2020/09/26 - 2020/09/30
1243位(同エリア11099件中)
ottoさん
この旅行記スケジュールを元に
駅前のバスセンターでお得な市内観光バスツアー予約確認画面を提示してチケットを貰いツアーに参加しました。約5時間に亘る観光は全般が原爆資料館、平和公園辺り、後半が出島、グラバー邸、大浦天主堂辺りに分けて巡ります。
原爆記念館は初めてでした。広島投下後間も無く、長崎への原爆投下は防げたはずだけに痛切です。自らも被爆しながら被災者救済に力を尽くした永井博士が亡くなられるまで遺児と暮らした「如己堂」と名曲「長崎の鐘」にまつわるお話は後日NHKの朝ドラで再現されました。切支丹迫害、原爆被害、洪水被害など、運命に翻弄された長崎。若い頃初めて訪れた時とは異なる印象で改めて深く心に残りました。出島の遺構は鎖国時期のオランダ交易を彷彿させて興味深く見学しました。長崎の町は山がちで坂道が多いので靴はズックをはいて行き正解でした。グラバー邸や大浦天主堂等 折から修復工事中とて内部へ入れず外部観光のみというところもあって残念でしたが止むをえません。午後3時に観光を終えすぐさま平戸へ急ぐタイトな一日でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 観光バス ANAグループ JR特急
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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駅前のバスセンターでチェックインし受け取った「長崎よかとこコース」のパンフレット
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さいしょに訪れたのはここ。
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明るい天井の下壁には千羽の折り鶴が寄贈されチェーンになって飾られています。
長崎原爆資料館 美術館・博物館
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「長崎原爆資料館」は長崎市平野町7-8
地上2階 地下2階 図書室、平和学習室併設
入館料 個人200円 団体160円 / 小中高生100円 80 (年末休館) -
その朝、雲に遮られた小倉の街から標的を変えて原子爆弾が長崎へ落とされた不運
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ガイドさんが爆心地を指差して説明をはじめます。
中央は浦上川。 -
キノコ雲がもくもくと立ち上がっている様子。
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呆然と横たわる被災者
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被災した浦上天主堂の入口。
遺壁の一部は原爆落下中心地に移設されています。また、被爆当時の南側入口の再現造型や被爆した像など(実物)が展示されています。 -
原爆の日、一瞬のうちに爆風で崩壊、火災で屋根と床の可燃物は焼失しました。聖堂、司祭館などは堂壁の一部を残して敷地内にあった聖人像などの石像もほとんどが大破しました。双塔の鐘楼の片方は天主堂内部に倒れ、他方は近くの川へ転げ落ちました。
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。爆撃の中心が赤く示されています。
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放射能の閃光は瞬く間に広がってお椀の底のような市外へ発散することなく府立折ったようです。
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これが巨大な原子爆弾のプルトニウム内臓カプセル
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完全に破壊された町は跡形もなく
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無残な瓦礫と化しました。
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手の骨とガラスがくっついている。
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爆心地1.2km地点での焼け焦げた作業服。
身体や衣服の損傷は相当ひどい -
川の右手に爆心地が赤く小さく印されています。
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この写真はすでに亡くなっている赤児をおんぶして立ち尽くす少年の姿です。
グッとこらえる表情に胸が痛みます。アメリカ兵が記録写真として撮ったものと聞きました。その後彼は子供達の惨状を数多く記録し「原爆は間違いだった」と報告したそうです。 -
記念館を出て、
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公園は爆心地からは少し外れた北にある平和公園の案内板
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巨大な像は原爆犠牲者を追悼し右手は天の神を、左手は平らかな平和を力強く祈念しています。
平和公園 公園・植物園
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折り鶴の塔
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長崎市街の方角へ歩を進めますと、
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噴水への道から見上げた聖母子像
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小さな鐘のモニュメントが悲しいまでの青空にくっきりと。
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市民の憩いの場ともなっています。
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。バスで通過中に永井博士が晩年暮らした「如己堂」を一瞬キャッチできました。
内部は先日NHK朝ドラで小関裕司が訪れて博士の深い思いを知り名曲「長崎の鐘」を作曲する経緯が描かれていました。如己堂 永井隆記念館 美術館・博物館
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浦上天主堂
ここは、爆心地から北東へ約500mの地点です。現在の天主堂は昭和34(1959)年に再建されました。
旧天主堂は、明治28(1895)年に起工し、大正14(1925)年に完成するまで、30年の歳月をかけて建てられました。当時は赤レンガ造りの、東洋一といわれた大きな教会でした。
なお、遺壁の一部は原爆落下中心地に移設されています。また、長崎原爆資料館に被爆当時の南側入口の再現造型や被爆した像など(実物)が展示されています。平和公園 公園・植物園
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赤レンガの正面
(長崎市の資料より) -
長崎大学横の階段の先に見える被爆した一本鳥居
山王神社二の鳥居(一本柱鳥居) 名所・史跡
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諏訪神社
ガイドさんは言いました。
「説明鎮西大社諏訪神社は、長崎県長崎市にある神社。現在の正式名称は諏訪神社であり、鎮西大社は通称。地元では「お諏訪さま」、「おすわさん」と呼ばれる。10月7日から9日までの例祭は長崎くんちとして有名である」と諏訪神社 寺・神社・教会
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「サントス通り」の標識が目に留まりました。
市の広報紙によると長崎市の姉妹都市ブラジル・サンパウロ州のサントス市にちなんで、昭和52年(1977)、「サントス通り」と名付けられた。明治41年(1908)第1回のブラジル移民船「笠戸丸」が入港したのがサントス市であった。長崎県出身の移住者やサンパウロ州議員野田次平氏(佐賀県出身)からの申し入れにより、昭和47年(1972)姉妹都市提携を行っている。
1908年に、日本からの最初の移民が到着したのがサントス港。日本以外にも、ヨーロッパ諸国からの移民もサントス港から入国しました。
コーヒーの出港地、そして観光地として有名です。 -
近代的なビル群を背景にレトロな建造物が川沿いに展開しています。
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ここは「出島」の跡地です。
出島総合案内所 095-821-7200 -
川を渡り橋の上から右手の建物に迫ります。
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ガイドさんのあんないが始まります。
出島 名所・史跡
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オランダ商会の標識
約半世紀に及ぶ地道な発掘調査で復元されました。 -
入場前に検温、手指消毒して中へ
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広くゆったりした間口です
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部屋の小物にもオランダの匂いが
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和洋折衷の簡素な室内
オランダのライデン国立民族学博物館所蔵の建築模型、絵図、文物をもとに設計され江戸時代の出島が蘇えったのです。 -
これが交易のお墨付き「朱印状」
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壁紙は和紙で雨戸無しの窓
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客間
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カピタンの部屋、一番船船頭部屋、など19世紀前半のオランダ商館院の生活様式を紹介七増す。食卓を囲んで賑やかな社交の場ともなったでしょう。
出島 名所・史跡
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案内のおじさんは関西にも縁があると語り熱心に解説してもらいました。
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左右の階段で上がる珍しい玄関
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次の建物に入ります。
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オランダ人書記官達の部屋
出島 名所・史跡
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書記官達の合宿部屋は青いペンキの窓枠がオランダ風
階下は遺物館になっています。 -
海外に輸出伊万里焼きなど交易品の数々。
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オランダ船の模型
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異なる形の大型船
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繊細な絵付けの磁器、陶器類
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黄緑色のペンキの窓枠が面白い
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長崎での大名行列
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使用目的は聞き逃しました。
多分出土品の一部を保存した石倉かも。
今は案内所になっています。 -
母屋の2階から入口付近を見下ろしています。
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オランダの建物写真を背景にしたデルフト陶器の展示棚
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建屋をちょっと覗いている観光客はまばら。
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今回ここへは立ち寄りませんでした。
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新地中華街、オランダ坂をさーっと車窓観光して次に向かったのは…
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孔子廟です。
孔子廟 中国歴代博物館 美術館・博物館
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孔子廟は72人の賢人が居並ぶ正面のお堂に孔子様が祀られています。
中国華南と華北の建築様式が合体した廟宇 -
孔子様は日本人にとっても尊崇の賢人
館内の国宝級文化財が凄い。 -
グラバー邸は目下修復中で邸内見学はできませんでした。
グラバー別邸跡 名所・史跡
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港を見下ろす丘の上
グラバー邸の脇に立つ別邸には入れました。 -
イギリス人グラバーはここで英気を養い盛んに貿易を行ったのでしょう。
グラバー園 名所・史跡
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十月桜が往時の栄華を伝えるかのように咲いていました。
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丘を下って観光案内所のトイレに行き1階に降ります。長崎くんちの山車が展示されていました。
長崎くんち 祭り・イベント
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カラフルな大型引船が所狭しと展示中
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ペーロン競争を想起します。
「バスにもどりますよー」の声にハッとして急ぎました。 -
坂の途中に聳える大浦天主堂も改修中でした。
幕末の開国時に在外外国人の為に建てられたそうで
現存する国内最古の教会で中世ヨーロッパの異国情緒満点。大浦天主堂 寺・神社・教会
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