
2019/12/24 - 2019/12/25
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Fluegelさん
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旅程:
12月22日(日)ITM 9:20 ー 奄美 11:10
田中一村記念美術館
奄美パーク
12月23日(月)
マングローブ遊歩道
黒潮の森 マングローブパーク(カヌー体験)
高知山展望台
マネン崎展望台
ホノホシ海岸
ヤドリ浜
12月24日(火)
崎原海岸
ここまでが、前回までの旅行記分。
この旅行記では、それ以降について。
12月24日(火)続き
大島紬村
西郷南州謫居跡
国直ビーチ
宮古崎
12月25日(水)
笠利崎
大笠利カトリック教会
大島奉行所跡
あやまる岬
土盛海岸
奄美16:20(定刻15:45) ー HND 17:50(定刻17:35)
表紙写真:土盛海岸と、咲き残りの浜木綿 ハマユウ(ヒガンバナ科)。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- レンタカー JALグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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クリスマスイブ、崎原海岸の次に訪ねたのが、大島紬村。一見、公的機関が運営しているような名前だけれど、越間さんという織元の工場。奄美には現在、織元が3件しか残っていないそう。田中一村が働いていた織元も、現存しないらしい。
入場料は大人550円。カード可。cashless -5%表示あり。鹿児島県が設置の奄美パークや、翌日訪ねたティダムーン(大島紬美術館)が、cashless -5%を提示しながら、入場料は現金払いなのと、対照的。
写真は、染色の説明。 -
最初はガイドツアーとなっており、越間さんご本人がガイドとして説明してくれる。写真は、泥染めの実演。お客さんが来た時だけ、職人さんがここに立ち、実演してくれる。だから、ガイドツアーでないと、作業場は無人。
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泥染めの沼は、立派なジャングルに見える。そして、沼の底を見ると…
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大きなイモリ。体長20cm近くありそう。尻剣井守 シリケンイモリ?
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機織り実演。こちらは白大島。
大島紬村 名所・史跡
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機織り。世界三大織物は、フランス・ゴブラン織(タペストリー)、ペルシャ絨毯、そして大島紬なのだとか。ガイドツアー後は、自由散策。
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大島紬村の無料駐車場脇で、先島芙蓉を見かけた(写真)。織元は、鹿児島に1件、沖縄にも1件あるという。どちらも、敗戦で沖縄同様、奄美が米軍統治下に置かれた時、島外に逃れた奄美の人がやっている織元らしい。奄美は、島民の祖国復帰運動により、沖縄よりずっと早く、1953年12月25日、日本に返還された。それで、クリスマスは、日本復帰記念日、奄美博物館が入場無料になるらしい…ことを事前に分かっていれば。
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次に訪ねたのは、西郷南州謫居跡(龍郷町)。1859年1月、薩摩藩の命により、奄美に潜居するため、西郷隆盛(当時30歳)は菊池源吾と変名して、指宿を出航、8日間の船旅を経て奄美着。扶持米は当初6石/年(米30kg×6=180kg/年)。菊池という偽名ではあっても、お金持ちに見えた?のか、同年11月には島妻(22歳)を娶る。妻の姓は「龍」。だから、こちらのお宅の表札も然り。
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門から奥に進むと、家屋がある。入場料200円。前面道路が狭く、路駐すると、無料駐車場に止めなおすよう、言われる。
翌1860年、島妻が懐妊。石高が2倍の12石となる。1861年2月、男児誕生。当時の薩摩藩の藩法により、正妻でなかったためか、長男であるにも関わらず、菊次郎と命名。江戸時代、藩士は堅苦しかったのね。 -
2間のみの室内。寝室と客間?煮炊きは、隣接する別棟で行っていたのかしら。
同年(1861年)11月、この新居が完成し、島の妻子と移り住む。でも、翌1862年1月、西郷は藩から召喚され、奄美を離れたので、この家に住んだのは2か月ほど。
1859年1月 奄美着
1859年11月 島妻と結婚(婚儀もちゃんと行った)
1860年 島妻が懐妊
1861年2月 男児誕生
1861年11月 新居に転居
1862年1月 薩摩に召喚
何と、慌ただしい3年間だったことか。西郷南洲流謫跡 名所・史跡
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菊次郎は、維新後の明治2年に9歳で鹿児島の西郷家に引き取られ、西郷姓となる。だから、西郷の直系に「龍」さんは、いない。この家の家主、龍さんは、龍一族のどなたかなのだろう。
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夫がハンドルを握るようになって、私がナビを設定することに。「名称検索」で、宮古崎がヒットせず、代わりに、国直ビーチを目的地に設定。当然、宮古崎入口に気づかず通過、国直の無料駐車場に到着。夫は無言でシートを倒し、寝る体制に。
私一人で車外に出ると、造成したばかり(というか、まだ完成前)の公園に道標を発見。歩くしかないでしょう。1km=10分なら、歩いて20分で着くはず。
このあたりから、天気が良くなかった上、カメラの電池切れで、iPad撮影となりましたので、以下、写真には、どうぞ期待せず、お進み下さい。国直海岸 自然・景勝地
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急な階段を登ると、上の道路に出て、無料駐車場がある。我がレンタカー(写真左端)に向かって(中に夫がいるはず)、携帯電話をかけるも、応答なし。熟睡中か。もう、知らない。私は歩く。
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あそこが宮古崎なのね。
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まだ舗装道。多分、ここはメンテナンスのための車が走るのだろう。
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宮古崎が見えて来た。ここは大和村。宮古=都。奈良(大和)の遣唐使が、中継地としてこの崎から上陸したので、ここに立つと、都からの船が近づいてくるのが見えたという。当時、言葉は通じたのだろうか。私は、奄美パークで昔話を奄美語で聴いた時、さっぱり分からなかった。中学生の頃、鹿児島に住んだけれど、現地語が「ちんがら」分からなかったのと、同じ。
宮古崎 公園・植物園
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立神。海から神様が来た時、足がかりにする岩。神様が来るのは、このような天気の時かしら。携帯が鳴る。何を今頃。いえ、ちゃんと応答しましたよ。「今、どこ?」「宮古崎。」
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最終日、クリスマスは朝から雨。冬の奄美は天気が不安定。3泊したホテルをチェックアウトし、まずは笠利崎(笠利町)へ。灯台が見えてきた。
笠利崎灯台 名所・史跡
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灯台前の道は突き当たりのため、大胆に路駐し、階段を登ってみた。
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灯台はすぐそこ(右上)。でも敗退。この写真で、階段は右に伸びているけれど、やがて左折。そこが窪地になっていて、大変な強風。体全体があおられそうに。無事に、飛行機に乗りたいからね。
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灯台手前の正規無料駐車場。奄美の人の目は、寄っていると感じる。もちろん、イケメンや美人さんもいらっしゃる。
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綺麗な砂浜が見える。
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さて、夫の運転に任せてブラブラ。奄美をドライブして、お寺さんは一つも見かけなかったけれど、教会はたくさんあった。長崎よりカトリック信者が多いのだとか。こちらの教会には、nativityが入口と内部、2か所に飾られていた。どこかで見た教会だけれど…
大笠利教会 寺・神社・教会
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こちらは、奄美初日に訪ねた、田中一村記念美術館内の掲示板。宿泊が名瀬だったので、夜に出かけるのは無理ね、と話した教会だった。ただ、信者のコンサートでなく、主催は観光課のよう。
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大島奉行所跡。室町時代~江戸幕府開幕まで琉球統治下にあった奄美。江戸時代に入り、薩摩藩の侵攻により、薩摩の直轄地となり、こちらに奉行所が置かれた。
路駐が嫌な方は(うちの夫)、海沿いの斜向かいに公園があり、公園隣接の埠頭(空き地?)に車を止められる。初め、夫が公園(遊具あり)を奉行所跡だと主張し、譲らないので、私がここを突き止めた。やれやれ。 -
跡地は、単なる空き地だけれど、珊瑚で造った石垣だけが残る。ここに奉行所があったのは、1613~1635年の22年間だという。それなら、西郷が奄美で暮らした1859~幕末には、奉行所はどこにあったの?
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そして、あやまる岬観光公園へ。
あやまる岬観光公園 公園・植物園
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上の写真は、この写真の左上・白い展望所より撮影。そして、ここは、更に高い所にある展望台。それぞれ、別の無料駐車場あり。こちらの展望台では、大きなアゲハ蝶が飛んでいるのを見かけた。アサギマダラ?
あやまる岬 自然・景勝地
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あやまる岬のすぐ隣が、土盛・ともり海岸。集落の中の細い道を抜けると、未舗装の無料駐車場がある。
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土盛海岸は、あやまる岬観光公園での強風が嘘のように、風がない。
土盛海岸 自然・景勝地
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逆向きも。穏やかな砂浜で、小さな貝殻が、割れずにたくさんある。崎原海岸も絶景だったけれど、貝殻は割れているものが多かった。硬い珊瑚礁が隆起したところがあり、打ちつけられてしまうのかも知れない。
2度目に奄美に来ることがあったら、ここに泊まり、あやまる岬展望台までジョギングして過ごすとか…12月下旬で最低気温10℃~最高気温20℃は、本当に理想的。 -
これは…まっすぐ歩くから、カニではないですね。
その後、ティダムーン(大島紬美術館/ティダ=沖縄方言で「太陽」)に行くも、ちょっとがっかり。無料とどこかに書かれていたけれど、入場料500円かかる上、個人情報(住所氏名)を書かされる。ホテルだから、カード可のはずなのに、3,000円未満は不可。でも、cashless -5%表示あり。ホテル廊下にある田中一村の画は複製で、オリジナルは19歳の時に描いた南画のみ。ただ、案内係の女性のお話が面白かった。一村の版権は、なぜかNHK出版が持ち、甥(一村の妹の息子)が持っている訳ではない、だとか。 -
ガソリンは、レギュラーが153円/L。その後、帰京し、羽田発リムジンバス車窓から区内の価格を見ると、145~149円だった。3泊4日のレンタカー走行距離は、346km。
奄美空港drop offは、長蛇の列。預託荷物のある旅客は、タッチ&ゴーも無意味な位、待たされる。1Fチェックイン・カウンター横の売店で、奄美新聞を求める。地元新聞を発行していることは、固有の文化がある証しだと思う。熱海新聞然り。
機長アナウンス「到着が15分遅れることになり、申し訳ありません。理由は、出発が遅れたためです。」それは理由になっていない。出発が遅れた訳が、理由のはず。一度、潰れた航空会社というのは、全く。 -
座席は、奄美→羽田便の皆様、どうぞ左側(A,B,C席)へ。何も考えず右側(H,J,K席)にしたら、夕焼けを見損なった。
羽田発リムジンバス初乗車。羽田周辺には空き地もあり、これからオリンピックに向け、大工事?大渋滞で、バスの出発が遅れ、通常45分で着くところ、羽田を発ち45分経過した時は、まだ銀座辺りだった。
これから、若い時より旅も減っていく(普通の人は、老後に旅を楽しむのと、逆?)。今度、夫婦で旅するのは、いつになるのだろう。
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