富士五湖旅行記(ブログ) 一覧に戻る
研究室旅行 紅葉台から望む富士山を背景に 1966.5.26(昭和41年)<br />    ───────────────────────────<br />はじめに<br />私が写真を撮り始めたのは高校3年のころ(1961年頃)で、高校時代のアルバムを元にまとめたのが下記である。<br />アーカイブ「高校生活3年間の思い出・記録」ARCHIVE:School life of Urawa High School in early sixties(2011年7月公開)<br />https://4travel.jp/travelogue/10583150<br />最も古い記録は高校3年秋の関西地方への修学旅行。<br />大学時代はオーケストラに所属していたため、いろいろな活動の記録がある。(昭和の記録No.3,No4公開済み)<br />また将来はエンジニアを目指して理工系の大学に入り、モータースポーツに強い関心を抱き、各地のレースを見に行って流し撮りのテクニックを身に付けたりもした。<br /><br />モノクロ(白黒)フィルムは1971年まで使用し、それまでの10年間に撮った写真のネガフィルムはほとんどすべて保管しており、121本(約4200画像)になる。<br />しかし古いものはフィルムの材料である酢酸セルロースの経年劣化(加水分解)で損傷がひどく、変形や黒点発生で画像の復元が困難なものがある。<br />平均余命まで10年(平均寿命81.41歳までは5年)を切り、遺品の整理が簡単に済むようにと思い、2019年7月までに全てのモノクロのネガをスキャンして電子データ化した。<br />現代用語:終活(笑い)<br /><br />一方、プリントした写真をアルバムで保存したものはほとんど劣化が見られず、スキャンするとネガをスキャンしたものより明瞭な画像が得られるのでそれをブログに使った。<br /><br />昭和の記録公開について<br />令和2年になり、新型コロナウィルスの世界的大流行に伴って海外旅行のみならず旅行が難しい状況が続く。とりわけ東京都内への外出自粛を余儀なくされている現状に鑑み、昨年デジタルデータ化したモノクロ写真を元に旅行記に編集して公開することを思いついた。<br />1968年の九州一周卒業旅行を公開した例はあるが、それ以来の作業になる。<br />写真の説明資料はほとんど残っておらず、読者に興味を持って見てもらえる作品になるか予想はできないので、とりあえず試しにスタートしてみることにした。(2020年7月)<br />公開が主な目的ではなく、遺品として廃棄される前に、私自身だけではなく、共に昭和を過ごしてきた人々の記録をこの世に残しておきたいという願望が先に立つ。<br />もう一つの狙いは「写真を主体にした自分史」をウェブサイトに残すことである。<br /><br />ここまではシリーズ共通の前文とする。<br />シリーズ昭和の記録 百選 総集編<br />https://4travel.jp/travelogue/11651747<br />  ☆   ★   ☆   ★   ☆   ★   ☆   ★<br />シリーズ昭和の記録No.6 大学研究室の親睦行事 昭和40年ー41年<br />今回は1965年(昭和40年)4月、大学4年の卒業研究のために研究室に配属されてから1968年3月26日の大学院卒業式まで在籍した研究室における親睦行事の記録(前半)である。<br />大学の溶融工学講座の石井研究室のメンバー構成は教授、助教授、助手2名、学部4年の学生5名、大学院修士課程各学年1名であった。(学生数は年度により変ることもある)<br /><br />親睦行事は春と秋の1-2泊の旅行、研究室内でのコンパ、都内・近郊でのレジャー施設・忘年会などである。<br /><br />研究室の親睦行事一覧<br />1965年6月 伊豆大島<br />3月21日から4月27日まで理工系学生フランス工業視察団に参加したため、研究室へ顔を出したのは5月連休の後であった。<br />視察旅行の記録は公開済み(2013年)<br />アーカイブ 学生フランス工業視察旅行<br />https://4travel.jp/travelogue/10753546<br /><br />1965年10月22日 奥利根(上の原高原、湯の小屋)<br /><br />1965年12月 研究室にてコンパ<br /><br />1966年5月26日-27日 富士五湖(山中湖、本栖湖)、紅葉台、白糸の滝<br /><br />1966年10月21日 西沢渓谷、黒金山、乾徳山<br />前半はここまでです。(その1)<br /><br />これ以降が後半です。(その2)<br />https://4travel.jp/travelogue/11638090<br />1966年12月22日 忘年会・多摩テック<br /><br />1967年10月20日-22日 霧が峰、車山、八ヶ岳縦走<br /><br />1967年11月11日 研究室にてコンパ<br /><br />1967年12月22日 忘年会 中村バーベキューセンター<br /><br />───────────────────────────  <br />編集者自己紹介(シリーズ共通)<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/19/67/06/src_19670641.jpg?1420067275<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/22/38/50/src_22385032.jpg?1388882024 浦和高校同窓会 遺影用Yei !<br />シニア写真愛好家のyamada423です。<br />一眼レフの経歴はPENTAX(研究室備品)、CANON FT、CANON AE-1P、CONTAX RX、EOS40D、EOS80Dなど50年以上です。<br /><略歴>  <br />大岡山の工学部の研究室では金属組織などの顕微鏡写真の処理は現像液の調合からガラス乾板・フィルムの現像、印画紙焼付けなどすべて自前で行っていたので、写真の処理技術は一通り身につけていました。<br />写真を撮ることについても風景写真のみならず、当時人気の高かったカーレース(日本グランプリ、CAN-AMなど)に出かけ、200ミリの望遠レンズで高速の被写体を流し撮りするのが好きでした。日本グランプリなど、レースの特集は年内にはまとめて投稿する予定です。<br />月額1~1万3千円の奨学金の大半はカメラや写真、旅行などに消えてしまいましたが、今の自分を育ててくれた大変ありがたい資金でありました。きちんと返済しました。<br />1980年頃から欧米主要国の自動車および自動車部品関連企業、研究機関への出張を繰り返し、その間仕事の合間を利用して撮影を続けました。1997年に財団法人へ出向を機会に出張がなくなり、個人旅行のみとなりました。<br />自動車会社の研究所(29年)と特許庁関連の財団法人工業所有権協力センター(IPCC)で11年、計40年勤務し、2008年3月退職<br />4トラベル会員登録 2010年5月21日<br /><br />ホームページ(長期休眠中)自己紹介、随想「設計技術者の心」など掲載。<br />http://www7b.biglobe.ne.jp/~yamada423/<br /><br />おねがい<br />50年以上前の写真ですが、なにかお気づきの情報がありましたら掲示板等でお知らせいただければ嬉しいです。<br /><br />写真掲載にあたり、写っている方の承諾は得ておりませんので、不都合があればお知らせください。即対応いたします。<br />yamada423<br /><br />投稿 2020.8.5 18:00<br /><br /><br />

シリーズ昭和の記録No.6 大学研究室の親睦行事 その1 Archive Showa era series/college life 1

22いいね!

1965/06/10 - 1966/10/21

864位(同エリア3234件中)

0

83

yamada423

yamada423さん

研究室旅行 紅葉台から望む富士山を背景に 1966.5.26(昭和41年)
───────────────────────────
はじめに
私が写真を撮り始めたのは高校3年のころ(1961年頃)で、高校時代のアルバムを元にまとめたのが下記である。
アーカイブ「高校生活3年間の思い出・記録」ARCHIVE:School life of Urawa High School in early sixties(2011年7月公開)
https://4travel.jp/travelogue/10583150
最も古い記録は高校3年秋の関西地方への修学旅行。
大学時代はオーケストラに所属していたため、いろいろな活動の記録がある。(昭和の記録No.3,No4公開済み)
また将来はエンジニアを目指して理工系の大学に入り、モータースポーツに強い関心を抱き、各地のレースを見に行って流し撮りのテクニックを身に付けたりもした。

モノクロ(白黒)フィルムは1971年まで使用し、それまでの10年間に撮った写真のネガフィルムはほとんどすべて保管しており、121本(約4200画像)になる。
しかし古いものはフィルムの材料である酢酸セルロースの経年劣化(加水分解)で損傷がひどく、変形や黒点発生で画像の復元が困難なものがある。
平均余命まで10年(平均寿命81.41歳までは5年)を切り、遺品の整理が簡単に済むようにと思い、2019年7月までに全てのモノクロのネガをスキャンして電子データ化した。
現代用語:終活(笑い)

一方、プリントした写真をアルバムで保存したものはほとんど劣化が見られず、スキャンするとネガをスキャンしたものより明瞭な画像が得られるのでそれをブログに使った。

昭和の記録公開について
令和2年になり、新型コロナウィルスの世界的大流行に伴って海外旅行のみならず旅行が難しい状況が続く。とりわけ東京都内への外出自粛を余儀なくされている現状に鑑み、昨年デジタルデータ化したモノクロ写真を元に旅行記に編集して公開することを思いついた。
1968年の九州一周卒業旅行を公開した例はあるが、それ以来の作業になる。
写真の説明資料はほとんど残っておらず、読者に興味を持って見てもらえる作品になるか予想はできないので、とりあえず試しにスタートしてみることにした。(2020年7月)
公開が主な目的ではなく、遺品として廃棄される前に、私自身だけではなく、共に昭和を過ごしてきた人々の記録をこの世に残しておきたいという願望が先に立つ。
もう一つの狙いは「写真を主体にした自分史」をウェブサイトに残すことである。

ここまではシリーズ共通の前文とする。
シリーズ昭和の記録 百選 総集編
https://4travel.jp/travelogue/11651747
  ☆   ★   ☆   ★   ☆   ★   ☆   ★
シリーズ昭和の記録No.6 大学研究室の親睦行事 昭和40年ー41年
今回は1965年(昭和40年)4月、大学4年の卒業研究のために研究室に配属されてから1968年3月26日の大学院卒業式まで在籍した研究室における親睦行事の記録(前半)である。
大学の溶融工学講座の石井研究室のメンバー構成は教授、助教授、助手2名、学部4年の学生5名、大学院修士課程各学年1名であった。(学生数は年度により変ることもある)

親睦行事は春と秋の1-2泊の旅行、研究室内でのコンパ、都内・近郊でのレジャー施設・忘年会などである。

研究室の親睦行事一覧
1965年6月 伊豆大島
3月21日から4月27日まで理工系学生フランス工業視察団に参加したため、研究室へ顔を出したのは5月連休の後であった。
視察旅行の記録は公開済み(2013年)
アーカイブ 学生フランス工業視察旅行
https://4travel.jp/travelogue/10753546

1965年10月22日 奥利根(上の原高原、湯の小屋)

1965年12月 研究室にてコンパ

1966年5月26日-27日 富士五湖(山中湖、本栖湖)、紅葉台、白糸の滝

1966年10月21日 西沢渓谷、黒金山、乾徳山
前半はここまでです。(その1)

これ以降が後半です。(その2)
https://4travel.jp/travelogue/11638090
1966年12月22日 忘年会・多摩テック

1967年10月20日-22日 霧が峰、車山、八ヶ岳縦走

1967年11月11日 研究室にてコンパ

1967年12月22日 忘年会 中村バーベキューセンター

───────────────────────────  
編集者自己紹介(シリーズ共通)
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/19/67/06/src_19670641.jpg?1420067275
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/22/38/50/src_22385032.jpg?1388882024 浦和高校同窓会 遺影用Yei !
シニア写真愛好家のyamada423です。
一眼レフの経歴はPENTAX(研究室備品)、CANON FT、CANON AE-1P、CONTAX RX、EOS40D、EOS80Dなど50年以上です。
<略歴>  
大岡山の工学部の研究室では金属組織などの顕微鏡写真の処理は現像液の調合からガラス乾板・フィルムの現像、印画紙焼付けなどすべて自前で行っていたので、写真の処理技術は一通り身につけていました。
写真を撮ることについても風景写真のみならず、当時人気の高かったカーレース(日本グランプリ、CAN-AMなど)に出かけ、200ミリの望遠レンズで高速の被写体を流し撮りするのが好きでした。日本グランプリなど、レースの特集は年内にはまとめて投稿する予定です。
月額1~1万3千円の奨学金の大半はカメラや写真、旅行などに消えてしまいましたが、今の自分を育ててくれた大変ありがたい資金でありました。きちんと返済しました。
1980年頃から欧米主要国の自動車および自動車部品関連企業、研究機関への出張を繰り返し、その間仕事の合間を利用して撮影を続けました。1997年に財団法人へ出向を機会に出張がなくなり、個人旅行のみとなりました。
自動車会社の研究所(29年)と特許庁関連の財団法人工業所有権協力センター(IPCC)で11年、計40年勤務し、2008年3月退職
4トラベル会員登録 2010年5月21日

ホームページ(長期休眠中)自己紹介、随想「設計技術者の心」など掲載。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~yamada423/

おねがい
50年以上前の写真ですが、なにかお気づきの情報がありましたら掲示板等でお知らせいただければ嬉しいです。

写真掲載にあたり、写っている方の承諾は得ておりませんので、不都合があればお知らせください。即対応いたします。
yamada423

投稿 2020.8.5 18:00


旅行の満足度
4.0
観光
4.0
同行者
社員・団体旅行
交通手段
高速・路線バス JRローカル 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
団体旅行

PR

  • 1965年6月  研究室の春の旅行<br />伊豆大島三原山<br /><br />卒業研究で配属された研究室の初めての親睦旅行です。<br /><br />横長画像をクリックすると2倍に拡大します。

    1965年6月  研究室の春の旅行
    伊豆大島三原山

    卒業研究で配属された研究室の初めての親睦旅行です。

    横長画像をクリックすると2倍に拡大します。

  • 最初の親睦旅行は伊豆大島で、往きは竹芝桟橋から大島、帰りは大島から熱海への航路だったように記憶しているが確信はありません。<br />竹芝桟橋を出航した船が観音崎沖で時間調整で停泊し、夜が明けてから大島へ向かったことは覚えています。<br /><br />1960年代は現在のようなカジュアル衣料はほとんどなく、普及する契機は大阪万博EXPO70であると言われています。

    最初の親睦旅行は伊豆大島で、往きは竹芝桟橋から大島、帰りは大島から熱海への航路だったように記憶しているが確信はありません。
    竹芝桟橋を出航した船が観音崎沖で時間調整で停泊し、夜が明けてから大島へ向かったことは覚えています。

    1960年代は現在のようなカジュアル衣料はほとんどなく、普及する契機は大阪万博EXPO70であると言われています。

  • 1965年10月22日(昭和40年)研究室の秋の旅行<br /><br />奥利根 上の原高原  藤原湖・ダム

    1965年10月22日(昭和40年)研究室の秋の旅行

    奥利根 上の原高原 藤原湖・ダム

  • 大学の前期と後期の間の休暇の後に研究室の旅行が催されることが多かったです。

    大学の前期と後期の間の休暇の後に研究室の旅行が催されることが多かったです。

  • 藤原ダム

    藤原ダム

  • 上の原高原

    上の原高原

  • 藤原湖

    藤原湖

  • 藤原ダム<br /><br />利根川水系の主要なダムで、水不足の際は貯水量がニュースになります。<br />今年(2020年)はニュースになりそうもありません。

    藤原ダム

    利根川水系の主要なダムで、水不足の際は貯水量がニュースになります。
    今年(2020年)はニュースになりそうもありません。

  • バス停

    バス停

  • 4本の水門の支柱で藤原ダムとわかります。

    4本の水門の支柱で藤原ダムとわかります。

  • 1965年12月(昭和40年)<br /><br />研究室にてコンパ<br />この時代には学生が利用できる居酒屋はなかったので、研究室内での飲み会(コンパ)を時々やりました。<br />大学の近くの大岡山商店街で食材と飲み物を調達し、鍋とガスコンロ(カセット式ではない)で料理しました。

    1965年12月(昭和40年)

    研究室にてコンパ
    この時代には学生が利用できる居酒屋はなかったので、研究室内での飲み会(コンパ)を時々やりました。
    大学の近くの大岡山商店街で食材と飲み物を調達し、鍋とガスコンロ(カセット式ではない)で料理しました。

  • 料理といっても簡単なもので、すき焼きが中心でした。<br /><br />費用は実費精算で1人当たり400-500円程度でした。<br />1967年11月のコンパの写真には、黒板に品目ごとに金額が書かれており、¥400(1人)でした。<br />

    料理といっても簡単なもので、すき焼きが中心でした。

    費用は実費精算で1人当たり400-500円程度でした。
    1967年11月のコンパの写真には、黒板に品目ごとに金額が書かれており、¥400(1人)でした。

  • 1966年5月26,27日(昭和41年)研究室の春の旅行<br /><br />富士五湖めぐり(山中湖、紅葉台、白糸滝、本栖湖)

    1966年5月26,27日(昭和41年)研究室の春の旅行

    富士五湖めぐり(山中湖、紅葉台、白糸滝、本栖湖)

  • 山中湖<br /><br />静山荘ボート乗り場

    山中湖

    静山荘ボート乗り場

  • 富士山

    富士山

  • 紅葉台から望む富士山

    紅葉台から望む富士山

  • 紅葉台展望台  表紙写真

    紅葉台展望台  表紙写真

  • 本栖湖

    本栖湖

  • 本栖湖遊覧ボート

    本栖湖遊覧ボート

  • 白糸滝  音止滝

    白糸滝  音止滝

  • 白糸滝

    白糸滝

  • いつものことですが、滝壺から舞い上がる水煙でひんやり感じるのがとても気持ちよいです。

    いつものことですが、滝壺から舞い上がる水煙でひんやり感じるのがとても気持ちよいです。

  • 駐車場から向かうときに最初に見える場所です。

    駐車場から向かうときに最初に見える場所です。

  • 本栖ロッジ

    本栖ロッジ

  • 一泊して出かける前の様子です。

    一泊して出かける前の様子です。

  • 誰か車で来ていたのでしょうか。<br />ブルーバードです。

    誰か車で来ていたのでしょうか。
    ブルーバードです。

  • 富士山周遊道路

    富士山周遊道路

  • 1966年10月21日(昭和41年)研究室の秋の旅行<br /><br />西沢渓谷・黒金山・乾徳山

    1966年10月21日(昭和41年)研究室の秋の旅行

    西沢渓谷・黒金山・乾徳山

  • このときの参加者が多いのは他の研究室も参加したためと思います。

    このときの参加者が多いのは他の研究室も参加したためと思います。

  • 乾徳山とススキと白樺<br /><br />アルバムの写真は劣化がほとんどなくきれいです。

    乾徳山とススキと白樺

    アルバムの写真は劣化がほとんどなくきれいです。

  • 乾徳山と白樺とススキが原

    乾徳山と白樺とススキが原

  • 山の名前はわかりません

    山の名前はわかりません

  • 黒金山頂上 標高2,232m

    黒金山頂上 標高2,232m

  • フィルムの劣化で白点や黒点が多数できてしまっています。<br />草間弥生とコラボして水玉模様をあしらったと思えば、それなりに見られます。<br />言い訳ですが、いいわけないですね。<br /><br />ネガを保管しているクッキーの缶を開けると強烈な酢酸臭にやられます。<br />スキャナーで読み込んで電子データにしたのでいつでも廃却できます。

    フィルムの劣化で白点や黒点が多数できてしまっています。
    草間弥生とコラボして水玉模様をあしらったと思えば、それなりに見られます。
    言い訳ですが、いいわけないですね。

    ネガを保管しているクッキーの缶を開けると強烈な酢酸臭にやられます。
    スキャナーで読み込んで電子データにしたのでいつでも廃却できます。

  • 原生林

    原生林

  • 周囲の山の名前は知識(地図)がなくてわかりません。

    周囲の山の名前は知識(地図)がなくてわかりません。

  • 乾徳山へ向かう。

    乾徳山へ向かう。

  • 乾徳山の山頂直下の岩場

    乾徳山の山頂直下の岩場

  • ロープを使って登るのは初めての経験でした。

    ロープを使って登るのは初めての経験でした。

  • Kさんは山のベテランです。

    Kさんは山のベテランです。

  • 乾徳山頂上<br /><br />岩の落書きには「東亜41.8.13」と書かれていますが、われわれが登ったのは41.10.21です。

    乾徳山頂上

    岩の落書きには「東亜41.8.13」と書かれていますが、われわれが登ったのは41.10.21です。

  • 乾徳山頂上 2020米(メートル)

    乾徳山頂上 2020米(メートル)

  • 乾徳山を下って麓(ふもと)に着きました。<br /><br />2000メートル級の登山は初めてでしたが、翌年秋の八ヶ岳縦走の予行演習にはなったかもしれません。

    乾徳山を下って麓(ふもと)に着きました。

    2000メートル級の登山は初めてでしたが、翌年秋の八ヶ岳縦走の予行演習にはなったかもしれません。

  • 学部卒業式の日の研究室の卒業生と助手  1966.3.26<br />現在の大岡山西3号館(外国語研究教育センター)前にて。<br /><br />この写真掲載旅行記<br />大岡山の桜 東京工業大学卒業式の思い出2013/2006/1968/1966<br />https://4travel.jp/travelogue/10653136

    学部卒業式の日の研究室の卒業生と助手  1966.3.26
    現在の大岡山西3号館(外国語研究教育センター)前にて。

    この写真掲載旅行記
    大岡山の桜 東京工業大学卒業式の思い出2013/2006/1968/1966
    https://4travel.jp/travelogue/10653136

  • 本館前の桜並木 <br /><br />2006年の桜(葉桜)<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/24/81/36/src_24813671.jpg?1392256419

    本館前の桜並木 

    2006年の桜(葉桜)
    https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/24/81/36/src_24813671.jpg?1392256419

  • 撮影に使用したカメラ(1966年以降)<br />CANON FL50mm   1: 1.4<br /><br />調べてみたところ1966年発売当時の価格は54,800円です。<br />実売価格がどうであったかわかりませんが、割引は少なかったような気がします。<br />現在の価値では30万円、...或いはもっとするのかもしれません。<br />修士で入社した自動車会社の初任給が3万2千円でした。

    撮影に使用したカメラ(1966年以降)
    CANON FL50mm 1: 1.4

    調べてみたところ1966年発売当時の価格は54,800円です。
    実売価格がどうであったかわかりませんが、割引は少なかったような気がします。
    現在の価値では30万円、...或いはもっとするのかもしれません。
    修士で入社した自動車会社の初任給が3万2千円でした。

この旅行記のタグ

22いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP