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藤森神社に行ったついでの藤森、墨染、丹波橋辺り。まずは、京都教育大学。藤森神社から連なる森の豊かな緑に覆われた大学で、全国の国立大学の中で緑被率は2番目に高いと云われる(1番目はどこやねん!)。前身は1876年創立の京都府師範学校と1944年設立の京都青年師範学校。1949年に新制京都学芸大学となり、1957年北区の烏丸紫明から現在地に移転。1966年に京都教育大学に改称し、2004年に国立大学法人となった。<br /><br />2006年以降は、学生定員の300名全てが教員養成を目的とし、小学校の教員免許が必須取得で、加えて幼稚園あるいは中学校の専攻の教員免許を取得するようになった。JICA関係の知り合いで何人か卒業生を知っているが、有名人では79年に「きみの朝」をヒットさせた岸田敏志(当時は智史)が体育学科の卒業生(私より2歳年上)。そう云えば私が知ってる個々の卒業生の方々も体育の先生やわ。あと、紫野高校時代に山城高校の釜本邦茂・二村昭雄と共にサッカーの「京都三羽ガラス」と称された大西忠生さんもこの大学の卒業生。三菱重工(浦和レッズの前身)で活躍し、1970年の日本代表にも選ばれたが2006年に63歳で早逝された。<br /><br />藤森神社への京阪の最寄り駅、1910年(明治43年)の京阪本線開業時に同時開業した墨染駅の少し西にあるのが墨染寺。地名は「すみぞめ」だが、お寺は「ぼくせん」と読む。日蓮宗の寺院で、山号は深草山。本尊は十界大曼荼羅。平安時代の874年(貞観16年)の創建で、境内に咲く墨染桜(すみぞめざくら)が寺号の由来になったとされる。現在は三代目だが、四代目も既に育てられている。<br /><br />摂政・藤原良房が建立した元号寺院の貞観寺が前身で、良房の娘・明子の産んだ惟仁親王(後の第56代清和天皇で、清和源氏の祖となった)の加護のために建立したとされる。安土桃山時代の天正年間(1573年から91年)およびその後数年にわたり、豊臣秀吉が寺領千石の土地寄進を行い、大僧都・日秀上人により建立された。秀吉の姉・瑞龍尼(日秀尼)が法華経に帰依したのを契機とし、寺号も法華本宗・墨染桜寺(ぼくせんおうじ)と改めた。その後江戸時代に、塔頭寺院の威徳院(いとくいん)に統合縮小され、現在地へ移転された。<br /><br />寺の名前は地名の墨染(すみぞめ)から来ているが、地名は平安時代の歌人である上野峯雄(かんつけのみねお)が良房の養子で日本史上初の関白に就任した藤原基経の死を悲しみ、「深草の野辺の桜し心あらば 今年ばかりは墨染に咲け」と詠んだところ、桜の花が墨染色に染まったという伝説から来ていると云われる。<br /><br />境内では立派な日蓮像が迎えてくれ、その後ろに屋根が独特の形をした美しい本堂が建っている。本堂扁額には桜寺と書かれ、山門の屋根瓦にも桜の文字が彫られており、春の桜が有名。山門を入った右手にある壽碑は墨染寺を復興された第37世、学妙上人を顕彰する碑。<br /><br />墨染寺から南、国道24号線の手前の、住宅街の中の小さな交差点に建つのが撞木町廓碑(しゅもくちょうくるわひ)。町名の撞木町は、正式には恵美酒町だったが、町の形がT字形をしており、鐘を叩く木槌の撞木に似ていたので、通称として呼ばれたものが、1992年に正式な町名となった。<br /><br />この地は、かつて京街道、大津街道の分岐点に近かったことから栄え、芝居小屋、土産物屋、下級遊郭が軒を並べていた。撞木町廓には太夫はおらず、下級遊女の天神、囲、半夜などの廓があり、一時は大いに繁盛した。忠臣蔵で知られる赤穂浪士大石内蔵助が昼行灯と呼ばれ遊びまくっていたのがこの廓と云われる。山科から4㎞を通ったそうだ。通っていた妓楼の笹屋には専用の部屋が用意されており、江戸に向かう前に酩酊し、部屋の天井に漢詩を落書したそうだが、天明伏見義民一揆で罷免された伏見奉行・小堀政方が部屋を解体し奉行所内に押収し、町民の反発を招いたそうだ。廓は1956年、売春防止法の施行後に消滅した。<br /><br />撞木町廓碑から国道24号線を越え、京阪と近鉄の丹波橋駅の400mほど西に進むとキンシ正宗がある。江戸時代の1781年に堺町二条で松屋久兵衛が創業した造り酒屋。その地にはかつて堀野家の本宅であったことに由来する堀野記念館が残り、当時の様子を伝えている。1880年(明治13年)に伏見7名水のひとつである毎時70トンの水量の常磐井水を有するこの地に移転した。1995年に米を蒸す代わりに高温・強火で炊いて粥状にして酒母と麹を加えて発酵させる液化仕込みを導入した。残念ながら夕方5時を過ぎていたためか売店は閉まっていた。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.4183530748383584&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />以上

京都 伏見 墨染寺他(Bokusenji Temple and etc., Fushimi, Kyoto, JP)

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2020/06/23 - 2020/06/23

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ちふゆ

ちふゆさん

藤森神社に行ったついでの藤森、墨染、丹波橋辺り。まずは、京都教育大学。藤森神社から連なる森の豊かな緑に覆われた大学で、全国の国立大学の中で緑被率は2番目に高いと云われる(1番目はどこやねん!)。前身は1876年創立の京都府師範学校と1944年設立の京都青年師範学校。1949年に新制京都学芸大学となり、1957年北区の烏丸紫明から現在地に移転。1966年に京都教育大学に改称し、2004年に国立大学法人となった。

2006年以降は、学生定員の300名全てが教員養成を目的とし、小学校の教員免許が必須取得で、加えて幼稚園あるいは中学校の専攻の教員免許を取得するようになった。JICA関係の知り合いで何人か卒業生を知っているが、有名人では79年に「きみの朝」をヒットさせた岸田敏志(当時は智史)が体育学科の卒業生(私より2歳年上)。そう云えば私が知ってる個々の卒業生の方々も体育の先生やわ。あと、紫野高校時代に山城高校の釜本邦茂・二村昭雄と共にサッカーの「京都三羽ガラス」と称された大西忠生さんもこの大学の卒業生。三菱重工(浦和レッズの前身)で活躍し、1970年の日本代表にも選ばれたが2006年に63歳で早逝された。

藤森神社への京阪の最寄り駅、1910年(明治43年)の京阪本線開業時に同時開業した墨染駅の少し西にあるのが墨染寺。地名は「すみぞめ」だが、お寺は「ぼくせん」と読む。日蓮宗の寺院で、山号は深草山。本尊は十界大曼荼羅。平安時代の874年(貞観16年)の創建で、境内に咲く墨染桜(すみぞめざくら)が寺号の由来になったとされる。現在は三代目だが、四代目も既に育てられている。

摂政・藤原良房が建立した元号寺院の貞観寺が前身で、良房の娘・明子の産んだ惟仁親王(後の第56代清和天皇で、清和源氏の祖となった)の加護のために建立したとされる。安土桃山時代の天正年間(1573年から91年)およびその後数年にわたり、豊臣秀吉が寺領千石の土地寄進を行い、大僧都・日秀上人により建立された。秀吉の姉・瑞龍尼(日秀尼)が法華経に帰依したのを契機とし、寺号も法華本宗・墨染桜寺(ぼくせんおうじ)と改めた。その後江戸時代に、塔頭寺院の威徳院(いとくいん)に統合縮小され、現在地へ移転された。

寺の名前は地名の墨染(すみぞめ)から来ているが、地名は平安時代の歌人である上野峯雄(かんつけのみねお)が良房の養子で日本史上初の関白に就任した藤原基経の死を悲しみ、「深草の野辺の桜し心あらば 今年ばかりは墨染に咲け」と詠んだところ、桜の花が墨染色に染まったという伝説から来ていると云われる。

境内では立派な日蓮像が迎えてくれ、その後ろに屋根が独特の形をした美しい本堂が建っている。本堂扁額には桜寺と書かれ、山門の屋根瓦にも桜の文字が彫られており、春の桜が有名。山門を入った右手にある壽碑は墨染寺を復興された第37世、学妙上人を顕彰する碑。

墨染寺から南、国道24号線の手前の、住宅街の中の小さな交差点に建つのが撞木町廓碑(しゅもくちょうくるわひ)。町名の撞木町は、正式には恵美酒町だったが、町の形がT字形をしており、鐘を叩く木槌の撞木に似ていたので、通称として呼ばれたものが、1992年に正式な町名となった。

この地は、かつて京街道、大津街道の分岐点に近かったことから栄え、芝居小屋、土産物屋、下級遊郭が軒を並べていた。撞木町廓には太夫はおらず、下級遊女の天神、囲、半夜などの廓があり、一時は大いに繁盛した。忠臣蔵で知られる赤穂浪士大石内蔵助が昼行灯と呼ばれ遊びまくっていたのがこの廓と云われる。山科から4㎞を通ったそうだ。通っていた妓楼の笹屋には専用の部屋が用意されており、江戸に向かう前に酩酊し、部屋の天井に漢詩を落書したそうだが、天明伏見義民一揆で罷免された伏見奉行・小堀政方が部屋を解体し奉行所内に押収し、町民の反発を招いたそうだ。廓は1956年、売春防止法の施行後に消滅した。

撞木町廓碑から国道24号線を越え、京阪と近鉄の丹波橋駅の400mほど西に進むとキンシ正宗がある。江戸時代の1781年に堺町二条で松屋久兵衛が創業した造り酒屋。その地にはかつて堀野家の本宅であったことに由来する堀野記念館が残り、当時の様子を伝えている。1880年(明治13年)に伏見7名水のひとつである毎時70トンの水量の常磐井水を有するこの地に移転した。1995年に米を蒸す代わりに高温・強火で炊いて粥状にして酒母と麹を加えて発酵させる液化仕込みを導入した。残念ながら夕方5時を過ぎていたためか売店は閉まっていた。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.4183530748383584&type=1&l=223fe1adec


以上

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