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表参道の入口に立つ石鳥居には江戸時代、1711年の銘がある。かつては第108代後水尾天皇筆の神額「藤森大明神」が掲げられており、社前を通過する大名は、駕篭から降り、この額に拝礼し、槍を倒して進んでいたが、幕末の動乱期、このような悠長なことでは時代に対応できないとして新選組組長の近藤勇が額を外させたと云う。鳥居の先の石垣は、伏見城取り壊しの際に城壁の一部が奉納されたもので、城の建造時に寄進した大名の印が一部に刻まれている。西参道にもある。<br /><br />石垣を抜けると参道の両側にクスノキの巨木が並ぶ。駈馬の神事はここを駈け抜ける。左手すぐにこの地の出身で器製造業だった焼塩屋権兵衛の顕彰碑が立つ。伏見奉行の腐敗を幕府に直訴した7人の天明の伏見義民(伏見義民一揆)の一人。直訴は却下され、7人は投獄され、その後田沼意次に代わり老中首座になった松平定信が赦免を申し渡したが、時遅く、全員が病死や牢獄死していた。<br /><br />同じく左手、その先にある蒙古塚にはかつて7つの塚があり、七ツ塚とも云われた。奈良時代の781年に蒙古が日本へ攻め寄せてきたが、早良親王が大将軍となり率いた軍勢がこれを退けた。この塚はその戦いで取った蒙古軍の大将の首を埋めたところ。<br /><br />反対側、右手の先には立派な現代的な建物、1989年築の宝物殿があり、重文となっている南北朝時代の鎧、紫絲威鎧(むらさきいとおどしよろい)大袖付が展示されている。徳川幕府第4代将軍徳川家綱奉納の鎧で、最後の征夷大将軍である有栖川熾仁親王が着用したものと云う。また、平安時代中期の刀工・国永作の名刀「鶴丸国永」のレプリカ(刀匠・藤安将平2017年作)・三日月宗近も展示されている。本物は宮内庁所蔵。宝物殿入口階段の横にはかえし石がある。京都所司代巡検の際に神人が拝殿から鳥居まで石を転がす行事があった。また、祭礼の際に、人々が力試しにこの石を抱き上げたとも云う(下の写真1)。<br /><br />蒙古塚の先、第一紫陽花苑を過ぎると元は拝殿として使われていた絵馬舎。内部に掛る白馬、黒馬の2枚の絵馬には、慶長18年(江戸時代初期の1613年)の銘があり、京都でも古いものの一つ。また、多くの競走馬の絵馬が目立つ(下の写真2)。その先には平安時代後期から鎌倉時代にかけての女流歌人、待宵の小侍従の「むらさきの雲とぞよそに見えつるは 木高き藤の森にぞありける」という歌の碑が建つ。<br /><br />拝殿前の狛犬一対は昭和天皇御在住50年を慶祝して造られたもの。二代目で、初代は江戸時代に造られ、尾を上げ、口は阿形の一対であったが、その尾の形は踏襲しているが、口は阿吽の形を取っている。この他、摂社の大将軍社に平安時代の木像で、胎内に徳治2年(鎌倉時代の1307年)補修の銘がある狛犬もあったが、国の重要文化財となり京都国立博物館に保管されている。<br /><br />狛犬の左手には神馬像。1985年に駈馬保存会により駈馬神事の象徴として新たに寄進されたもの。明治時代にも馬の像が寄進されていたのだが、戦時中に金属不足を補うために供出されていた。神馬像の奥の手水舎の水鉢の台石は、あの大盗賊・石川五右衛門が、宇治浮島の十三重の塔の第9層を持ってきたものと云われる。上から5層目の石だけ色が違うと説明にあるが、よく分からない(下の写真3は2016年12月23日に写したもの)。<br /><br />拝殿は中央に通路がある割拝殿。旧御所・賢所の建物で、江戸時代中期の1712年に中御門天皇より下賜されたもので、御所より移築された。切妻平入、唐破風の向庇で、四面吹き放し。拝殿の右奥にはクスノキの大木がある。<br /><br />その奥が本殿。割拝殿と同じで中御門天皇より下賜された宮中内侍所であり、御所より移築された。現存する賢所としては最も古く、東殿・中央・西殿の三座から成る。正面に拝所が付き、千鳥破風、唐破風を重ねる入母屋造、檜皮葺で国の重要文化財となっている。東殿の前には菖蒲の節句発祥の地として金太郎のような勝運之神の像が建ち、2005年に藤森神社鎮座1800年祭並びに式年遷宮50年祭を記念して建てられた舎人親王崇敬碑もある。<br /><br />本殿の奥には末社の天満宮社、大将軍社、七宮社、祖霊社、八幡宮社が並ぶ。天満宮社(霊験天満宮)は祭神として菅原道真を祀る。大将軍社は室町時代の1438年、足利義教の建立によるもので、磐長姫命(いわながひめのみこと)を祀る。国の重要文化財。平安京を守護する4社のうちの南の方除神。七宮社は豊臣秀吉が伏見城を築城するとき、その地に祀られていた七社を遷して祀ったもの。向かって左から、天満宮社、熊野神社、厳島神社、住吉神社、諏訪神社、廣田神社、吉野神社の7社が並ぶ。祖霊社は藤森神社に功労・功績を残された方々をお祀りしている。八幡宮社も大将軍社と同じ室町時代の1438年、足利義教の建立によるもので、元々は本殿と並んで一列に建っていた。応神天皇を祀る。これも国の重要文化財。<br /><br />本殿の奥を左手から右手に回り込んでくるとあるのが御旗塚。 神功皇后が纛旗(とうき)を立てた場所で、藤森神社発祥の地。平安時代の遷都奉幣の儀式が行われたところでもある。植えられているイチイガシは「いちのきさん」と呼ばれ、腰痛除守のご利益があり、腰痛に苦しんだ近藤勇も参ったと云う。<br /><br />その近くの不二の水は、二つとないおいしい水という意味で、武運長久、学問向上、勝運を授ける水と云う。地下100mより湧くそうで、なかなか美味しかった。その奥には神鎧像。藤森祭に武者行列として参加する朝渡・皇馬・拂殿の武者を象徴し、神役会が奉納した。藤森七福神像は元禄時代に藤森祭に参加していた七福神行列を2005年の神社鎮座1800年祭に際し復活させたのを記念して奉納されたもの。藤森稲荷社は大正3年に建立されたもの。<br /><br />境内の北西の角、駐車場の片隅には京都歩兵聯隊跡の碑。1968年、京都歩兵聯隊跡記念碑建設会により建てられた。第二次大戦以前、50年に渡りこの神社の周辺に旧陸軍の施設が集中していた。西参道は長方形の板石が敷き詰められていて、2つの石造鳥居が建つ。壱乃鳥居の奥に建つカヤの木は高さ15.5m、幹周2.70m。区民の誇りの木とある。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.4183515311718461&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />境内には2つの紫陽花苑がある。30年ほど前に参拝者に楽しんで貰おうと造られたもの。西洋アジサイ、ガクアジサイ、柏葉アジサイ、アナベル、おたふくアジサイなど、約3,500株が咲き誇っており素晴らしい。実は花菖蒲園を作りたかったのだが、土壌の関係で紫陽花苑になったと云う話もある。第一紫陽花苑の北側で共通の入苑料300円を支払って、藤森神社紫陽花祭祈祷守護と書かれたありがたい札をもらい、中へ入る。この時期、本当に様々な種類の紫陽花が咲き乱れており、素晴らしい。御旗塚の横から入る第二紫陽花苑の方には誰もいないが、ちゃんと入苑料を払うように!こちらも結構広い。一生分の紫陽花を満喫した気がする。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.4175085315894794&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />周辺の話に続く

京都 伏見 藤森神社(続)(Fujinomori Shrine(Cont.), Fushimi, Kyoto, JP)

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2020/06/23 - 2020/06/23

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旅行記グループ 伏見

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ちふゆ

ちふゆさん

表参道の入口に立つ石鳥居には江戸時代、1711年の銘がある。かつては第108代後水尾天皇筆の神額「藤森大明神」が掲げられており、社前を通過する大名は、駕篭から降り、この額に拝礼し、槍を倒して進んでいたが、幕末の動乱期、このような悠長なことでは時代に対応できないとして新選組組長の近藤勇が額を外させたと云う。鳥居の先の石垣は、伏見城取り壊しの際に城壁の一部が奉納されたもので、城の建造時に寄進した大名の印が一部に刻まれている。西参道にもある。

石垣を抜けると参道の両側にクスノキの巨木が並ぶ。駈馬の神事はここを駈け抜ける。左手すぐにこの地の出身で器製造業だった焼塩屋権兵衛の顕彰碑が立つ。伏見奉行の腐敗を幕府に直訴した7人の天明の伏見義民(伏見義民一揆)の一人。直訴は却下され、7人は投獄され、その後田沼意次に代わり老中首座になった松平定信が赦免を申し渡したが、時遅く、全員が病死や牢獄死していた。

同じく左手、その先にある蒙古塚にはかつて7つの塚があり、七ツ塚とも云われた。奈良時代の781年に蒙古が日本へ攻め寄せてきたが、早良親王が大将軍となり率いた軍勢がこれを退けた。この塚はその戦いで取った蒙古軍の大将の首を埋めたところ。

反対側、右手の先には立派な現代的な建物、1989年築の宝物殿があり、重文となっている南北朝時代の鎧、紫絲威鎧(むらさきいとおどしよろい)大袖付が展示されている。徳川幕府第4代将軍徳川家綱奉納の鎧で、最後の征夷大将軍である有栖川熾仁親王が着用したものと云う。また、平安時代中期の刀工・国永作の名刀「鶴丸国永」のレプリカ(刀匠・藤安将平2017年作)・三日月宗近も展示されている。本物は宮内庁所蔵。宝物殿入口階段の横にはかえし石がある。京都所司代巡検の際に神人が拝殿から鳥居まで石を転がす行事があった。また、祭礼の際に、人々が力試しにこの石を抱き上げたとも云う(下の写真1)。

蒙古塚の先、第一紫陽花苑を過ぎると元は拝殿として使われていた絵馬舎。内部に掛る白馬、黒馬の2枚の絵馬には、慶長18年(江戸時代初期の1613年)の銘があり、京都でも古いものの一つ。また、多くの競走馬の絵馬が目立つ(下の写真2)。その先には平安時代後期から鎌倉時代にかけての女流歌人、待宵の小侍従の「むらさきの雲とぞよそに見えつるは 木高き藤の森にぞありける」という歌の碑が建つ。

拝殿前の狛犬一対は昭和天皇御在住50年を慶祝して造られたもの。二代目で、初代は江戸時代に造られ、尾を上げ、口は阿形の一対であったが、その尾の形は踏襲しているが、口は阿吽の形を取っている。この他、摂社の大将軍社に平安時代の木像で、胎内に徳治2年(鎌倉時代の1307年)補修の銘がある狛犬もあったが、国の重要文化財となり京都国立博物館に保管されている。

狛犬の左手には神馬像。1985年に駈馬保存会により駈馬神事の象徴として新たに寄進されたもの。明治時代にも馬の像が寄進されていたのだが、戦時中に金属不足を補うために供出されていた。神馬像の奥の手水舎の水鉢の台石は、あの大盗賊・石川五右衛門が、宇治浮島の十三重の塔の第9層を持ってきたものと云われる。上から5層目の石だけ色が違うと説明にあるが、よく分からない(下の写真3は2016年12月23日に写したもの)。

拝殿は中央に通路がある割拝殿。旧御所・賢所の建物で、江戸時代中期の1712年に中御門天皇より下賜されたもので、御所より移築された。切妻平入、唐破風の向庇で、四面吹き放し。拝殿の右奥にはクスノキの大木がある。

その奥が本殿。割拝殿と同じで中御門天皇より下賜された宮中内侍所であり、御所より移築された。現存する賢所としては最も古く、東殿・中央・西殿の三座から成る。正面に拝所が付き、千鳥破風、唐破風を重ねる入母屋造、檜皮葺で国の重要文化財となっている。東殿の前には菖蒲の節句発祥の地として金太郎のような勝運之神の像が建ち、2005年に藤森神社鎮座1800年祭並びに式年遷宮50年祭を記念して建てられた舎人親王崇敬碑もある。

本殿の奥には末社の天満宮社、大将軍社、七宮社、祖霊社、八幡宮社が並ぶ。天満宮社(霊験天満宮)は祭神として菅原道真を祀る。大将軍社は室町時代の1438年、足利義教の建立によるもので、磐長姫命(いわながひめのみこと)を祀る。国の重要文化財。平安京を守護する4社のうちの南の方除神。七宮社は豊臣秀吉が伏見城を築城するとき、その地に祀られていた七社を遷して祀ったもの。向かって左から、天満宮社、熊野神社、厳島神社、住吉神社、諏訪神社、廣田神社、吉野神社の7社が並ぶ。祖霊社は藤森神社に功労・功績を残された方々をお祀りしている。八幡宮社も大将軍社と同じ室町時代の1438年、足利義教の建立によるもので、元々は本殿と並んで一列に建っていた。応神天皇を祀る。これも国の重要文化財。

本殿の奥を左手から右手に回り込んでくるとあるのが御旗塚。 神功皇后が纛旗(とうき)を立てた場所で、藤森神社発祥の地。平安時代の遷都奉幣の儀式が行われたところでもある。植えられているイチイガシは「いちのきさん」と呼ばれ、腰痛除守のご利益があり、腰痛に苦しんだ近藤勇も参ったと云う。

その近くの不二の水は、二つとないおいしい水という意味で、武運長久、学問向上、勝運を授ける水と云う。地下100mより湧くそうで、なかなか美味しかった。その奥には神鎧像。藤森祭に武者行列として参加する朝渡・皇馬・拂殿の武者を象徴し、神役会が奉納した。藤森七福神像は元禄時代に藤森祭に参加していた七福神行列を2005年の神社鎮座1800年祭に際し復活させたのを記念して奉納されたもの。藤森稲荷社は大正3年に建立されたもの。

境内の北西の角、駐車場の片隅には京都歩兵聯隊跡の碑。1968年、京都歩兵聯隊跡記念碑建設会により建てられた。第二次大戦以前、50年に渡りこの神社の周辺に旧陸軍の施設が集中していた。西参道は長方形の板石が敷き詰められていて、2つの石造鳥居が建つ。壱乃鳥居の奥に建つカヤの木は高さ15.5m、幹周2.70m。区民の誇りの木とある。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.4183515311718461&type=1&l=223fe1adec

境内には2つの紫陽花苑がある。30年ほど前に参拝者に楽しんで貰おうと造られたもの。西洋アジサイ、ガクアジサイ、柏葉アジサイ、アナベル、おたふくアジサイなど、約3,500株が咲き誇っており素晴らしい。実は花菖蒲園を作りたかったのだが、土壌の関係で紫陽花苑になったと云う話もある。第一紫陽花苑の北側で共通の入苑料300円を支払って、藤森神社紫陽花祭祈祷守護と書かれたありがたい札をもらい、中へ入る。この時期、本当に様々な種類の紫陽花が咲き乱れており、素晴らしい。御旗塚の横から入る第二紫陽花苑の方には誰もいないが、ちゃんと入苑料を払うように!こちらも結構広い。一生分の紫陽花を満喫した気がする。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.4175085315894794&type=1&l=223fe1adec


周辺の話に続く

  • 写真1 宝物館

    写真1 宝物館

  • 写真2 競走馬の絵馬

    写真2 競走馬の絵馬

  • 写真3 宇治浮島の十三重の塔

    写真3 宇治浮島の十三重の塔

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