2006/04/15 - 2013/03/22
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yamada423さん
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大岡山本館前の満開の桜 2013.3.22
Tokyo Institute of Technology Main Building of Ookayama
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「東京工業大学」の銘板の設置時期を調査中です。
卒業アルバムによれば1963年には木製、1965年は現在と同じ金属製と推定されます。
おそらく1964年ごろと思われますが、ご存知の方、写真等の資料をお持ちの方は情報提供をお願いします。
連絡先
東京工業大学資史料館
E-mail : centshiryou@jim.titech.ac.jp
Tel : 045 - 924 - 5501
https://www.titech.ac.jp/event/2021/062335
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2016.10.3
今年のノーベル医学・生理学賞に東京工業大学栄誉教授の大隅良典先生が受賞されることが発表されました。
本学の卒業生としては大変誇りに思います。
今年は5月に初めてストクホルムを訪れ、ノーベル博物館でノーベル賞関連のたくさんの展示を見学してきたので、今回の受賞のニュースに接して感慨ひとしおです。
http://4travel.jp/travelogue/11164085
http://4travel.jp/travelogue/11153875
☆ ☆ ☆ ☆
シリーズ昭和の記録No.21 大学構内の四季
Four seasons of college in Ookayama campus
https://4travel.jp/travelogue/11646543
☆ ☆ ☆
大岡山本館前の満開の桜 2013.3.22
Tokyo Institute of Technology Main Building of Ookayama
〒152-0033 東京都 目黒区 大岡山
Ookayama Meguro-ku, Tokyo 152-0033 Japan
2013年の満開の桜を3月22日に撮影してきました。
平年より10日ほど早く咲き始めたので、満開の時期を逃さないように日にちを選んでの撮影です。
本館前の桜並木のウッドデッキはさながら大岡山遊園地のようで、小さいお子様連れのお母さん達で賑わっていました。
http://4travel.jp/traveler/810766/album/10759961/
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昔から3月26日が東京工業大学・大学院学位授与式(卒業式)でこの日程は今も守られているようです。
今からうん十年前の1966年の卒業式の日の桜は写真を見ると三分咲きであったようです。
昨年のこの時期にホームページに掲載した卒業式当日の本館前の桜をバックにした記念撮影と、2006年4月15日の機械工学科・生産機械工学科同窓会の際に撮影した本館前の葉桜を比較できるようにまとめました。
40年で大きく育ち高齢化した桜を見ると自分の姿を見るようで、感慨ひとしおでした。
桜(ソメイヨシノ)の寿命は60年と言われていますが、本学の桜の後継木を誰かが育てているか気になるところです。園芸科がないもんね。
また1968年の大学院の学位授与式の後の謝恩会での、大先輩である土光敏夫元経団連会長(当時は第22代蔵前工業会理事長・東芝社長)のスナップ写真も掲載します。
大学のオーケストラの大先輩でもある歯車の権威である中田孝先生とのツーショットはきわめてめずらしく、公開されるのは本邦初かもしれません。
土光 敏夫 どこう としお
1896年(明治29年)9月15日 - 1988年(昭和63年)8月4日)は昭和時代の日本のエンジニア、実業家。第4代経済団体連合会(以下「経団連」)会長。位階勲等は従二位勲一等(勲一等旭日桐花大綬章・勲一等旭日大綬章・勲一等瑞宝章)。岡山県名誉県民。
中田孝 なかだ-たかし
1908-2000 昭和-平成時代の機械工学者。
明治41年3月8日生まれ。昭和19年母校東京工業大の教授となり,36年同大精密工学研究所長。43年東京精密測器社長。歯車に関する共同研究で,28年学士院賞。数値制御工作機械の研究でも知られる。平成12年8月15日死去。92歳。東京出身。著作に「転位歯車」「自動制御の理論」など。
2011.3.11の大震災で被災し、記念のアルバムや写真など全て喪失された同窓生がいるかも知れないと思い、少しでも役に立てればと考えて公開すことにしました。同窓生にこのブログを紹介いただけると助かります。
お問い合わせはメール・掲示板でどうぞ。
S41機械工学科 S43生産機械工学科(修士)
ホームページ:http://www7b.biglobe.ne.jp/~yamada423/
撮影 CANON FT 50mm F1.4(モノクロ写真)1966,1968(共に3月26日)
Nikon Coolpix5400 2006.4.15
CANON EOS40D EF-S17/85
40年以上前の記憶を頼りに書いていますので誤解や記憶違いが気になります。お気づきの方はメールでお知らせいただければ幸いです。
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今年(2012)は創立130年を記念して初めて卒業生を迎えて講演階や学内案内、懇親会などを行うホームカミングデイHomecoming Dayが企画されました。
大岡山の70周年記念講堂で池上彰教授の講演会が開かれます。
東京工業大学130周年記念サイト ホームカミングデイ
http://www.130th.titech.ac.jp/cgi-bin/hcd/index.cgi
余談ですが早稲田大学の卒業式(学位記交付式)も3月26日です。
その日に早稲田に近い神田川の桜を見に来ていた晴れ着姿の親子に出会った思い出があります。
http://4travel.jp/travelogue/10760713
2019.6.25(令和元年)
昔のネガのデジタル化作業で発見したオーケストラの定期演奏会の写真を末尾に追加しました。
2020年9月26日(令和2年)
シリーズ昭和の記録No.21 大学構内の四季
Four seasons of college in Ookayama campus
https://4travel.jp/travelogue/11646543
シリーズ昭和の記録 百選 総集編 Series Showa era Omnibus
https://4travel.jp/travelogue/11651747
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
-
正門の銘板についての情報求む
この緑青が生えた銅合金製の銘板「東京工業大学」の設置時期を調査中です。
卒業アルバムによれば1963年には木製、1965年は現在と同じ金属製と推定されます。
おそらく1964年ごろと思われますが、ご存知の方、写真等の資料をお持ちの方は情報提供をお願いします。
連絡先
東京工業大学資史料館
E-mail : centshiryou@jim.titech.ac.jp
Tel : 045 - 924 - 5501
https://www.titech.ac.jp/event/2021/062335
撮影2013.3.22 -
2013.3.22(金)晴れ 12:20
2013年の桜は表紙の写真を含めて下記に別途公開済みです。
「2013大岡山の満開の桜と東工大学園散歩」
http://4travel.jp/traveler/810766/album/10759961/
例年より半月早く開花した都内の桜は、場所によってはほぼ満開に近い咲きっぷりです。
この旅行記の2006年の桜の写真は葉桜で「看板に偽りあり」で申し訳ありませんでした。
汚名返上のためもあり、今年(2013)は満開に合わせて撮影してきました。 -
2006.4.15 昭和43年卒機械工学系同窓会
東急大岡山駅
40年前の面影は全くない新しい駅舎です。
当時の目黒蒲田間を走っていた目蒲線はいつしか路線変更され、今は目黒線です。 -
大岡山キャンパスの門の右側の百年記念館
建物は立派ですが大学周囲の都市景観はこの通りです。
東京工業大学百年記念館
東京都目黒区大岡山2−12−1
http://www.robotics-handbook.net/museum/titech/index.htm
建築課の篠原一男(1953卒教)元教授、名誉教授の設計。 -
本学出身の建築家谷口吉郎が関東大震災直後に設計し、横にしても壊れない強度を持たせたといわれる堅固な本館(1924)ですが、桜に隠れて見えません。
「大岡山の桜」につられて覗いた方には桜の花がなくてごめんなさい。
代わりに都内・近郊の桜を紹介します。キャッチ・セールスではありませんよ。無料です。(笑い)
小さな旅 千鳥が淵の桜の風景
http://4travel.jp/traveler/810766/album/10550339/
ここには各地の桜の写真ブログにリンクがあります。 -
右に寄ると本館正面のファサードと時計塔が昔のままの姿を見せます。
懐かしい姿です。
大岡山キャンパス
http://search.jword.jp/cns.dll?type=lk&fm=109&agent=9&partner=BIGLOBE&name=%C5%EC%B5%FE%B9%A9%B6%C8%C2%E7%B3%D8&lang=euc&prop=500&bypass=3&dispconfig=&tblattr=1 -
講堂の東の新しい建物はなんでしょう?
キャンパスマップによると大岡山西9号館
大岡山キャンパスマップ
http://search.jword.jp/cns.dll?type=lk&fm=109&agent=9&partner=BIGLOBE&name=%C5%EC%B5%FE%B9%A9%B6%C8%C2%E7%B3%D8&lang=euc&prop=500&bypass=3&dispconfig=&tblattr=1 -
吾らの石井研究室があった北棟(現在名は大岡山南1号館)
3年間寝泊りして研究生活を送ったところです。
川越市南大塚の自宅から西武新宿線で高田馬場、山手線で目黒経由で目蒲線の大岡山まで片道2時間掛かるので帰宅するのは水、金でした。月、木が出学日で研究室(助教授室のソファ)に寝袋で泊り込みです。 -
グラウンドでは野球の練習です。
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緑が丘地区(大岡山北地区?)へ行ってみました。
桜は終わりショカッサイ(諸葛菜)が満開です。 -
花ニラ
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ピンクの八重桜
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東急電鉄の線路も各所で立体化が進み、当初は開かずの踏み切りだった環七とも当然ながら立体交差です。
この跨線橋を渡り、ひょうたん池に向かうロマンス坂の右に音楽部(管弦楽と合唱)の部室がありました。 -
この建物は研究室ではなさそうです。
同窓会が開かれた第一食堂はここにあったように思います。 -
このスロープから見上げる構図は気に入っていました。
当時は60年代の学園紛争のさなかで、時計塔も占拠され学内立ち入りも制限されていた時期がありました。仕方なく夜間に通学していた東京日仏学院の身分証を提示して精密工学研究所の門から入ったこともありました。
本館も落書きなどで汚れていたこともあります。いまは綺麗になってその名残は見られません。 -
昭和43年卒機械工学系同窓会の写真ですが個人名は書かないことにします。
名札のネームはそのままです。 -
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同じ石井研究室の学友です。(右端が作者)
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卒業40年です。それぞれの道で活躍してきた面々の表情はいいですね。
東京電力で原子力発電分野に一生を尽くしてきたM君も同窓生の一人で、大学院1年の夏休みに一緒に北海道旅行しました。
福島原発の事故直後は顧問として徹夜で対応に追われていたと奥様に電話で伺いましたが、本人とは話す機会がありませんでした。 -
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機械工学科・生産機械工学科集合写真 2006.4.15
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昭和41年3月26日(1966.3.26)
卒業式の日の記念に撮りました。
この時にはまだCANON FTを買っていなかったので研究室のカメラASAHI PANTAXで写したはずです。いいカメラでした。
研究室では実験材料や顕微鏡写真の撮影に使っていました。
当時も研究予算は少なく、写真のフィルムは100ft(30m)の缶入りを暗室で必要な長さだけ切ってパトローネに詰めて使っていました。
現像液の調合も自前です。当時の現像液の調合仕様はFD122でした。
これは富士フィルムの指定液でFiji Developing solution 122の略。
私の写真に関する原点です。
カラーフィルムの自前処理の経験はありません。 -
晴れて卒業式を迎え、みな喜びの笑顔です。
この歌は社会人一年生を迎える卒業生に贈る詩です。
思い出のアルバム
作詞者 増子 とし 作曲者 本多鉄麿
1 いつのことだか 思い出してごらん あんなこと こんなこと あったでしょう
うれしかったこと おもしろかったこと いつになっても わすれない
2 春のことです 思い出してごらん あんなこと こんなこと あったでしょう
ぽかぽかお庭で仲よく遊(あそ)んだ きれいな花も咲いていた
3 夏のことです 思い出してごらん あんなこと こんなこと あったでしょう
麦わら帽子(ぼうし)で みんなはだかんぼ お船も見たよ 砂山も
中略
7 一年中(いちねんじゅう)を思い出してごらん あんなこと こんなこと あったでしょう
もものお花も きれいに咲いて もうすぐみんなは一年生 -
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70周年記念講堂
2011年は創立130周年です。
東京工業大学同窓会誌KURAMAE JOURNAL No.1028 2011Winterの「東京工業大学創立130年記念式典・講演会 全記録」に元土光経団連会長秘書 弁護士 居林次雄氏が2011.9.17さん太ホール・岡山での土光敏夫記念講演会で「メザシの土光さんの話」真相を語った内容があります。
平たく言えば「行革の断行のために一肌脱いだ」ようです。 -
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現在の大岡山西3号館(外国語研究教育センター)前にて。
石井研究室の助手の先生と。 -
カメラを斜面に合わせたら傾いてしまった。シマッタ!
思想的に右傾したわけではありませんよ。 -
感慨深げに佇んでいるのは卒業生ではなく助手の先生です。
-
石井研究室卒業生
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三分咲きの桜をバックに記念撮影
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本館正面の桜も私たちと同じ年代であったようです。
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1966.3.26には三分咲きでした。
私たちもそうでした。満開はその後15から30年あたりだったでしょうか。
葉桜(端ざくら)になるのはもうしばらくしてからでいいですね。 -
手島精一像の前で。
手島精一(1849-1918) 教育家。沼津藩出身。長年、東京高等工業学校長を つとめ、実業教育関係の法律・規則制定に努力。工業教育の基礎をつくった。
東京高等工業は発展・改称して今の東京工業大学となった。 -
いろいろな先生に習いましたが、一般の方がご存知の中にNHK大河ドラマの時代考証(建築考証)を永年担当されている建築課(家)の平井聖先生の製図の授業を受けました。
平井聖
プロフィール:元昭和女子大学学長。東京工業大学名誉教授。研究分野は、江戸時代の建築史、武家屋敷とその生活、日本住宅史。工学博士。
主な著書・監修に『日本の城を復元する』『幕末明治の江戸城』(以上執筆・浅野伸子)『江戸城と将軍の暮らし』(学研)『城(1)〜(8)』(毎日新聞社)などがあります。NHK大河ドラマでは、建築考証を永年にわたって担当しています。 -
白衣は助手の先生
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この5人はそれぞれ本田技研、昭和電線電纜(→東芝医療機器)、NOK、三井造船、日立造船へ進みました。(左より)
造船が2人いるのは石井研究室が溶融工学(溶接)であることも関連があったでしょう。
このあとの謝恩会は馬場先門の東京商工会議所のホールで開かれました。 -
Yoji Yamada
私にもこんなに若い時があったのです。
美青年でも美声でもなく、B級青年ぐらいでした。
大学での思い出に残る授業の多くは専門の理数系ではなく、英語の伊藤整、美術の嘉門安雄、音楽の角倉一郎、社会学の永井道雄などの授業です。
伊藤整:(いとう せい、1905年(明治38年)1月16日 - 1969年(昭和44年)11月15日)は、日本の小説家、文芸評論家。位階は正五位。勲等は勲三等。本名は整(ひとし)。日本芸術院会員。
社団法人日本文藝家協会理事、東京工業大学教授、社団法人日本ペンクラブ副会長、財団法人日本近代文学館理事長などを歴任した。
戦後の文学裁判で有名な「チャタレイ裁判」についての感想は「勇み足だった」と懐述されていました。完訳「チャタレイ婦人の恋人」は新潮文庫にあります。
英語の教材はディッケンズDickensのクリスマス・キャロルA Christmas Carolでした。
嘉門安雄:(かもん やすお、1913年12月1日 - 2007年1月5日)は、日本の美術評論家。 石川県出身。東京帝国大学卒。東京国立博物館、国立西洋美術館勤務。1966年、ブリヂストン美術館、1976年、館長。1994年、東京都現代美術館長。全国美術館会議議長。
モナリザの作者の正式名はレオナルドでダ・ヴィンチは「ヴィンチ村の」という形容語だと教えられました。今では美術の専門家でもダ・ヴィンチで通しています。
角倉一郎:(すみくら いちろう、1932年 - )は、東京生まれ。バッハを中心とする音楽学者、西洋音楽史や音楽理論の研究の第一人者。
東京藝術大学音楽学部楽理科卒、同研究科修了。桐朋学園大学助教授、東京芸術大学教授を歴任し、多くの音楽学者を育てた。多くの門下生が全国の大学で音楽史関連講義の教鞭をとっている。退官後神戸女学院大学特任教授に着任、現在は東京藝術大学音楽学部名誉教授。
古典音楽に対する理解と感性の重要性を学んだ(気がします)。
私はオーケストラでクラリネットでした。
永井道雄:(ながい みちお、1923年3月4日 - 2000年3月18日)は、日本の教育社会学者。元文部大臣(第95代)。
戦前に立憲民政党幹事長や拓務大臣、逓信大臣、鉄道大臣を務めた永井柳太郎の次男。
「黒人がスポーツに強い理由の一つは人種差別を乗り越えて活躍できるからだ」印象に残る言葉です。
熱力学の森康夫教授は私がエンジニアとしての生涯で最も大きな影響を受けた先生です。
ホームページの自己紹介記事(随想録)に書いています。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~yamada423/(HP本体) -
Mr.Masami Tanaka
-
Mr.Tateo Yamaguchi
-
Mr.Yoshio Masuda
-
Mr.Tatsuaki Yukimasa
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昭和43年3月26日(1968.3.26)
学位授与式後の謝恩会は学内の体育館で開かれました。
挨拶する實吉純一学長 -
学長の挨拶を見守る土光さん(右)。
-
卒業生代表の挨拶と思います。
-
實吉純一学長 土光敏夫蔵前工業会理事長・東芝社長
-
1968年2月下旬に修士論文の発表を無事に終え、この卒業式までの間3/7-3/20に今で言う卒業旅行の九州一周一人旅に出ました。
その時の旅行記を昨年公開しましたので紹介します。
1968九州一周卒業旅行①宮崎(青島・サボテン公園・都井岬)
http://4travel.jp/traveler/810766/album/10492397/
1968九州一周卒業旅行②鹿児島・熊本(桜島・熊本城・阿蘇山)
http://4travel.jp/traveler/810766/album/10507124/
1968九州一周卒業旅行③雲仙・長崎・佐世保・名神高速
http://4travel.jp/traveler/810766/album/10549371/
一人旅は定年退職後の今でも毎年のように出かけています。
2011年10月は「ヨーロッパ鉄道の旅12日間」でヴェネチア、スイス、ドイツ、パリを巡りました。
http://4travel.jp/traveler/810766/album/10617323/ -
同じ石井研究室の学部卒業生二人です。
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土光敏夫、中田孝両氏
1968年の大学院の学位授与式の後の謝恩会での、大先輩である土光敏夫元経団連会長(当時は第22代蔵前工業会理事長・東芝社長)のスナップ写真も掲載します。
大学のオーケストラの大先輩でもある歯車の権威である中田孝先生とのツーショットはきわめてめずらしく、公開されるのは本邦初かもしれません。 -
土光さんのメザシは有名な話ですが、経緯については諸説ありました。
東京工業大学同窓会誌KURAMAE JOURNAL No.1028 2011Winterの「東京工業大学創立130年記念式典・講演会 全記録」に元土光経団連会長秘書 弁護士 居林次雄氏が2011.9.17さん太ホール・岡山での土光敏夫記念講演会で真相を語った内容があります。
平たく言えば「行革の断行のために一肌脱いだ」ようです。 -
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卒業式を終えて研究室に戻った石井研究室の学部卒業の両君
石井勇五郎先生(〜1996)
東京工業大学名誉教授、日本非破壊検査協会前会長、先生は放射線透過検査(RT)の分野等で先駆的業績をあげられ、日本非破壊検査協会やその技量認定制度の創設に尽力され、国際的にも第3回国際非破壊検査会議(東京)の誘致やアジア太平洋非破壊試験コンファレンス(現APCNDT) の創設に貢献されました。
学生時代は毎年正月に日野市のご自宅に研究室の連中が押しかけ新年会をするのが慣わしでした。 -
オーケストラ定期演奏会 1965.12 創立70周年記念講堂
令和になり、終活ではないですが、モノクロ(白黒)だけでも100本以上保管してあるネガフィルムをデジタルデータ化作業を始めました。
その中に昭和41年(1966)の東工大オーケストラの定期演奏会の写真がありました。
自分が写っている写真は少ないので、今となっては貴重品です。
私のパートはクラリネットでした。
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この旅行記へのコメント (8)
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- 4nobuさん 2013/03/06 20:41:07
- 初めまして
- 東工大の紹介を懐かしく読ませて頂きました。
私は東工大出身ではありませんが特に東工大機械科教室といろんな縁があります。
・谷口修、田村章義、小野京右の各教授と振動関係の小さな学会の創設から参加し20年以上のお付き合いがあり関係するISO国際会議にもよくご一緒しちょっとした海外旅行でした。
・勤めていた会社でもどうしてか東工大出身者と馬が合い今も2ヶ月に1回の東工大出身者を中心とする定年者の雑談会にも入れていただいております。集まる場所は田町にある東工大の会館です。
大岡山にはもう30年ほど行っておりませんが懐かしいです。特に谷口研究室のあった本館もですが、よく会議を開いた100年記念館も久しぶりに見せて頂きました。
話は飛びますが仏語が堪能なご様子ですが・・・。親しくして頂いた鉄道技術研究所の人々にフランス語の堪能の方が多く(鉄道技術ではフランスと日本が双璧で留学する人が多かったせいでしょうか)フランス語を習えと盛んに勧められ私も御茶ノ水の日仏会館に通いましたが終業後に川崎から通うのは挫折してしまい今では残念でなりません。
まだ初期のNDI協会には私は応力測定分科会に参加してましたが、石井勇五郎教授はたしか運輸技研か鉄道技研にお勤めだったような気がします。私は別の分科会でしたので遠い存在でした。
くどくどとつまらない書き込みお許しください。
- yamada423さん からの返信 2013/03/07 10:28:33
- RE: 初めまして
- 4nobuさん おはようございます。
お便りありがとうございます。
> 東工大の紹介を懐かしく読ませて頂きました。
ありがとうございます。
現役で忙しく働いている間はこのようなブログで発信する機会、と言うよりも発想がありませんが、退職後しばらく経って写真好きな私を知っている元職場の同僚の勧めで始めたところ、多くの読者に支持(アクセス多)されて続けています。東工大の記事も同窓生や同世代の読者を意識して書きました。
> まだ初期のNDI協会には私は応力測定分科会に参加してましたが、石井勇五郎教授はたしか運輸技研か鉄道技研にお勤めだったような気がします。私は別の分科会でしたので遠い存在でした。
石井先生は運輸省船舶技術研究所(船研)からS39年に来られ「溶融工学」(溶接など)講座を開設され、溶接・圧接や非破壊検査関連の研究を指導されました。私の修士論文は「X線応力測定に関する研究」(回折面依存性および決勝流の大きさの影響について)でした。
> 話は飛びますが仏語が堪能なご様子ですが・・・。親しくして頂いた鉄道技術研究所の人々にフランス語の堪能の方が多く(鉄道技術ではフランスと日本が双璧で留学する人が多かったせいでしょうか)
堪能は誤解で、東京日仏学院の会話専門コースで幼児が言葉を覚えるのと同じように絵(スライド)と声(テープ)だけで習ったので、旅行会話には不自由しませんが読み書きは辞書無しでは全くダメです。
フランスは鉄道技術では世界一と思います。
フランス鉄道公社(フランス国鉄)の略称SNCF:Societe Nationale des Chemins de fer Francais(仏文字未使用)から「鉄道」の語源を感じます。
Chemins(道) de(英語のof) fer(鉄)→日本名「鉄道 」の語源でしょう。英語のrailroadを日本語に直訳すると軌道になってしまいます。
大学構内の桜も見事です。今年は満開に合わせて見に行こうと思っています。
yamada423
- 4nobuさん からの返信 2013/03/07 11:32:07
- RE: RE: 初めまして
- 早速のご返事ありがとうございます。
入社当時の私の仕事の応力測定分野ではx線応力測定は非破壊であり興味は深かったのですが装置が高価で、それにデータがミクロ過ぎて現場での応用は疑問視されていた時代で購入してもらえず触ったことがありません。不勉強で現状を知らないのですがどう進化したのでしょうか。
> Chemins(道) de(英語のof) fer(鉄)→日本名「鉄道 」の語源でしょう。英語のrailroadを日本語に直訳すると軌道になってしまいます。
同様にドイツ語ではEisen(鉄)+Bahn(道、軌道)です。
ちなみにイタリア語のVia ferrata(「鉄の路)は最近欧米で盛んな山のスポーツ(フィックスケーブルがついた岩登りコース)です。一時これをドロミテで試みましたが「老齢なのに」とかみさんに諌められやめました。
技術者の例に漏れず博物館殊に科学技術博物館には目がなく外国旅行でも美術館とともに多くの所を訪れますがマイナーな所で印象に残っているのが
英国ウールのタンク博物館、テームズ川の巡洋艦ベルファスト、ベルリンとロンドン郊外の空軍博物館、豪州パースの難破船博物館、アムステルダム郊外の帆船バタビア号博物館です。
-
- n.arakiさん 2012/04/19 17:11:35
- いいですね。
- yamada423様、こんばんは。
母校、旧友いいですね。思い出が沢山のご様子伝わります。
n.araki
- yamada423さん からの返信 2012/04/19 17:54:45
- RE: いいですね。
- n.arakiさん こんにちは
> 母校、旧友いいですね。思い出が沢山のご様子伝わります。
コメントをいただき、そのうえ投票までありがとうございます。
大学時代は研究室で顕微鏡写真を撮るために身につけた写真技術を生かしていろいろなものを撮りました。
さいわいネガがあまり劣化せずに残っていますので、時々昔の写真をブログに編集しています。
1968年の九州一周卒業旅行(昔はこんな言い方はしなかった)も多くの方にコメントをいただきました。
生きているうちにとの思いです。
yamada423
-
- 好きに生きるさん 2012/03/18 07:59:58
- お久しぶりです。
- おはようございます。
大岡山は、今まで二回だけ行きました。
入学金を払い、息子の下宿を決める時と中学生の娘が工大祭に連れて行った時です。
キャンパスも素晴らしいし、大岡山の学生街も趣きがあって羨ましいです。
もちろん東工大の学生さんは、とても聡明に見えました。
昨日から等々力から息子が一時戻ってきていますが、学生生活がとても楽しそうで絶対に医学部に行きたくないという息子の気持ちを尊重しておいたことが正解だったと感じました。
- yamada423さん からの返信 2012/03/18 13:46:34
- RE: お久しぶりです。
- こんにちは
お便りありがとうございます。
昨日いそいで公開したばかりなので説明書きが中途でしたが、午前中に追記いたしました。
好きに生きるさんのご子息は工大生ですか。娘さんもリケジョ(理系女子)目指しておられるのでしょうか。
>絶対に医学部に行きたくないという息子の気持ちを尊重しておいたことが正解だったと感じました。
この文面からは貴殿が医師と推測いたしますが。
昨年の原発事故後の反原発機運の高まりは一定期間は止む終えないと思いますが、100年先に人類が生き永らえるには原発の技術革新と普及は不可欠と確信しています。
私はリタイヤした身ですが、同窓生に東電の原発関係一筋で生きてきた方も居て(この旅行記にも写真が載っています)、事故収拾に向けた冷却法の提案を原子力保安院に直接提案するなどしてきました。
技術なくして政治で物が片付くほど生易しいものではないとの認識です。
菅直人元総理も同窓生ですが、なまじ原子炉工学だったために重要な判断を誤ってしまったようです。出身学部が何であれ、学生時代の知識などで手に負える分野はどこにもなく、実践で磨いたプロの技が世の中に本当に役立つ「技術」と思います。
息子さんの将来が楽しみですね。
yamada423
- 好きに生きるさん からの返信 2012/03/23 08:35:12
- RE: RE: お久しぶりです。
- おはようございます。お返事、ありがとうございます。
> こんにちは
>
> お便りありがとうございます。
> 昨日いそいで公開したばかりなので説明書きが中途でしたが、午前中に追記いたしました。
> 好きに生きるさんのご子息は工大生ですか。娘さんもリケジョ(理系女子)目指しておられるのでしょうか。
長女は、医学部生です。次女は、看護科で三女は、これから高校生です。
> >絶対に医学部に行きたくないという息子の気持ちを尊重しておいたことが正解だったと感じました。
> この文面からは貴殿が医師と推測いたしますが。
私自身は、高校生の時に工学部か医学部が随分迷って結局、医学部にしました。途中で後悔も随分しましたが、今は、この仕事だから何とか生きてこれたような気がします。
息子は、随分迷って工学部と決めてから一切私立医大すら受けませんでした。
私の姿を見て成りたくなかったと思えば仕方ないです。
>
> 昨年の原発事故後の反原発機運の高まりは一定期間は止む終えないと思いますが、100年先に人類が生き永らえるには原発の技術革新と普及は不可欠と確信しています。
特に日本の政治力で液化ガスを安定的に確保できる見込みが全然無いと言われていますからね。
> 私はリタイヤした身ですが、同窓生に東電の原発関係一筋で生きてきた方も居て(この旅行記にも写真が載っています)、事故収拾に向けた冷却法の提案を原子力保安院に直接提案するなどしてきました。
> 技術なくして政治で物が片付くほど生易しいものではないとの認識です。
> 菅直人元総理も同窓生ですが、なまじ原子炉工学だったために重要な判断を誤ってしまったようです。
>出身学部が何であれ、学生時代の知識などで手に負える分野はどこにもなく、実践で磨いたプロの技が世の中に本当に役立つ「技術」と思います。
> 息子さんの将来が楽しみですね。
これは言えますね。でも日本は技術者軽視が著しいと思っています。
好きに生きる
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