2019/12/30 - 2019/12/30
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RAINDANCEさん
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沖縄県本島南部、東海岸の中城湾に面する中頭郡の村である中城(なかぐすく)、および西海岸に面する県第5の都市である宜野湾(ぎのわん)を訪れました。中城は、琉球王国時代には首里から近い北部平定のための要衝だったことから中城城が築かれた場所であり、宜野湾は近代の沖縄戦で那覇から近い要衝として嘉数高台にトーチカが築かれ、その後米軍の普天間基地が建設され今に至ります。
★琉球王国時代の歴史探訪として、世界遺産の「中城城跡」へ。
★沖縄戦の戦跡めぐりとして「嘉数(かかず)高台」へ。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- レンタカー ANAグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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2019年の年末、沖縄本島をレンタカーで巡る旅、那覇市を拠点に南部を訪れました。この旅行記は、那覇市から10kmほど北に東西に並ぶ、中城村と宜野湾市の訪問記です。
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まずは中城村に入り「中城城跡」へ。そのパーキング。
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中城城跡は”琉球王国のグスク及び関連遺産群”として世界遺産に登録されています。その点を猛烈アピールする看板たち。
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このプレハブがチケットセンターです。
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カートで少し距離のある城跡まで送ってくれるんです。タイミングがうまく合えば。
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カートで降ろしてもらったのがここ、正門付近。
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正門の手前にある「カンジャーガマ」。鍛冶屋跡とのこと。
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ここが中城城の「正門」。中城城は築城時期は不明ながら、15世紀の琉球王国・尚泰久王代、座喜味城から移ってきた護佐丸の城として知られています。
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「南の郭(くるわ)」。首里グスクを拝む首里遙拝所があります。
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「拝所 雨乞いの御嶽(うたき)」。
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進路に沿って歩きます。
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「一の郭(くるわ)」。
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一の郭には正殿がありました。
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郭の間は城壁で区切られ、門があります。
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一の郭からの眺望。湾の向こう側にある、ライバルだった阿麻和利の勝連城を監視していました。
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「拝所 中森ノ御イベ」。
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二の郭へ。
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「二の郭」。隅には「拝所 シライ冨の御イベ」。
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日露戦争の戦没者に対する忠魂碑が建っていました。
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二の郭から三の郭へは城壁があるため直接は行けません。一旦北の郭に下ります。
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途上の「大井戸」。
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新城とも呼ばれる「三の郭」。”あいかた積み”と言われる石造技術が駆使され、のちに日本に開国を迫ったペリー提督が訪れた際に、その技術の高さに驚いたとのこと。
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三の郭から裏門を出ます。
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三の郭の背後には広場があり、裏門からのアプローチでも世界遺産の碑が迎えてくれます。中城城跡は、沖縄の城跡の中でも最も遺構が良く残っているとされるだけあって、いい感じで”遺産感”を醸し出す城でした。(城跡の近くに「護佐丸の墓」があるのですが、行き忘れてしまいました…)
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続いて、中城村を後にし、西に隣接する宜野湾市へ。
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”基地の街”のひとつである宜野湾市、市の大部分を占める、あの有名な「普天間基地」(MCAS FUTENMA)の入口を通り過ぎます。
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そして、市の南西の端にある「嘉数高台公園」にやってきました。
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「沖縄新観光名所 宜野湾嘉数高台 琉球新報社」とあります。似たような石の看板をどこかで見た様な…そうだ、辺戸岬で見たな…。
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沖縄戦では、ここ嘉数高地が持久戦における最前線となり、「嘉数の戦い」として最激戦地のひとつとなりました。
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「弾痕の塀」。
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左には「陣地壕」、上には「トーチカ」の跡があります。
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「陣地壕跡」。民間人も駆り出され、石灰石をくりぬいてコの字型に掘られました。
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高台へ上ると、激戦地だっただけに数々のモニュメントが目につきます。
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16日間の戦いで、日本側が6万人、アメリカ側が2万人を超える戦死傷者(諸説あり)を出したとのこと。
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「島根の兵 奮戦の地」に「弔魂の碑」。
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こちらは「京都の塔」。
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嘉数に投入された師団には京都出身兵が多く(約3500名)、そのほとんどが故郷を見ずに戦死したことを受け、京都市民によって建てられました。
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これが「トーチカ」です。
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鉄筋コンクリートなどで堅固に造られた防御陣地です。
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砲弾でえぐり取られたその様は、ここでの激戦を物語ります。
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むき出しの鉄筋。
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高台には地球儀の様な展望台。上ってみると…
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北東方向に「普天間基地(飛行場)」が見えます。オスプレイらしき機体がズラリ。
沖縄戦で土地を強制接収され生まれた米軍基地は、’95年の米兵による少女暴行事件や'04年のヘリ墜落事故などを経て県民による返還運動が高まります。 -
そして周知の通り、県外国外とはいかず、辺野古への移設問題へと繋がっています。嘉数高台周辺も普通の住宅地。
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琉球王国時代には首里から近い北部平定のための要衝だったことから中城城が築かれ、近代の沖縄線では那覇から近い要衝として嘉数高台にトーチカが築かれ、この中城・宜野湾あたりが地理的にも要衝の地であったことを歴史が物語っています。
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