2019/08/13 - 2020/08/16
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gianiさん
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ニース、グラース、ペイヨン、ラ・チュルビー、
ロックブリュンヌ・カップ・マルタン。
以上、アルプ・マリティーム県。
モナコ公国
エクス・アン・プロヴァンス
カヴァイヨン
ローマ、イスラム、フランス、イタリアの支配を受けたプロヴァンス地方。
フランスに組み込まれたのは1487年、
アルプ・マリティーム県(海側のアルプスの意)に至っては1861年。
多様性に富む文化を育んだ地域を巡ります。
- 旅行の満足度
- 5.0
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旅の始まりはニースヴィル駅から。
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香水の町グラースへ。
1721年に手の加えられた
真っ白なファサードの旧カテドラルが見えます。
1801年にグラース教区は消滅、現在はニース教区に編入されています。
※フランス革命で教会は封建制度の片棒を担いだことで破壊・聖職者の処刑が横行したが、1801年にナポレオンと教皇ピウス7世の間に政教条約(コンコルダート)が結ばれた。その際に、教区・大司教区が再編された。グラース 散歩・街歩き
-
13世紀築のロマネスク様式ですが、石灰岩でできているので、
限られた光を有効に活用しています。
1.7mに及ぶ厚い壁で荷重を支えているので、
真夏でも身廊中は冷んやりとしています。
※ロマネスク建築は厚い壁で建物の荷重を支えるので、
窓は最小限・低い天井が特徴。 -
身廊には柱が12本あり、12使徒を表しています。
19mの高さがあり、天井にはヤシの木状の放射アーチが見られ、
ゴシック様式へ遷移する様子が感じられます。 -
グラース出身の画家ジャン・オノレ・フラゴナールの作品「弟子たちの足を洗うキリスト」やルーベンスの絵画も3点展示されています。
※出身地に唯一存在するフラゴナールの絵画です。
余談ですが、香水メーカーのフラゴナールは、彼の名前にちなんでいます。ノートルダム デュ ピュイ大聖堂 寺院・教会
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イタリアに通じる、下町の光景。
フランスの香水の2/3を生産し、フラゴナール、ガリマール、モリナール等が軒を並べます。Le nez(鼻)と呼ばれる調香師が集まる職人集団の町でもあります。
グラースは中世からプロヴァンス伯領でしたが、1487年以降はフランス領になります。 -
ここはイタリアです。と言っても、まったく違和感ないです。
グラースは中世から、ジェノヴァやピサに皮革や皮革製品(主に手袋)輸出していました。皮なめし技術の評判は高かったものの、ユーザーから悪臭の苦情が絶えませんでした。そこで皮なめし職人ガリマールがバラの香料やスパイスで臭い消しすることを思いついたことが、香水産業の始まりです。後に皮革輸出はニースにシフトし、グラースは香水で繁栄します。
※皮から毛を取り除いたり、なめすために、犬糞、人糞、馬尿を用いた。 -
鷹巣村Peillonへ。標高376mの丘の上です。
バスで麓のLe Moulinsで下車(304,360s系統)。
ここからは徒歩で登山です。
鉄道なら、村役場のあるSainte-Thècleで下車。
ペイヨンは、7つの地区から成る人口1,500人未満のコミューンです。
https://www.peillon.fr/ペイヨン旧市街 旧市街・古い町並み
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30分ほど登ると、ようやく全容が明らかに。
鷹巣村の地区は、地元では単にLa Village(直訳:村)、
対外的にはペイヨン・ヴィラージュと呼ばれます。 -
幅の狭い車道です。
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村の入口、アルヌルフ広場。
ここから先は徒歩のみ可能です。
噴水は、1800年完成。 -
ところどころに、昔の写真が展示してあります。
慰霊碑周辺の光景(1920年撮影) -
迷路のような旧市街。
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あちこちに「額縁」が存在します。
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猫の多い町
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1920年の写真と何も変わらない景色。
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死の変容教会
12世紀から続く教会で、現在の建物は1525年のもので、1643年に増築。
ファサードは1722年築。キリストの変容を描いた祭壇画は1643年のもの。キリスト変容教会 (ペイヨン) 寺院・教会
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興味深い景色です。
ロックブリュンヌの旧市街に似た光景です。 -
ペイヨンの名前が残る最初の記録は1150年まで遡る。
プロヴァンス伯領を経て、1388年にサヴォワ伯領になる。
イタリア名のペリオーネで呼ばれます。 -
フランス革命を経て、1792年には革命政府の配下に。
ナポレオンが失脚した1814年にはサルディニア王国(サヴォワ伯領が発展したもの)の領土になり、
1860年以降はフランス領となります。
周辺の鷹巣村と同じ経緯を辿っています。 -
ペイヨンも、ニースからサヴォワへ通じる塩の道上に位置する村の一つです。
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せっかくなので、この村で一泊。
宿オリジナルのお皿で歓迎。オーベルジュ ドゥ ラ マドンヌ ホテル
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ハーブとナッツのパイ包みのフォワグラ添え。
ちなみにメインではなく、前菜です。 -
パイ生地で包んであります。
さすがは、ミシュラン一つ星。 -
メインは羊のオーブン焼きに桃を添えたもの。
ラベンダーは、自家菜園のものだそうです。 -
トラディショナル且つコートダジュールのエッセンスを加えた発想が素敵です。
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食卓に猫ちゃんが。
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テラスで日没を眺めながら、ディナーは続きます。
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素敵な時間が流れます。
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夜の帳が。
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デザートはイタリア風にババを選択。
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ティーセットで締めます。
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すっかり夜。
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広場の噴水もライトアップ。
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ホテルの通路にあるラウンジ
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雑誌が置いてありました。
日本でも取り上げられたみたいです。 -
一番安い部屋を選択。
眺望は望めませんが、夏季はテラスで食事できるので問題なしです。
公式サイトで遅めに予約すると、ディスカウントされることが多いです。 -
朝食
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チェックアウト後、
移動を兼ねてハイキングします。
各地への到達時間が表示されており、助かります。 -
ペイヨンからモナコまで山越え兼国境越えをします。
第一目標地は、La Turbie(約2時間)です。 -
ペイヨンが遠のきます。
そんなに暑くはないです。 -
分岐点には標識があるので、
安心です。
コートダジュールには、こうしたハイキングルートが200以上整備されています。 -
思いっきり自然を満喫します。
ニースが県庁所在地のアルプ・マリティーム県は、
ローマ帝国の皇帝属州アルペス・マリティマエの地域と重なります。 -
1時間ほど歩くと、幹線道路へ。
標高610m
La Turbieまで、あと3.3km。
ペイユ・サンマルタンを移動中。 -
ラ・テュルビーに到着。
人口3,000人ほどのコミューンです。
ジェノヴァの配下にありましたが、プロヴァンス伯領、サヴォワ伯領などを経て、現在に至ります。ラ チュルビー旧市街 旧市街・古い町並み
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この街を有名にしたモニュメント。
カエサル・アウグストゥスがリグリアを制圧したことを記念して、
紀元前6年に竣工。
トロフィー(戦利品)は当初敵の着用したものでしたが、
ローマ時代には征服した敵の名前を刻むことに変化します。
ここには、彼が服従させた44の民族の名前が刻まれています。
ヴィア・ユリウス・アウグストゥス(街道名)上に位置し、
イタリアと属州(≒植民地)の境界としても機能しました。
損傷しているのは、軍事上の理由でルイ14世によって採石場としたためです。アウグストゥスのトロフィー (アルプスのトロフィー) 史跡・遺跡
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丘の上の町ラ・テュルビーから海を眺めると、
モナコの町が。
1191年にジェノヴァ共和国(教皇派)領となりますが、
住民(皇帝派)は抵抗を続けます。 -
1297年にフランチェスコ・グリマルディが修道士に扮して町を征服。
モナコ(修道士の意)と呼ばれる所以です。
1301年にフランチェスコがジェノヴァを追放されると、
アラゴン王国と手を結んでモナコを保有します。
写真は以前の旅行のもの。大公宮殿前に修道僧に扮したフランチェスコの姿が。
グレース・ケリーが嫁いだのも、グリマルディ家です。 -
16世紀にはフランスと手を結んで、三方を囲むジェノヴァやサヴォワ伯の脅威に立ち向かいましたが、
1797年にフランス、1814年にはサルディニア王国に占領されます。
1861年のフランコ・モガネスク条約で、ようやく主権を回復します。
フランチェスコの征服と一ノ谷の合戦の鵯越がミックスして、
徒歩で背後の山からモナコへ侵入するという夢がかないました。 -
ロックブリュンヌ・カップ・マルタン。
モナコの東側に位置する町。
10世紀にドイツ王が要塞を築いたのが始まり。
1355年にモナコが購入し、グリマルディ城が今も残ります。
1861年のフランコ・モガネスク条約で、モナコはロックブリュンヌとマントンの領有を放棄することで、主権を回復します。独立と引き換えに領土の95%を失うことを意味しました。ロクブリュヌ城 城・宮殿
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お城の周りに広がる旧市街。
ペイヨンに似ています。 -
翌日は、バスでエクサンプロバンスへ向かいます。
鉄道の便が悪い代わりに、安価な長距離バスの便が良い都市です。
車窓には、サン・ヴィクトワール山が。 -
旧市街の広場では、青果花卉市場が。
カラフルな野菜と果物、そしてきれいな花。これぞマルシェという感じ。
さすがはプロヴァンス。リシュルム広場 広場・公園
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地元のレストランでリーズナブルなランチ。
パテや生ハムといったリッチなコンビネーション。 -
メインはやさしい味付け。
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デザートも、フルーツ系。
コンポート美味しかったです。 -
地元客でにぎわう良いお店でした、
ジャック ル クロカン フレンチ
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デスティエンヌ・ド・サン・ジャン邸内の博物館。
調度品や楽器、人形など、アンシャンレジウムの文化を感じられる展示が素敵です。
独立性の高いプロヴァンス伯領の首都としての歴史を感じます。エクス旧市街博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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エクス・アン・プロヴァンス大司教区座のあるカテドラル。
1801年に廃止されたアルル大司教の称号も持ち合わせます。
現在は、マルセイユ大司教のサフラガン(従属)という微妙な立ち位置です。
※2002年の教区・大司教区再編による。サン ソーヴール大聖堂 寺院・教会
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1741年、ローラン・ヴァロン作
発注者アンリ・ライノー・ダベルタスの名前が付された広場。
フランス革命中、彼の息子はここで処刑されます。
アルベルタの泉は1912年作で、バロック調の金属製の器が素敵です。アルベルタ広場 建造物
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マザラン地区の噴水
イルカと皇太子は共にdauphinと綴ります。
代々の王太子は、(エクスの北方の)イルカを紋章にするドフィネ領主の称号を名乗ったことがルーツです。(英国のプリンス・オブ・ウェールズの称号と同じ。)
エクスの高貴さが伝わります。4頭のイルカの噴水 モニュメント・記念碑
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1666年ジャック・フォッセ作。
鉱泉水が湧きだします。
元々は4人の子供の姿でしたが、温泉の鉱物が付着してこんな姿に。
近づくと、盆栽みたいな感じです。
ローマ時代のアクアエ(水の意)が訛って、エクスとなりました。
今も噴水の多い「水の町」です。苔の噴水 モニュメント・記念碑
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字義:9つの大砲の噴水。
1651年、ローラン・ヴァロン作。
受け皿が重層的で美しいです。
苔も良いアクセント。ヌフカノンの噴水 モニュメント・記念碑
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両脇にプラタナスの並木。
いかにも、エクスという光景です。
1486年にフランス領になり、
現在も、パリに次ぐフランス第二の控訴裁判所があります。ミラボー通り 散歩・街歩き
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路線バスで、カヴァイヨンを目指します。
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カヴァイヨンは、メロンの産地。
生ハムを添えて食べるのが美味。
フライにしたり、ゼリーにしたりと、調理法にはきりがありません。 -
司教座のあった教会。
カヴァイヨン教区は、1801年にアヴィニョン教区に編入されました。
余談ですが、2002年にアヴィニョン大司教区はマルセイユ大司教のサフラガンになっています。
名前の通り、聖母マリアと6世紀にカヴァイヨン司教を務めた聖ヴェランに捧げられています。
1197年築のロマネスク様式です。旧ノートルダム サン ヴェラン大聖堂 寺院・教会
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右奥には回廊が付属しています。
13世紀初頭の建築。ロマネスク様式の柱とアーチが印象的です。 -
ローマ時代はカベリオンという都市名で、
ガリア最古の街道、ドミティア街道沿いの都市でした。
アルル王国、プロバンス侯国を経て、教皇領とフランス領に分割されました。ローマ時代のアーチ 建造物
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カヴァイヨン駅からアビニョン中央駅へローカル線で移動し、
在来線乗り入れのTGVでパリへ戻ります。 -
パリリヨン駅。
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