2021/02/11 - 2021/02/11
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Akrさん
ご覧いただきましてありがとうございます。
コロナ禍で遠出が出来ない今日このごろ。令和も3年目になりましたが日常生活は昨年と何ら変わっていません。
たまには気晴らしもという事で仙台市内にある、「市電保存館」へ行ってみる事に。
フォートラ登場は久々の「あっぺ呑んさん」と「しんちゃん」を引き連れてのドライブ旅です。
約半世紀前に廃止された市民の足「仙台市電」に想いを寄せ、市電保存館を見学し、更に足を伸ばして長崎から里帰りした仙台市電の保存車両を見に、秋保温泉まで行って来ました。
それでは参りましょう。
↓同行した「あっぺ呑ん」さんの旅行記
仙台にも市電が走っていました。
https://4travel.jp/travelogue/11678970/
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- その他
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長崎電気軌道で活躍した、もと仙台市電の車両が2019年3月いっぱいでついに廃止された。走る姿を見られる唯一の車体だった。長崎に行けず仕舞だったのが悔やまれる。
昭和47年、幼稚園児だった私Akrは、諸般の事情で市電通園をしていた。自宅近くの電停まで親が送り、市電の運転手さんに一任し、ひとりで乗車。幼稚園最寄りの電停で先生がお迎えというわずか5歳にして連日「乗り鉄」をしていたことをカミングアウトします(笑)
※写真は長崎電気軌道で1050形として活躍した仙台市電モハ100形。長崎電気軌道HPより引用させていただきました。 -
今日は用事があって仙台駅に居ます。地下鉄のね。
あっぺ呑んさんはしんちゃんのクルマで直接来ます。 -
これから地下鉄南北線に乗ります。
市電保存館は南北線の終点、富沢駅近くにある車両基地内にあります。
富沢駅でしんちゃんに拾ってもらうことにした。 -
昭和チックな雰囲気の1000系もついに置き換え決定(3年後だけどね)
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終点、富沢の手前で地上へ出る。
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富沢到着。富沢駅は高架駅。
富沢駅 駅
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ここであっぺ呑んさんたちと合流なんだけど、こちらが少し早く着いてしまったようだ。
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駅構内に「市電保存館」のポスターが貼ってあった。
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「市電保存館」は地下鉄の富沢車両基地内にある。駅からの公共交通機関も無いので正直、車以外でのアクセスは厳しい。(徒歩では15分ほど)
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仙台市の施設として一括りにされている。
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などと、駅を散策しているうちに、あっぺ呑んさん(右)と今回、車を出してもらったしんちゃん(中央)が到着。これで3人合流。これでもうひとり、いぶちゃんが来ると「Akr57」が揃うのだが今日は3人です。
みんなでどっか行くのは昨年10月の新潟以来だ。 -
ひさびさの旅行記執筆のため、精力的に取材される、あっぺ呑んさん。
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さあ、車に乗り込み、市電保存館を目指しましょう。
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え、え? ここ入っていいのって感じの入口を入る。市電保存館は特に観光用に整備されている訳もなくて普通に「車両基地の通用門」から入る。初見殺しだ。
(入口に看板はあります) -
するとこんな所に着くのだ。
本当に観光施設?
ちなみに駐車場は3台分しかないです。満車の際は守衛さんが居るので別な駐車場を案内してもらえます。 -
こちらの建物は地下鉄富沢車両基地のもの。
いかにもお役所といった感じだ。 -
駐車場の車止めには廃レールが活用されてた。これはナイスアイデア。
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裏口のような所から入る。まるで誰にも知られたくないかのよう(笑)
ひとりで歩いてきたら絶対に躊躇するぞ、これ。
でも、守衛室の手前にあるので正確には敷地内には入っていない。守衛さんも「保存館見に来たんだな」といった感じでスルー。仙台市電保存館 美術館・博物館
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観光色がない入口と看板。
ここまで飾り気がないと逆にすっきりするぞ(笑) -
中に入ると、そんな外観を裏切るような豪華展示車両が飛び込んで来た。
緑、オレンジ、クリーム。この塗り分けは古い仙台市民なら「市電の色」と頭に刷り込まれているはずだ。
余談ですが、地下鉄の新型車両のデザイン案にこの色合いが採用されているらしい。 -
大正15年の仙台市電開業当初の車両、モハ1型。
屋内展示とあって綺麗な状態で保存されている。 -
木造のダブルルーフだ。
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窓には金属のバー。
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前面下には、救助網(カウキャッチャー)を装備。
巻き込み事故を防止する装備。 -
あっぺ呑んさんも物珍しく観察。
A「開業当時を思い出しますか?」
あ「生まれてねえべ(怒)」
※あっぺ呑んさんは仙台市交通局OBです。 -
ここには親切に説明をしてくれるスタッフが常駐しています(写真手前の青い人)
この方がお話好きで喋る喋る(笑)ユーモアもあって面白可笑しく話してくれます。
この方もOBなのかな? -
車内には入れませんがドアから覗く事は出来る。
大正ロマンあふれるレトロな車内。 -
運転手さんも居ます(マネキンですが)
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こちらは仙台市電の主力たち。
手前がモハ100型。大型のボギー車(2軸台車)
奥がモハ400型。仙台市電最後の新造車。 -
昭和47年。当時、目に入れても痛くないほど愛くるしいAkrは、この電車に毎日ひとりで乗って幼稚園へご通園あそばされておりました。
引っ越しによる転園が嫌で意地でも前の幼稚園に通った。その時、運転席の後ろでかぶりつきをやっていたおかげで今では「この道」にどっぷりと浸かってしまった(笑)
仙台市電さん、その節は大変お世話になりました。おかげさまでAkrも立派なおっさんになりましたよ。 -
モハ100型の車内。本来は乗れるんだけど、コロナのために入口から中を覗くだけになっている。
ああ、懐かしい。この緑色の椅子。 -
手動式の運賃箱。おとな40円っていうのが時代を感じさせるねえ。
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系統番号とサボ。夜間の視認性はどうでもよい。そんな時代でした。
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車両以外の展示物も豊富。いろいろ見て歩きましょう。
これはマスコン(主幹制御器)スケルトン構造にして中の様子が見られるようになっている。当然、がちゃんがちゃんと意味もなく動かしてみる。 -
こちらは路線図。
これは最盛期のもので中央から上へ伸びる北仙台線は早くに廃止された。
このように市内中心部を網羅していた。いまもあったら便利なのに。低床のトラムが走って熊本や富山みたいになってたかもね。 -
これは実際の路線図。「市電運転系統図」の下の丸いマークは仙台市の市章。仙台の「仙」の字を模している。
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車両銘版。
今は無き「ナニワ工機」。確か松山のいよてつ市内電車は現役の車両に「ナニワ工機 昭和29年」とあって元気に走ってた。空気バネ台車というのがいいねえ。今ならばエアサス車か。 -
主電動機(モーター)
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台車。
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サボ。手描きがいいね~
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歴代の車両形式の写真展示。
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長崎電気軌道へ移籍した車両の長崎でのお別れ運転の模様のパネル展示。
最後に動いている姿を見たかったな。 -
長崎時代の雄姿。長崎では1050形電車を名乗っていた。
「せんだい」にちなんで1000番台が与えられた。長崎へは5両が渡った。平成の時代まで現役で走っていた1051号車はある意味、奇跡だ。 -
その他、市電が走る当時の仙台の街並みを再現したジオラマなんかもある。見てて飽きない。よっく見てみるとバスが今の形だったりするのはご愛嬌。
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昔の国鉄仙台駅。
485系やED75の客車列車がそそりますな。 -
一見、普通のベンチですが実は地下鉄の座席。アコモ更新で出た流用品だろう。
特に説明はないが、これを見て一瞬で「地下鉄の椅子だ」と見抜いた私は相当なビョーキです(笑) -
高い所に上がって屋根上を眺めることもできる。
パンタグラフも立てられており、架線まで再現と手が込んでいる。
狭い館内ながらも見どころがぎっしり詰まった施設だった。楽しかった。
これで入場無料なんですよ。 -
まだまだ話し足りないおじさんにお礼を言ってお暇します。
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今度はクルマを西に走らせること20分少々。
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やって来たのは秋保温泉。
仙台の奥座敷として知られる温泉地ですよ。
別に風呂に入りに来たわけでなく・・・ -
コレを見に来ました。
もと仙台市電モハ100形の119号です。仙台市電廃止後に長崎に渡り、長崎電気軌道1053号として活躍しました。長崎での引退後は、「鉄道パークシティ研究会」に無償譲渡され、故郷仙台へ戻って来たのですが、置き場所に困っていた所を秋保に住む早坂さんという方が好意で引き取って下さり、自宅の敷地内で保存することになりました。 -
車番や行先は長崎のものです。
秋保には昔、秋保電鉄という民鉄が走っており、仙台と秋保温泉を結んでいたのですが、その終点がここの場所なのです。なので秋保電鉄の車両?って勘違いされる事もあるそうです。 -
きちんと車両の経緯を説明する案内板も設置。
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そしてここはもと秋保温泉駅だった場所で車庫がそのまま残されている。車庫の中に見える電車はレプリカです。
たぶん、秋保電鉄なんて仙台市民でも「鉄」でもない限り、60代以上じゃないと知らないと思う。(廃止は昭和36年) -
そんなマイナー鉄道の秋保電鉄ですが、ちょっと興味を持ったなら秋保温泉にある観光施設「秋保里センター」へ行ってみよう。
秋保 里センター 名所・史跡
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館内の一角に「秋保電鉄コーナー」があるんです。
なんか仙台市電から話が逸れて行ってないかい? -
当時の沿線を再現したジオラマがあった。秋保電鉄は旅客輸送のほか、「秋保石」を切り出して運ぶ貨物輸送も盛んだったそう。ジオラマにもちゃんと機関車や貨車がある。
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途中駅の「月ヶ丘」駅を再現しているんだけど、調べたら駅舎もこんな感じだった。
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これは中間駅の茂庭駅の時刻表。もちろんレプリカ。それなりに本数があったんだ。
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貴重な当時の写真も。
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けっこうな数の写真が残っているもんなんだなあ。
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これも走行写真。
乗ってみたかった。
歴史に「もし」は禁句であるが、鉄道趣味に「もし」は夢が膨らむ(笑)
もし秋保電鉄がまだあったら沿線がいまや一大住宅地なので地下鉄と接続しているだろうな。福島交通飯坂線のような鉄道を妄想した。 -
こちらは仙台側の起点、長町駅。いまのJR長町駅の向かい側だった。
いろいろ勉強になりました。
あれ?仙台市電は?どっからこういう流れになった?(笑) -
腹が減ったので帰り道でふらっと「山形そば つるや」さんにお邪魔。
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山形名物の「ゲソ天」が付いた冷たい蕎麦にした。コシがあってのど越しも良く、美味しく頂きました。
あっぺ呑んさんは「蕎麦屋で一杯」をやりたかったようだが、あいにくこのお店はアルコール提供なし。店舗が街道筋で車客メインだからというのもあるのかな。 -
だからという訳でもないんだけど、流れ的に「しんちゃん家」へ突撃して、夕方から鍋を囲んで飲んだのであった(笑)
このUFOみたいなクソでかい土鍋は、あっぺ呑んさんご提供。 -
塩ちゃんこにしておいしくいただきました!
鶏肉と鶏だんごが美味かった~そして鍋には冷たいビールだね~
調理長は私がさせていただきました。といっても野菜刻んで鍋にぶち込むだけの簡単なお仕事です(笑) -
帰りも地下鉄で帰りました。
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今回のお話はこれでおしまいです。
幼いころから市電で育ったので今でも路面電車がある町が羨ましいです。熊本や松山、高知でも路面電車に乗りました。吊り掛けモーターとあの揺れ。仙台市電を思い出して懐かしい気持ちがこみ上げて来ます。
今日は半世紀前にタイムスリップ。コロナ禍、近場でも十分楽しめました。
最後までご覧いただき、ありがとうございました!!
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この旅行記へのコメント (8)
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- 長崎マリーンズさん 2021/03/22 20:19:35
- あっぺ呑ん様の旅行記とコメントが被ります笑
- Akr様
こんばんは!長崎マリーンズです。
タイトル通りあっぺ呑ん様の旅行記とコメントが被るかと存じますので
予めご了承ください笑
長崎で活躍した元仙台市電ですが、恥ずかしながら私は乗ったことはありません
(通っていた高校が車庫の近くだったので車庫で休んでいる姿は見た事があります)
長崎の路面電車も年々値上がりが進行しほんの10年くらい前までは100円で乗れたのが今や130円です。しかし一日乗車券はずっと500円です、4回乗れば元が取れます笑
どうでも良い話なのですが高校時代は100円均一だったのですが、定期にはしっかり利用区間が記載されており当然ですが区間外は100円支払う必要があったようです。100円均一なのに当時は納得がいかなかったものです笑
さて、仙台で保存されている車輌の行き先表示が新大工町となっておりますが、この表示は「大変レア」でございます。新大工町という停留所は現存しますが、新大工町行きは基本存在せず2つ先の蛍茶屋が終点です。長崎人としては新大工町行きの表示を見たらまずビックリするでしょうね笑
長崎マリーンズ
- Akrさん からの返信 2021/03/23 17:34:28
- 長崎に行きたかったですね
- 長崎マリーンズさま
こんにちは。いつもご覧下さいましてありがとうございます。
旅行記でも書いたように私は、幼稚園に市電で通っており、この電車通園の記憶だけははっきり今でも思い出せます。(鉄への入口だったのでしょう 笑)
引退時は私も子供だったのでよく解らないうちに廃止されてしまい、その後も長崎の地で頑張っていることは知っていました。
それが、いよいよ長崎からも引退するということを聞き、最後に一目、会いたかったのですが、叶わずでした。2017年に九州へ行った時にどうして長崎まで足を伸ばさなかったのか今でも悔やんでいます。廃止の際は、長崎電気軌道へメッセージを送りました所、ご丁寧な返事が来て嬉しかったです。
一度、東京から寝台特急さくらで長崎駅の頭端式ホームへ到着して、もと仙台市電に乗ってみたかった。どれもいまは叶わぬ事になってしまいましたね。
縁あって仙台に引き取られた車は、秋保温泉でひっそりと保存されています。
行先が「新大工町」となっていて、仙台には無い地名だから長崎時代のものなんだろうなとは思っていましたがレアな行先だったのですね。
ちなみに仙台の市電保存館に展示してある車両の行先が「広瀬橋」となっていますが、これも実在する電停で現在も同名の橋がありますが、ここも単なる途中電停なのです。当時の市電はこの2つか3つ先の長町が終点でした。どうしてこの行先があるのかは不明です。
そんなこともあり、現在でも路面電車が走る街が好きで、鹿児島、熊本、広島、松山、高知と行きましたがどうして長崎に行っていないのか甚だ疑問です。今度はぜひとも足を運んでみたいと思います。
長くなりすみませんでした。
-Akr-
-
- とのっちさん 2021/03/16 21:42:37
- 大人の社会科見学!
- Akrさま
こんばんは。みなさん集まっての市電見学、楽しそうですね~
あの路線図にわくわくしてしまう変態です。何時間あれば乗りつぶせるかな…(笑)「つつじが岡気象台前」なんて平仮名交じりの電停の名前がかわいらしくていいですね~そういえば、漢字練習帳ではなく時刻表で勉強したので、木へんに留で「つつじ」って読むと思っていたら違うんですね(笑)。秋保電鉄は何かの雑誌で読んで「あきう」と読むのを初めて知りました。気象台だけでなく鉄道管理局、電通局、児相まで…ホントに仙台市民の生活に根付いていたのですね。
幼稚園の頃から市電通学とは、すばらしい経歴をお持ちで…(笑)。平日朝に1本しかない475系を狙い撃ちして高校に通学していた者とはわけが違います。だがしかし、ほとんどは朝の課外授業に間に合わせるために815系の始発列車ばかりだったのですが。私は実家が駅近くなので、物心つく前に鉄の棺桶に引き込まれて、今もまだ抜け出せずにいるのですが、市電は祖父母や母に連れられて熊本市内に行くときに乗る“都会の象徴”でした。高校のときはチャリの競争相手でした。JR=汽車、市電=電車です。仙台もですよね?
こうして無料の資料館が残っているのがすばらしい。仙台オフ会の際には見学コースですね(笑)。昭和30年代の車両がガンガン現役で走っている熊本にもぜひお越しください。
とのっち
- Akrさん からの返信 2021/03/17 11:45:08
- ぜひご覧いただきたい施設です
- とのっちさま
こんにちは。いつもご覧下さいましてありがとうございます。
あの写真の路線図は仙台市電の最盛期の時ですね。
いまもあれば500円くらいで1日フリーパスがあったかもしれません。正直、地下鉄を軸としてトラムを走らせたらよかったと思います。
「つつじが岡」は正式名称じゃないですね。仙石線にある「榴ケ岡」が正しいのですが、「つつじ」と検索してもこの字はヒットしません。たしか「りゅう」って読ませるんじゃなかったかな。
「鉄道管理局前」はバス停にも引き継がれ、国鉄民営化後も「JR東北地域本社前」になり、現在は「JR東日本前」になっています。肝心の仙台支社は現在建替え中ですが。
幼稚園の時は諸事情で「電車通」をしましたが、やはり幼少期って影響受けますよね。あれから鉄の道を歩み始めましたので(笑)いまは防犯上、5歳児のひとり乗りなんて絶対にさせられないでしょう。
私の高校時代はバス通でしたが、当時の「汽車通」の連中は、ナナゴの牽く旧客で通ってました。デッキ箱乗りとかして。一度やってみたかったな。
そんなことで人一倍、市電に思い入れが強いので、路面電車がある街が好きです。ビル街に併用軌道とか、路面電車用の信号機とか狭い電停に萌えます。熊本でも乗りましたが、古いのに乗れてよかったです。本当はその時に長崎まで遠征して、もと仙台市電に会っておけば良かったと今更後悔してます。
仙台では、仙石線以外の路線は「汽車」。仙石線は「電車」でした。
市電保存館は場所がちょっと悪いですが、見る価値はありますので仙台へお越しの際には乗り換えだけじゃなくてたまには観光もよろしいんじゃないでしょうか。
-Akr-
-
- つららさん 2021/03/15 19:23:50
- 仙台市電の神童
- Akrさま
こんばんは、つららでございます。
Akrさまの鉄の原点は市電だったのですね。保護者付き添いでならまだしも、5歳でひとりで電車に乗って毎日幼稚園に通園された方って、初めて聞きました。(笑)
親御さんと幼稚園いずれかの反対があれば実現しないでしょうし、怖い人に遭ったり大きな災害が起こっていたら継続はできなかったでしょう。そのようなことなく市電通園を卒業まで全うされたということは、もう聖なる乗り鉄の星のもとにお生まれになったとしか・・・(笑)
私も子供の頃から市電は大好きです。音とか独特の揺れとか、路線の充実とか・・・(語り出すと長いので以下省略)
このようにきちんと保存されている仙台市が本当にうらやましいですし、ぜひ訪問してお話好きのおじさんに説明していただきたいです。京都市電と同じかと思うくらい色も似ていて、親近感もマックスです。
ところで、先週末にもうすぐいなくなる東海地方のアレに乗ってきました。
つらら
- Akrさん からの返信 2021/03/15 21:00:46
- チビ鉄でした
- つららさま
こんばんは。いつもご覧いただき、ありがとうございます。
あの通園方法は現代ならば絶対にNGですよね。防犯上、マズいですし。おおらかな時代だったのでしょう。電停で「運転手さん、お願いしますね〜」「はいよ〜」(想像です)といった会話が繰り広げられたのでしょうか。
仰る通り、この時点で私の運命はほぼ決まっていたのだと思います(おおげさだな)
それにしてもクソ生意気ながガキに見られたでしょうね(笑)いまなら「チビ鉄」とか言われそう(笑)
京都市電もありましたね。確か、つららさま、広島でもと京都市電にお会いしたんじゃありませんでしたっけ?私も写真見て仙台市電とカラー同じだなあって思いました。路面電車の走る街というのは何とも言えない情緒があっていいんです。街角で信号待ちの時に吊り掛けモーター響かせてガタンガタンとやって来るんですよ。ああ、いまも仙台にあればよかったのに。
機会があればぜひ、足を運んでみてください。あ、案内のおじさん、話好きだから滞在時間は長めで(笑)
え、東海地方でもうすぐ無くなるアレというと・・・
カミンズのワイドなビューなやつでしょうか?私も乗り納めしたいのですがなかなか厳しいです。
旅行記、楽しみにしていますよ。
-Akr-
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- Tagucyanさん 2021/03/13 16:48:18
- これは行ってみたい
- Akrさま
こんにちは
Akrさんが「この道」の原点が仙台の市電だったんですね。なるほど。
一方こちらは、電車が走っている町まで10kmぐらい離れたところに住み、そこまで行くこと自体が一大イベントという環境だったので、「原風景」は全国版時刻表を眺めて妄想していたということだけ。あ、それ今もか(笑)
車両基地の中に正統的な理由があってずかずか入っていくのいいですねえ。那覇空港の近くのゆいレールの資料館を思い出しました。話し好きの、多分OBさんのお話を聞きながら見学するの、面白そうです。あっぺ呑んさんにもコメント書きましたが、以前から一度行こうと機会をうかがっているんですけど、これは是非行きたい。
そしてその後の秋保温泉。秋保自体には行ったこともありますし、路線バスで秋保里センターの前を通ったこともありますけど、温泉につかっただけで満足して帰っている場合じゃなかったですね(笑) 秋保に行くバスは長町を通るので、これら2つは容易につながりそうなので(←よそ者がなぜ知ってる)、これはちょっとトレースしたいコースです。
余談ですが、昔あった秋保電鉄、知ってました。たしか、宮城交通バスの営業所が廃線跡沿いにあったような気がします・・・
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Tagucyan
- Akrさん からの返信 2021/03/13 18:03:49
- 秋保電鉄にも詳しいんですか(笑)
- Tagucyanさま
こんばんは。早速にご覧いただきましてありがとうございます。
どういった理由かは忘れましたが、幼稚園の頃、同じ仙台市内で引っ越しをしまして、新しい家の近くの幼稚園に転園の予定で見学にも行ったのですが、前の幼稚園がよっぽど居心地が良かったのか友達と離れ離れになるのが嫌だったのか、頑なに転園を拒んだそうです(親の弁)なので当時は電車が好きだからとかじゃなく、前の幼稚園に通いたい一心で頑張って市電通園をしていたようです。結果、その後の私の趣味に大きく関係することになったのは言うまでもありません。
さて、市電保存館ですが、歴史ある仙台市電を保存する施設にしては場所がマイナー過ぎるんです。なんと言っても車両基地の中にあるもので・・・一応、富沢駅に看板などもあるのですがなかなか行きづらい。まあ、歩いても15分もあれば着きますのでそんなに遠くはないです。でも足を運んで見る価値はありますよ。スタッフの方の説明も面白いですし。あの日は家族連れが入れ替わり立ち代わり来てましたね。
Tagucyanさま、秋保電鉄をご存じだとは!!
そうです、当時の廃線を宮城交通が専用道として使っています。そのほかにトンネルや廃線跡の道路などまだ辿れる所が残っているようです。何れ、私の「廃線めぐり」の企画で調査してみたいと思っています。
Tagucyanさまも機会があればぜひ、市電保存館にお越しください。
あと、余談ですが楽天生命パークわきの貨物駅の人道橋は駅移転が延びたためにあと3年はあのままだそうです。
-Akr-
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