2007/03/10 - 2007/03/10
1300位(同エリア2520件中)
TMBSさん
この旅行記のスケジュール
2007/03/10
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電車での移動
プラハ本駅816→(チェコ鉄道・ドイツ鉄道国際列車EC176号)→1312ベルリン中央
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電車での移動
ポツダム広場→(Sバーン)→アンハルト
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電車での移動
ポツダム広場→(Sバーン)→フリードリヒ通り→(Sバーン)→ベルリン中央
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この旅行記スケジュールを元に
新型コロナウイルスの感染拡大により海外旅行が夢のまた夢になりはや1年。
8年間放置していた2013年夏のハンガリー、オーストリア、ドイツへの旅の模様を書き終えてふと思いました。
「どうせやるのならば、大学時代の卒業旅行で中欧とドイツ、フランスを巡った時の模様も振り返ってみたい。」
前のデジタルカメラは実家の建て替えと同時にデータごと行方不明になり、手元に有るのはフィルムカメラとガラケーの出来の良くない写真ばかり。
それでも折を見て書けるだけ書いてみることにしたので、可能であればお付き合いください。
今回は、ベルリンでの短い滞在時間に駆け足で巡ったブランデンブルク門・ポツダム広場界隈の様子を振り返ります。大学で現代史を専攻していた私にとって、この旅行での最大のミッションの一つはヨーロッパの現代史探訪でした。
(大まかな行程表)
大阪→(カタール航空QR821便)→ドーハ→(カタール航空QR25便)→フランクフルト→(鉄道)→ミュンヘン→(鉄道)→ザルツブルク→(鉄道)→ウィーン→(鉄道)→ブラチスラバ→(鉄道)→ウィーン→(鉄道)→クラクフ→(鉄道)→オシフィエンチム→(鉄道)→クラクフ→(鉄道)→プラハ→(鉄道)→ベルリン→(鉄道)→ケルン→(鉄道)→ブリュッセル→(鉄道)→パリ→(カタール航空QR22便)→ドーハ→(カタール航空QR820便)→大阪
その1(プラハ編)はこちら
https://4travel.jp/travelogue/11684052
その2(ドレスデン編)はこちら
https://4travel.jp/travelogue/11694078
その4(ケルン編)はこちら
https://4travel.jp/travelogue/11695516
その5(パリ編)はこちら
https://4travel.jp/travelogue/11695657
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- カタール航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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2007年3月10日昼過ぎ。
プラハ本駅からの国際列車EC176号で、開業間もないベルリン中央駅に到着。
上に上がれば東西方向の高架ホーム、下に降りれば南北方向の地下ホーム。ベルリン中央駅 駅
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ガラス張りで円筒形のエレベーターシャフトは、なかなか洒落ています。
暮らしの中の工業デザイン、景観デザインを重視しているのは、お国柄でしょうか。ベルリン中央駅 駅
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コンコースから見下ろした地下の3・4番ホーム。
乗車してきたEC176号は、このホームに到着しました。ベルリン中央駅 駅
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ガラケーで撮った写真ですが、ベルリン中央駅の高架ホームは駅舎を貫通する構造になっています。
地上のコンコースからは、ご覧のようなアングルでSバーン(近郊電車)や長距離列車を撮影することができるので、鉄道ファンの方にはお勧めです。ベルリン中央駅 駅
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ご存知のとおり、ここベルリンの街は第二次世界大戦末期の空爆と地上戦で壊滅的な被害を受け、戦後は東西冷戦体制のもと街全体が西側陣営(アメリカ・イギリス・フランス)と東側陣営(ソ連)に分割占領されました。
それもあり、両陣営の占領区域の境界に近かったベルリン中央駅周辺には古い建物はあまり見当たらず、築年数の新しい集合住宅やオフィスビルばかりが目に付きます。 -
ベルリン中央駅の東側を流れる川。
シュプレー川から分かれているようです。シュプレー川 滝・河川・湖
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ベルリン中央駅から東側に伸びる高架橋。
ベルリン中央駅 駅
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イチオシ
ベルリン中央駅の駅舎。
歴史的な経緯により、戦後長らく「中央駅」が存在しない状態が続いていたベルリンの街にとって、名実とも総合的なターミナル駅として位置付けられているこの駅の誕生は長年の悲願でした。ベルリン中央駅 駅
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ガラケーの解像度の低い画像ですが、駅舎の上部にはドイツ鉄道(DB)のロゴ看板が取り付けられています。
また、駅前は団体バスなどが乗り入れている車寄せになっていました。ベルリン中央駅 駅
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一通り駅舎を眺めて悦に入ったので、シュプレー川沿いの道を歩いて市内観光に繰り出すことにします。
高架橋を、オレンジ色と黄色に塗り分けられたSバーンの電車が走っていました。シュプレー川 滝・河川・湖
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遠くに見えるドームのある建物が、ドイツ連邦議会議事堂(国会議事堂)です。
帝政ドイツ時代の1894年に建設されたものの、ナチス時代の1933年の放火事件と第二次世界大戦の空襲により廃墟となり、その後紆余曲折を経てドイツ再統一後の1999年より再び連邦議会の議事堂として使用されるようになりました。ドイツ連邦議会議事堂 現代・近代建築
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連邦議会議事堂の近くに建てられた真新しいビル群は、ドイツの再統一でベルリンに首都機能が復帰した際に整備された官庁街です。
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シュプレー川沿いの高架線を走るICE。
ICE 鉄道系(地下鉄・モノレールなど)
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イチオシ
ようやくドイツ連邦議会議事堂に到着。
現在はベルリン中央駅からUバーン(地下鉄)の便もありますが、この当時はまだ未開業でした。
入口の前には、議事堂と最上階のガラスドームに設けられた展望室を見学する観光客の長い列が見えます。ドイツ連邦議会議事堂 現代・近代建築
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さて、連邦議会議事堂への入場券の購入列に並んだはいいですが、この日はやたらと観光客が多く入場制限が行われている状況。よって、なかなか入場券の売り場にたどり着けませんでした。
他にも回りたい場所がいくつかあったこともあり、断腸の思いで連邦議会議事堂への入場を断念することに。ドイツ連邦議会議事堂 現代・近代建築
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気を取り直して、連邦議会議事堂から歩いてすぐのブランデンブルク門へ。
ここなら並ばないでも見学することができます。ブランデンブルク門 建造物
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ブランデンブルク門の前に立っていた、ガラス製の解説パネル。
ブランデンブルク門 建造物
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ブランデンブルク門の西側。
かつてはここから西が西ベルリン、東が東ベルリンでした。ブランデンブルク門 建造物
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ブランデンブルク門の西側は、モザイクタイルで舗装されていました。
黒のモザイクタイルが敷かれた箇所は、もしかしてベルリンの壁の跡なのではと思いましたが、帰国後に写真で調べるとそれにしては位置がずれている様子でした。ブランデンブルク門 建造物
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西ベルリン側から東ベルリン側へと、ブランデンブルク門を潜ります。
ベルリンの壁が崩壊し、長らく離ればなれになっていた家族や友人に再び会えるようになったベルリン市民に思いを馳せ、大学時代の四年間にいろいろあって疎遠になってしまった友人たちともう一度仲良くなれたらという思いも込めながら・・・ブランデンブルク門 建造物
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ブランデンブルク門の東側のビル群。
右は高級ホテルの「アドロン」、現在の建物は1990年代に再建されたものだそうです。ホテル アドロン ケンピンスキー ホテル
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ブランデンブルク門を東側から眺めたスナップ。
ブランデンブルク門 建造物
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ブランデンブルク門の東側では、アメリカ軍だかソ連軍だかの兵士に扮したパントマイマーがパフォーマンスを披露しており、観光客相手に記念撮影に応じていました。
あいにくの逆光でしたが、私も1枚撮影してもらうことに。ブランデンブルク門 建造物
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観光用の馬車もありました。
ブランデンブルク門 建造物
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次の目的地に向かうため、、ブランデンブルク門の西に戻ります。
写真はブランデンブルク門の西側、3月18日広場。 -
イチオシ
続いて出かけた場所は、ブランデンブルク門のすぐ西南に2005年にオープンしたばかりだった「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」。
ずらりと並ぶコンクリートの石碑の数は実に2711基、その高さはまちまちで、ホロコーストで犠牲になった無名のユダヤ人犠牲者を表現したものだといいます。虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑 (ホロコースト記念碑) モニュメント・記念碑
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記念碑の間は自由に通行できるようになっています。
虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑 (ホロコースト記念碑) モニュメント・記念碑
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石碑のうち、大きなものは高さ4.5mに及ぶそうです。
虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑 (ホロコースト記念碑) モニュメント・記念碑
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背景に並んでいるのは、ドイツ再統一後の大規模再開発で建てられたビル群です。
虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑 (ホロコースト記念碑) モニュメント・記念碑
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記念碑の地下は入場無料の展示室になっており、そちらも急ぎ足気味ですが見学することにします。
虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑 (ホロコースト記念碑) モニュメント・記念碑
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展示室にはナチスのユダヤ人絶滅政策の歴史と、そのなかで命を落とした無辜の人々の家族や生活などが、写真や資料などで紹介されていました。
現在判明しているホロコースト犠牲者の氏名を検索できる端末もあったように記憶しています。虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑 (ホロコースト記念碑) モニュメント・記念碑
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展示室を見学し、ホロコーストで犠牲になられた方々に祈りを捧げた後、さらに少し南に歩いてポツダム広場にたどり着きました。
ここは第二次世界大戦前はベルリン最大の繁華街として、様々な文化が花咲いた地域でしたが、戦災とその後の東西分断、壁の建設により長らく一面の荒地となっていました。
しかし、1990年のドイツ再統一を機に、官民共同で大規模な再開発事業が実施され、自慢のデザインを凝らしたビルが林立する新都心として見事に再生を果たしています。ポツダム広場 広場・公園
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この丸みを帯びたビルは、戦前存在したレジャービルの建築デザインをモチーフにしているとのこと。
ここの1階のカフェで、コーヒーとワッフルを注文してしばし一息つきました。ポツダム広場 広場・公園
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ポツダム広場の再開発はダイムラー・ベンツやソニーといった世界屈指の大企業の指揮のもとで進められたそうです。
ポツダム広場 広場・公園
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余談ですが、当時の私は個性的かつ斬新なデザインのビルが立ち並ぶポツダム広場の街並みを見て、四国旅行の際に訪れた高松駅前の「サンポート高松」を思い出しました。
どちらも優れたデザインの建築群が目を引く再開発地域で、しかも再開発の原因となった出来事(注)が同時期に起こったという意味では似通っているのかもしれません。
(注)ポツダム広場→ベルリンの壁崩壊・ドイツ再統一(1989~90年)
サンポート高松→瀬戸大橋開業・宇高連絡船廃止(1988年)ポツダム広場 広場・公園
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Sバーン・ポツダム広場駅の地上出入口。
ベルリンの壁のほぼ直下に立地していたがゆえ、1961年から1989年まで営業を休止し「幽霊駅」となっていたこの駅も、装い新たに甦りました。
反対側には「ベルリンの壁」の一部を活用したモニュメントがあったそうですが、あいにく気付かず・・・ポツダム広場駅 駅
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ポツダム広場駅からSバーンに1駅記念乗車し、次のアンハルト駅で下車します。
Sバーン (近郊鉄道) 鉄道系(地下鉄・モノレールなど)
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アンハルト駅で降りたのには、それなりの理由がありました。
駅のすぐ横の空き地は、現在は公園となっており市民の憩いの場として親しまれているのですが・・・ -
実はこの公園は、かつてベルリンのターミナル駅の一つだった「アンハルト駅」の敷地に造られたものなのです。
第二次世界大戦末期の空爆と地上戦で甚大な被害を受けたこの駅は、1952年に廃駅となり、正面玄関の一部がモニュメントとして現在も残されています。 -
イチオシ
正面側から撮影した。アンハルト駅の遺構。
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19世紀末、ドイツ帝国の全盛期に建てられたアンハルト駅の駅舎ですが、随所に壮麗な装飾が施されていました。
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かつてプラットホームがあった区域は、現在はサッカー場をはじめとする運動公園として再整備されていました。
運動公園の奥には、今もなお自然に還りつつあるプラットホームの遺構が残されているといいます。 -
そろそろ辺りが暗くなってきました。
アンハルト駅の遺構を見学した後、本日最後の目的地に徒歩で向かいます。 -
イチオシ
最後の目的地となったのが、壁博物館。
かつてのベルリンの壁沿い、東ベルリンと西ベルリンの間の検問所の一つだった「チェックポイント チャーリー」の横に建てられた博物館です。
ベルリンの壁建設に至った背景、ありとあらゆる方法で東ベルリンから西ベルリンへの越境を試みた市民たちの苦闘、力及ばず越境に失敗し生命を落とした名も無き市民たちの悲劇などが、写真や実物を用いて紹介されていました。壁博物館 (ハウス アム チェックピント チャーリー) 博物館・美術館・ギャラリー
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壁博物館のミュージアムショップで購入した、ベルリンの壁の破片(3.9ユーロ)
今回、時間の関係でベルリンの壁がそのまま残されているスポットには立ち寄れなかったのですが、せめて欠片の一つでもと思い買い求めました。壁博物館 (ハウス アム チェックピント チャーリー) 博物館・美術館・ギャラリー
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壁博物館の外に出ると、辺りはすっかり真っ暗になっていました。
往時の姿に復元されたチェックポイントチャーリーの前に掲げられているソ連兵の顔写真(裏側はアメリカ兵の顔写真)が、不気味に浮かび上がっています。チェックポイントチャーリー 散歩・街歩き
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英語、ロシア語、フランス語で表記された「アメリカ軍管理地域はここまで」の看板。
チェックポイントチャーリー 散歩・街歩き
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チェックポイントチャーリーの前に飾られた、ソ連兵の顔写真。
この写真の兵士は、1980年代後半~90年頃に実際にベルリンに駐留していた方とのこと。チェックポイントチャーリー 散歩・街歩き
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1960~70年代の姿に復元された検問所の小屋。
チェックポイントチャーリー 散歩・街歩き
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この後は、徒歩でポツダム広場駅に戻ることに。
ポツダム広場駅からは、かつて東西間の検問所が設けられていたフリードリヒ通り駅での乗り換えを挟み、Sバーンでベルリン中央駅に出て大荷物を回収。
そこから延々歩いて本日の宿に到着しました。
ホテル近くのトルコ料理店で魚料理を食べた後、早めに就寝。明日早朝からの大移動に備えます。
ぎりぎりのスケジュールを組んでいたゆえ、連邦議会議事堂、カイザーヴィルヘルム教会、森鴎外記念館、博物館島、戦勝記念塔といったスポットには立ち寄れず、名物のカリーブルストを食べる時間もなかった初めてのベルリン訪問。
それでも僅かな時間ですが、激動の現代史に振り回されながらも復興を遂げつつあるベルリンの街を見て回れたのは、我ながら良い思い出だったと思います。(続く)
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