手の国内線ターミナルと左手の国際線ターミナルを結ぶ連絡橋の上みたいな場所ですが、ここも反対側も向けば滑走路やエプロンが見える展望デッキです。
この方向には宇部市有数の公園であるときわ公園が見えるのですが、ここからだとよくわかりません。 -
先に到着していたスターフライヤーのJA06MCがSFJ12として羽田へ離陸していきました。ちょっと雲のかかり方が変わって暗い写真になってしまいました・・・。
羽田線はJAL、ANA,スターフライヤーの三社で飛ばしていますが、スターフライヤーはANAとコードシェアしているのでこの便にもANA便名が付いていました。山口宇部空港 空港
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JL291として自分が搭乗してきた機ですが折り返しJL292で羽田に向かって飛んでいきました。上のスターフライヤーに比べて引っ張っての離陸に見えるのはインターセクションディパーチャーだったからでたぶん搭乗者数などはそんなに変わらないのかなと・・・。到着時にちょっと見たゲートの様子でしかわかりませんが・・・。5分差なので普段使っているキャリアや値段などを考えて皆様決めている感じですかね。
ちなみに羽田行きはどちらも結構な搭乗者数に見えました。山口宇部空港 空港
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山口宇部空港はレンタカーカウンターが独立した建屋になっています。空港ターミナルに入っているレンタカーは全てここにカウンターがあるようで割と便利だなと思いました。
ちなみにレンタカーの出発はさらに隣、管制塔の裏の駐車場でした。 -
今回の旅行で乗車するソリオです。1200ccの車輛で後ろはスライド扉になっています。一人での旅行なのでスライドドア装備とかはそんなにメリットはないけど、スーツケースの出し入れは楽でした。前回の岡山の1000ccのタンクより走りやすくてよかったです。
ちなみに行程上問題がなければタイムズレンタカーを利用しているのですが、それは自家用車がマツダ車だからというのもあるんですが、今回はスズキ車の割り当てでした。 -
空港敷地内にあるふれあい公園の駐車場に車を停めて荷物の整理などをした後少し公園に寄ってみました。山口宇部空港の滑走路を望める公園で離着陸も良く見れそうですがコロナ禍もあって、というか元々離発着の多い空港ではないです。
ちなみに2016年には日ロ首脳会談の為にプーチン大統領が登場したロシア航空のIL96-300が飛来しています。
yoasobiのAyase氏が宇部出身でゆるキャラのチョーコクンの紹介していたのをふと思い出しました。結局チョーコクンは見る事はなかったです・・・。黒歴史のもう一つのゆるキャラも。
ぷらそにかが好きだったのでyoasobiも好きで「もう少しだけ」とか「三原色」とか流しながら宇部市内を走っていました。ふれあい公園 公園・植物園
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宇部市内で謎の渋滞はありましたが宇部インターから山陽道に入り最初の目的地の東行庵へ向かいます。途中周防灘パーキングエリアで休憩と経路確認。周防灘パーキングエリアはトイレと自販機だけの簡易型のエリアでした。周防灘パーキングエリアと名乗っていますが、海には近いもののまったく海は見えません。高台が造られていて登ってみましたが基本的に何も見えませんでした・・・(´・ω・`)
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最初の目的地の東行庵の駐車場にあったのは晋作餅という看板。どうやら東行庵の名物の様です。
ちなみに東行庵は下関ジャンクションの近くにありますがここでは一般道に出れないので手前にある埴生インターチェンジから降りて走ってきました。とは言え信号待ちや渋滞もなく割とすぐに到着しました。晋作餅を売っています。 by かるあみるくさん本田菓秀庵 グルメ・レストラン
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シソ巻きの餅とシソがまかれていない餅があったので一つずつ購入しました。シソ巻きの方が好みでした。
朝東横インで食べて以来何も食べていなかったので空腹を満たすことが出来ました。
しかし晋作餅なんてお餅があるのはここで初めて知りました。晋作餅を売っています。 by かるあみるくさん本田菓秀庵 グルメ・レストラン
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ここが東行庵です。高杉晋作の墓を中心に現在は曹洞宗清水山東行庵というお寺になっています。元々山縣狂介の草庵があるその近くに高杉晋作の墓が造られました。その後山縣が高杉のめかけであり高杉の死後出家したおうのに送り、高杉の号にちなみ東行庵と名付けられました。清水山というのはこの山の名前だそうです。
東行庵 名所・史跡
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絵図の様な東行庵の案内図がありました。
この絵図で感じるほど広いわけではなかったですが、奇兵隊隊士の墓や歌人の歌碑があったり、博物館があったりと見どころは多いです。
幕末好きなら結構時間かけてみても楽しめると思います。東行庵 名所・史跡
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まずは高杉晋作の顕彰碑や墓、奇兵隊隊士の墓を見に行きます。林の中に入っていく感じですが道は綺麗に整備されていました。
道からちょっと奥にある石碑は日露戦争の戦勝記念碑の様です。東行庵にあるほとんどの碑や墓は奇兵隊・長州諸隊にかかわるものですがなぜかここに日露戦争碑があったのかは不明です。しいて言えば奇兵隊の軍監を務めた山縣有朋が日露戦争で参謀総長を務めたからかなあ・・・。東行庵 名所・史跡
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伊藤博文が撰文し杉孫七郎が揮毫した高杉晋作の顕彰碑。除幕は1911年に井上馨が行っています。高杉晋作の妾で生涯墓を守ったおうのの没後2年後、親友であり兄の様に慕っていた伊藤の没後翌年の事でした。
内容は伊藤博文が高杉晋作の功績を列記したたえた後、維新後の世界を見ることなく亡くなった事を悲しむ事を書いています。
この撰文が行われた約一年後、伊藤は哈爾浜駅で暗殺されています。東行庵 名所・史跡
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こちらは福田侠平の顕彰碑です。実はこちらの方が高杉晋作の顕彰碑より早く完成して、おうのは「夫のが来ない」と嘆いているうちに亡くなってしまったとか・・・。福田侠平は奇兵隊の軍監も務めた人物で、多くの奇兵隊士よりも10~20程度年上だったことで隊士の尊敬も扱ったそうです。高杉も彼の事を信頼していたそうです。
戊辰戦争の一応の勝利を見て一時帰郷した際に亡くなっています。東行庵 名所・史跡
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顕彰碑から登っていくと高杉晋作(谷潜蔵)の墓があります。実は高杉晋作は功山寺挙兵の際に家族に連座が及ぶことを避けるために廃嫡されており、その後俗論派を一掃した後に藩命により谷家を創設し谷潜蔵と名乗っています。その為このお墓は東行墓と正面に書かれており、裏側には谷潜蔵と銘記されています。
また日本の歴史を大きく変えた人物の墓ではありますが、明治維新前に亡くなっている事もあり墓としてはごく普通の物でした。
ちなみに高杉晋作は遺言として吉田に葬ってほしい事、墓石に刻んでほしい事を遺していますが、後者は行う事が出来ず没後150年たった2017年にこの東行庵の中にその石碑が建立されました。高杉晋作墓 名所・史跡
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高杉晋作の墓の周囲に灯篭を寄進した人物が書かれていました。寄進者は越智博文、大江孝允、源馨となっていて、この名前はまず聞き覚えないですが、看板に注釈がある通り伊藤博文、木戸孝允、井上馨です。確か松陰神社の鳥居に大江孝允とは記載されていたと思いますが・・・。源馨と越智博文は初めてみました(私が伊藤博文が越智氏族と知ったのは昨年12月の愛媛旅行の際ですが・・・)。
これ三人とも苗字ではなく「氏(うじ)」を記載しています。なので後の、は若干ニュアンスが違うと思いますが確かにこう書かないとわからないですよね。江戸時代は氏や官職を書くことは多々あったのでその名残りだと思います。よく言う清和源氏などがそれですね。さらに言えば氏(うじ)、性(かばね)も表記することがあり姓も複雑です。
ちなみに氏で書くとそこら中「藤原氏」や「源氏」、「菅原氏」ばかりになってしまいます。高杉晋作墓 名所・史跡
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高杉晋作の墓の横には顕彰碑と同じく福田侠平の墓が並んで建立されています。高杉の没後1年半後に福田も没しましたが、高杉と違い戊辰戦争の一応の勝利を見て無くなっています。亡くなった時も北越戦線で勝利を挙げ明治新政府の発足を祝い酒を飲んでいる最中に卒倒し亡くなったと言われています。
高杉晋作墓 名所・史跡
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高杉晋作の墓の奥には奇兵隊隊士・諸隊隊士の墓が並んでいます。元々ここで埋葬されたわけではなく、各地で隊士たちの墓が荒れ果てている事を嘆いた東行庵三世谷玉仙が1971年にこの地に奇兵隊および諸隊士顕彰墓地をこの地に開いたそうです。
奇兵隊や諸隊隊士は10代、20代で亡くなった人も多く、遺族もおらず墓が荒れる事も多かったそうです。東行庵 名所・史跡
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奇兵隊が参加した戦争は四国艦隊下関砲撃事件(馬関戦争、下関戦争)、四境戦争(幕長戦争、第二次長州征討)、戊辰戦争の3つですが病気などで亡くなった隊士や、維新を生き抜きその後亡くなった隊士も祀られています。
このお墓に埋葬されている今井満太郎氏は四境戦争の最激戦地である小倉口の戦いで亡くなられたそうです。東行庵 名所・史跡
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墓を見下ろす位置に見守るように菩薩石像が建立されています。この菩薩さまも奇兵隊・諸隊隊士の墓と同じく東行庵三世谷玉仙が、墓を開いた後の1973年に建立したものだそうです。
東行庵 名所・史跡
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多くの無名の奇兵隊隊士の墓があります。多くの墓には埋葬者の名とどこで亡くなったのかなど書かれた看板が立てられていてそれを見ながら隊士の事を知ることが出来ます。
東行庵 名所・史跡
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段を造りそこに墓地を造成していました。1865年から奇兵隊の宿舎とされていたここ吉田で多くの隊士が眠っています。
東行庵 名所・史跡
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赤禰武人の墓もここにありました。遺族の願いでここに墓が建てられたのは1995年、奇兵隊第三大総督を務めながら名誉が回復されたのは没後131年経ってからという事でしょうか・・・。
第一次長州征伐後正義派と俗論派の調停を行おうとしますが、その間に功山寺挙兵により高杉が藩論を武備恭順で統一、幕府との全面戦争を回避するため西郷隆盛を頼り京都に向かいますが幕府に捕縛され、逆に方向性を変えるため今でいうところのスパイの役割を持ち長州に返されますが既に藩論は統一されていてスパイとして一切の弁明機会を与えられないまま処刑されさらし首になりました。
その後四境戦争で幕府軍は壊滅的大敗を喫し事実上江戸幕府の権威・権力がなくなるわけですが、当時普通に考えれば幕府と一藩が全面戦争をしたら勝ち目はないと考えるのは普通で赤禰武人が行おうとしていた事は決して悪ではないんだと思います。これは俗論派でやはり処刑された椋梨柊太もそうですが、現在では悪者として描かれますが歴史の敗者達も長州や日本の未来を本当に憂いて彼らなりの「正義」の元行動していたのだと思います。
没後かなりたっての事ですが、この地に赤禰武人の墓が建立されたのは彼の無念を果たすためにも良かったと思います。東行庵 名所・史跡
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墓の見学を終え高杉晋作像へと向かいます。墓に関しては奇兵隊隊士でも名前を知らない人が多くいて、これはどの戦争でもそうですが多くの無名の人の上に有名な人がいるんだなと実感しました。もっと幕末史勉強しないとと思いますね。
この武士の姿の像は山縣有朋像。武士の姿だから山縣狂介の方が良い気もしますが・・・。
幕末の志士としても活躍し下関戦争では壇之浦砲台から一矢報いる攻撃もしたそうです。他にも四境戦争小倉口の戦いでは指揮官として戦ってもいます。
とは言え幕末の志士としてよりも元老政治・藩閥政治の元となった、汚職という悪い評価が付いているのも事実な気がします。
ちなみに山縣と対比される同時期の政治家として伊藤博文がいますが、彼の場合汚職など金銭に汚い事はなく、気さくで庶民から人気だったという事実の一方で、とにかく女好きで明治天皇から注意されるほどだったという評価もあり・・・。
ただ当時の世間では伊藤の方が人気はあったそうです。東行庵 名所・史跡
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山形狂介像から階段で上に上がると立派な高杉晋作像がありました。
実は高杉晋作は小柄で立った姿を写されるのを嫌がったという事で立っている写真ってないんですよね。この銅像はしっかりと建っていらっしゃいますが・・・。
高杉晋作は152~154cm程度だったと言われていますが、この時代だと少し小さい位だそうです。ちなみに奇兵隊時代の高杉と伊藤が並んだ写真がありますが、伊藤は立ち高杉は座っています。でも伊藤の身長も154cmとのことで(とは言えこれが晩年なのか若き日なのかはわかりませんが)、そこまで気を使う事かなと・・・。東行庵 名所・史跡
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こちらの石碑は高杉晋作が功山寺挙兵の直前に大庭伝七にあてた手紙の中で死後墓石に掘ってほしいと記した内容が刻まれています。
決死の覚悟で武装蜂起し結果成功したものの、死を覚悟した上での蜂起だったことが伺えます。師である吉田松陰から「生きている限り、大きな仕事が出来ると思うならいつまででも生きよ。死ぬほどの価値のある場面と思ったらいつでも死ぬべし」と教えられていた通りに行動をしたのだと思います。東行庵 名所・史跡
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1966年に高杉没後100周年を記念し建設されたという東行記念館。ただ新型コロナウイルス感染拡大防止の為にこの前の金曜日から臨時閉館になったようです。この時に見た貼り紙を見てひょっとして博物館系あまり見れないかなという嫌な予感がよぎりましたがそれは後ほど事実に・・・。
ただ結果的にはこれのおかげで今回の旅が楽しくいろんなところに回れたのは事実で、それはまた後述します。東行庵・東行記念館 名所・史跡
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東行記念館の前にも高杉晋作像がありました。こちらも立っている像でした。
ちなみに台座の銘板には「内閣総理大臣安倍晋三」と揮毫されており一次二次どちらの政権かはわかりませんが、割と近年の建立だと思われます。東行庵 名所・史跡
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東行庵三世谷玉仙像がありました。1946年から1989年に亡くなるまで庵主を務め奇兵隊隊士の墓をこの地に造った先代です。そのほか上記の東行記念館を整備したり、東行庵中興の祖と言われました。
東行庵 名所・史跡
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この建物が東行庵。現在の物は1884年に維新に関わった志士たちの寄付で建てられた二代目で、出家していたおうのに贈られています。初代の庵は上記した通り元々は山縣狂介(山縣有朋)の草案で、1869年の海外留学の際におうのに贈られたものです。
おうのは維新後生活が厳しく、旧知の維新志士に上京し相談などをしていたそうです。尼、谷梅処として1909年に亡くなるまでこの地で高杉を弔い続けました。東行庵 名所・史跡
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東行庵から車で数分進んだところに奇兵隊陣屋跡があります。ここが1865年から奇兵隊が陣屋として利用した場所で、藩主が政治に関与されるのを嫌がり萩から離れた場所に置いたともいわれています。
長閑な吉田に残る奇兵隊の陣屋跡。 by かるあみるくさん奇兵隊陣屋跡 名所・史跡
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現在は奇兵隊陣屋あと周囲は野原、一部畑になっているような長閑な場所でした。石碑と無名の奇兵隊隊士像、解説版があるだけの広場です。ただ解説をみるとどのように陣屋がおかれていたのか、当時の風景も思い浮かびますので行ってみて損はないと思います。
ちなみに後ろは下関ジャンクションになっていてとても閑静とは言えない車の走行音が響きます。まあ首都圏の高速に比べれば相当静かでしたけど・・・。長閑な吉田に残る奇兵隊の陣屋跡。 by かるあみるくさん奇兵隊陣屋跡 名所・史跡
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奇兵隊陣屋跡から見た吉田の街並み。現在は下関市の一部となっていますが、当時は吉田村という山村だったようです。この地に奇兵隊の人数がいきなり押し寄せてきたのでいろいろ大変な事もあったのかもしれません。
当初は近くの寺などに寄宿し陣屋が完成した後はここで訓練を積んだそうです。長閑な吉田に残る奇兵隊の陣屋跡。 by かるあみるくさん奇兵隊陣屋跡 名所・史跡
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東行庵と奇兵隊陣屋跡のある吉田から車で長府までやってきました。同じ下関市で車で1時間弱の距離ですが、長府までくるとかなり都市化が進んでいる様そうです。
長府での駐車場は長府中学校と功山寺の間にある有料駐車場に停めました。門柱になっていた煉瓦造りの壁だと思うんですがなかなか歴史がある感じで気になってしまいました。 -
お腹も空いてきましたが車を停めたのは長府で一番奥の区域。そもそも現在の長府駅周辺の商業地区と長府の武家の街並みは位置が大きく離れているのであまり気軽に入れる飲食店はありません。グーグルマップで見ると駐車場の前にある珈琲gattoというお店がカフェ以外にもランチを行っているようで行ってみる事に。
前にある門が入り口でどうやら古民家カフェのようです。本当に駐車場と目と鼻の先でした。お洒落な古民家カフェ by かるあみるくさん珈琲gatto グルメ・レストラン
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門をくぐって右側が珈琲gattoの入り口になっていました。他の部分はどうなっているのかわかりませんが、かなり広い屋敷を改装してカフェになっているようです。
雰囲気はとても良いですね。お洒落な古民家カフェ by かるあみるくさん珈琲gatto グルメ・レストラン
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店内も古民家を改装した様なあっとほーむでおしゃれな雰囲気のカフェになっていました。なんか男一人旅はちょっと合わない感じで、実際他のお客さんも一人の人はいませんでしたね。
とは言え落ち着いて食事ができる雰囲気も持ったお店でした。 -
メニューも手作りのものでした。ナポリタンが看板メニューの様ですが、麺がなくなっていてゆでると20分程度かかるとのことだったのでグリーンカレーを注文しました。
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提供は思ったより早かったです。そしてメニューに違いはなく野菜たっぷりのスープカレー。大根がとても美味しく、またカレーもしっかりと辛さがありとても美味しかったです。最初見た時にごはん少ないかなとか思いましたがちょうどいい塩梅でした。
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食後にはアイスクリームがセットで着いてきました。とても甘くておいしかったです。初夏の陽気なのでアイスはうれしいですね。
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食事後は功山寺にすぐ近くの功山寺にやってきました。鎌倉時代末期に建てられた曹洞宗の寺院で室町時代には大内氏の庇護を受け発展したそうです。仏堂は国宝に指定されていて山口県では瑠璃光寺と並び有名な寺院です。
ただそれ以上にこの功山寺が有名なのは幕末の大きな転換点となった高杉晋作が武装蜂起した功山寺挙兵の舞台という事です。
まったくの余談。この写真、子供が写りこんでいるんですが現地で子供がこんなところにいた記憶がなく・・・。男の子が走り回っているのは覚えているんですが・・・。
写真を拡大してみるとマスクもしているので遊んでいた子が写りこんだんだと思います。
最初割と焦った・・・。功山寺 寺・神社・教会
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この山門も1773年に再建されたというとても歴史のあるもので、何よりとても大きく大内文化の壮大さもわかります。現在は下関市の指定文化財になっているそうです。
1865年1月(和暦では元治2年12月)第一次長州征討の結果俗論派が長州藩内で政権を握り正義派への弾圧を強め、諸隊への解散命令なども出ている事に危機感を覚えた高杉晋作は亡命先の豊前から帰国をし武装蜂起をします。正義派への弾圧の中既に諸隊は藩政府の意向を無視して動いている状態で、クーデターと言ってもおかしくない状況ですが、それでも高杉の武装蜂起へは反対論が根強い状態でした。当初は同調していた長府藩、清末藩も内戦回避に動き、それにより御楯隊も離脱するなど同調勢力がほとんどいない状態でした。功山寺山門 寺・神社・教会
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鐘楼と高杉像。この高杉像は乗馬しているので立ってはいないですね。
その状況下でも諸隊隊長の同調もしないが反対もしないという状況のまま高杉はクーデターを決行します。とは言え諸隊で同調したのは伊藤俊輔率いる力士隊と石川新五郎(後の河瀬真孝)率いる遊撃隊わずか84人。赤穂浪士の討ち入りと同じ日の12月14日を決行日にする予定が1日遅れ15日になったと言われています。
伊藤は晩年、「わが人生で唯一誇れることがあるとすれば、あの時いの一番に高杉君の所に駆け付けたことだ」と話しています。功山寺 寺・神社・教会
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凛々しい高杉像。おそらくですが東行庵にあったものより古くからある様に思えます。
高杉のクーデターに萩政府だけでなく諸隊も動揺しますが、1月に俗論派との交渉を考えていた奇兵隊総監の赤禰が動揺し逃走、さらに太田絵堂の戦いで俗論派が敗北した事により諸隊はクーデターに呼応、代官も萩以外は全て正義派に恭順の意を示し、多くの農民もこれを支持し奇兵隊に入る事態となりました。但馬に亡命していた桂小五郎も長州に帰国し最終的に俗論派政府は崩壊し椋梨藤太は俗論派よりだった岩国藩に逃亡しようとするも石州で捕縛、萩政府は急進派である正義派もと元武備恭順で再度の幕府との戦争に備えていきます。
また俗論派自体幕府の意向で正義派の粛清を行っていた事は正義派も把握をしていた様ですが、椋梨藤太親子の処刑をはじめ切腹、自決などで俗論派はほぼ一掃され急進派による政権となりました。功山寺 寺・神社・教会
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こちらは五卿潜居の間。長州征伐の原因となった禁門の変で失脚した七卿のうち5人がここに匿われていました。高杉は挙兵の際に五卿を前に挙兵を宣言した後に下関に向かいました。
功山寺挙兵の後に福岡へ移動しています。第一次長州征伐の際の和平交渉の一つにこの五卿の扱いがあり長府藩でも相当難しい問題と化していた様です。五卿潜居の間 名所・史跡
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功山寺に入ったところの写真でも書きましたが、この功山寺は功山寺挙兵がものすごく有名なのですが、この仏堂は鎌倉時代末期に建築された国宝の建築物です。柱の墨書があり明確に建築年がわかっているそうで、元治2年(1320年)建築だそうです。
大内氏の繫栄、その後の毛利氏、長府藩の時代、功山寺挙兵など移り変わる山口の歴史を見守ってきた仏堂です。功山寺 寺・神社・教会
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この立派な建物は2016年まで下関市立長府博物館として利用されていた建物で、現在博物館は先ほど昼食を取った珈琲gattoの横に移転し下関市立長府博物館となっています。この旅行の直前から博物館はコロナ対策で閉館になっているようで見学できませんでしたが、後述しますが結果的にはその時間をいろいろなスポットに回れたので良かったかも。
建物自体は1933年に報國隊士が造った長府尊攘堂に由来するそうです。現在は閉館後そのまま建物を利用しない状態が続いている様子でした。下関市立長府博物館 美術館・博物館
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この丘と塔は万骨塔と呼ばれ明治維新に殉じた志士を弔うために造られたもので、下にある石は各地域から寄せられ、その地域の律令国家の名前が刻まれていました。
功山寺 寺・神社・教会
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功山寺を出て少し歩いたところにあるこのお寺は笑山寺。長府毛利氏の菩提寺となっていて境内には長府藩2代毛利光広と7代毛利師就の墓が建立されています。
笑山寺 寺・神社・教会
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こちらは十三重の石塔です。鎌倉時代の特徴のもので、その年代付近での建立と想定されているそうです。現在は下関市の指定文化財になっているそうです。
笑山寺 寺・神社・教会
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蜂が何匹かいて巣がどこにあるのか確認できずちょっと遠くから撮影する形になりましたが、毛利光広と毛利師就の墓になります。長府藩藩主の墓は長府地域内のこの笑山寺、功山寺、覚苑寺に分けて造られています。ただ遺体を埋葬しているのは東京高輪の泉岳寺だそうです。
笑山寺 寺・神社・教会
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笑山寺から出て檀具川沿いに歩いていこうと思ったんですが、寺からすぐの所に雑貨屋があったのでちょっと気になって寄ってみました。Donq-Ponqという雑貨屋でドンクポンクと読むそうです。ガラス細工や陶器もあったりと本格的でした。
結構悩んだんですが結局見るだけになってしまいました。
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