2013/07/18 - 2013/07/23
152位(同エリア749件中)
TMBSさん
新型コロナウイルス禍で自由に海外渡航できなくなり既に1年が経過していますが、そんななかで8年近く放置していた2013年夏のヨーロッパ旅行記を再開させていただきます。
2013年の夏は本業のスケジュールとにらめっこしながら、アメリカ東海岸か東欧に行こうと画策していましたが、アメリカ東海岸はホテル代が高いということで早々と断念することになりました。
最終的にANAのサイトでルフトハンザドイツ航空運航便の約17万円のチケットを購入、ウィーン、ブダペスト、ニュルンベルク、フランクフルトの3ヶ国4都市に狙いを定め、出発の日を迎えました。
今回は、ニュルンベルクで短い滞在時間にはしごした、「ドク・ツェントルム(ナチス党大会会場跡)」と「DB博物館(鉄道博物館)」の様子をお届けします。
(大まかな行程)
大阪→LH741便→フランクフルト→LH1240便→ウィーン→鉄道(Railjet)→ブダペスト→鉄道(Railjet)→ウィーン→鉄道(ICE)→ニュルンベルク→鉄道(ICE)→フランクフルト→LH710便→東京→ANA23便→大阪
その1~関西国際空港からLH741便で出発
http://4travel.jp/traveler/newstyle777/album/10815385/
その2~フランクフルト税関を通過し、LH1240便でウィーンへ
http://4travel.jp/traveler/newstyle777/album/10817371/
その3~6年ぶりのウィーン滞在
http://4travel.jp/traveler/newstyle777/album/10821044/
その4~「Railjet」でウィーンからブダペストへ
http://4travel.jp/traveler/newstyle777/album/10823921/
その5~ブダペスト1日目(地下鉄~くさり橋~王宮)
http://4travel.jp/traveler/newstyle777/album/10826842/
その6~ブダペスト1日目(王宮の丘散策~国会議事堂)
http://4travel.jp/travelogue/10829587
その7~ブダペスト2日目(ブダペストで博物館めぐり)
https://4travel.jp/travelogue/10845748
その8~「Railjet」でウィーンへ帰還
https://4travel.jp/travelogue/11689732
その9~「ICE-T」でニュルンベルクへ
https://4travel.jp/travelogue/11690317
その10~ナチス党大会会場跡とDB博物館
https://4travel.jp/travelogue/11690924
その11~「ICE3」とフランクフルト滞在記
https://4travel.jp/travelogue/11691794
その12~ルフトハンザドイツ航空のA380で帰国へ
https://4travel.jp/travelogue/10826846
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
快晴のニュルンベルク中央駅前。
今日は僅かな時間ではありますが、ニュルンベルクを代表する博物館のうち特に行きたかった2箇所をハシゴしようと思います。ニュルンベルク中央駅 駅
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というわけで、ニュルンベルク中央駅前の停留所で、「ドク・ツェントルム(ナチス党大会会場跡)」に向かう9系統のトラム(路面電車)を待つことに。
写真はトラムの発車案内表示板。ニュルンベルク中央駅 駅
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イチオシ
とはいえ、9系統のトラムは思ったより本数が少ないようで、炎天下の中他の系統のトラムを撮影して待つことに。
写真のトラムは、日本初の低床式路面電車・熊本市電9700形と同じ「ブレーメン型」と呼ばれる車輌です。ニュルンベルク中央駅 駅
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ようやく、9系統「ドク・ツェントルム」行きのトラムが到着しました。
ニュルンベルク中央駅 駅
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窓の大きく車内の明るいトラムで、快適にドク・ツェントルムを目指します。
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トラムの軌道敷は、郊外の区間では芝生で緑化されていました。
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トラムの車内にいながら、ちょっとした森林浴気分です。
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ニュルンベルク中央駅から15分ほどで、ドク・ツェントルム(全国党大会場跡文書センター)に到着。
全国党大会場跡文書センター 博物館・美術館・ギャラリー
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お世話になった9系統のトラム。
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ドク・ツェントルムの前を走るトラム。
芝生軌道に鮮やかな赤色の車体がよく映えています。 -
ドク・ツェントルムとその周辺の案内図。
「ドク・ツェントルム」の正式名称は「Dokumentations-zentrum」。
対外的にはナチス党大会の会場跡にできた博物館として機能している施設ですが、正式名称では「党大会会場跡公文書館(文書センター)」となっており、博物館というよりはむしろ公文書館として位置づけられているようです。全国党大会場跡文書センター 博物館・美術館・ギャラリー
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この一帯は1933~38年の期間、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の全国党大会会場として使用されており、様々な施設が設けられていました。
後ろの建物は議会ホールとして使用することを目的に着工されましたが、戦局の悪化に伴い建設は中断。戦後長らく放置された後、文書センターやオーケストラの本拠地として活用されています。全国党大会場跡文書センター 博物館・美術館・ギャラリー
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入口の看板。
全国党大会場跡文書センター 博物館・美術館・ギャラリー
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ドク・ツェントルムは、かつての党大会会場跡議会ホールの北側、観客席スタンドの下にあたる空間に設けられました。
入口脇には、現在の当大会会場跡の写真が飾られていました。全国党大会場跡文書センター 博物館・美術館・ギャラリー
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石と煉瓦で築かれた議会ホールの建物ですが、文書センターとしての活用にあたって随所に階段が増設されています。
全国党大会場跡文書センター 博物館・美術館・ギャラリー
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貴重な遺構を壊さぬよう配慮しつつエレベーターが設置され、バリアフリー化が図られた館内。
負の遺産ではありますが、その記憶を一人でも多くの人に知ってもらいたいという姿勢が感じられました。全国党大会場跡文書センター 博物館・美術館・ギャラリー
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前置きが長くなりましたが、いざ展示スペースに入ります。
全国党大会場跡文書センター 博物館・美術館・ギャラリー
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展示スペースでは、1933~38年にかけてニュルンベルクのこの場所で開催されたナチスの全国党大会、そして並行して進められたナチスの戦争犯罪の全貌が、実物や写真などで紹介されていました。
全国党大会場跡文書センター 博物館・美術館・ギャラリー
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ナチス政権下の党大会会場の様子を納めた、貴重な写真の数々。
全国党大会場跡文書センター 博物館・美術館・ギャラリー
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建物には展望スペースが設けられており、議会ホールとして竣工した暁には議場になる予定だったスペースを一望することができました。
全国党大会場跡文書センター 博物館・美術館・ギャラリー
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イチオシ
計画ではこの平面スペースと周囲のスタンドに、議席や観客席が設けられ、さらにその上に大屋根が設けられる予定でした。
しかし、第二次世界大戦の勃発以降は党大会の実施がなくなり、議会ホール自体についても外郭のみが完成した状態で建設工事が中断。今日に至っています。全国党大会場跡文書センター 博物館・美術館・ギャラリー
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展望スペースに掲示されていた、議会ホールの完成予想図。
全国党大会場跡文書センター 博物館・美術館・ギャラリー
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展示スペースの出口には、ユダヤ人の強制労働と虐殺が実施された強制収容所の名称を刻んだプレートと、ユダヤ人の移送に使われた鉄道の枕木・道床をイメージしたモニュメントが設置されていました。
いわゆるホロコーストの出発点は、ここニュルンベルクでの党大会でユダヤ人を排斥するための諸決議がなされたことにあります。
それもあって、ニュルンベルク、いやドイツ全体の人たちは今もこの事実を重く受け止め、次代に語り継いでいく必要性があると感じています。全国党大会場跡文書センター 博物館・美術館・ギャラリー
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ドク・ツェントルム前にあるトラム停留所の標識。
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1時間半ほどの滞在で、ドク・ツェントルムを後にします。
時刻は15時半過ぎ。ニュルンベルク中央駅には16時頃に帰り着きそうです。全国党大会場跡文書センター 博物館・美術館・ギャラリー
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トラムの車窓には緑が広がっていますが、1933~45年の間、議会ホールだったドク・ツェントルムを含めこのあたり一帯がナチスの当大会会場と位置づけられ、インフラや各種建造物の整備が実施されました。
トラムの車内で、先ほどドク・ツェントルムで見聞きしたホロコーストをはじめとするナチスの戦争犯罪、それがもたらした取り返しのつかない結果について今一度考えていたものです。 -
無事にニュルンベルク中央駅に帰ってきました。
せっかくなので、もう1つ訪れたかった博物館に足を伸ばすことにします。ニュルンベルク中央駅 駅
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ニュルンベルク中央駅の駅舎。
現在の駅舎は第二次世界大戦の空襲で徹底的に破壊された後に修復された建物ですが、中央部のホールだけは戦災を免れ、20世紀初頭の姿を残しています。ニュルンベルク中央駅 駅
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行き交うSバーン(近郊電車)を見ながら、線路沿いをしばらく歩きます。
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ヒュンダイ製の乗用車。
ドイツでは韓国車も数多く走っています。 -
ヒュンダイ車の隣には日産車も。
フォルクスワーゲンに代表される国産車のイメージが強いドイツですが、いつの頃からか日本車や韓国車が幅を利かせるようになって久しいです。 -
イチオシ
線路沿いを少し歩き、本日2つ目の目的地であるドイツ鉄道のDB博物館に到着。
隣の通信博物館とセットで、「ニュルンベルク交通博物館」と呼ばれています。DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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時間の都合上、今回はDB博物館のみの見学となりました。
DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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DB博物館のエントランスには、各国の言語で歓迎のメッセージが掲示されていました。
「よ」の字が小さかったですが、日本語の「ようこそ」もあったのが嬉しかったです。DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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エントランスにはディスプレイが設置されており、ニュルンベルク中央駅付近の線路図と周辺を走る列車の現在地を表示していました。
DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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館内には、歴史的価値の高い鉄道車輌が何両も展示されていました。
これは1829年、日本で言うところの江戸時代後期にイギリスで製造された
石炭車です。
イギリス本土以外に保存されている鉄道車輌のなかでは現存最古のものだとか。DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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鉄道線路を走る自転車でしょうか。
DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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実物の鉄道車輌だけでなく、数多くの歴史的な車輌の模型も展示されていました。
1835年にイギリスで製造された、ドイツで初めて実際に走行した蒸気機関車「アドラー号」の模型。DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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鉄道車輌以外にも、数多くの鉄道に関する実物資料が展示されています。
こちらは昔の鉄道員の制服。DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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第一次世界大戦・第二次世界大戦に敗れるまで、ドイツは現在の版図よりも東方に広大な領土を有していました。
DB博物館には、その当時の鉄道路線図も展示されています。DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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イチオシ
続いては、昔のターミナル駅をイメージした車輌展示スペースへ。
貴重な車輌がずらりと並んで展示されており、そのなかから一部をご紹介します。
まずは、バイエルン国王ルートヴィッヒ2世のお召し客車。DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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スペースの関係で、お召し客車の全体を1枚の写真に収めることはできなかったようです。
DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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バイエルン皇帝のお召客車とあり、屋根上には王冠の装飾が施されていました。
DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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寝台など、車内の内装や調度品も窓越しに見学できるようになっていました。
DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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1863年にドイツ・カールスルーエで製造されたBad.IX型蒸気機関車 「フェニックス号」
DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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1906年に製造された王立バイエルン邦営鉄道2/6形蒸気機関車3201号機。
1907年に実施された試験走行で、当時としては世界最速の時速154Kmを出したそうです。DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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本館の展示車輌は原則としてみな車内立ち入り禁止でしたが、この3201号蒸気機関車だけは例外的に運転室が開放されていました。
DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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3201号蒸気機関車の機関室内部。
DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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イチオシ
こちらは先ほど模型をご紹介した、ドイツ初の蒸気機関車「アドラー号」。
この「アドラー号」、1935年にドイツの鉄道開業100周年を記念して復元されたものの、2005年にDB博物館の機関庫(ニュルンベルク郊外)で火災に遭遇し焼失しました。
しかし、関係者の尽力により2年後の2007年に再度復元され、現在はDB博物館で公開されています。時たま、イベントで走行することもあるとか。DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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「アドラー号」の愛称銘板。
DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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DB博物館の車両展示スペースは、営業用の線路に直結している様子で、イベント時などに車輌の入れ替えが行えるようになっていました。
ちなみに同館の収蔵車輌は本館内部の車輌展示スペースのほか、ニュルンベルク市内の車両ホール、2箇所の支館、各地の車両基地に分散して展示・保管されています。
このうち、車両ホールは本館から道路を1本隔てただけの場所にあったそうですが、あいにくその存在を失念しており見逃す羽目に。帰国後にそのことを知り、甚だ後悔したものです。DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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蒸気機関車だけでなく、電気機関車の展示もありました。
写真の電気機関車はE69形02号。
1909年にクラウス社及びシーメンス社で製造された、現存最古級の電気機関車です。DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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最後は現代のドイツ鉄道の花形である、ICE3型の前頭部の実物大モックアップ。
DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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モックアップの車内には、実物の座席が設置されていました。
DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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実車同様に、客室からは運転室を見渡すことができました。
DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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このあたりで、再び資料展示室に戻ります。
蒸気機関車に取り付けられていた実物のプレート。DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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蒸気機関車の釜焚口の実物。
DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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第一次世界大戦~第二次世界大戦の戦間期、アムステルダムとスイスのバーゼルの間をドイツ経由で運行していた国際急行列車「ラインゴルト」の客車の模型。
DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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ナチス党が台頭したこともあり、暗いイメージで見られがちな戦間期のドイツですが、交通インフラの発展により数多くの長距離優等列車が運転され、また観光やレジャーも盛んになりました。
館内にも、当時の華やかなポスターや優等列車の模型が展示されていました。DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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1933年にベルリン~ハンブルク間の特急列車用に登場した流線型気動車「フリーゲンダー・ハンブルガー」の模型。
特急列車としての活躍は第二次世界大戦のため短命に終わりましたが、当時としては破格の最高時速160Kmでの営業運転は今なお伝説になっています。DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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しかし、先ほどドク・ツェントルムで見てきたように、戦間期のドイツでは第一次世界大戦で失った東方地域やフランス国境地帯の領土を取り戻したいという動きが出てきていました。
写真は第一次世界大戦前後のドイツ領土の変遷図。DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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そのようななか、1933年にドイツ国家社会主義労働者党(ナチス)が政権を掌握。
ドイツと周辺諸国の鉄道もナチス政権の政策に否応なしに巻き込まれていくことになります。DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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ニュルンベルクのナチス党大会会場に現れた最新鋭の電気機関車。
党大会の会場には、鉄道の引き込み線が乗り入れていました。DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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ナチス時代の1935年、世界的な流線型ブームのなかで製造された05形蒸気機関車の模型。
DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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ナチス政権下では周辺地域への侵略、ユダヤ人ほかマイノリティへの迫害が激化する一方、鉄道網をはじめとするインフラ整備にも力が入れられました。
主要都市を結ぶ幹線鉄道で大幅な高速化が実現したのも、この時代です。DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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イチオシ
また、ヒトラーは当時のドイツ帝国鉄道に委託し、巨大高速列車「ブライトシュプールバーン」の計画を進めていました。
全長50m・オール2階建ての客車15両を牽引、軌間3000mmの線路上を時速200Km以上の速度で運転、ベルリンとパリやモスクワを結ぶ計画でしたが、最終的にドイツの敗戦により実現をみませんでした。DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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巨大高速列車の開発を進めたナチスですが、それとほぼ同じ時期に自国内及び占領地域のユダヤ人を貨物列車で強制収容所に送り、過酷な労働を強いる、もしくは虐殺するといった蛮行を働いたことは忘れてはなりません。
写真は現ポーランドのビルケナウ収容所。DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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1945年5月2日、ドイツは連合国相手に降伏。ヨーロッパでの第二次世界大戦は幕を閉じました。
6年に及んだ戦争でドイツ国内の鉄道は壊滅的な被害を受けました。
写真は現在のケルン中央駅付近の写真。DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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第二次世界大戦後、しばらくはアメリカ・イギリス・フランス・ソ連により分割占領されたドイツですが、1949年にソ連占領地域が社会主義のドイツ民主共和国(東ドイツ)、その他3ヶ国が資本主義のドイツ連邦共和国(西ドイツ)として独立しました。
分断国家となったことで、戦前のドイツ帝国鉄道も、ドイツ国営鉄道(東側)とドイツ連邦鉄道(西側)に分かれて再出発することに・・・DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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鉄道路線も、西ドイツと西ベルリンを直通する列車が走行する路線など一部例外を除いて、西ドイツと東ドイツの国境で分断されることになりました。
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イチオシ
戦後のドイツ連邦鉄道で、ローカル線の近代化・合理化のため開発・導入されたVT95型レールバスのカットボディ。
DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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鉄道の強力なライバルとなった、船舶や自動車、航空機に関する展示物もありました。
DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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今回の旅行の往復に利用したルフトハンザドイツ航空も、第二次世界大戦後に再出発し現在に至っています。
1961年からは日独間の直行便も運航されており、執筆時点(2021年)でめでたく60周年を迎える予定です。DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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イチオシ
戦後の復興と経済発展とともに、現在もその名を知られる様々な花形車輌が世に出ました。
そのなかからいくつかを模型で紹介します。
1957年に国際特急列車「TEE」用に投入された、ドイツ連邦鉄道のVT601型気動車。DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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1966年に登場した、ドイツ連邦鉄道の103型電気機関車。
こちらも「TEE」を牽引して活躍した電気機関車で、今なお日本を含め国内外で人気の高い車輌です。DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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1979年に試作車が登場したドイツ連邦鉄道の120型電気機関車。
現在のドイツ鉄道でも、主力機関車として活躍しています。DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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こちらは東側のドイツ国営鉄道が1974年に導入した、250型電気機関車。
現在のドイツ鉄道では、形式名を155型に改めたうえで使用されています。DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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ドイツ連邦鉄道の駅で使われていた発券機。
日本の「みどりの窓口」に設置されている発券機(マルス)に似た雰囲気でした。DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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駅に設置されていた自動券売機。
「DR」ということは東側のドイツ国営鉄道のものでしょうか。DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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1980年代になると日本の新幹線に刺激される形で、ドイツでも高速列車「ICE」の試験が始まりました。
写真は「ICE」の高速度試験の際に掲出されたプレート。DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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ドイツ連邦鉄道の昔の長距離列車の内装を再現したモックアップ。
DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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ふいに、大学の卒業旅行でウィーンからクラクフまで長距離国際列車を利用したときのことを思い出しました。
可能ならば、古き良き長距離列車での旅をもう一度体験してみたいものです。DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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1989年11月9日、ベルリンの壁が崩壊。
そして翌1990年10月3日、西ドイツ(ドイツ連邦共和国)が東ドイツ(ドイツ民主共和国)を吸収する形でドイツは再統一を果たしました。
その後、戦災や分割占領でダメージを受けたベルリン市内や冷戦時代に単線化されていた東側地域の幹線など各所で鉄道の再整備が行われたほか、ドイツ国内各地及び近隣諸国を結ぶ高速列車「ICE」のネットワークが誕生し、現在に至っています。DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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閉館時刻ぎりぎりまで滞在した後、エントランス横にあるミュージアムショップで列車の愛称板(レプリカ)や「ICE3」の先頭車の模型などを購入、ニュルンベルク中央駅に戻りました。
今回のニュルンベルクでの滞在時間はわずか半日。
DB博物館の車両ホール、美しい旧市街、ニュルンベルク裁判の記念館など、見残したところも多かったわけですが、いつかコロナ禍が落ち着き、ワクチンの接種が済めばじっくり再訪してみたいところです。(続く)DB博物館(交通博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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