1966/12/10 - 1967/12/22
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yamada423さん
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研究室旅行 八ヶ岳縦走 赤岳(2899m)1967.10.22(昭和42年)
CANON FT FL50mm 1:1.4 UVfilter NEOPAN SS(ASA100)
8月10日の山の日に合わせて、53年前の登山の記録をまとめました。
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はじめに
私が写真を撮り始めたのは高校3年のころ(1961年頃)で、高校時代のアルバムを元にまとめたのが下記である。
アーカイブ「高校生活3年間の思い出・記録」ARCHIVE:School life of Urawa High School in early sixties(2011年7月公開)
https://4travel.jp/travelogue/10583150
最も古い記録は高校3年秋の関西地方への修学旅行。
大学時代はオーケストラに所属していたため、いろいろな活動の記録がある。(昭和の記録No.3,No4公開済み)
また将来はエンジニアを目指して理工系の大学に入り、モータースポーツに強い関心を抱き、各地のレースを見に行って流し撮りのテクニックを身に付けたりもした。
モノクロ(白黒)フィルムは1971年まで使用し、それまでの10年間に撮った写真のネガフィルムはほとんどすべて保管しており、121本(約4200画像)になる。
しかし古いものはフィルムの材料である酢酸セルロースの経年劣化(加水分解)で損傷がひどく、変形や黒点発生で画像の復元が困難なものがある。
平均余命まで10年(平均寿命81.41歳までは5年)を切り、遺品の整理が簡単に済むようにと思い、2019年7月までに全てのモノクロのネガをスキャンして電子データ化した。
現代用語:終活(笑い)
一方、プリントした写真をアルバムで保存したものはほとんど劣化が見られず、スキャンするとネガをスキャンしたものより明瞭な画像が得られるのでそれをブログに使った。
ただし、若かりし当時はコントラストが強くプリントするのが好みであったため、写真の表現の幅(ラティテュード latitude)が狭くなってしまっている。画像によって、ネガとプリントの電子化した画像を比較してここに掲載する写真を選んだ。
昭和の記録公開について
令和2年になり、新型コロナウィルスの世界的大流行に伴って海外旅行のみならず旅行が難しい状況が続く。とりわけ東京都内への外出自粛を余儀なくされている現状に鑑み、昨年デジタルデータ化したモノクロ写真を元に旅行記に編集して公開することを思いついた。
1968年の九州一周卒業旅行を公開した例はあるが、それ以来の作業になる。
写真の説明資料はほとんど残っておらず、読者に興味を持って見てもらえる作品になるか予想はできないので、とりあえず試しにスタートしてみることにした。(2020年7月)
公開が主な目的ではなく、遺品として廃棄される前に、私自身だけではなく、共に昭和を過ごしてきた人々の記録をこの世に残しておきたいという願望が先に立つ。
もう一つの狙いは「写真を主体にした自分史」をウェブサイトに残すことである。
ここまではシリーズ共通の前文とする。
シリーズ昭和の記録 百選 総集編
https://4travel.jp/travelogue/11651747
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
シリーズ昭和の記録No.7 大学研究室の親睦行事 その2 八ヶ岳
今回は1965年(昭和40年)4月、大学4年の卒業研究のために研究室に配属されてから1968年3月26日の大学院卒業式まで在籍した研究室における親睦行事の記録(後半)である。
大学の溶融工学講座の石井研究室のメンバー構成は教授、助教授、助手2名、学部4年の学生5名、大学院修士課程各学年1名であった。(学生数は年度により変ることもある)
親睦行事は春と秋の1-2泊の旅行、研究室内でのコンパ、都内・近郊でのレジャー施設・忘年会などである。
研究室の親睦行事一覧
1965年6月 伊豆大島
3月21日から4月27日まで理工系学生フランス工業視察団に参加したため、研究室へ顔を出したのは5月連休の後であった。
視察旅行の記録は公開済み(2013年)
アーカイブ 学生フランス工業視察旅行
https://4travel.jp/travelogue/10753546
1965年10月22日 奥利根(上の原高原、湯の小屋)
1965年12月 研究室にてコンパ
1966年5月26日-27日 富士五湖(山中湖、本栖湖)、紅葉台、白糸の滝
1966年10月21日 西沢渓谷、黒金山、乾徳山
前半はここまでです。(その1)
https://4travel.jp/travelogue/11637025
これ以降が後半です。(その2)
1966年12月22日 忘年会・多摩テック
1967年10月21日-22日 霧が峰、車山、八ヶ岳縦走
1967年11月11日 研究室にてコンパ
1967年12月22日 忘年会 中村バーベキューセンター
撮影 CANON FT FL50mm F1.4
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編集者自己紹介(シリーズ共通)
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/19/67/06/src_19670641.jpg?1420067275
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/22/38/50/src_22385032.jpg?1388882024 浦和高校同窓会 遺影用Yei !
シニア写真愛好家のyamada423です。
一眼レフの経歴はPENTAX(研究室備品)、CANON FT、CANON AE-1P、CONTAX RX、EOS40D、EOS80Dなど50年以上です。
<略歴>
大岡山の工学部の研究室では金属組織などの顕微鏡写真の処理は現像液の調合からガラス乾板・フィルムの現像、印画紙焼付けなどすべて自前で行っていたので、写真の処理技術は一通り身につけていました。
写真を撮ることについても風景写真のみならず、当時人気の高かったカーレース(日本グランプリ、CAN-AMなど)に出かけ、200ミリの望遠レンズで高速の被写体を流し撮りするのが好きでした。日本グランプリなど、レースの特集は年内にはまとめて投稿する予定です。
月額1~1万3千円の奨学金の大半はカメラや写真、旅行などに消えてしまいましたが、今の自分を育ててくれた大変ありがたい資金でありました。きちんと返済しました。
1980年頃から欧米主要国の自動車および自動車部品関連企業、研究機関への出張を繰り返し、その間仕事の合間を利用して撮影を続けました。1997年に財団法人へ出向を機会に出張がなくなり、個人旅行のみとなりました。
自動車会社の研究所(29年)と特許庁関連の財団法人工業所有権協力センター(IPCC)で11年、計40年勤務し、2008年3月退職
4トラベル会員登録 2010年5月21日
ホームページ(長期休眠中)自己紹介、随想「設計技術者の心」など掲載。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~yamada423/
おねがい
50年以上前の写真ですが、なにかお気づきの情報がありましたら掲示板等でお知らせいただければ嬉しいです。
写真掲載にあたり、写っている方の承諾は得ておりませんので、不都合があればお知らせください。即対応いたします。
yamada423
投稿 2020.8.9 20:20
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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1966年12月(昭和41年)(修士1学年)
多摩テック(あるいはその近く)で忘年会
多摩テック(たまテック、Tama Tech)はかつて東京都日野市に存在したモータースポーツをテーマにした遊園地および温泉施設である。遊園地は同じ経営主体による鈴鹿サーキットとともに「モートピア」と称された。
本田技研工業株式会社子会社の株式会社モビリティランドが経営していたが、2009年9月30日に営業を終了して閉鎖された。
このときは未だ本田技研就職は決まっていませんでした。 -
現在では考えられない服装です。
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ネガフィルムの劣化で見るも無残な画像になってしまいました。
あと数年経ったら何もわからないかもしれません。 -
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多摩テックで乗り物を楽しみました。
多摩テック(たまテック、Tama Tech)はかつて東京都日野市に存在したモータースポーツをテーマにした遊園地および温泉施設である。遊園地は同じ経営主体による鈴鹿サーキットとともに「モートピア」と称された。
本田技研工業株式会社子会社の株式会社モビリティランドが経営していたが、2009年9月30日に営業を終了して閉鎖された。 Wikipedia -
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マジックミラー(湾曲ミラー)
数年前に訪れたコペンハーゲンのチボリ公園にもありました。
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/45/33/25/src_45332582.jpg?1500955745
写真掲載旅行記 https://4travel.jp/travelogue/11166762 -
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ゴーカート
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1967年10月21-22日(昭和42年)
研究室旅行 霧が峰、車山,、八ヶ岳
初日は車山ハイキングでした。
「池の胡桃」バス停はGooglemapsなどでは見つかりませんが、強清水へ2KMと書かれているので現在の車山肩駐車場辺りと推測します。
そこから現在の「こわしみずホテル」までは約2キロです。 -
車山
3年前に高齢者大学のハイキング倶楽部で車山に行きましたが、あいにく天気が悪く頂上はガスがかかっていました。
ハイキング倶楽部第39回 霧が峰バスハイク
https://4travel.jp/travelogue/11265806 -
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車山のふもとを巻くように通る道路ヴィーナスライン
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車山山頂 1925M
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山頂の避難小屋で休憩
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ススキなど、秋の気配を感じながらの下山
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白樺湖が見えてきました。
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白樺湖
ここで八ヶ岳登山グループと東京へ帰るグループが分かれた。 -
八ヶ岳のどこから入った(登った)のかはっきりとした記録がありませんが、写真でわかるのは硫黄岳が最初のようです。
硫黄岳より横岳(2829m)、赤岳(2899m)を望む -
八ヶ岳について
http://yatsugatake.main.jp/yatugatake.html
八ヶ岳全景
本州のほぼ中央、長野県と山梨県にまたがる八ヶ岳は国定公園として指定されています。日本の屋根として個性的な山々が連なっています。
主峰赤岳(2899m)をはじめ、権現岳、硫黄岳、阿弥陀岳、天狗岳などの山々や神秘的な雰囲気を漂わせる原生林や池沼には、多くの貴重な動植物も生息しています。原生林と湖が広がる北八ヶ岳と、標高3000メートル級の鋭い岩峰が続く南八ヶ岳、また、八ヶ岳周辺に多くの温泉が点在しています。
[南八ヶ岳]
硫黄岳(茅野・南牧/2760m)
峰ノ松目(茅野/2567m)
美濃戸中山(茅野/2387m)
赤岩の頭(茅野/2656m)
横岳(茅野/2829m)
赤岳(茅野・原・南牧/2899m/最高峰)
中岳(茅野・原村/2720m)
阿弥陀岳(茅野・原村/2805m)
立場岳(原村/2370m)
西岳(原村/2398m)
権現岳(富士見・山梨/2715m)
編笠山(富士見・山梨/2524m)
三ッ頭(山梨/2580m)
夏沢峠(北八ヶ岳南八ヶ岳の境界) -
硫黄岳(2760m) 横岳(2829m)
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中岳(2720m) 阿弥陀岳(2805m)
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富士山
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横岳荘
未明になってすごく冷えてきて目が覚めたが、朝起きて外を見るとうっすらと雪が積もっていました。 -
ある程度の防寒対策は準備してきたが、手袋を持参しなかったため、雪が付いた岩を掴んで歩くのが大変でした。
高齢者大学のハイキング倶楽部ではハイキング(低山登山)のときでも合成皮革の手袋は持参します。 -
寒いー!
気温は零度以下だったかもしれません。
横岳標高2829m -
うっすらと雪が残っています。
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岩だらけの狭い道を、岩をつかみながら歩くのはけっこう大変でした。
特に手袋なしだったので手が厳しかった記憶があります。 -
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赤岳(2899m) 表紙写真
CANON FT FL50mm 1:1.4 UVfilter NEOPAN SS(ISO100) -
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富士山
CANON FT FL50mm 1:1.4
O1filter(オレンジ) NEOPAN SS(ASA100)
昔はフィルムの箱にASA100(NEOPAN SS)とかASA400(コダック トライX)などと書かれていましたが現在はISOです。
■ISO→国際標準化機構(International Organization for Standardization)
■ASA→アメリカ標準規格(American Standards Association
数値的にはどちらも同じです。 -
CANON FT FL200mm 1:3.5
O1filter NEOPAN SS
オレンジ色のO1フィルターで空の青を抑え、岩肌を強調しました。
コントラストを強くプリントしたものをスキャンしました。
プリントするときに現像液の温度を標準20℃より1℃低くして現像時間を長くするとコントラストが強い写真になります。当然ながら、その逆の手法もあります。
現在はデジタル写真なのでコントラストは画像編集ソフトで行うのが普通です。 -
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赤岳からの下山路と思います。
CANON FT FL50mm 1:1.4
O1filter(オレンジ) NEOPAN SS(ISO=100)
オレンジ色のフィルターにより、青い空は黒く写ります。 -
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山の名前はわかりませんがこれから下山に向かいます。
デジカメではないので時刻・位置はわかりません。 -
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タイの留学生で、タイ政府の高官になったと聞いたことがあります。
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八ヶ岳登山口
美濃戸 標高1800米
無事に下山できて安堵の表情が見てとれます。
この画像はプリントをスキャンしたものですが、コントラストを強めに焼いたプリントのため、標識の文字が不明瞭になってしまいました。 -
美濃戸と書かれているので赤岳から西側に下山したことになります。
地図の記録がないので写真でしかわかりません。
この画像はネガをスキャンしたもので、上の画像よりもラティテュード(latitude)が広く、美濃戸の文字が読めます。 -
八ヶ岳登山グループ
他人に撮ってもらうと表情が硬くなってしまいます。 -
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1967年11月10日(金)(昭和42年) 石井研究室コンパ
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コンパ費用が黒板にかかれています。
ヤサイ・果実 2410 (野菜・果物と書けない?)
肉 1140
ビール 2120
つまみ 440
たまご 200
しんこ 120
コーラ 210
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6640 会費400円 -
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食器は何でもあるもので済ませます。
マグカップですき焼き -
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1967年12月22日(金)(昭和42年)
忘年会
場所は中村バーベキューセンター(どこにあったか記録・記憶なし)
大岡山から電車で多摩川を越えた川崎方面か、多摩地区か、どちらか? -
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中村バーベキューセンターの屋上です。
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研究室の親睦行事はこれが最後です。
年明けには修士課程の卒業論文の仕上げが待っていました。
3月初めに卒論の審査が無事に通り、九州への2週間の一人旅(現在の卒業旅行)に出かけました。
https://4travel.jp/travelogue/10492397 宮崎
https://4travel.jp/travelogue/10507124 鹿児島・熊本
https://4travel.jp/travelogue/10549371 長崎・雲仙・佐世保 -
撮影した一眼レフ・カメラCANON FT FL50mm F1.4
調べてみたところ1966年発売当時の価格は54,800円だそうです。
現在の価値では30万円、...或いはもっとするのかもしれません。
修士で入社した自動車会社の初任給が3万2千円でした。
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