八幡・城陽旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2020年10月15日(木)午後の3時半過ぎ、木津川に架かる上津屋(こうずや)橋、通称流れ橋を左岸から右岸に渡る。この橋は元々江戸時代に木津川の流れが変わって、上津屋村が現在の八幡市と城陽市の両岸に分かれ、その行き来のための渡し舟が置き換えられたものなのだが、城陽市の東向上津屋地区は橋より少し上流側にずれているので、橋を渡った先は久御山町になる。<br /><br />久御山町は京都市伏見区の南、東側を宇治市、城陽市と接し、南側を八幡市に接する町で、久世(くせ)郡に属しているが、かつては属していた城陽町、淀町、宇治町、槇島村、小倉村、大久保村や上津屋村が周辺市になったため、現在は久世郡にはこの町しかない。久世郡の名は奈良時代から使われているが、名前の由来は明らかでない。<br /><br />久御山町は1954年(昭和29年)に佐山村と御牧村が合併して誕生した。町名は久世郡の「久」と御牧村の「御」と佐山村の「山」を組み合わせたもの。安易なネーミング、誰が考案したんだろう。なお、今は京丹後市になったが、府北部の日本海側に久美浜町があり、混同する人がたまにいる。<br /><br />関係ない話で恐縮だが、学生時代から未だに付き合いのある友人がこの町の一口と云う地域にずっと住んでいるのだが、この地名、「いもあらい」と読む、全国でも指折りの難読地名。私もこの友人と知り合うまで知らなかった。国道1号線を走っていると案内を見ることが出来る。<br /><br />木津川の堆積作用によって作られた沖積平野で、平均標高は低い。面積は約14平方kmで、人口は約1万5千人。府内の町村としては11町村中4番目に多く、市で一番人口の少ない宮津市の1万7千人弱に近い。北部は巨椋池が干拓されたところで広い稲作地帯となっている。国道1号線が南北に走っており、工業団地や大規模な商業施設もある。<br /><br />京滋バイパスと第二京阪が東西南北に走り、久御山JCTでクロスしている。交差部分が二重の円を描いている典型的なタービン型ジャンクション。2003年3月の供用開始前に「踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」の撮影に使われたことは知る人ぞ知る。京滋バイパスに久御山ICと久御山淀IC、第二京阪に久御山南ICがある。電車は京阪本線がわずかに西北部をかすめているだけで駅はない。<br /><br />プロ野球のファイターズとタイガースで活躍した片岡篤史さんは町内の久御山中出身のようで、PL学園から同志社に進まれた。タカラジェンヌ娘役トップだった野々すみ花さんも町内出身だが、幼稚園から高校まで藤森の聖母学院。現在サガン鳥栖で活躍しているJリーガーの小屋松知哉選手も久御山中出身のようで、片岡さんの26年後輩かな。彼は京都橘高校で活躍したが、町内にある久御山高校もサッカーの強豪で全国大会準優勝1回。2020年現在はベルギーのサッカーリーグのシャルルロワSC(Royal Charleroi Sporting Club)に属する元日本代表(2014年)の森岡亮太選手がOB(出身は城陽)。その他、グラドルの中村静香さんも卒業生(出身は宇治)。<br /><br />橋を渡った先は久御山町佐山の浜台と云う地域だが、ここも八幡側の上津屋と並んで茶園が広がる地域で、共に浜茶と呼ばれて知られている。浜台の茶園は300年を経た古木もあるといわれるほど古い歴史を誇っている。木津川の洪水から住民と田畑を守る築堤は、自然に沃土が運ばれてくる堤の河川側に茶園群を残そうとして茶園を避けて迂回する形状となっている。まあ、これはここに限らず、向かいの八幡、上流の城陽、井出や京田辺も同じだが。<br /><br />浜台地区は堤防の内側(川側)に約4.7ヘクタールの茶園が広がり、町内の茶業家2戸が伝統を受け継ぎ、抹茶の元となる碾茶(てんちゃ)を生産している。ただし、行政的には下流の一部は八幡の飛び地の上津屋北川端。古くからの実生茶園(茶の実から栽培する茶園)も残っている。<br /><br />抹茶(碾茶)栽培は19世紀後半までは宇治茶師にしか許されてなかったのだが、玉露栽培には規制がなく木津川河川敷に覆下茶園が広がっていた。碾茶は玉露と同様に、収穫前に伸び過ぎを防ぎ、潤いのある芽を育てるために覆い下栽培されるため、明治に入り規制がなくなると、徐々に碾茶に切り換えられた。この覆い下栽培によって、独特のうまみと甘味が醸成される。ちなみに碾茶を石臼で挽いて粉末にしたものが抹茶。<br /><br />この時期(10月)には覆いは掛けられてないが、覆いが掛けられるのは春。芽生えの時期、天候を考慮して4月上旬から準備され、芽の生長に合わせて茶園全体に掛けられる。その後、茶の芽の成長にあわせて新芽を柔らかく保つためコモ(編み目の荒いむしろ)を茶の木の上に掛ける。4月下旬になると、茶葉の光沢を保つため、さらに藁を敷きつめ完全に日光を遮ぎる。そして、八十八夜が過ぎた5月の連休明け頃から、芽の生長を待ち、素晴らしい色つやに成長した葉が摘み取られ、宇治地方でも上位と云われる香り豊かな碾茶に仕上げられる。<br /><br />橋を渡り、堤防の上に上がると浜台の茶園を見通せるが、まあ京田辺に住んでると特に珍しくもない感じ。茶園をバックに北東を眺めると比叡山がきれいに見えた。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4766219250114728&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />城陽の木津川右岸に続く

京都 久御山町 浜台(Hamadai, Kumiyama, Kyoto, JP)

0いいね!

2020/10/15 - 2020/10/15

820位(同エリア851件中)

旅行記グループ 八幡

0

0

ちふゆ

ちふゆさん

2020年10月15日(木)午後の3時半過ぎ、木津川に架かる上津屋(こうずや)橋、通称流れ橋を左岸から右岸に渡る。この橋は元々江戸時代に木津川の流れが変わって、上津屋村が現在の八幡市と城陽市の両岸に分かれ、その行き来のための渡し舟が置き換えられたものなのだが、城陽市の東向上津屋地区は橋より少し上流側にずれているので、橋を渡った先は久御山町になる。

久御山町は京都市伏見区の南、東側を宇治市、城陽市と接し、南側を八幡市に接する町で、久世(くせ)郡に属しているが、かつては属していた城陽町、淀町、宇治町、槇島村、小倉村、大久保村や上津屋村が周辺市になったため、現在は久世郡にはこの町しかない。久世郡の名は奈良時代から使われているが、名前の由来は明らかでない。

久御山町は1954年(昭和29年)に佐山村と御牧村が合併して誕生した。町名は久世郡の「久」と御牧村の「御」と佐山村の「山」を組み合わせたもの。安易なネーミング、誰が考案したんだろう。なお、今は京丹後市になったが、府北部の日本海側に久美浜町があり、混同する人がたまにいる。

関係ない話で恐縮だが、学生時代から未だに付き合いのある友人がこの町の一口と云う地域にずっと住んでいるのだが、この地名、「いもあらい」と読む、全国でも指折りの難読地名。私もこの友人と知り合うまで知らなかった。国道1号線を走っていると案内を見ることが出来る。

木津川の堆積作用によって作られた沖積平野で、平均標高は低い。面積は約14平方kmで、人口は約1万5千人。府内の町村としては11町村中4番目に多く、市で一番人口の少ない宮津市の1万7千人弱に近い。北部は巨椋池が干拓されたところで広い稲作地帯となっている。国道1号線が南北に走っており、工業団地や大規模な商業施設もある。

京滋バイパスと第二京阪が東西南北に走り、久御山JCTでクロスしている。交差部分が二重の円を描いている典型的なタービン型ジャンクション。2003年3月の供用開始前に「踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」の撮影に使われたことは知る人ぞ知る。京滋バイパスに久御山ICと久御山淀IC、第二京阪に久御山南ICがある。電車は京阪本線がわずかに西北部をかすめているだけで駅はない。

プロ野球のファイターズとタイガースで活躍した片岡篤史さんは町内の久御山中出身のようで、PL学園から同志社に進まれた。タカラジェンヌ娘役トップだった野々すみ花さんも町内出身だが、幼稚園から高校まで藤森の聖母学院。現在サガン鳥栖で活躍しているJリーガーの小屋松知哉選手も久御山中出身のようで、片岡さんの26年後輩かな。彼は京都橘高校で活躍したが、町内にある久御山高校もサッカーの強豪で全国大会準優勝1回。2020年現在はベルギーのサッカーリーグのシャルルロワSC(Royal Charleroi Sporting Club)に属する元日本代表(2014年)の森岡亮太選手がOB(出身は城陽)。その他、グラドルの中村静香さんも卒業生(出身は宇治)。

橋を渡った先は久御山町佐山の浜台と云う地域だが、ここも八幡側の上津屋と並んで茶園が広がる地域で、共に浜茶と呼ばれて知られている。浜台の茶園は300年を経た古木もあるといわれるほど古い歴史を誇っている。木津川の洪水から住民と田畑を守る築堤は、自然に沃土が運ばれてくる堤の河川側に茶園群を残そうとして茶園を避けて迂回する形状となっている。まあ、これはここに限らず、向かいの八幡、上流の城陽、井出や京田辺も同じだが。

浜台地区は堤防の内側(川側)に約4.7ヘクタールの茶園が広がり、町内の茶業家2戸が伝統を受け継ぎ、抹茶の元となる碾茶(てんちゃ)を生産している。ただし、行政的には下流の一部は八幡の飛び地の上津屋北川端。古くからの実生茶園(茶の実から栽培する茶園)も残っている。

抹茶(碾茶)栽培は19世紀後半までは宇治茶師にしか許されてなかったのだが、玉露栽培には規制がなく木津川河川敷に覆下茶園が広がっていた。碾茶は玉露と同様に、収穫前に伸び過ぎを防ぎ、潤いのある芽を育てるために覆い下栽培されるため、明治に入り規制がなくなると、徐々に碾茶に切り換えられた。この覆い下栽培によって、独特のうまみと甘味が醸成される。ちなみに碾茶を石臼で挽いて粉末にしたものが抹茶。

この時期(10月)には覆いは掛けられてないが、覆いが掛けられるのは春。芽生えの時期、天候を考慮して4月上旬から準備され、芽の生長に合わせて茶園全体に掛けられる。その後、茶の芽の成長にあわせて新芽を柔らかく保つためコモ(編み目の荒いむしろ)を茶の木の上に掛ける。4月下旬になると、茶葉の光沢を保つため、さらに藁を敷きつめ完全に日光を遮ぎる。そして、八十八夜が過ぎた5月の連休明け頃から、芽の生長を待ち、素晴らしい色つやに成長した葉が摘み取られ、宇治地方でも上位と云われる香り豊かな碾茶に仕上げられる。

橋を渡り、堤防の上に上がると浜台の茶園を見通せるが、まあ京田辺に住んでると特に珍しくもない感じ。茶園をバックに北東を眺めると比叡山がきれいに見えた。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4766219250114728&type=1&l=223fe1adec


城陽の木津川右岸に続く

0いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP