2020/09/26 - 2020/09/28
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Fluegelさん
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同僚から「一日でもいいから、時間を見つけて、どこかに行ったら」と言われたことが、心に残っていた。家と職場を往復するだけの日々だったので、どこへも出かけていなかった。奄美での生活も、残り3日間となり、どこかへ行こうと思った。
表紙写真:屋鈍海岸(宇検村)
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奄美に来た時、梅雨が明けていなかった。例年になく、梅雨明けは7月末となった。東京あたりの梅雨明けが、8月になった年である。梅雨の間、大島野牡丹に心癒された。雑草の様に、道端に咲いていた。
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私が住んでいたのは、この海岸から歩いて30分のところ。海岸まで、ちょうど良い散歩道だったけれど、蛇と出会ってから、足が遠のいた。奄美大島には、本当に蛇が多い。毎晩の様に、カエルの大合唱が聞こえるので、蛇にとって餌に困らないのだろう。職場の側溝には、おたまじゃくしや蛇がいた。
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家の入口。花芭蕉? 芭蕉を調べたら、花は黄色いはずだった。
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近くの道端には、たくさんのゴンズイが。赤いので、とても目立つ。
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道端には、ナンバンギセルも。
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9月、季節は秋。道路脇には、サキシマフヨウ(先島芙蓉、Hibiscus makinoi )が目立つ様に。真っ赤なハイビスカスは植樹だけれど、こちらは自生。
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さて、残り3日のうち、初日。天気は今ひとつ。奄美=雨見(東京より年間日照時間が少ないらしい)。郵便局本局で、引越し荷物の一部を発送し、その足で、奄美博物館へ。
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入口すぐの天井。何だか民博(大阪)を思い出す。
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2Fから同じ船を見る。船の名前は、クバヤ。11.4mあり、20人乗り。遠洋航海にも出られる船らしい。
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船の舳先裏に描かれれいるのは、女性?
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南東雑話(江戸時代末期)の絵図がパネル展示されている。こちらは競馬(きそいうま)。現在、奄美大島で馬は一頭も見かけないけれど。昔はいた様だ。船に乗せて連れて来たのだろう。馬が死んでしまったら、人が食べていたらしい。牛も食べていたという。ソテツも、飢饉に備えて、食用に植えていたという。
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残り3日のうち、2日目。宇検村に行ってみて、正解。家のあたりは天気が良くなかったのに、この通りのお天気。奄美大島は、エリアごとに天気が異なる。山勝ちなので、トンネルを抜けると天気が違う。
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宇検村、道の突き当たりにあるのが、屋鈍海岸。右手は、サンゴでできた石垣。
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水に入ると、魚が見えるのかしら。
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屋鈍の展望所より。
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タエン浜にも立ち寄った。
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タエン浜の無料駐車場。舗装されている。
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湯湾で、新しそうな建物が目を引き、ここで、ランチをとった。食券制で、サービスエリアのよう。お向かいに観光案内所があり、そこで湯湾集落の地図がないか尋ねたら、宇検食堂の中まで、パンフを持って来て下さったことに感動。
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残り3日のうち、最後の日。生ゴミの回収日で、朝10時にゴミ出し。その足で、郵便局本局に行き、荷物発送。雨だったけれど、その後、倉崎海岸(龍郷町)へ。奄美クレーターと呼ばれる、円形の湾は、眺望はそれほどでもないけれど、倉崎が道の突き当たりにあり、秘境感・リゾート感がある。また、湾内のため、波が静か。
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相棒、スズキ・Lapinともお別れ。初めて乗った軽自動車だった。奄美でのお別れの会で、世界一周旅行(1999~2000)の話をするにあたり、この4トラブログを見て、加筆を行い、当日に備えた。ブログにupしていれば、何年後でも、資料が手元になくても、wi-fiさえあれば、どこでも旅の思い出話をできると分かった。そこで、取り急ぎ、この旅行記をupする次第です。さあ、明日は大掃除。
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