伏見旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2020年10月1日(木)、午後の3時前、龍馬逃走の跡を辿り終わり、伏見薩摩藩邸跡から南に下がる。約600m進むと伏見大手筋商店街のアーケードがある。近年シャッター商店街が増えたが、この商店街はいつも活気に満ちている。20世紀に入って酒造業の発展などによる人口増により商店街が形成され、1971年にアーケードが造られた。京阪伏見桃山駅から西400mに100店以上の店舗が連なっており、いつも賑わっている。いつかこの商店街に近いところに移りたいものだ・・・<br /><br />このアーケードの一番西の四番街の小道を南側に入ったところに伏水酒蔵小路がある。2016年3月にグランドオープンした伏見の地酒と全国各地の料理が堪能できるフードコート。全長77mの通路の両側に酒造カウンターと8つの店舗が並び、どの席からでも動かずに地元蔵元の約100種の地酒と様々な料理を楽しむことが出来る(下の写真1)。今回は素通りしただけだったが、機会あれば友人と来たいものだ。<br /><br />伏水酒蔵小路の西側はパッサージュなやまち5番街に面している。1996年にパリのパサージュをイメージしたモダンなアーケードが完成した納屋町商店街。ここを南に進むと、アーケードの終わり近くの伏水酒蔵堂がある。こちらは、飲食店ではなく酒屋。こちらは地元蔵元の酒を販売する他、酒器やアテとなる食べ物も販売している。この日、私が伏見に来た理由はここ。この日、10月1日は日本酒の日で、この店で地元10蔵元のお酒を2割引きで販売していると知り、やって来た。鶴正宗、月桂冠、魯山人、五山の四季のそれぞれ720m瓶4本を総額3845円で購入す(下の写真2)。<br /><br />伏水酒蔵小路と伏水酒蔵堂で扱われている蔵元は変更されることもあるようだが、以下のような蔵元(「 」内はそれぞれの蔵元の代表銘柄)。<br />黄桜「黄桜」、齊藤酒造「英勲」、北川本家「富翁」、京姫酒造「京姫」、キンシ正宗「金鵄正宗」、東山酒造「坤滴」「魯山人」、月桂冠「月桂冠」、招酒造「招徳」、城陽酒造「城陽」、宝酒造「松竹梅」、都鶴酒造「都鶴」、玉乃光「玉乃光」、豊澤本店「豊祝」、増田兵衞商店「月の桂」、山本本家「神聖」、鶴正酒造「鶴正宗」「五山の四季」、山本勘蔵商店「鷹取」、松本酒造「桃の滴」、平和酒造「慶長」<br /><br />パッサージュを南に出て、東に少し進むと年季の入った店。富英堂(とみえいどう)と云い、明治28年(1895年)創業の老舗和菓子屋店。もともとは御香宮神社や萬福寺といった神社仏閣の祝事や法事の際の慶弔菓子を専門に作っていたそうだ。1959年に今の上皇様(当時は皇太子)に献上された「えがお」と云うブッセや4代目が考案した酒饅頭が名物だが、この日は中秋(旧暦8月15日)の名月の日と云うことで月見団子のこしあんと粒あんをそれぞれ1個ずつ購入。389円(下の写真3)。<br /><br />富英堂から東に進み、突き当りの三差路を北(左手)に折れると正面が伏見御堂。江戸幕府成立前の1599年頃に真宗大谷派本願寺12代教如(きょうにょ)が創建した寺院で、寺地にもともと蓮池があったため蓮池御坊、双葉(二葉)御堂もしくは伏見御坊とも呼ばれた。寺域は徳川家康の寄進によるもので、本堂は家康の居城で伏見城再建後に廃城となった向島城の殿舎の遺構を改築したものだったと伝えられる。<br /><br />ここを拠点にして教如は家康に働きかけ、七条烏丸に広大な寺領を寄進され、1602年に本願寺から東本願寺(真宗大谷派)を分派独立することに成功した。一説では家康が本願寺の勢力を弱体化させるために教如を唆して本願寺を分裂させたと云われるが、関ヶ原の戦い以前から教如派と弟の准如(浄土真宗本願寺派12代)派に分裂しており、家康はそれを追認したに過ぎないとも云われている。<br /><br />鳥羽伏見の戦いでは会津藩駐屯地となった。1868年の1月2日(新暦では1月26日)、大坂から到着した会津藩の先鋒隊約200名がここを宿陣とする。翌3日薩摩藩との小競り合いが繰り返す中、夕刻の午後4時頃、鳥羽方面から聞こえる一発の砲声に触発され、御香宮の東の高台に据えた薩摩藩の大砲が火を噴き、伏見奉行所を攻撃し、本格的な戦いが始まった。本堂の畳を楯に鉄砲の撃ち合いがあり、建物は大きな損害を受けたと伝えられる。門の横に2009年に伏見観光協会が設置した会津藩駐屯地跡(伏見御堂)の碑が建つ。<br /><br />明治になってからは政府の伏見市中取締所が置かれた。明治18年(1885年)に建て替えられ、それまでは東向きだった建物が南向きに縮小された。1949年に境内に東本願寺の保育園として伏見幼児園が開園しており、関係者以外は中に入ることは出来ない。1990年に一部の建物が老朽化のために取り壊され、現在は山門と内部に大銀杏と鐘楼(下の写真4)だけが残されている(表紙の写真)。2014年に小さな本堂が再建されている。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4681697165233604&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />以上でマイナーな伏見終了、4時前の電車で帰路に就いた

京都 伏見御堂(Fushimi-Mido temple, Kyoto, JP)

5いいね!

2020/10/01 - 2020/10/01

1251位(同エリア1671件中)

旅行記グループ 伏見

0

4

ちふゆ

ちふゆさん

2020年10月1日(木)、午後の3時前、龍馬逃走の跡を辿り終わり、伏見薩摩藩邸跡から南に下がる。約600m進むと伏見大手筋商店街のアーケードがある。近年シャッター商店街が増えたが、この商店街はいつも活気に満ちている。20世紀に入って酒造業の発展などによる人口増により商店街が形成され、1971年にアーケードが造られた。京阪伏見桃山駅から西400mに100店以上の店舗が連なっており、いつも賑わっている。いつかこの商店街に近いところに移りたいものだ・・・

このアーケードの一番西の四番街の小道を南側に入ったところに伏水酒蔵小路がある。2016年3月にグランドオープンした伏見の地酒と全国各地の料理が堪能できるフードコート。全長77mの通路の両側に酒造カウンターと8つの店舗が並び、どの席からでも動かずに地元蔵元の約100種の地酒と様々な料理を楽しむことが出来る(下の写真1)。今回は素通りしただけだったが、機会あれば友人と来たいものだ。

伏水酒蔵小路の西側はパッサージュなやまち5番街に面している。1996年にパリのパサージュをイメージしたモダンなアーケードが完成した納屋町商店街。ここを南に進むと、アーケードの終わり近くの伏水酒蔵堂がある。こちらは、飲食店ではなく酒屋。こちらは地元蔵元の酒を販売する他、酒器やアテとなる食べ物も販売している。この日、私が伏見に来た理由はここ。この日、10月1日は日本酒の日で、この店で地元10蔵元のお酒を2割引きで販売していると知り、やって来た。鶴正宗、月桂冠、魯山人、五山の四季のそれぞれ720m瓶4本を総額3845円で購入す(下の写真2)。

伏水酒蔵小路と伏水酒蔵堂で扱われている蔵元は変更されることもあるようだが、以下のような蔵元(「 」内はそれぞれの蔵元の代表銘柄)。
黄桜「黄桜」、齊藤酒造「英勲」、北川本家「富翁」、京姫酒造「京姫」、キンシ正宗「金鵄正宗」、東山酒造「坤滴」「魯山人」、月桂冠「月桂冠」、招酒造「招徳」、城陽酒造「城陽」、宝酒造「松竹梅」、都鶴酒造「都鶴」、玉乃光「玉乃光」、豊澤本店「豊祝」、増田兵衞商店「月の桂」、山本本家「神聖」、鶴正酒造「鶴正宗」「五山の四季」、山本勘蔵商店「鷹取」、松本酒造「桃の滴」、平和酒造「慶長」

パッサージュを南に出て、東に少し進むと年季の入った店。富英堂(とみえいどう)と云い、明治28年(1895年)創業の老舗和菓子屋店。もともとは御香宮神社や萬福寺といった神社仏閣の祝事や法事の際の慶弔菓子を専門に作っていたそうだ。1959年に今の上皇様(当時は皇太子)に献上された「えがお」と云うブッセや4代目が考案した酒饅頭が名物だが、この日は中秋(旧暦8月15日)の名月の日と云うことで月見団子のこしあんと粒あんをそれぞれ1個ずつ購入。389円(下の写真3)。

富英堂から東に進み、突き当りの三差路を北(左手)に折れると正面が伏見御堂。江戸幕府成立前の1599年頃に真宗大谷派本願寺12代教如(きょうにょ)が創建した寺院で、寺地にもともと蓮池があったため蓮池御坊、双葉(二葉)御堂もしくは伏見御坊とも呼ばれた。寺域は徳川家康の寄進によるもので、本堂は家康の居城で伏見城再建後に廃城となった向島城の殿舎の遺構を改築したものだったと伝えられる。

ここを拠点にして教如は家康に働きかけ、七条烏丸に広大な寺領を寄進され、1602年に本願寺から東本願寺(真宗大谷派)を分派独立することに成功した。一説では家康が本願寺の勢力を弱体化させるために教如を唆して本願寺を分裂させたと云われるが、関ヶ原の戦い以前から教如派と弟の准如(浄土真宗本願寺派12代)派に分裂しており、家康はそれを追認したに過ぎないとも云われている。

鳥羽伏見の戦いでは会津藩駐屯地となった。1868年の1月2日(新暦では1月26日)、大坂から到着した会津藩の先鋒隊約200名がここを宿陣とする。翌3日薩摩藩との小競り合いが繰り返す中、夕刻の午後4時頃、鳥羽方面から聞こえる一発の砲声に触発され、御香宮の東の高台に据えた薩摩藩の大砲が火を噴き、伏見奉行所を攻撃し、本格的な戦いが始まった。本堂の畳を楯に鉄砲の撃ち合いがあり、建物は大きな損害を受けたと伝えられる。門の横に2009年に伏見観光協会が設置した会津藩駐屯地跡(伏見御堂)の碑が建つ。

明治になってからは政府の伏見市中取締所が置かれた。明治18年(1885年)に建て替えられ、それまでは東向きだった建物が南向きに縮小された。1949年に境内に東本願寺の保育園として伏見幼児園が開園しており、関係者以外は中に入ることは出来ない。1990年に一部の建物が老朽化のために取り壊され、現在は山門と内部に大銀杏と鐘楼(下の写真4)だけが残されている(表紙の写真)。2014年に小さな本堂が再建されている。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4681697165233604&type=1&l=223fe1adec


以上でマイナーな伏見終了、4時前の電車で帰路に就いた

PR

  • 写真1 伏水酒蔵小路

    写真1 伏水酒蔵小路

  • 写真2 伏水酒蔵堂

    写真2 伏水酒蔵堂

  • 写真3 富英堂

    写真3 富英堂

  • 写真4 伏見御堂の大銀杏と鐘楼

    写真4 伏見御堂の大銀杏と鐘楼

5いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP