1970/04/29 - 1971/04/03
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yamada423さん
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志賀高原 東館山スキー場 スキー講習会 1971.2.20
赤倉温泉スキー場と妙高山 1970.12
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はじめに
私が写真を撮り始めたのは高校3年のころ(1961年頃)で、高校時代のアルバムを元にまとめたのが下記である。
アーカイブ「高校生活3年間の思い出・記録」ARCHIVE:School life of Urawa High School in early sixties(2011年7月公開)
https://4travel.jp/travelogue/10583150
最も古い記録は高校3年秋の関西地方への修学旅行。
大学時代はオーケストラに所属していたため、いろいろな活動の記録がある。(昭和の記録No.3,No.4公開済み)
また将来はエンジニアを目指して理工系の大学に入り、モータースポーツに強い関心を抱き、各地のレースを見に行って流し撮りのテクニックを身に付けたりもした。
モノクロ(白黒)フィルムは1971年まで使用し、それまでの10年間に撮った写真のネガフィルムはほとんどすべて保管しており、121本(約4200画像)になる。
しかし古いものはフィルムの材料である酢酸セルロースの経年劣化(加水分解)で損傷がひどく、変形や黒点発生で画像の復元が困難なものがある。
平均余命まで10年(平均寿命81.41歳までは5年)を切り、遺品の整理が簡単に済むようにと思い、2019年7月までに全てのモノクロのネガフィルムをスキャナーEPSON GT-F740で電子データ化した。
現代用語:終活(笑い)
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昭和の記録公開について
令和2年になり、新型コロナウィルスの世界的大流行に伴って海外旅行のみならず旅行が難しい状況が続く。とりわけ東京都内への外出自粛を余儀なくされている現状に鑑み、昨年デジタルデータ化したモノクロ写真を元に旅行記に編集して公開することを思いついた。
1968年の九州一周卒業旅行を公開した例はあるが、それ以来の作業になる。
写真の説明資料はほとんど残っておらず、読者に興味を持って見てもらえる作品になるか予想はできないので、とりあえず試しにスタートしてみることにした。(2020年7月)
公開が主な目的ではなく、遺品として廃棄される前に、私自身だけではなく、共に昭和を過ごしてきた人々の記録をこの世に残しておきたいという願望が先に立つ。
もう一つの狙いは「写真を主体にした自分史」をウェブサイトに残すことである。
ここまではシリーズ共通の前文とする。
シリーズ昭和の記録 百選 総集編
https://4travel.jp/travelogue/11651747
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シリーズ昭和の記録No.25 スキー部の活動
今回は会社のスキー部の活動をまとめたものである。
私がスキーに興味を持つようになったきっかけは、1965年に学生国際交流でフランスに滞在中の1週間の自由行動期間中に訪れたスイスの山岳鉄道の沿線で見かけたスキーの光景である。4月中旬に登山電車で登ったユングフラウは吹雪で何も見ることができずに下山したが、クライネシャイデック付近まで下りると天気がよく、沿線に連なるゲレンデではたくさんの人々がスキーを楽しんでいた。
1968年に就職し、その年の冬に初めてスキーバスで裏磐梯のスキー場へ行った。
バスの中で聞いたピンキラのヒット曲「恋の季節」が記憶に残っている。
翌年スキー部に入り、会社の福利厚生組織(研友会)のクラブ活動と冬場のスキーバスの催行に携わった。またスキー仲間で頻繁にスキー場へ通った。当時は隔週土曜休日であったためシーズン中の土日連休はほとんどスキーに行っていた。
車・バスで行くときは金曜日の夜出かけて1時か2時ごろ現地に着き、半泊と土曜日宿泊(合わせて1.5泊)して日曜の昼過ぎに現地を出発するというスケジュールだった。
埼玉から車で行けるスキー場はたくさんあり、苗場、石打、みつまた、菅平、万座、草津、志賀高原(丸池、東館、発哺、熊の湯など)、赤倉、白馬、蔵王など。
春スキーでは蔵王、月山。
スキー部の合宿は毎年12月29日から1月2日までで、山形交通のバスを使って蔵王温泉の大平ホテルをベースに実施した。
大平ホテルは温泉街に近いサンライズゲレンデのすぐ下にあり、現在は別名「善七乃湯」が通称のようだ。
住所 山形県山形市蔵王温泉825
合宿のスキースクールでは最終日に技能試験(バッジテスト)が行われ、合格すると等級ごとのバッジが授与される。私は3級と2級は受かったが、1級は挑戦むなしくダメだった。雪不足で半ばアイスバーンとなったゲレンデは不運だった。
バッジの形は雪の結晶の六角形で、3級が紺色、2級が水色だ。大きさは外接円直径が19.3ミリ(写真あり)
合宿の最後の晩にはホテルの地下室でジンギスカン料理の打ち上げ会を行うのが慣わしであった。
大晦日の紅白歌合戦のテレビはロビーと階段などで見たが、夕食のときにおにぎりを作っておいて夜食にした。部屋にテレビはなかった。
当時は歌そのものを楽しめたが、最近の紅白はお笑い芸人など、歌とは関係ない人々のバカ騒ぎが目立ち、見る気がしなくなった。今年はコロナ対策で無観客でやるらしいが、内容も見直してほしいものだ。
窓の外の氷柱(つらら)を砕いて作るウィスキーのオンザロックも楽しみの一つで、指導員の先生が差し入れてくれた自家製の野沢菜漬けも最高!だった。
今回は4箇所のスキーの記録をまとめた。
1. 蔵王の春スキー(スキー場ではない刈田岳御釜の斜面) 1970年5月
ゴールデンウィークには毎年3泊4日で春スキーに出かけたが、初めて参加した春スキーがもっとも楽しかった。2回目の月山は雪が深すぎて、食料や水とスキーを持って歩いて登るだけで体力を消耗してほとんど滑れず月山のふもとの宿から蔵王へ通って滑った。3回目は坊平に宿をとって刈田岳へ滑りに行く計画だったが、猛吹雪に見舞われスキーを履くまでには至らず、宿舎で持参した食材で焼肉パーティをして予定を繰り上げて帰宅した。
初回の春スキーは天気にも恵まれ、刈田岳(標高1758m)の湯釜の斜面で滑った。
スキー場ではないのでリフトはなく、30分以上かけて斜面を歩いて登り、2,3分で滑り下りるのを繰り返した。1日数本しか滑れないが、這い松の周囲の雪の上でお湯を沸かしてコーヒーを煎れたり食事を作ったり、冬には味わえない楽しさを満喫した。
2. 赤倉スキー場 1970年12月
毎年(シーズン)の初スキーは雪が早い赤倉温泉スキー場(新潟県妙高市)が慣わしであった。埼玉からの距離は遠いが、途中の積雪はほとんどないので苦にはならなかった。
ホテルの窓から見えるピンクに染まった妙高山の早朝の風景は今も忘れていない。
3. 志賀高原 東館山スキー場 1971年2月
志賀高原にはたくさんのスキー場があるが、東館山スキー場は一番奥地にあり、遠いが雪質はよい印象がある。ホテルがある発哺温泉は長野オリンピック、アルペンスキー大回転会場となった東舘山の中腹(標高1,600m)にあり、北信五岳、北アルプスを望む絶景である。このときはスキー部主催のスキーバスを出し、初心者講習も担当した。土曜の午前、午後、日曜の午前のうち、2回担当すると自分の自由滑走は半日しかできなかった。
4. 万座スキー場 1971年4月
草津白根山の西に位置し標高が高いのでパウダースノー(粉雪)のすべりが楽しめる好きなスキー場だ。最も高い第5リフト上の万座山(1994m)の頂上からは滋賀高原の横手山が間近に見える景色のよさもある。
常宿は日進館であったが、1983.2.22の火災で一部が焼失したこともある。
その後は万座高原ホテルや、スキー以外の家族旅行では万座観光ホテル(現万座プリンスホテル)の日本一標高が高い露天風呂の利用がある。
1970年ごろの成人の日の連休で万座スキー場へ行った際、2日目の夜中に豪雪に見舞われ、道路端に停めた車がすっかり雪に覆われ所在が不明となってしまったことがある。
帰宅予定日には除雪が行われず、メンバー10名ほどが全員翌日の休暇届けを出す羽目になった。さらに運悪いことに前日骨折した人がおり、各所に手配して電車等で帰宅した始末であった。
撮影
CANON FT FL50mm F1.4、
フィルム NEOPAN SS(FUJI FILM) ASA=ISO 100
<参考>
私が最後にスキーに行ったのは2009.2.22でした。
スキーの技術はあまり衰えてはおらず、機会があれば今でも滑れる体力・筋力は保っています。
石打スキー場のスキー・パーティー Ski party in Ishiuchi Ski Resort
https://4travel.jp/travelogue/10548070
https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_pict/21/50/30/650x_21503074.jpg?updated_at=1298359447
スキー・スクールは技量でクラス分けされるので、おのずと同年代が集まります。34が私です。いまどきのウェアではありませんが、買い換えるほどの余裕はありません。
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編集者自己紹介(シリーズ共通)
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/19/67/06/src_19670641.jpg?1420067275
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/22/38/50/src_22385032.jpg?1388882024 浦和高校同窓会 遺影用Yei !
シニア写真愛好家のyamada423です。
一眼レフの経歴はPENTAX、CANON FT、CANON AE-1P、CONTAX RX、EOS40D、EOS80Dなど50年以上です。
<略歴>
大岡山の工学部の研究室では金属組織などの顕微鏡写真の処理は現像液の調合からガラス乾板・フィルムの現像、印画紙焼付けなどすべて自前で行っていたので、写真の処理技術は一通り身につけていました。
写真を撮ることについても風景写真のみならず、当時人気の高かったカーレース(日本グランプリ、CAN-AMなど)に出かけ、200ミリの望遠レンズで高速の被写体を流し撮りするのが好きでした。日本グランプリなど、レースの特集は9月中にはイベント毎に編集して投稿する予定です。
月額1~1万3千円の奨学金の大半はカメラや写真、旅行などに消えてしまいましたが、今の自分を育ててくれた大変ありがたい資金でありました。きちんと返済しました。
1980年頃から欧米主要国の自動車および自動車部品関連企業、研究機関への出張を繰り返し、その間仕事の合間を利用して撮影を続けました。1997年に財団法人へ出向を機会に出張がなくなり、個人旅行のみとなりました。
自動車会社の研究所(29年)と特許庁関連の財団法人工業所有権協力センター(IPCC)で11年、計40年勤務し、2008年3月退職
4トラベル会員登録 2010年5月21日
ホームページ(長期休眠中)自己紹介、随想「設計技術者の心」など掲載。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~yamada423/
素顔の本田宗一郎と社員たち/3代社長の3ショット (永久保存版)
https://4travel.jp/travelogue/10484193
おねがい
50年以上前の写真ですが、なにかお気づきの情報がありましたら掲示板等でお知らせいただければ嬉しいです。
スキー部OG/OBの皆さんにはブログの紹介をよろしくお願いします。
関連旅行記(ブログ)
https://4travel.jp/travelogue/11645409
https://ssl.4travel.jp/img/tcs/t/pict/lrg/67/26/01/lrg_67260166.jpg?20200919094002
yamada423
投稿 2020.10.6 21:00
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 交通手段
- 観光バス 自家用車 徒歩
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スキー部の年末年始の蔵王合宿の最終日に実施された技能検定で合格して得たバッジです。
全日本スキー連盟の等級バッジ
SKI ASSOCIATION OF JAPAN
3級(左)と2級(右)
大きさは19.3mm(外接円直径) 安全ピン式
2020.9.8撮影 -
カラー写真はアルバムではなく袋に入れてあったので、年月も場所もわかりません。
スキー部および常連のスキー仲間です。
写真の裏に場所と日時を書いておけばよかったと反省しています。
デジカメの画像データは便利です。 -
私の車はホンダ1300クーペです。
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左端の私が講師を担当した初心者レッスンのため、おそらく志賀高原東館山スキー場と思います。
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東館山スキー場とすれば1971年2月20-21日です。(昭和46年)
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スキー部および常連のスキー仲間です。
建物も看板もないので、どこかわかりません。 -
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万座スキー場 1971年4月3日(昭和46年)
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赤倉温泉スキー場 1970年12月(昭和45年)
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赤倉温泉から見た妙高山の朝 1970年12月
場所の確信はありませんが、記憶が頼りです。 -
妙高山の上に月が残っていました。
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おまけの1枚です。
私が最後に行った石打スキー2009年2月22日
先輩が所有する湯沢町の「ライオンズマンション石打丸山」主催のスキーパーティに誘われて参加しました。
10年ぶりぐらいで滑りましたがスキーの技術はあまり衰えておらず、転ぶこともなかったです。重力が駆動力なのでスキーの操作がまともにできれば難しいことはありません。私は34で、ウエアは昔のものです。
用具はすべてレンタルで、板は短いカーヴィングスキーです。 -
これより4箇所のスキーです。
1. 1970年5月(昭和45年) ゴールデンウィークの春スキー
蔵王刈田岳(1758m)の御釜の斜面がゲレンデだが、スキー場ではないのでリフトはない。 -
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滑った後はスキーを担いでゆっくり上ります。
1本滑り下りると上りに30分以上かかるので、1日数本しか滑りません。 -
順番に滑ったところです。
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ポールの練習
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昼間歩いて上ったので夕食のビールは格別の味です。
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昼食は這い松の周りの斜面で自炊です。
キャンプ用具と食材・水・ビールは手分けして運んできます。 -
自動車会社の研究所のスキー部で、職場はいろいろです。
設計、エンジン試験、実車試験、試作、検査、・・・。 -
コーヒーの味はいかがですか。
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この人のHEAD 360が格好良かったので翌年私も買いました。
価格は5万円で月給の1.5倍ほど。
給料(賃金)が急上昇したのは1972年のバブルがきっかけでした。(年30%)
HEAD 360はブラックのメタルスキーで190cmを履いていました。
近年のカーヴィングスキーは身長とほぼ同じ(又はマイナス5から10cm)にしますが、昔のスキーは立って手を伸ばした指先の高さが選定の基準でした。
最初のヤマハは195cmでしたが長すぎてターンしづらかったです。 -
春スキーならではの楽しみ方です。
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2. 1970年12月(昭和45年) 赤倉スキー場
スキー部主催のスキーバスで募集人数は採算性も考慮して40名程度です。
妙高山のふもとの赤倉スキー場は積雪が早く12月に企画しても安心できます。
スキー仲間での初滑りで行ったことがあります。 -
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私は43で生まれた年(1943)、就職した年(昭和43年)と偶然同じでした。
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赤倉温泉 ホテル秀山(しゅうざん)
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赤倉温泉スキー場と妙高山 表紙写真(下)
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3. 1971年2月20日(土)(昭和46年)
志賀高原東館山スキー場
宿泊はリフト下の発哺温泉でした。
もしこの写真の主がこの写真を見ることがあれば、お子さんに見せてあげたいですね。「お母さんの若いころはスキーに行ったのよ」 -
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スキー部の部長Mさんです。
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スキー部主催のスキーバスの場合、初心者スキー講習はスキー部の幹事が担当します。
この日は天気に恵まれて風もなく、初心者公衆には最適でした。
初めてスキーに行って悪天候に見舞われると、スキーの楽しさよりも辛さが先に立ち、スキーが嫌いになってしまう可能性が大きいです。 -
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東館山スキー場 スキー講習会 表紙写真(上)
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4. 1971年4月2日(土)(昭和46年)
万座温泉スキー場
宿泊は日進館 -
スキー部だけではないスキー仲間の春スキー
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万座温泉スキー場の一番上のリフト(当時は第5リフト)は万座山(1994m)の頂上付近です。
志賀高原の横手山が近くに見える景色抜群のスポットです。 -
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スキージャンプの気分です。
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宿舎の日進館
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