2019/09/30 - 2019/10/14
23位(同エリア238件中)
yamada423さん
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ライプツィヒゲヴァントハウス/バッハ博物館 2019.10.10
2020年2月1日に公開した「ヨーロッパ鉄道の旅2019ハイライト」
https://4travel.jp/travelogue/11592184
に続き、1日ごとの旅行記を連載中で、今回は第11回です。
定期的にではなく、およそ毎月3回程度になる見通しです。
写真と説明文はハイライトと重複する内容が少なからずあります。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ベネチア・インスブルック・ウィーン・プラハ・ドレスデン・ライプツィヒ・アムステルダム 5カ国15日間2,100キロ鉄道の旅
■はじめに
古希を過ぎ、2013年の5月のフランス・グループ旅行と2014年4月のフランスの友人達の50年ぶりの再来日を機会に、年に1回の海外旅行がしばらく1.5年の間隔になったが、地域活動など諸般の事情が改善し、日ごろのトレーニングのおかげで体力・精神力ともにかつてなく充実しているので元のペースに戻すことにした。
私の一人旅は旅先で出会った人々との触れ合いを楽しみにし、人物が溶け込んだ風景の撮影が目的の大半を占めるため、現地の移動はLCCを使わずに列車を選んだ。
5カ国とも英語圏ではないが、英語が通じなくて困ったことはかかった。
旅のテーマ「美術と音楽を心行くまで楽しむ後期シニアの一人旅」
今回はテーマの中心のライプツィヒ・ゲヴァントハウス・オーケストラの演奏会です。
■旅行日程
2019年9月30日(月)-10月14日(月)13泊15日
往路 9月30日(月)成田発10:35 AF275 パリCDG着16:10
B777-300
CDG発18:00 AF1526 ベネチア着19:35 A318
復路 10月13日(日)
アムステルダム発14:40 KL861 B777-300
成田着14日(月)8:40
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
1日ごとの旅行記 第11回 ライプツィヒ 2日目
10月10日(木)くもり、雨
7時の目覚ましで起きた。
11日は5時過ぎの列車に乗るため朝食なしのプランを選んだので、フロントで今日だけ朝食を追加してもらった。
朝食会場は1階のロビーカフェと地下の列車風のSTEAK TRAINレストランの2箇所が選べたので、地下の広いところで食べた。料理は豊富であったが食べ過ぎないように控え目にした。
オレンジジュース、ミルクコーヒー、ハム3種類、スモークサーモン、トマト、チーズ、ヨーグルト、フルーツ
食べ終えてから外へ出てみると雨。昨日フロントで調べてもらったらNo rain.だったが外れた。
10時ごろに出かけた。集団登校の小・中学生に何度も出会った。
最初はライプツィヒ造形美術館MdbK。ロビーの無人クロークへ傘とリュックを置き、3階までエレベーターで上がってから展示を見ながら順次下りてくる。(N.Y.グッケンハイム美術館と同様)
3階の近代造形は立体造形物やロゴマーク、写真、・・・表現しがたい写真などや、家具などのカットモデル。
2階は絵画の模写作品などで、レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐が印象に残る。
1階はよく覚えていない。
次は旧市庁舎前のマルクト広場(とても広い70m×140m)を通ってメードラー・パサージュへ。
通路には青いカーペットが敷かれ、写真写りがすごくきれいだ。店はどれも高級な店ばかりで、時計は1000ユーロ以上からで目の保養になる。こういう雰囲気のアーケードは日本では見たことがない。ガラスの天井は3階ぐらいあり、豊かな空間で、昔ミラノで見たアーケードのようだ。
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2の世のガッレリアhttps://www.travel.co.jp/guide/article/8384/
次はトーマス教会。バッハが音楽責任者を長くつとめた教会で、そのパイプオルガンはすごく立派だ。ステンドグラスは陽が当たってきれいだった。
教会の前のバッハ博物館はランチの後にした。
近くカフェでナポリタンをたのんだらマカロニのナポリタンだった。スパゲティナポリタンしか食べたことがないのでめずらしかった。トマト味の料理はこの旅行では初めてで美味しかった。
紅茶はポットで供され3カップ以上あったがほとんど飲めた。
13:50にバッハ博物館に入館した。日本語のオーディオガイドが借りられたので詳しい説明がわかりやすくてよかった。ヘッドフォンでバッハの曲を聴ける箇所がいくつもあった。15:20に出たので1時間半も見たことになる。それだけ充実していた。
次は新市庁舎だが、近づいて巨大な建物があるのはわかったが、新しい感じがしないので男性の通行人に確かめたら「そうだ」
何年前に建てたのか後で調べてみた。
https://www.travelbook.co.jp/spot/946271
ライプツィヒ新市庁舎は、1905年に竣工したライプツィヒ市の市庁舎です。新市庁舎という呼び名は、旧市庁舎と対になって呼ばれているもので、どちらもライプツィヒのシンボルマークです。
新市庁舎に見られるライオンのモチーフは、ヴェッティン家の黒獅子の紋章からきており、ライプツィヒの市章にもなっています。
市庁舎見学ツアーが開かれており、250段の階段を登った展望台から市内を一望できます。地下にはレストランもあり。見学料金は3ユーロ、ツアーは月~金の11時と14時の2回実施されます。路面電車のNeues Rathaus駅より徒歩2分。
新市庁舎からゲヴァントハウスへ向かおうとしたら右手に緑の屋根の大きな建物が見えてきたのでインフォメーションでもらった地図を見たらカトリック司教座教会。
ゲヴァントハウスへ向かう通りがどれか分かりにくかったので、オレンジのベストを着た市の係員らしき人に尋ねたら「こちらだ」と教えてくれた。
ここで雨が降り出したので傘を広げた。
ゲヴァントハウスの頑丈な扉を開けてロビーに入り、ほとんど人がいない内部の様子を撮影した。ほかにも見学する人はある程度いた。夜のコンサートの下見に来たのだが様子がつかめてよかった。(安心した)
外に出ると向かいがオペラハウスだが、遠くから撮影しただけだった。
ゲヴァントハウスに接してライプツィヒ大学の多数の建物が並んでおり、中庭の銅像が立派だったのでとりあえず撮影した。台座にはライプニッツの名が見とれた。
中国人の観光客が大勢騒いでいた。
5時10分前にホテルへ戻り、コーヒーを煎れて一休みした。
夕方の駅の様子を見るために6時少し前に行ってみた。歩いて2分。
かまぼこ型の駅の建物(屋根)は6個あり、ホームは1から23番まである。さすがヨーロッパ最大の端頭型駅舎だ。
帰りに駅構内のKFCでコンサート前に食べるフライドチキンとポテトを買った。4.78ユーロ。
ホテルへ戻って食べてから7時にゲヴァントハウスへ向かった。10分で着いた。まだ来場者は少なく、eチケットを読み取って入場。
しばらくは2階ロビーのソファーで待機した。A席のドアオープンは7時40分ごろだった。
ヴィンヤード型の大ホールは1920席あり、野外劇場風に六角形の形をしており音響効果の評価が高い。
思ったほど大きくないホールはサントリーホールのようにステージの後ろの席もある。
<参考>
サントリーホールの設計にあたっては「世界一美しい響き」を基本コンセプトに掲げ、第一線で活躍する指揮者や演奏家はもとより音楽を愛する各界の人々の意見が幅広く取りいれられました。大ホールは、日本では初のヴィンヤード(ぶどう畑)形式。全2006席がぶどうの段々畑状にステージ(太陽)を向いているため、音楽の響きは太陽の光のようにすべての席に降り注ぎます。音響的にも視覚的にも演奏者と聴衆が一体となって互いに臨場感あふれる音楽体験を共有することができる形式です。側壁を三角錐とし、天井は内側に湾曲させ、客席のすみずみに理想的な反射音を伝える構造です。
20:04に演奏開始
ブラームスのヴァイオリンとチェロのための協奏曲作品102
第1楽章 アレグロ
第2楽章 アンダンテ
第3楽章 ヴィヴァーチェノントロッポ
35分の演奏が終わったあと、ソリスト二人が二回挨拶に戻ってから、指揮者なしで2人だけのアンコール曲の演奏があり、初めて経験したパターンだった。
後半のシューベルト交響曲8番は未完成と勘違い(そのような呼び方が多い)していた55分の大作で聴き応えがあった。ステージ正面のほぼ中央の9列12番席であったのとホールの音響の良さで、今まで聴いたことのないほどの大音量で生演奏が体験できたのは、この旅行の最も大きな目標であったために、何よりの充実感を味わえた。
指揮者アンドリス・ネルソンス(40歳)の指揮も若さあふれるダイナミックで見応えがあった。
ブラームス 20:04~20:40 アンコール終了20:53
シューベルト 21:15から22:12 アンコール無し
オーケストラ編成
1曲目 ブラームス65名(数えました)
楽器編成
弦5部( 第1ヴァイオリン14、第2ヴァイオリン16、ヴィオラ8、チェロ8,
コントラバス6)
フルート 2、オーボエ 2、クラリネット 2、ファゴット 2、ホルン 2、トランペット 2、トロンボーン2、ティンパニ 1
2曲目 シューベルト78名(数えました)
楽器編成
弦5部( 第1ヴァイオリン16、第2ヴァイオリン20、ヴィオラ8、チェロ10、コントラバス8)
フルート 2、オーボエ 2、クラリネット 2、ファゴット 2、ホルン 2、トランペット 2、トロンボーン 3、ティンパニ 1
演奏終了後に何度も挨拶に舞台に出たソリスト達もハグを交わして成功を喜んでいる様子。最後の曲が終了後に挨拶に立った指揮者の写真は望遠にして何枚も撮った。
日本のクラシックコンサートでは若い人も多いが、今日のコンサート会場は老人会専用みたいな感じで平均年齢は優に70歳を超えていそうだ。前腕ホルダー付の杖を使っている人も目立った。
後半の演奏中に、正面に見えたステージ後方席最上段の男性がぐったりと前かがみになり、係員を呼んで飲み物を与えられる様子がよく見えた。脱水症状のようだった。
ホールを出たのは22:22 ニコライ教会22:33 ホテルへ戻ったのは22:45
演奏の合間のドリンクは時間があわただしいので飲まなかったので、1階のバーへ行って赤ワインを注文した。250mlのカラフェで。
席に着いたすぐあとに、ゲヴァントハウス帰りと思われる赤い表紙のプログラムを持った大勢の客が入ってきて(15人ぐらい)急ににぎやかになった。
最初で、おそらく最後となるであろうライプツィヒ2日目の充実した長い1日が無事に終わり、満ち足りた心地で眠りについた。神様ありがとう。
歩数計 17,278歩
撮影
EOS80D EF-S18/135
PowerShot SX610HS
参考資料
1. ブルーガイド わがまま歩き 14 ドイツ
2. ヨーロッパ鉄道の旅2019ハイライト
https://4travel.jp/travelogue/11592184
3.ライプツィヒ中央駅周辺の観光スポットおすすめ12選!
https://www.travelbook.co.jp/topic/57984
投稿 2020.5.29 22:00
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 航空会社
- KLMオランダ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
パークホテル6階のエレベーターホール 8:16
これから朝食に行きます。 -
地下のレストランSTEAK TRAINで朝食 8:31
-
旅先では朝食はしっかりと食べます。
-
STEAK TRAINの壁には列車の雰囲気のパーテーション 9:00
ORIENT EXPRESS Ancien MONTMARTRE
WAGON LITは国際寝台列車 -
列車の旅っていいですね。
-
ホテルの玄関から中央駅がよく見えます。 9:02
徒歩2分です。
列車の旅では駅の近くのホテルが何かと便利です。 -
ホテルのロビー 9:03
フロントの対応はとても快適でした。 -
644号室から見た中庭 9:56
-
10時に出かけました。 10:00
天気はよくありません。 -
マリオットホテルの外壁に描かれた絵
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いろいろな標語?が書かれていますが、私はドイツ語がわかりません。
-
通学ファッション 10:06
-
ビルの入居会社の呼び鈴ボタン
-
小学生の校外活動でしょうか。
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ライプツィヒ造形美術館MdbK入り口 10:12
<旅行記抜粋>
最初はライプツィヒ造形美術館MdbK。ロビーの無人クロークへ傘とリュックを置き、3階までエレベーターで上がってから展示を見ながら順次下りてくる。(N.Y.グッケンハイム美術館と同様)
3階の近代造形は立体造形物やロゴマーク、写真、・・・表現しがたい写真などや、家具などのカットモデル。
2階は絵画の模写作品などで、レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐が印象に残る。
1階はよく覚えていない。 -
どの道を行っても駅の前に出ます 10:22
Whichever road you take, it will lead you to the station -
3階に展示された立体造形物(彫刻その他)
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ロゴマーク logomark
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9色のテープ
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テーブルのカットモデル
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キャビネットのカットモデル 10:34
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引率の先生の説明に聞き入る小学生
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圧縮ボード(パーティクルボード)を切り抜いて作った椅子
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2階に展示された作品「脱出 Escape Out」
私が見た印象から勝手に付けた題名です。 -
2-3階の吹き抜け空間に吊るされた彫刻 10:49
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レオナルド・ダ・ヴィンチ 「最後の晩餐」(模写)
<旅行記抜粋>
2階は絵画の模写作品などで、レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐が印象に残る。 -
Johann Friedrich August Tischbien
Maastricht 1750-1812 Heidelberg
Portrait of Henriette Julie Limburge née Küstner,1802 -
キリスト教徒でないと絵の背景の物語はわかりません。
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イヴ
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アダム
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ベートーヴェン Beethoven
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引率の先生Franzi(名札)の意に反して子供たちはこちらに視線を向けてしまいました。
先生 ごめんなさい
Franziska フランツィスカ -
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ヨーロッパの美術館では学校教育の一環で見学に訪れた子供たちを見かけることがよくあります。
フランスのカンペール美術館(フランス)
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/19/97/70/src_19977081.jpg?1289099306
https://4travel.jp/travelogue/10493592
パリのルーブル美術館
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/19/30/64/src_19306469.jpg?1327822051(モナリザの昔の展示室)
https://4travel.jp/travelogue/10467662 -
旅行案内所 Tourist Information
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中心繁華街
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メードラー・パサージュ 11:54
<旅行記抜粋>
次は旧市庁舎前のマルクト広場(とても広い70m×140m)を通ってメードラー・パサージュへ。
通路には青いカーペットが敷かれ、写真写りがすごくきれいだ。店はどれも高級な店ばかりで、時計は1000ユーロ以上からで目の保養になる。こういう雰囲気のアーケードは日本では見たことがない。ガラスの天井は3階ぐらいあり、豊かな空間で、昔ミラノで見たアーケードのようだ。
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2の世のガッレリアhttps://www.travel.co.jp/guide/article/8384/ -
パサージュ中央のガラスの丸天井(屋根) 11:59
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青いカーペットが新鮮で印象的 12:00
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スワロフスキー
スワロフスキー(Swarovski)は、1895年にオーストリアのチロル地方で創業したクリスタルのプレミアムブランド。最高水準のクオリティ、クラフツマンシップ、創造性にあふれる幅広い事業を展開。「誰もが手にすることができるダイヤモンド」をポリシーに、高品質クリスタル、天然および人工のジェム・ストーン、ジュエリーやアクセサリー、照明などの製品のデザイン、製造、マーケティングを行っている。 Wikipedia
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/65/35/70/src_65357066.jpg?1584320209
https://4travel.jp/travelogue/11604546 -
旧市庁舎の正面のマルクト広場 12:04
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トーマス教会の東の通りに面した公園
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トーマス小路 Thomas-gasse
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トーマス教会
<旅行記抜粋>
バッハが音楽責任者を長くつとめた教会で、そのパイプオルガンはすごく立派だ。ステンドグラスは陽が当たってきれいだった。
教会の前のバッハ博物館はランチの後にした。 -
バッハゆかりのトーマス教会
音楽の街として知られるドイツ・ライプツィヒ。とりわけ有名な人物がヨハン・セバスティアン・バッハです。そのバッハが、おもに活躍していたのがトーマス教会です。
バッハは、1723年からの27年間、トーマス教会でオルガン奏者兼合唱団の指揮者、カントール(教会音楽家)として従事し、数々の教会音楽を作曲しています。とりわけオラトリオの大作、ヨハネ受難曲、マタイ受難曲は、トーマス教会で初演されました。
トーマス教会ができたのは、1212年と古いのですが、時代とともに改築がなされていき、現在の姿となったのは1702年といわれています。現在は、正面の祭壇手前にあるプレ-トの下で、バッハが眠っています。
出典:https://news.arukikata.co.jp/column/sightseeing/Europe/Germany/LEIPZIG/246_753556_1536651237.html -
トーマス教会の前のバッハの像 12:17
背後にはパイプオルガン
■トーマス教会
・住所:Thomaskirchhof 18, 04109 Leipzig, Germany
・最寄駅:ライプツィヒ中央駅
・開場時間:9:00~18:00(合唱団のリハ-サルや録音の際は、入場不可の場合あり)
・入場料:無料
・URL:https://www.thomaskirche.org/
トーマス教会の年間の補修費は22万ユーロだそうです。 -
トーマス教会内部 12:35
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トーマス教会のパイプオルガン
1723年からの27年間バッハが奏者を勤めた。 -
バッハ博物館の近くのカフェ
BACHSTUB'L(バッハの部屋)
https://www.yelp.com/biz/bachstubl-leipzig-2
ランチした店ではありません。 -
ガラスの器と手の彫刻 12:50
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何を表現しているのでしょう?
巨人のサラダボウル(笑い) -
ランチのマカロニナポリタン 13:11
マカロニのナポリタンは初めて食べましたが美味しかったです。
<旅行記抜粋>
近くカフェでナポリタンをたのんだらマカロニのナポリタンだった。スパゲティナポリタンしか食べたことがないのでめずらしかった。トマト味の料理はこの旅行では初めてで美味しかった。
紅茶はポットで供され3カップ以上あったがほとんど飲めた。
15ユーロ
Pascucci Leipzig
http://www.pascucci-leipzig.de/ -
この日はあいにく餌のパンを持っていませんでした。
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青空に映えるトーマス教会の塔 13:44
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バッハミュージアムでのコンサートのポスター13:47
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バッハミュージアムとバッハ文書館 13:50
<旅行記抜粋>
13:50にバッハ博物館に入館した。日本語のオーディオガイドが借りられたので詳しい説明がわかりやすくてよかった。ヘッドフォンでバッハの曲を聴ける箇所がいくつもあった。15:20に出たので1時間半も見たことになる。それだけ充実していた。
バッハ博物館 Bach-Museum Leipzig
ライプツィヒ・バッハ資料財団(Bach-Archiv Leipzig)の設置するバッハ博物館は、音楽の父ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685~1750)の生涯と業績を紹介する施設です。彼はトーマス教会音楽監督(トーマスカントル)としてライプツィヒでその創作活動期間の後半を過ごし、数々の優れた作品を書き上げ、そしてその生涯を閉じました。当時彼の住んだトーマス学校校舎・兼寄宿舎は、現在のバッハ博物館・資料財団のあるボーゼ館(Bosehaus)とトーマス教会に挟まれるように建っていました。ボーゼ館はバッハ一家と家族ぐるみの親交があった商人ゲオルク・ハインリヒ・ボーゼの旧邸で、かつてバッハも度々ここを訪れ、建物内に現存する「夏の広間」では音楽を奏でました。
歴史的バロック建築のボーゼ館は2010年に改装・拡張を終え、バッハ博物館はマルチメディアを駆使した体験型博物館へと生まれ変わりました。バッハがオルガン奉献式での演奏を担当したパイプオルガンの演奏台といった貴重な展示品、彼の諸作品全曲を聴くことのできる試聴室などのほか、空調管理された貴重品室では自筆譜やバッハ夫妻の墓から発掘された遺留品などを見学することができます。
所在地
Thomaskirchhof 15/16, 04109 Leipzig
(中心街)
最寄り停留所・鉄道駅
? Thomaskirche(トーマスキルヒェ):路面電車9号線 / バス89番
または
? Leipzig Markt(ライプツィヒ・マルクト)・南口にあたるグリンマ通り出口(Ausgang Grimmaische Straße):都市鉄道(Sバーン)各線 も利用可
開館時間
火~日曜10:00~18:00
月曜休館
入館料
一般:8ユーロ
割引:6ユーロ
16歳以下無料
(毎月第1火曜は無料開館)
お問合わせ先
Tel.: +49 (0)341-9137-202
Fax: +49 (0)341-9137-205
出典:http://languages.leipzig.travel/jp/___1367.html -
バッハミュージアムのバッハ胸像 14:04
J.S.バッハは1685年3月31日現在のドイツ・アイゼナハに生まれました。宗教改革を行ったマルティン・ルターもアイゼナハ出身ということもあり、一家でルター派のプロテスタント教徒であったことがわかっています。
18歳の頃、バッハはヴァイマルの宮廷楽団のヴァイオリニストとして就職しますが、代役としてオルガン演奏も担当するようになり、その後もオルガニストとしてのキャリアを積み上げていくことになります。
1706年にマリア・バルバラと結婚し7名の子どもを授かりますが、マリアは1720年にバッハの出張中に急逝します。翌年、バッハはまだ幼い子どもたちのためにと16歳年下のアンナ・マグダレーナ・ヴィルケと再婚しました。彼女は優れたソプラノ歌手であり、同じ音楽家としてバッハの仕事を助けることになります。
バッハはかなりの働き者だった
1723年にバッハはライプツィヒの聖トーマス教会にてカントルという仕事に就きました。当時のカントルの仕事はオルガン演奏家と作曲家、合唱指揮者、さらに小学校教諭の仕事を兼任したような仕事で、バッハも日々激務だったということが伝わっています。
1749年5月末にバッハは脳卒中で倒れました。何とか命は取り留めましたが、次いで眼科手術に失敗するなど度重なる不運と体調不良のため、病床に伏したまま1750年7月28日にこの世を去りました。 -
バッハの系図
Johan Sebastian(1685-1750) -
バッハがオルガン奉献式での演奏を担当したパイプオルガンの演奏台
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バッハのワイマール時代
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アリアの楽譜の表紙
次の写真の楽譜 -
アリアの楽譜
Aria"Alles mit Gott und nichts ohn'ihn"BWV1127 -
楽師の人形
欲しくなるほどかわいいですが展示品(非売品)です。 -
ライプツィヒにおけるバッハ 14:47
18世紀においてライプツィヒはヨーロッパにおける文化・学問・商業の中心地の一つであった。世界中から念に3回開催された交易市に代表者が集まった。
大学は市に多くの学生を引きつけた。聖トーマス協会の合唱指揮者はドイツの音楽の先導者の一人であり、聖トーマス学校は若い音楽家にとって最も人気が高かった。
1723年5月バッハはトーマス教会の合唱指揮者となり、このことはライプツィヒの音楽の歴史の新たな1章の始まりを記した。それからの27年間は市の音楽ライフを形作った。ライプツィヒにおいて彼は彼の重要な作品の多くを書いた。
なかでもフーガ、荘厳ミサ曲。バロック様式の都市の多くは現存しており、通りの名称は変わっていない。
バッハが活躍した2箇所の聖トーマス教会と聖ニコラス教会のいずれもまだ建っている。(yamada423訳)
B Minor Mass BWV 232
https://www.youtube.com/watch?v=7F7TVM8m95Y -
1723年にバッハはライプツィヒの聖トーマス教会にてカントルという仕事に就きました。当時のカントルの仕事はオルガン演奏家と作曲家、合唱指揮者、さらに小学校教諭の仕事を兼任したような仕事で、バッハも日々激務だったということが伝わっています。
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弦楽器
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管楽器
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バッハ博物館の庭 15:09
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中庭(コートヤード)
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入り口の表札
bach MUSEUM LEIPZIC -
ばっは博物館の入り口 15:19
帰りに撮りました。 -
石畳に埋め込まれた印は何でしょう?
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新市庁舎 15:37
<旅行記抜粋>
次は新市庁舎だが、近づいて巨大な建物があるのはわかったが、新しい感じがしないので男性の通行人に確かめたら「そうだ」
何年前に建てたのか後で調べてみた。
https://www.travelbook.co.jp/spot/946271
ライプツィヒ新市庁舎は、1905年に竣工したライプツィヒ市の市庁舎です。新市庁舎という呼び名は、旧市庁舎と対になって呼ばれているもので、どちらもライプツィヒのシンボルマークです。
新市庁舎に見られるライオンのモチーフは、ヴェッティン家の黒獅子の紋章からきており、ライプツィヒの市章にもなっています。
市庁舎見学ツアーが開かれており、250段の階段を登った展望台から市内を一望できます。地下にはレストランもあり。見学料金は3ユーロ、ツアーは月~金の11時と14時の2回実施されます。路面電車のNeues Rathaus駅より徒歩2分。 -
公園の中を通ってゲヴァントハウスへ向かいます。15:45
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見納めの新市庁舎 15:48
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カトリック司教座教会 15:51
<旅行記抜粋>
新市庁舎からゲヴァントハウスへ向かおうとしたら右手に緑の屋根の大きな建物が見えてきたのでインフォメーションでもらった地図を見たらカトリック司教座教会。 -
秋の気配を感じさせる公園の黄葉 15:52
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ライプツィヒ大学 16:14
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新ゲヴァントハウス 16:16 表紙写真
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ゲヴァントハウスの頑丈な扉を開けてロビーに入り、ほとんど人がいない内部の様子を撮影した。ほかにも見学する人はある程度いた。夜のコンサートの下見に来たのだが様子がつかめてよかった。(安心した)
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ゲヴァントハウスに接してライプツィヒ大学の多数の建物が並んでおり、中庭の銅像が立派だったのでとりあえず撮影した。台座にはライプニッツの名が見とれた。
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ライプツィヒ大学配置図
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RATIO NALI SATI KERIN
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ライプツィヒ大学前通り 16:38
Grimmaische Strasse -
ライプツィヒ大学構内
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ライプツィヒ大学構内のライプニッツ像 16:42
ライプニッツ
ライプニッツは哲学者、数学者、科学者など幅広い分野で活躍した学者・思想家として知られているが、政治家であり、外交官でもあった。17世紀の様々な学問(法学、政治学、歴史学、神学、哲学、数学、経済学、自然哲学(物理学)、論理学等)を統一し、体系化しようとした。その業績は法典改革、モナド論、微積分法、微積分記号の考案、論理計算の創始、ベルリン科学アカデミーの創設等、多岐にわたる。
経歴
1646年、ライプニッツはライプツィヒ大学哲学教授のフリードリッヒ・ライプニッツの子としてライプツィヒに生まれた。父は6歳の時に病没した。1653年にはライプツィヒのニコライ学院に入学した。1661年にはニコライ学院を卒業し、ライプツィヒ大学に入学し、数学や哲学を学んだ。1663年6月には、哲学の学士論文をライプツィヒ大学に提出し、4か月間イエナ大学へと移って数学や法学、史学を学んだ。10月にはライプツィヒ大学に戻り、1664年には哲学の修士論文を提出し、修士となった。1666年にはニュルンベルク近郊にあるアルトドルフ大学に移って法学の博士論文を提出し、翌1667年には法学の博士となった。1668年にはマインツ選帝侯に仕えた。このマインツ居住期に、彼の有名な多数の文通が始まっている。1672年、マインツ選帝侯の命を受けてフランス王ルイ14世にエジプト遠征を勧めるため、パリに滞在することとなったが、この提案にフランスはなんの関心も示さず、1673年には庇護者であるマインツ選帝侯の死によってライプニッツは職を失う。その後はパリで求職活動をしながらクリスティアーン・ホイヘンスなど多くの学者と交流を深めていた。1675年には微積分法を発見した。1676年にはカレンベルク侯ヨハン・フリードリヒによって顧問官兼図書館長に任ぜられ、ハノーファーに移住した。以後、その死までライプニッツはハノーファー宮廷に仕えることとなった。1678年には領内のハルツ鉱山の改良を命じられ、1685年まで7年間取り組んだものの、結果的には大失敗に終わった。その後、同年にハノーファー領主であるヴェルフェン家の家史編纂を命じられたが、これは彼の死まで完成することはなかった。この調査の一環として、1687年から1690年までの間、ライプニッツは南ドイツ・オーストリア・イタリアへと調査旅行に出かけている。1697年には「中国最新事情」を出版した。1700年にはベルリンに招かれ、ベルリン科学アカデミーの設立に尽力し、初代会長に就任した。1710年にはアムステルダムの出版社から『弁神論』を匿名で発表した。1711年には神聖ローマ皇帝カール6世によって帝国宮中顧問官に任命された。1714年には『モナドロジー』の草稿を書きあげたが、公刊されるのは彼の死後の1720年のことであった。1716年、ハノーファーにて死去した。 Wikipedia -
ライプツィヒ大学 UNIVERSITAT LEIPZIG入り口
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これからいったんホテルへ戻ります。16:44
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ホテル脇のニコライ通り 16:50
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ライプツィヒ中央駅 17:55
ホテルで1時間ほど休憩して、再び駅の見学に行きました。 -
駅前の停留所のトラム
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中央駅構内 17:58
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ドイツ鉄道旅行センター 17:59
DB Reisezentrum -
ホーム階の下は大型ショッピング街になっています。
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マクドナルド
同じフロアにKFCもあり。コンサート前に食べるチキンとポテトを買ってホテルで食べました。 -
ライプツィヒ駅はヨーロッパ最大の駅で、ホームは1から23まで確認できました。
ここでは6から9番ホームが見えます。 -
花屋
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駅を出ると夕焼けで金色の空がとてもきれいでした。18:17
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上部が夕日に染まった中央駅 18:18
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夕方のトラム乗り場は混雑していました。
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夕日が残りわずかになりました。18:21
日没時刻 18:30 -
ゲヴァントハウス外観 19:11
<旅行記抜粋>
ホテルへ戻ってチキンを食べてから7時にゲヴァントハウスへ向かった。10分で着いた。まだ来場者は少なく、eチケットを読み取って入場。
しばらくは2階ロビーのソファーで待機した。A席のドアオープンは7時40分ごろだった。
思ったほど大きくないホールはサントリーホールのようにステージの後ろの席もある。
ヴィンヤード型の大ホールは1920席あり、野外劇場風に六角形の形をしており音響効果の評価が高い。 -
ゲヴァントハウスのエントランス 19:12
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1階ロビーコンコース 19:16
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3階のロビーでは飲み物のサービス(有料)も受けられる。19:16
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ゲヴァントハウスのステージ正面の9列12番席からの眺め 19:43
思ったほど大きくないホールはサントリーホールのようにステージの後ろの席もある。
ヴィンヤード(ぶどう畑)型の大ホールは1920席あり、野外劇場風に六角形の形をしており音響効果の評価が高い。
20:04に演奏開始
ブラームスのヴァイオリンとチェロのための協奏曲作品102
第1楽章 アレグロ
第2楽章 アンダンテ
第3楽章 ヴィヴァーチェノントロッポ
35分の演奏が終わったあと、ソリスト二人が二回挨拶に戻ってから、指揮者なしで2人だけのアンコール曲の演奏があり、初めて経験したパターンだった。 -
休憩時間に3階ロビーから見た隣のオペラ劇場 20:57
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後半の演奏が始まる前のステージ 21:15
<旅行記抜粋>
後半のシューベルト交響曲8番は未完成と勘違い(そのような呼び方が多い)していた55分の大作で聴き応えがあった。ステージ正面のほぼ中央の9列12番席であったのとホールの音響の良さで、今まで聴いたことのないほどの大音量で生演奏が体験できたのは、この旅行の最も大きな目標であったために、何よりの充実感を味わえた。
指揮者アンドリス・ネルソンス(40歳)の指揮も若さあふれるダイナミックで見応えがあった。
ブラームス 8:04~8:40 アンコール終了8:53
シューベルト 9:15から10:12 アンコール無し -
後半の演奏を終えて団員を称える指揮者 22:14
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指揮者アンドリス・ネルソンス 22:15
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パートごとに楽団員を紹介する指揮者 22:16
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演奏の成功に満ち足りた表情の指揮者と楽団員たち 22:16
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私も満ち足りた気持ちで帰途に着きました。 22:22
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郵便局の時計が記録となります。 22:26
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「ブラームスとシューベルトを聴いた帰りにバッハゆかりのニコライ教会の塔を見上げる」22:33
今回の旅のテーマ「美術と音楽を心行くまで楽しむ後期シニアの一人旅」
十分達成できました。ヤッター! -
ゲヴァントハウス管弦楽団
2019年10月10・11日プログラム
ブラームス(1833-1897)ヴァイオリンとチェロのための協奏曲イ短調作品102
第1楽章 アレグロ
第2楽章 アンダンテ
第3楽章 ヴィヴァーチェノントロッポ
シューベルト(1797-1828)交響曲第8番ハ長調 D 944
第1楽章 アンダンテ(導入部)-アレグロ・マ・ノン・トロッポ
第2楽章 アンダンテ・コン・モート
第3楽章 スケルツォ アレグロ・ヴィヴァーチェ
第4楽章 フィナーレ アレグロ・ヴィヴァーチェ
10/11 OKT 2019
Gewandhaus-orchester
Andris Nelsons
Leonidas Kavakos
Gautier Capuçon
速度指示記号とテンポ
Andante(アンダンテ) 歩くような速さで =63~76
Allegretto(アレグレット) やや快速に =96~120
Allegro(アレグロ) 快速に =120~152
出典:https://gakufu-ya.com/kigou
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