2019/10/22 - 2021/10/22
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gianiさん
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この旅行記スケジュールを元に
おことわり
ファッションを語る際に創業者とブランド名が同じケースが多いので、
人物が主語の際はカタカナで、メゾンおよびブランドの際はアルファベットで表記します。
用語解説
オートクチュール:高級仕立て服(字義)、オーダーメイドの一点もの。
現在は上記の条件を満すだけでなく、CSCP(字義:パリ仕立て屋組合の商工会議所)通称サンディカの一員という条件が加わる。
YSLは、サンローランの引退と同時にオートクチュール部門を閉鎖している。
現在、既製服・香水部門はケリング傘下でSAINT LAURENT PARIS、
化粧品部門はロレアル傘下でYves Saint Laurent Beauté のブランド名で展開している。
モロッコにあるサンローランの別荘を訪れた際の旅行記はこちらです。
https://4travel.jp/travelogue/11720712
- 旅行の満足度
- 5.0
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パリ市の北東19区にある公園。
石切り場を公園として整備しました。ビュット ショーモン公園 広場・公園
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池もあるパリ市民のピクニックスポットです。
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夜は予約の取れない有名ビストロ
昼間は予約なし(予約できない)ので狙い目です。
オフィスワーカーの昼休み後に訪れると、すんなり入れます。ル コントワール デュ ルレ 地元の料理
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15種類ある前菜の中から、
oeufs mayonnaise(字義:マヨネーズ卵)を選択。
昔ながらの家庭料理の定番メニュー。
ゆで卵にマヨネーズをかけただけのシンプル料理。
日本でも、ウフ・マヨネーズという言い回しが市民権を得つつあります。 -
ゆで卵3個分。
ビストロなので、マヨネーズには一工夫が施されており、
絶品です。 -
18種類用意されているメインディッシュの中から
pied de porc désossé et pané purée de pomme de terre
という典型的家庭料理をチョイス。
直訳:骨なし豚足にパン粉をまぶしたものとマッシュポテト
※ちなみにジャガイモは、字義で地中のリンゴという意味です。
リンゴが在来植物で、ジャガイモが外来という歴史を反映しています。 -
重量と芯の温度からして、フライではなく、
フライパンに油をひいてパン粉に火を通した感じ。 -
豚足はトロトロで、臭みも全くありません。丁寧に下処理されています。
卵と豚足は、典型的な安い素材。それでも前菜と併せて24ユーロ。
でも、十分な手間と期待を裏切る独創的な味付けが付加されているので、
とてもリーズナブルです。
客から金をとって料理を提供する。とはどういうことか考えさせられました。 -
感動したので、上記の内容を拙いフランス語でホール係に熱く感謝を述べたら、
地下の厨房に日本人スタッフがいるから会ってみないかと誘われました。
一期一会です。
暫し仕事の手を休めてくれた日本人調理係の方と、粋なホール係の方に感謝です。 -
ゆで卵三個食べた罪悪感から、歩いて移動。
「モードの帝王」と呼ばれたイヴ・サンローランに関するミュージアムへ。
入り口は、大通りではなく、裏通りの扉でした。
入場時間は決まっていますが、退出期限はないので、好きなだけ滞在できます。
下記の公式サイトから予約・支払を済ませます。
https://museeyslparis.com/en/practical-informationイヴサンローラン美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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エントランスでビジターガイドが配布されます。
作品等を後世に残すことは1964年に発想され、1982年の書類には「ミュージアム」という言葉も登場している。1997年にブティック内に設置されたのが始まりである。
以降、順路に沿って解説が進みます。日本語はなく、英仏等を選択します。 -
見取り図およびイントロダクション
ナポレオン3世様式のこの建物では、1974年7月14日にオープンした。
2002年10月にオートクチュールのメゾンとしての役目を終える。
(ちなみにオートクチュールを始めたのは1962年、パリ16区スポンティーニ通り30番)
※プレタポルテのブティックは、「Rive Gauche」のブランド名の通り、セーヌ左岸(学生街・下町・カオス)に設置しました。右岸のオートクチュールメゾン地帯との差別化を図っています。 -
1.オートクチュールサロン。
「住所:マルソー通り5番」は、左前に見える正面玄関。
(現在展示エリアになっているが)このフロアで、顧客はプレゼンテーションと試着が行われた。
顧客には、それぞれ女性担当者が付いており、オーダーメードの衣服が納品される前に必要だった3回の試着を行った。
1976年にインターコンチネンタルホテルで行われるまで、ファッションショーは、このフロアで行われた。
※オドレィ・トトゥーが主演の映画ココシャネルの冒頭では、各メゾンでショーを開催していた往時のシーンが描かれています。 -
2.スタイル
ここでは、イヴ・サンローランの代名詞的なスタイルをまとめた。
各々のスタイルは、男性用の衣装で、それを女性の身体向けに昇華している。これらの衣装は、男性だけが着用かつ実用性を重視した。彼の作品はカット、快適さ、そして実用的な側面を維持しつつも、シンプルさとエレガンスを組み合わせた方法でフェミニンなシルエットに仕上げた。ポール・ポワレがコルセットから女性を解放することから始まった、一連の流れを継承するものである。
長年の創作活動を通して、これらのスタイルは少しずつ改良されていった。
このコーナーの作品は、いずれも1970年作。彼が女性解放運動を開始した年でもある。 -
パンツスタイルやサファリルックなど、
様々な言葉が生み出されました。
服飾史の観点からは、大いにピックアップされる側面です。 -
3.コレクション史
各シーズン(季節)には、毎回新作をリリースした。オートクチュールの春夏コレクションは毎年1月、秋冬コレクションは7月に開催された。 -
光源(暖色・寒色)や照度が変わると、同じ服でもだいぶイメージが変わります。
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1966年以降、サンローランは、無数のスケッチをマラケシュ(モロッコ)の別荘で描いた。スケッチを始点にデザインが始まる。
※以下の写真は1962年のコレクションのものです。 -
アトリエでは服の生地を決定した。生地の見本を添えて、デザインの仕様書が作成された。服の作成に必要な情報は、すべて仕様書に記載された。
※上の写真のスケッチに82番が振られています。上着と下に着る服が描かれています。色と様々な指示が書かれています。 -
タイプ別に分類したコレクションボードは、ファッションショーの概要を説明するものになった。こうしたメソッドは、Diorで見習いをしていた20歳の時に習得した。デザインした衣装は、スーツ、ドレス、コートに大別された。一回のコレクションは、おおよそ100ものデザインで構成されていた。
※左から3番目に82番があります。 -
赤鉛筆で、丈が短いイブニングドレスというタイトルが。
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こちらは、丈が長いイブニングドレスというタイトルが。
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同上
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スカートのスーツというタイトルが。
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同上
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コレクションで出展されたデザインは、固有番号を持っていた。
仕様書に赤字で番号が記載された。 -
頭部。帽子やアクセサリー、髪型が描かれています。
※上の写真のNo.52の仕様書のスタイルには、
右上の髪型兼アクセサリーがリンクしています。 -
同上
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1962年春夏コレクション
招待者に配られたもの。
イブニングドレス等の種別毎に概略が書かれています。
最後には、化粧品:ヘレナ・ルビンスタイン等が記載されています。 -
コレクション本番では、La voix(声の意)と呼ばれる呼び出し係が
「○○番~」とフランス語及び英語でこの原稿をアナウンスします。 -
4.スキル
YSLの歴史は、織工、染色工、(生地の)プリント、お針子、金細工職人、銀細工職人といった職人たちとの長い付き合いの歴史でもある。織工、染色工、(生地の)プリンター、お針子、羽毛職人、金細工職人、銀細工職人等である。 -
それぞれの職人は、高い技術力だけでなく、独自の技術も持ち合わせていた。
オートクチュールの各メゾンは、彼らと独占契約を結び、仕事を依頼した。 -
YSLは、Rébé,Mescrine,Lesage,Lanelといった縫製工房、生地プリントはAbraham、Brossin de Méréには縫製と生地プリント、Lemariéには羽毛細工、Goossensには宝飾を委託していた。
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生地は、クルティエによって優美なシルエットを映し出すものに変えられた。サンローランは、まず初めに色と織り方をチョイスした。ブチ模様、タフタ(こはく織り)、あや織り、サテンといったものがある。布地は、織り込みやプリント、刺繍やアップリケなどで装飾された。
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こうして完成した衣服は、真の傑作であり、クルティエの厳格で妥協を許さない要求のおかげで向上し、長年にわたって継承された様々な技術の証しである。
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こうした緊密な関係を土台に、サンローランは高度に熟練した職人たちの支えによって、最も手の込んだデザインも含めてあらゆる作品を創造することができた。
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極度に細分化され、全てのパーツを作り上げるのにかかった何百時間という工程を土台として、作品の品質は保証された。
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5.異国情緒
「私にとっての最も美しい旅は、自室の長椅子で手に取る書籍を通してもたらされた。」イヴ・サン・ローラン
彼のインスピレーションは、様々な方法を通してもたらされた。想像上あるいは長椅子での数々の”旅”によって、彼は遠く離れた土地の夢の光景を思いついた。書物を通して得たものを創作活動に直接反映させ、作品の中に染み込ませた。 -
6.2つの頭を持つ鷲(ビデオルーム)
このフィルムは、イヴ・サンローランとピエール・ベルジェが共同生活を通して築いたユニークな関係を描いている。二人は共同でオートクチュールメゾンを開設し、サンローランはデザイン、ベルジェは経営を担当して巨大な帝国を築き上げた。二人の関係をサンローランは次のように述べている。「海を越え、境界を越え、世界を侵略した2つの頭を持つ偉大な(一羽の)鷲、それが私たちでした。」
同時に彼らは、世界で最も重要な個人蔵の美術品を所有していたが、2009年にベルジェはそれらをすべて放出した。
※プライベートで二人はゲイのカップルだった。 -
インターミッション
YSL創設前の話。スランプに苦しむクリスチャン・ディオールは、イヴのスケッチを見て、19歳の青年を自身のメゾンに招聘する。57年にディオールは急死し、弱冠21歳にして、Diorのパリコレを指揮。センセーショナルなデビューを飾る(写真)。
熱狂する人々に当惑し、テラスへ逃げ込む様子を記録した有名な写真。
痩せぎすで、はにかみ屋で素朴な、年相応の姿です。 -
7.オマージュ
サンローランは、創作活動を通して服飾史を探検した。彼は、純潔な女性がが身に着けていた古代ローマのトーガをドレープのイブニングドレスに変えた。 -
トーガからのインスピレーションが炸裂しています。
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彼の中世風のドレスには、銀細工職人を連想させる刺繍が施されており、中世のフェミニンなシルエットを忠実に再現している。
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金糸で刺繍を施された希少な生地を用いたルネサンス期のドレス、
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贅と富を反映した17世紀宮廷ドレス
(18世紀には貴族や高級娼婦によってポピュラー化される)、 -
19世紀のクリノリンにも、触発された。20世紀のデザインは、社会変化を反映して、伝統に傾向にピリオドを打つことになる。狂騒の1920年代、レトロな40年代、これらも彼のデザインに取り入れられた。
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情熱は、サンローランの象徴的な至宝の一つである。1962年にブランドを立ち上げ、アトリエを創設した。ここで毎回のオートクチュールコレクションを準備し、デザインのみならずマヌカンまで自ら選定していた。
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1999年9月に彼は、こう発言している.「私は情熱を表象した。ハンドバッグ、コンパクト、ジュエリーなど、あらゆるものを作りだした。すべての色(ルビー、サファイア、エメラルド、アメジスト、水晶…)」を取り込んだ私はドレス、スカーフ、それらに使用する生地を造り出した。それらの情熱は、決して私から離れ去らない。」
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貴婦人と一角獣の壁掛け
タペストリー 1484-1500頃 クリュニー博物館蔵
を描いた15世紀後半の有名なタペストリーや類似した中世様式の千花模様のタペストリーを連想させるパターンで装飾されている。 -
ウプランド(中世のロングコート的)や陣羽織を連想させる暗い色合いのデザインに適用され、中世の貴婦人の細身で曲線美を引き出すシルエットを生み出した。頭部を強調するために、ネックラインは、牧歌的な庭園に佇む貴婦人と一角獣を描いた15世紀後半の有名なタペストリーや類似した中世様式の千花模様のタペストリーを連想させるパターンで装飾されている。
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画角が悪く、接地面が切れていて、すいません。
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イブ・サンローランは、16世紀の女性のシルエットのエッセンスも再構築している。玉虫織のドレープが、円錐形のシルエットを際立たせている。
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アンリ2世の治世の特徴で、1556年に描かれた王妃カトリーヌ・ド・メディシスの肖像画にもみられる。
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写真は1829年に描かれたフランソワ・シモン・ドラクロワ夫人のポートレート。
肩が膨らみ、前腕の周りはタイト。そういう袖を、サンローランは数多くのコレクションで使用している。 -
1977年、ロマン派と王政復古の時代のファッションは金色のバックルとベルトで腰を締めるボリューミーなシルクタフタのドレスをデザインさせるように彼にインスピレーションを与えた。ネックラインに沿った透け感と刺繡の繊細さは、典型的な19世紀のファッションを呼び起こした。
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ビーチでの装い
マダム・ダルトロフ(衣装のブランド名)
ル・モニター・ドゥラ・モード誌 1876年7月31日付より -
彼は、S字型のシルエットを作成した下着やタイトなスカートなどの要素を取り除くことによって、19世紀後半のコテコテに盛ったドレスを再解釈した。背面が長いダブルスカートは残し、腰の後ろは通常のプーフの代わりにボリュームのある形で仕上げた。前面は短くカットして、モダンなシルエットに仕上げている。
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イブニングドレスをまとったエレガントな女性 1925年
ファッション誌の広告より 掲載元は不明
1920年代のシンプルな形の服装は、身体がもっと自由に動くようにしたいという願いによって促された。ウエストラインは下がり、ベルトは腰に締め、バストラインはより曖昧になり、より快適に身体を動かせるようになった。 -
狂騒の1920年代を再解釈することで、イブ・サンローランはその時代の服の形やカット、長さを現代に対応するように更新し、生地や刺繡の使用を再考することができた。
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8.スタジオ(工房・製作室)
マルソー通り5番にあるオートクチュールメゾンの上階には、30年近く工房も存在した。この部屋は、華やかなサロン(顧客が足を踏み入れる場所)とは対照的に、サンローランのニーズに沿ったスペースだった。それを一言で表現するなら「明るい」。鏡を張った壁があるスペースが、最大の特徴である。この鏡に映るモデルを観察することが、彼のクチュリエとしての作業の始まりであり、これが衣装を評価する上で必要な視点(距離)を提供した。 -
スケッチ(下描き・粗画)を基に、アトリエでアイテムをトワルに表現する。トワルを着たモデルは、クルティエの前で歩いて見せる。それは、プロポーション、カット、最終的なシルエットに必要な情報を提供(白い綿生地で色や柄が無いので、先入観を抱かずにそれらをチェックできる)し、仮縫い前の大事な工程である。
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9.クチュールハウスの舞台裏。
オートクチュールメゾンでは、常時200名以上のスタッフが活動し、綿密に
組織されていた。創作活動の各段階とファッションショーに続く期間が鍵だった。スケッチから販売に至る一連の流れを、ディスプレイに流れるビデオで説明している。
※補足説明:ファッションショーで着た衣装は商品には不向きなので、商品用にアレンジする必要がある。 -
10.アクセサリー
「アクセサリーは衣服を変身させ、女性をも変身させる。」イヴ・サンローラン言
アクセサリーは、当ブランドの重要なアイテムの一つである。かつて彼は次のように述べている。「私はシンプルなドレスと、クレイジーなアクセサリーを好む。」 衣装以外にもシルエットを決める上で鍵となる帽子、靴、ハンドバッグ、手袋といったものも含めた全体像を創造することを望んだ。ジュエリーは、コスチュームジュエリー(いわゆるイミテーション)が常で、貴金属や本物の真珠、宝石などは使用しなかった。それらは、木、金属、ラインストーン(模造宝石の一種)、ビーズ、羽、セラミック、パスマントリー(飾り紐・組み紐的)といったように素材と組み合わせが際限ない。 -
11.グラフィックアート
彼の画の才能は、思春期の頃には既に開花していた。子供の頃から、物語を読むと想像力が刺激された。 -
「私のプロジェクトは多岐にわたる。私は、あらゆる事柄に興味を示す。演劇舞台の衣装と装飾とセットとイラストに興味を示し、その一方でファッション(服飾)にも興味を示す。
-
私のキャリアの選択は、間違いなく、これらの可能性のいずれかの機会に基づいて行われる。」
-
実際にバレエ舞台の総合演出なども行っている。
-
アンドレ・プラガーヌによる「マーリン」
イラストを描いています。 -
同上
-
ギュスタヴ・フローベルの小説「ボヴァリー夫人」に
挿絵を付けています。 -
ベニスのカーニバルがテーマ。
鏡というタイトルが。プライベートな作品と思われます。 -
クチュリエの作品もスケッチしています。
左:クリストバフ・バレンシアガ
右:Christian Dior
※現時点でディオールは死亡。バレンシアガは、創業者が現役なので、上記の表記に。 -
左:ユベール・ド・ジバンシィ
右:自作
伝説のクチュリエたちとリアルタイムで創作していたなんて、
改めて贅沢な時代だったと感じます。 -
自作のドレス
-
イベントの案内状
ピエール・バルマン、ジャック・ファット、ユベール・ド・ジバンシィの名前が。
上記の組み合わせから、1952年以降のものだと分かります。 -
12.花嫁
ウェディングドレスは、オートクチュールショウの中でも待望の瞬間である。
以前は別の機会に披露されていたが、ファッションショウに取り込まれ、ハイライトを占めるようにさえなった。スリムで純白のウエディングドレスは、19世紀末に初めて登場した。 -
ベルサイユのばら等でお馴染みのチュイルリー宮殿があった場所。
現在は更地(公園)になっています。チュイルリー公園 広場・公園
-
大きな噴水では、女児たちがヨット遊びに興じていました。
何とも長閑な空気にあふれていました。
秋の午後の晴れ間は、至福の時です。
向こうにはルーヴル宮殿が。 -
夕方にパイプオルガンによる無料コンサートが行われます。
パリのど真ん中なのに、静かで素晴らしい音響です。サン トゥスタッシュ教会 寺院・教会
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