1962/04/10 - 1968/03/26
76位(同エリア173件中)
yamada423さん
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桜の枝越しの本館 1967年4月(昭和42年)(セピア加工+空色塗り絵)
大雪後の大学構内 1967年2月13日(月)
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正門の「東京工業大学」の銘板の設置時期を調査中です。
卒業アルバムによれば1963年には木製、1965年は現在と同じ金属製と推定されます。
おそらく1964年ごろと思われますが、ご存知の方、写真等の資料をお持ちの方は情報提供をお願いします。
連絡先
東京工業大学資史料館
E-mail : centshiryou@jim.titech.ac.jp
Tel : 045 - 924 - 5501
https://www.titech.ac.jp/event/2021/062335
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はじめに
私が写真を撮り始めたのは高校3年のころ(1961年頃)で、高校時代のアルバムを元にまとめたのが下記である。
アーカイブ「高校生活3年間の思い出・記録」ARCHIVE:School life of Urawa High School in early sixties(2011年7月公開)
https://4travel.jp/travelogue/10583150
最も古い記録は高校3年秋の関西地方への修学旅行。
大学時代はオーケストラに所属していたため、いろいろな活動の記録がある。(昭和の記録No.3,No.4公開済み)
また将来はエンジニアを目指して理工系の大学に入り、モータースポーツに強い関心を抱き、各地のレースを見に行って流し撮りのテクニックを身に付けたりもした。
モノクロ(白黒)フィルムは1971年まで使用し、それまでの10年間に撮った写真のネガフィルムはほとんどすべて保管しており、121本(約4200画像)になる。
しかし古いものはフィルムの材料である酢酸セルロースの経年劣化(加水分解)で損傷がひどく、変形や黒点発生で画像の復元が困難なものがある。
平均余命まで10年(平均寿命81.41歳までは5年)を切り、遺品の整理が簡単に済むようにと思い、2019年7月までに全てのモノクロのネガフィルムをスキャナーEPSON GT-F740で電子データ化した。
現代用語:終活(笑い)
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昭和の記録公開について
令和2年になり、新型コロナウィルスの世界的大流行に伴って海外旅行のみならず旅行が難しい状況が続く。とりわけ東京都内への外出自粛を余儀なくされている現状に鑑み、昨年デジタルデータ化したモノクロ写真を元に旅行記に編集して公開することを思いついた。
1968年の九州一周卒業旅行を公開した例はあるが、それ以来の作業になる。
写真の説明資料はほとんど残っておらず、読者に興味を持って見てもらえる作品になるか予想はできないので、とりあえず試しにスタートしてみることにした。(2020年7月)
公開が主な目的ではなく、遺品として廃棄される前に、私自身だけではなく、共に昭和を過ごしてきた人々の記録をこの世に残しておきたいという願望が先に立つ。
もう一つの狙いは「写真を主体にした自分史」をウェブサイトに残すことである。
ここまではシリーズ共通の前文とする。
シリーズ昭和の記録 百選 総集編
https://4travel.jp/travelogue/11651747
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シリーズ昭和の記録No.21 大学構内の四季 大岡山キャンパス
Four seasons of college in Ookayama campus
1962年(昭和37年)4月の入学から、1966年3月の学部卒業、その後の大学院修士課程終了の1968年(昭和43年)3月26日までの大岡山キャンパスの四季の風景と卒業式。
1. 1962年4月 入学式の日の大学構内、奥沢の下宿
2. 1962年5月 学園祭の準備中
3. 1963年2月 同級生たちの肖像
4. 1966年3月26日 学位授与式(学部)
5. 1967年2月13日 大学構内の雪景色(降雪2日後)
6. 1967年4月 大学構内の桜
7. 1968年3月26日 学位授与式(大学院)後の謝恩会
この内4と7の卒業式の写真は2010年3月にネガフィルムをフジフィルムのラボでCDに書き込んだので画像の劣化は見られません。
この時期には一般の人が買える性能が高いスキャナーはありませんでした。
大岡山キャンパスの桜は現在、巨木・老木となりながら見事に咲いているが、50年前は樹齢が推定20年余りで花見をするほどではなかった。
大学1学年はいわゆる教養課程で、語学と社会科学、芸術、体育など中心であった。
自宅の川越(南大塚)から大岡山までは高田馬場と目黒乗換えの電車で2時間かかるので、8時半からの授業がある1,2学年の間は奥沢の遠戚の家に下宿した。大岡山までは1駅の奥沢駅の近く(4丁目)で、近所に有名な演歌歌手の村田英雄の家があった。駅から下宿先までの道沿いの松の湯には時々通った。
2学年になるときに専攻する学科が決まり、機械工学科を選んだ。
3年のときは川越から電車で通学したが、片道2時間の電車内では読書や科学朝日などを定期購読していた。1時限目の授業は選べなかったが必要な単位は取得した。
4年間の成績表と取得単位一覧は現在も保管している。(末尾に掲載)
1964年の4月に、翌年3月の日仏学生国際交流※で訪仏が決まってからは市ケ谷の東京日仏学院(現アンスティチュ・フランセ東京)会話専門コースに週3回通ったので、川越の自宅に帰るのは午後10時過ぎだった。
※学生国際交流に関する既報のブログ2編
シリーズ昭和の記録No.5 訪日フランス学生受入れ記録
https://4travel.jp/travelogue/11636754
アーカイブ 学生フランス工業視察旅行
https://4travel.jp/travelogue/10753546
4学年になると卒業研究のために研究室に配属されるが、訪仏の準備に奔走していたため配属先の選定には関与した記憶がなく、生産機械工学科の石井研究室入りとなっていた。
溶融工学講座は石井勇五郎教授(船舶技術研究所出身で非破壊検査協会の重鎮)、田村博助教授、加藤助手、恩沢助手、秘書の若菜さん、桜井さんの構成。
研究室に入ってからは片道2時間の通学は時間の無駄と体力の消耗となるので、研究室の助教授の部屋のソファベッドを借りて寝泊りした。月曜日に行って2泊して水曜日に帰宅し、木曜日に行って土曜日に帰るのが標準パターンで約3年間続いた。アパートでの一人暮らしは考えたことがなかった。
大学での思い出に残る授業の多くは専門の理数系ではなく、英語の伊藤整、美術の嘉門安雄、音楽の角倉一郎、社会学の永井道雄などの授業です。
伊藤整:(いとう せい、1905年(明治38年)1月16日-1969年(昭和44年)11月15日)は、日本の小説家、文芸評論家。位階は正五位。勲等は勲三等。本名は整(ひとし)。日本芸術院会員。
社団法人日本文藝家協会理事、東京工業大学教授、社団法人日本ペンクラブ副会長、財団法人日本近代文学館理事長などを歴任した。
戦後の文学裁判で有名な「チャタレイ裁判」についての感想は「勇み足だった」と述懐されていました。完訳「チャタレイ夫人の恋人」は新潮文庫(平成九年一月三十日 六刷575頁¥857)で読んでみましたが、それほど刺激的ではないと感じたのは社会の変化か。
英語の教材はディッケンズDickensのクリスマス・キャロルA Christmas Carolでした。
嘉門安雄:(かもん やすお、1913年12月1日-2007年1月5日)は、日本の美術評論家。 石川県出身。東京帝国大学卒。東京国立博物館、国立西洋美術館勤務。1966年、ブリヂストン美術館、1976年、館長。1994年、東京都現代美術館長。全国美術館会議議長。
モナリザ(ジョコンダ)の作者の正式名はレオナルドでダ・ヴィンチは「ヴィンチ村の」という形容語だと教えられました。今では美術の専門家でも本名は語らずダ・ヴィンチで通しています。
講演をたのまれてレオナルドの話をしたら、終わってから、「レオナルドってどこの人ですか?」と質問されたという逸話がある。
角倉一郎:(すみくら いちろう、1932年10月27日~ )は、東京生まれ。バッハを中心とする音楽学者、西洋音楽史や音楽理論の研究の第一人者。
東京藝術大学音楽学部楽理科卒、同研究科修了。桐朋学園大学助教授、東京芸術大学教授を歴任し、多くの音楽学者を育てた。多くの門下生が全国の大学で音楽史関連講義の教鞭をとっている。退官後神戸女学院大学特任教授に着任、現在は東京藝術大学音楽学部名誉教授。
古典音楽に対する理解と感性の重要性を学んだ(気がします)。
バッハに関心が深いのは感化されたのでしょうか。バッハのゆかりの地ライプツィには2019年10月に訪れ、ゲヴァントハウスでアンドリス・ネルソン指揮のコンサートを聴いて、いつ死んでもよいと思った。
https://4travel.jp/travelogue/11624824
永井道雄:(ながい みちお、1923年3月4日- 2000年3月18日)は、日本の教育社会学者。元文部大臣(第95代)。
戦前に立憲民政党幹事長や拓務大臣、逓信大臣、鉄道大臣を務めた永井柳太郎の次男。
「黒人がスポーツに強い理由の一つは人種差別を乗り越えて活躍できるからだ」印象に残る言葉です。
森 康夫:(もり やすお、1923年〈大正12年〉2月24日-2012年〈平成24年〉3月20日)
熱力学の森康夫教授は私がエンジニアとしての生涯で最も大きな影響を受けた先生です。
ホームページの自己紹介記事(随想録)に書いています。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~yamada423/zuisouroku1.html
「エンジニアリングの目的は人々の生活をカンファタブルcomfortableにすることである。」
http://www7b.biglobe.ne.jp/~yamada423/ (HP本体)
自動車会社の研究開発部門に30年近く勤務したが、自動変速機(AT)の設計において常にカンファタブル(快適性)を目指してやってきた。
撮影
Fujica 35-SE 45mm f1.9
CANON FT FL50mm F1.4、
フィルム NEOPAN SS(FUJI FILM) ASA=ISO 100
東工大関連ブログ
’13大岡山の満開の桜と東工大学園散歩
https://4travel.jp/travelogue/10759961
大岡山の桜 東京工業大学卒業式の思い出2013/2006/1968/1966
https://4travel.jp/travelogue/10653136
研究室における親睦行事については既報です。
シリーズ昭和の記録No.6 大学研究室の親睦行事 その1
https://4travel.jp/travelogue/11637025
シリーズ昭和の記録No.7 大学研究室の親睦行事 その2 八ヶ岳
https://4travel.jp/travelogue/11638090
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編集者自己紹介(シリーズ共通)
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/19/67/06/src_19670641.jpg?1420067275
写真掲載旅行記 https://4travel.jp/travelogue/10468332
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/22/38/50/src_22385032.jpg?1388882024 浦和高校同窓会 遺影用Yei !
写真掲載旅行記 https://4travel.jp/travelogue/10576819
シニア写真愛好家のyamada423です。
一眼レフの経歴はPENTAX、CANON FT、CANON AE-1P、CONTAX RX、EOS40D、EOS80Dなど50年以上です。
<略歴>
大岡山の工学部の研究室では金属組織などの顕微鏡写真の処理は現像液の調合からガラス乾板・フィルムの現像、印画紙焼付けなどすべて自前で行っていたので、写真の処理技術は一通り身につけていました。
写真を撮ることについても風景写真のみならず、当時人気の高かったカーレース(日本グランプリ、CAN-AMなど)に出かけ、200ミリの望遠レンズで高速の被写体を流し撮りするのが好きでした。日本グランプリなど、レースの特集は9月中にはイベント毎に編集して投稿する予定です。
月額1~1万3千円の奨学金の大半はカメラや写真、旅行などに消えてしまいましたが、今の自分を育ててくれた大変ありがたい資金でありました。きちんと返済しました。
1980年頃から欧米主要国の自動車および自動車部品関連企業、研究機関への出張を繰り返し、その間仕事の合間を利用して撮影を続けました。1997年に財団法人へ出向を機会に出張がなくなり、個人旅行のみとなりました。
自動車会社の研究所(29年)と特許庁関連の財団法人工業所有権協力センター(IPCC)で11年、計40年勤務し、2008年3月退職
4トラベル会員登録 2010年5月21日
ホームページ(長期休眠中)自己紹介、随想「設計技術者の心」など掲載。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~yamada423/
おねがい
50年以上前の写真ですが、なにかお気づきの情報がありましたら掲示板等でお知らせいただければ嬉しいです。
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四季について
「四季」で多くの人が思い浮かべるのはヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲<四季>であろう。
<四季>は協奏曲集《和声と創意への試み》作品8(全12曲)の一部の第1番(春)から第4番(冬)までを指すものであり、作品8は標題が付けられた第5番(海の嵐)、第6番(喜び)、第10番(狩)を含む12曲(全36楽章)からなる大作である。
私が自室のオーディオシステム(写真掲載)で愛聴している2枚組みのCDを紹介します。
アントニオ・ヴィヴァルディ(1678-1741)
協奏曲集《和声と創意への試み》作品8
イ・ムジチ合奏団
フェリックス・アーヨ(ヴァイオリン)
録音時間 CD1 73:11、CD2 61:14
録音 1959.4.29-5.6ウィーン(第1-第4番)、1961.9.20-28イタリア(第5-第12番)
規格番号(商品番号) UCCP-3363/4 (PHILIPS)
http://www.billboard-japan.com/goods/detail/221352
四季が好きな方にはぜひお奨めします。スペイン出身のフェリックス・アーヨの華麗な演奏には身震いするほど感動するかもしれません。
ヴィヴァルディ 1678-1741
イタリアのベネチア生まれ。ヴァイオリン奏者であった父より音楽を習い,10歳でオーケストラの見習いになる。音楽家としてだけでなく,15歳で聖職の道に入り,25歳で司祭になった。
作曲家としても名が知られるようになり,1725年(47歳)のときに「春」を含む「和声と創意の試み」が出版され,名声の絶頂をむかえる。62歳の時に旅に出たまま,翌年ウィーンでこの世を去った。
出典:http://www.meiyuusya.co.jp/_common/pdf/chu/ongaku.pdf#search='%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3'
バロック時代の代表的な作曲家
バッハ1685-1750、ヘンデル1685-1759
yamada423
投稿 2020.9.26 8:00
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正門の銘板「東京工業大学」についての情報求む
この緑青が生えた銅合金製の銘板の設置時期を調査中です。
卒業アルバムによれば1963年には木製、1965年は現在と同じ金属製と推定されます。
おそらく1964年ごろと思われますが、ご存知の方、写真等の資料をお持ちの方は情報提供をお願いします。
連絡先
東京工業大学資史料館
E-mail : centshiryou@jim.titech.ac.jp
Tel : 045 - 924 - 5501
https://www.titech.ac.jp/event/2021/062335 -
1962年4月(昭和37年)
入学式の日のキャンパス
本館の正面の風景は東工大のシンボルです。
関東大地震の後に建てられたもので、建物を横にしても壊れない強度を持たせたといわれています。 -
この本館の設計には若き日の谷口吉郎をはじめとする、当時の建築学科の教員と職員からなる「復興部」が携わりました。
登録有形文化財 本館・西1号館・70周年記念講堂
2013年7月、東京工業大学大岡山キャンパスの3つの建築物が文化庁より登録有形文化財(建造物)※1への登録が文化審議会の議を経て、文部科学大臣へ答申されました。
1931年竣工の【西1号館】と1934年竣工の【本館】は、本学が創立の地、蔵前の校舎を1923年の関東大震災で焼失し、1924年に現在の大岡山へ移転、1929年大学への昇格を果たした直後から大岡山キャンパスの歴史を見守ってきました。一方、1950年代後半に竣工した【70周年記念講堂】は終戦から間もない時代、その建築費はすべて卒業生らの寄付によるものでした。
いずれも当時の最新技術の粋を集めて建造されており、その材料や構造、意匠は昭和初期から中期にかけての復興建築物・近代建築物として見応えがあります。それらの設計には若き日の谷口吉郎をはじめとする、当時の建築学科の教員と職員からなる「復興部」が携わりました。
「ものつくり」を大切にしてきた東工大の顔として後世に大切に継いでゆきます。
出典https://www.titech.ac.jp/about/campus_maps/campus_highlights/cultural_properties.html
谷口吉郎
生誕 1904年(明治37年)6月24日 石川県金沢市
死没 1979年2月2日(74歳没) 東京都港区
国籍 日本
出身校 東京大学
職業 建築家
子供 谷口吉生
受賞 日本建築学会賞作品賞(1949年、1956年)
日本芸術院賞(1961年)
所属 谷口吉郎建築設計研究所
建築物
藤村記念堂
秩父セメント第2工場
東宮御所
東京国立博物館東洋館
東京国立近代美術館
名鉄バスターミナルビル -
桜やイチョウの樹木も大きくはなく、正門を入ると本館がよく見えました。
テニスコートもありました。 -
本館側から東急目黒線の跨線橋を渡って緑ヶ丘地区へ向かう坂はロマンス坂と呼んでいましたが、2013年に訪れたときに尋ねたら誰も知りませんでした。
校風はたしかにロマンスのイメージではないですね。
それでも50年前の女子学生の割合1%以下に比べて、最近の20%は、われわれから見れば驚異的な数字です。
’13大岡山の満開の桜と東工大学園散歩
https://4travel.jp/travelogue/10759961 -
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中央の建物は、私の記憶では谷口芳郎が初期に設計した水力実験室です。
現存しません。 -
ロマンス坂を下った右側にあるひょうたん池
東京工業大学の謎の池
https://hikada.hatenadiary.org/entry/20120325/1332681476
昔はひょうたんのくびれた位置に橋があったという記載が上記サイトにありますが博物館資料館では写真を探しています。
写真等の資料をお持ちの方は情報提供をお願いします。
連絡先
東京工業大学資史料館
E-mail : centshiryou@jim.titech.ac.jp
Tel : 045 - 924 - 5501
https://www.titech.ac.jp/event/2021/062335 -
奥沢の下宿の庭
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奥沢の下宿の部屋
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下宿の部屋の自作の机
高校の選択科目で工芸を取ったので木工細工は得意でした。
自宅のリフォームでも、ジュウタンをフローリング張替えたり、壁紙の張替え、住宅の木部の塗装など、いろいろやりました。
浴室や台所の窓枠は5年ごとに塗装することで、築40年でも痛んでいません。
窓枠に塗装した年号を書いておきます。 -
川越の自宅の物置で上掲の机を製作中
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実際には、下宿の部屋ではクラリネットの練習はできません。
都会の住宅街では騒音問題になってしまいます。
練習するのは大学構内のロマンス坂近くの部室です。 -
クラリネットの教則本とスコア(総譜)
クラリネットはSELMAR B♭です。 -
上の写真のクラリネット
今年(2020年)5月にオーバーホールをして接合部(4箇所)のコルクとタンポ(17個)を交換し、キーはポリッシュ(手磨き)したので見た目は新品に近いです。
しばらく吹いていないので音が出せず、調整はできていません。
楽器不足がPRされている県内の中学校のブラスバンドに寄付するつもりですが、コロナの影響でまだ連絡するのを控えています。 -
下宿先の飼い犬
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下宿先の三男坊(小5)
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下宿の庭で育てていた鉢植え
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1962年5月
学園祭の直前 -
学園祭の準備でロータリーの蘇鉄の周囲に骨組みができています。
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下宿先のブロック塀
奥沢駅から徒歩3分で、松の湯の前を南に入って30メートルほどの場所でした。
今は建物も変わっているようです。(Googlemapsで見られます) -
下宿の部屋(右)
2階家は隣の家です。 -
1963年2月(昭和38年)
教養課程1学年のクラスメイトたちの肖像
このころには専攻科が決まっていたと思います。 -
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1学年のクラスメイト
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本館前の桜の木は私たちと同年代で若かったです。
おそらく終戦後に植樹されたものと思います。
今では樹齢80年ほどの老木となっていますが花は見事に咲いています。
自分も見習いたいです。
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/28/52/88/src_28528819.jpg?1599569706 -
創立70周年記念講堂前にて
講堂の設計は建築学科の谷口吉郎による。 -
手島精一像
現在はほかの場所へ移されたようです。
学生の冬のコートは現在ほとんど見かけませんが、当時は一般的でした。 -
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1966年3月26日(昭和41年)
学位授与式(卒業式)
卒業式の記念に一人ずつ、本館を背景に撮りました。 -
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石井研究室の卒業生と助手の先生
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坂に合わせてカメラを傾けると・・。
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同じ研究室の5人の卒業生
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この年の桜は3月26日には五分咲き程度だったようです。
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同じ面々ですが、取捨選択する必要もないのですべて掲載します。
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卒業生5人と助手のK先生
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卒業証書を持っての証拠写真です。
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大雪に見舞われた関東地方 1967年2月11日(土)
初めての建国記念の日は大雪だった。
都内の大雪の景色は珍しいので、休日だったが写真を撮りに明治神宮に行った。
国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)第2条は、建国記念の日の趣旨について、「建国をしのび、国を愛する心を養う。」と規定している。1966年(昭和41年)の祝日法改正により国民の祝日に加えられ、翌1967年(昭和42年)2月11日から適用された。
「建国記念の日」が制定されて始めての祝日となった日に関東地方が大雪に見舞われたのを覚えています。
南大塚駅(川越市)を降りて帰宅途中の踏み切り付近のポイント(レールの切り換え箇所)で凍結防止のカンテラの火が燃えていたのを覚えています。
カンテラの火の画像集
https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&gdr=1&p=%E7%B7%9A%E8%B7%AF%E3%81%AE%E3%83%9D%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%87%8D%E7%B5%90%E9%98%B2%E6%AD%A2%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97
参考サイト
https://tetu5501.exblog.jp/19443139/
https://c59176.blog.ss-blog.jp/2011-01-31 -
南神門から境内へ入ります。
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外拝殿の柱
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外拝殿
通常の参拝はここで行います。
新年の三が日は外拝殿前にプールのように大きな賽銭受けが設けられます。 -
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宝物殿へ向かう広場
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宝物殿まえ広場もすっかり雪に埋もれていました。
帰りに南大塚駅(川越市)を降りて途中の踏み切り付近のポイント(レールの切り換え箇所)で凍結防止のカンテラの火が燃えていたのを覚えています。
カンテラの火の画像集
https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&gdr=1&p=%E7%B7%9A%E8%B7%AF%E3%81%AE%E3%83%9D%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%87%8D%E7%B5%90%E9%98%B2%E6%AD%A2%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97
参考サイト
https://tetu5501.exblog.jp/19443139/
https://c59176.blog.ss-blog.jp/2011-01-31 -
大雪に見舞われた後の手島精一像 1967年2月13日(月)(昭和42年)
初めての建国記念の日2月11日(土)は大雪だった。
近代日本人の肖像 手島精一
https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/574.html
父は沼津藩士。旧姓田辺。明治3年(1870)米国に留学。8年東京開成学校(後の東京大学)監事。9年のフィラデルフィア万国博覧会、11年パリ万国博覧会に随行。14年東京教育博物館(後の科学博物館)長、17年のロンドン衛生博覧会にも従事。19年東京図書館(後の帝国図書館)の主幹も兼務した。23年東京工業学校(後の東京工業大学)校長に就任。以後、31年文部省実業教育局長の時期を除く晩年まで同職にあって工業教育に尽力した。 -
スバル360(左)やプリンスグロリア(右)が見られますが、中央の車は雪に覆われてわかりません。
1967.2.11東京大雪
https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&gdr=1&p=1967.2.11%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E9%9B%AA
白い斑点はネガフィルムの劣化でできた黒点です。 -
大粒のぼたん雪のように見えるのはフィルムの劣化による黒点などです。
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本館の玄関から見たところで、熱工学系実験棟と線路の先の体育館が見えます。
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北棟5階から見た本館
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グラウンド
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緑ヶ丘地区
原子炉工学研究所の案内 -
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東急目蒲線
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大雪後の大学構内と本館
表紙写真(下) -
水力実験室
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本館
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創立70周年記念講堂
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北棟の屋上
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構内の桜 1967年4月(昭和42年)
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表紙写真(上)の元画像
表紙写真は元画像をWindoes live フォトギャラリーでセピアトーン加工し、空をペイントで空色加工(塗り絵)したものです。(工数15分)
暇つぶしには向いています(笑い) -
数少ない自分の写真
実験室では工場のように作業服を着ていました。
溶融工学講座の研究室で各種の溶接装置があり、他の研究室からアーク溶接の依頼はよくありました。おかげて溶接の腕が上がりました。 -
講堂わきのスロープで憩うひと時
満開の桜をながめながら、助手のK先生を囲んで -
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金属組織の写真を撮るオリンパス製金属顕微鏡
35ミリフィルムの一眼レフカメラおよびガラス乾板が使用できる。
一度に多くの写真を撮ることはないので、暗室で100フィート(30メートル)の缶入りフィルムを必要な分だけカットしてパトローネに詰めて使用した。
現像はフジフィルムの指定現像液FD122を、自分で薬剤を調合して作った。
ガラス乾板の大きさは記憶によれば手札判 3.25×4.25in (8×10.5cm) -
大学院の研究テーマ「X線による応力測定の研究」の実験装置
力を加えた鋼板にX線を照射し、その反射角度から鉄の結晶の格子間距離を測定し応力を計算する。
結晶の大きさにより計算される応力値が異なることを解明した。 -
昭和43年3月26日(1968.3.26)
学位授与式(卒業式)後の謝恩会は学内の体育館で開かれました。
体育館で行われた学部・大学院の謝恩会で祝辞を終えた土光敏夫氏
1967年(昭和42年)蔵前工業会理事長に就任[6]。1974年(昭和49年)、日本経済団体連合会(以下、経団連)第4代会長に就任する。以後、土光は2期6年にわたって財界総理として第一次石油ショック後の日本経済の安定化や企業の政治献金の改善などに尽力した。一方で日本経済の一層の自由化と国際化を図り、積極的に海外ミッションを組んで各国に渡航した。 Wikipedia -
挨拶する實吉純一学長
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学長の挨拶を見守る土光さん(右)。
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卒業生代表の挨拶と思います。
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實吉純一学長 土光敏夫蔵前工業会理事長・東芝社長
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6年間の大学生活の最後の日です。
1968年2月下旬に修士論文の発表を無事に終え、この卒業式までの間3/7-3/20に今で言う卒業旅行の九州一周一人旅に出ました。
その時の旅行記を昨年公開しましたので紹介します。
1968九州一周卒業旅行①宮崎(青島・サボテン公園・都井岬)
http://4travel.jp/traveler/810766/album/10492397/
1968九州一周卒業旅行②鹿児島・熊本(桜島・熊本城・阿蘇山)
http://4travel.jp/traveler/810766/album/10507124/
1968九州一周卒業旅行③雲仙・長崎・佐世保・名神高速
http://4travel.jp/traveler/810766/album/10549371/ -
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同じ石井研究室の学部卒業生二人です。
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土光敏夫、中田孝両氏
1968年の大学院の学位授与式の後の謝恩会での、大先輩である土光敏夫元経団連会長(当時は第22代蔵前工業会理事長・東芝社長)のスナップ写真も掲載します。
大学のオーケストラの大先輩でもある歯車の権威である中田孝先生とのツーショットはきわめてめずらしく、公開されるのは本邦初かもしれません。 -
土光さんのメザシは有名な話ですが、経緯については諸説ありました。
東京工業大学同窓会誌KURAMAE JOURNAL No.1028 2011Winterの「東京工業大学創立130年記念式典・講演会 全記録」に元土光経団連会長秘書 弁護士 居林次雄氏が2011.9.17さん太ホール・岡山での土光敏夫記念講演会で真相を語った内容があります。
平たく言えば「行革の断行のために一肌脱いだ」ようです。 -
「行革の鬼」土光敏夫は食生活も徹底して合理的だった
https://diamond.jp/articles/-/135145
東芝は今から数十年前、1960年代にも一度、経営危機に陥っている。そのとき、改革を主導し、見事再建に導いた経営者が土光敏夫である。土光は日本経済団体連合会の会長なども歴任し、日本経済の自由化と国際化を推し進めた。カリスマ経営者として尊敬を集めた土光はその後、鈴木善幸、中曽根康弘から請われて、政治の世界でも力を発揮し、「行革の鬼」と呼ばれた。
土光にはもう一つ異名がある。〈メザシの土光さん〉だ。82年6月、NHKの番組で質素な生活が放映されたことから、その名が付いた。この放送は行革を進めるための演出という説もあるが、メザシが好きで質素な生活を送っていたのは本当らしい。
「みんながメザシといってバカにしているが、おいしいし栄養もある」
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土光さんの言動については諸説あり、「メザシなんて贅沢なものは毎日食べているわけではなく、いつもは煮干をかじっている」など。 -
卒業式を終えて研究室に戻った石井研究室の学部卒業生の肖像
私の写真は撮ってもらうのを忘れました。
卒業50年目の街歩き 高校同窓会では自分も含めて撮りました。
https://4travel.jp/travelogue/10576819
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/22/38/50/src_22385032.jpg?1388882024 -
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卒業式を終えて研究室に戻った石井研究室の学部卒業生(一部)
石井勇五郎先生(~1996)
東京工業大学名誉教授、日本非破壊検査協会前会長、先生は放射線透過検査(RT)の分野等で先駆的業績をあげられ、日本非破壊検査協会やその技量認定制度の創設に尽力され、国際的にも第3回国際非破壊検査会議(東京)の誘致やアジア太平洋非破壊試験コンファレンス(現APCNDT) の創設に貢献されました。
学生時代は毎年正月に日野市のご自宅に研究室の連中が押しかけ新年会をするのが慣わしでした。 -
助手のK先生
山のベテランであり、研究室の旅行では乾徳山の山頂直下の岩場でロープを使った岩登りを体験させていただきました。
https://ssl.4travel.jp/img/tcs/t/pict/lrg/66/88/27/lrg_66882776.jpg?20200807100940
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/66/88/27/src_66882778.jpg?1596625954
https://4travel.jp/travelogue/11637025
石井研究室の3年間はもう一人の助手のOさんとともに大変お世話になりました。 -
学習記録帳と取得単位(学部)
卒業に要する単位合計 124単位以上
取得単位 151(卒業研究除く)
第二外国語はロシア語を選択したが、超難解な言語で、単位は取得したがまったく身につかなかった。
日仏国際交流のために東京日仏学院に1年間通った会話専門コースのほうが実際に役立てることができ、私にとっての第二外国語です。 -
成績通知表の一部
6学期(3年後期)
不合格の科目は、受講申請はしたものの講義の時間帯が朝早く、5学期で必要単位を取得済みのため受講しなかったものです。 -
参考掲載
自室のオーディオシステム(秋葉原ヤマギワ本店)
Accuphase CD Player DP-55
Amplifier E306V
Speaker system DIATONE DS8000+DK8000(スタンド)
https://audio-heritage.jp/DIATONE/diatoneds/ds-8000.html(参考)
購入は平成10年11月25日 駒込パークハウス1102号室に設置
写真は現在の所沢の自室で、このシステムには少し狭いです。
スピーカーの高さ 108cm(本体87cm)
本体重量が1本58Kgあるので設置や引越し時は専門業者に任せました。 -
撮影に使用したカメラ(1967年ごろまで)の同型機(富士フィルム製)
Fujica 35SE FUJINON 45mm F1.9 -
撮影に使用したカメラ(1967年ごろ以降)
CANON FT FL50mm F1.4 -
ネガフィルムの電子データ化に使用したエプソンのフラットベッド型スキャナー
GT-F740
最大A4サイズ
ネガフィルム -
自画像
カルーゼル凱旋門前(背景はルーブル美術館)
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