2016/06/28 - 2016/07/01
34位(同エリア41件中)
まさとしさん
2001年4月以来15年ぶりにロシアへ行くことにした。前回は北京でロシアの通過ビザを取得してから北京発ウランバートル経由のシベリア鉄道でロシアを横断してモスクワからフィンランドへ抜けるというルートだった。モスクワで宿泊はできたが、日数は短く行動範囲はかなり限られていた。
今回は観光ビザを取得することができた。観光ビザは1ヶ月まで滞在可能だが今回は2週間の予定でロシアに滞在する。
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【6月28日(火)】
最初の目的地はサハリンだ。S7航空。かつてのシベリア航空を利用してウラジオストクを経由し、ユジノサハリンスクに入ることになる。ウラジオストクへは成田から週3便飛んでいる。S7航空は日本航空と提携しているワンワールド加盟の航空会社だ。
出発はあまり利用しない成田空港第2ターミナルからになる。ウェブチェックインを済ませてあったので荷物を預けるだけかと思っていたが、荷物を預けた際、搭乗券が新たに発券された。 -
15時40分発のウラジオストク行き。
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成田からウラジオストクまでは2時間あまりのフライトだ。A320。
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機内はガラガラで半分位しか席は埋まっていない。
ウラジオストクは日本から最も近いヨーロッパと呼ばれていて距離的にはソウルとかわらない。S7航空は荷物代が別だったのでLCCかと思っていたが、機内では軽い食事とドリンクが出された。
あっという間のフライトでウラジオストク空港には午後7時に到着した。時差は日本より1時間早くなる。ウラジオストク空港のターミナルビルはまだ新しく近代的だ。入国審査は入国カードに自分で記入する必要がなく、パスポートを渡すと入国審査官が入国カードを印刷してくれ、そこにサインするだけでいい。質問もなくすんなり通過することができた。特殊な方法で観光ビザを取得しているので正直入国するまで心配だったが一安心といった感じだ。これでロシアを自由に旅行できる。 -
ウラジオストク空港からユジノサハリンスクへ乗り継ぐことになるがユジノサハリンスク行きのフライトは明日の7時発だ。今夜はウラジオストクの空港の中で夜明かしするつもりだ。日照時間の長い6月でさらに高緯度なのでまだまだ空は明るいので街の中心部へ出たい気分になる。でも明日の早朝4時には空港へ戻ってこなくてはならない。ホテルも予約していないし、この時間から街に出ても行動範囲は限られるだろう。幸い空港の中はきれいで横になるベンチもたくさんあり、人も多く行き交っていて居心地は悪くない。数は多くないが深夜の発着便もあるし、夜明かしする空港としての質は高い。
ATMでまとまったルーブルをキャッシングしてみた。案の定、高額紙幣のみが出てきた。物価が安くなったとはいえ最高額の5000ルーブルは9000円の価値がある。 -
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空港のカフェテリアで食事をして崩すことにしたが時間が遅いので残り物のピザしかない。そのピザですらなくなるのは時間の問題といった雰囲気だ。値段はピザにサラダとドリンクもつけて800円ほどと空港での食事だと考えると安く感じる。
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エスカレーターで上層階に上がりベンチが並んでいる場所がある。吹き抜けになっていて空港内を見下ろしながら夜明かしすることにした。
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【6月29日(水)】
ウラジオストク空港での夜明かし。熟睡はできなかったが比較的快適だった。ユジノサハリンスクへはウラジオストクを7時5分に出発する。昨日同様S7航空利用でロシアの国内線となる。2時間前の5時からチェックインが始まり、行列になる並ぶことになった。荷物を預ける場合、ウェブチェックインはあまり意味がないようだ。 -
機材はA320で機内は満席だ。サハリンとウラジオストクの人の往来は激しいようだ。ユジノサハリンスクまでは所要1時間半ほどで昨日同様サンドウィッチとドリンクのサービスがあった。
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ユジノサハリンスクに着陸体制に入った。
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ユジノサハリンスクはモスクワからの直行便もあり、比較的大きな機材が使われている。
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サハリンはウラジオストクより1時間早く、日本より2時間早くなる。モスクワからの便と到着が重なり荷物受取場は大混雑していた。
近いのに遠かったかつての日本領樺太(サハリン)。今まで満州、台湾、南洋(パラオ)、朝鮮など旧日本統治エリアを一通り旅してきたが旧樺太庁に入るのがずいぶん遅くなってしまった。その最大の理由が独立した国・地域ではなかったこと。そして渡航が面倒なロシアの一部でかなりの僻地だったことが理由だろうか。なので日本から近いのにわざわざ訪問しようという気がなかなか起きなかった。でも今回ロシアを自由に旅行できることになったので足を伸ばしてみることにしたのだ。 -
到着客用のターミナルを出た。
天気は快晴。ぽかぽか陽気で湿度は低いのでさわやかな気候だ。日本最北端の稚内より遙か北まで来たのが信じられない気分になる。
空港から63番のバスで市内へと向かった。駅まで行かず少し手前でバスを降りて予約してある宿へと向かった。住所がわからず少し迷ってしまったが、持ち前のカンで何とかたどり着くことができた。 -
宿泊先は「ライクホステル」という宿で1泊650ルーブル(1000円)だ。ユジノサハリンスクで最安値の宿だろう。
この建物に入っている。 -
入り口もわかりづらい。この建物の3階に入っているようだ。
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中心部から離れ、住宅街にあるアパートを利用したドミトリーなので旧共産圏に多いプライベートホームといった感じの雰囲気だ。
欠点はシャワーの数が少ないことだろうか。宿の人は英語はわからないが、ちゃんと宿の設備を説明してくれた。
眠たいがあまりゆっくりしていられない。歩いて街の拠点になるユジノサハリンスク駅へ向かった。ロシア辺境の地だが行き交う人は多く、案外、活気がある。車も多く街はカラフルで広い歩道が整備され歩いているだけで楽しい雰囲気だ。行き交う車は高級車も多く確実にサハリンも発展していると感じる。日本から輸出された中古車はウラジオストクほど多い印象はない。 -
政府機関の巨大な建物。
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メインストリートを西へ1キロほど歩いてユジノサハリンスク駅へ向かった。
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町中で見かける銀行の両替レートは日本円も主要通貨の仲間入りしている。
でも日本円のレートはあまり良くないようだ。 -
駅前のバスターミナルからコルサコフ行きのバスが出ているので乗り込んだ。コルサコフはかつて大泊と呼ばれた樺太の玄関口だった港町だ。戦前は稚内から鉄道連絡船で結ばれていた。最近も稚内からの航路が復活していたのだが採算が取れず数年前に運休になってしまった。もう運航再開は期待できないようなので残念だ。サハリンへはロシア本土からの航路はあるが、日本からは空路のみでしかアクセスできなくなってしまった。
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コルサコフまでは黄色い菜の花畑がきれいな車窓を眺めながら約1時間。
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鉄道に平行して道路が続く。鉄道は最近ユジノサハリンスクからコルサコフまで運行が再開されたことを後で知った。
レーニン像が建つ広場やソ連式の新市街を通り過ぎ、桟橋近くの市場に到着した。 -
市場の近くの「スタローヴァヤ」というセルフ式のカフェテリアで昼食を食べることにした。
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ロシア料理を食べたいと思い、ボルシチを注文。レバーの煮込みをご飯にかけてもらった。かなりのボリュームだったが値段は400円弱と高くない。
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コルサコフでは日本時代の名残を探しつつ、街を散策してみた。煙突は旧王子製紙の工場。
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工場への引き込み線の鉄橋跡。
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拓銀の大泊支店だった建物。今は廃墟になっている。
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木造の古い家屋が残っている。
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港湾施設と港を一望できる高台に上がってみた。日本時代に建設された大桟橋だ。
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その後新市街のレーニン広場へ行ってもいた。
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歴史郷土博物館に行ってみた。
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コルサコフ(大泊)の日本時代の写真など資料は豊富だ。
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こちらも日本時代の写真。今より家屋は密集している。
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鐘や仏像なども保存されている。
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そして当時の地図。
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蓄音機やランプも展示されていた。レーニンの肖像がなぜか置かれている。
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ヒグマやキタキツネの剥製なども
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案内してくれた博物館の管理人のおばさん。
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博物館周辺はソ連風の無機質な共同住宅が多いがそんな中意外なものが残っている。
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それは神社への階段だ。旧亜庭神社だった場所へ上がる石段だ。
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しかし神社は今は跡形もなく、石段を登り切ったところは残念ながらグラウンドになっていた。
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新市街の南側には「稚内公園」というのがある。
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白樺に包まれた市民の憩いの場になっている。
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最後に街の中心部から少し離れたコルサコフ駅を見に行ってみた。待ちの南の港湾地区に線路があり、西に向かって一キロほど歩くことになる。
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最近ユジノサハリンスクとコルサコフの間に鉄道運行が再開されたので町に近い線路沿いには新たに駅が設置されていた。この仮設駅が事実上のコルサコフの玄関口になっているようだ。本数は朝夕にのみ一日四本しかない。
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かつての大泊駅だったコルサコフ駅へ歩いて向かう。
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コルサコフの駅舎は建て替えられ日本時代を忍ばせるものはない。
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駅周辺は殺風景で廃材置き場などあり寂しい限りだ。
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駅構内には客車が放置されていた。
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バスでユジノサハリンスクへ戻った。
ジノサハリンスクに戻ったら6時を過ぎてしまった。
ユジノサハリンスク駅はソ連時代に建て替えられ、面白みはない。ロシアの駅舎には必ず二つの時間が表示されていている。表示されているのは現地時間とモスクワ時間だ。
列車の時刻表はサハリンのような独立した鉄道網を持つ地域でもモスクワ時間で表示されている。なので切符を買うときは注意が必要だ。
バスや飛行機の時刻表は現地時間で表示されている。 -
広々としたユジノサハリンスクの駅前。
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夕食はカフェテリアで済ませることにした。
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日本時代の建物がメインストリートに残っている。豊原町役場だった建物。
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こちらは北海道拓殖銀行豊原支店だった建物。現在はサハリン州立博物館になっている。
ホステルは夜になって宿泊客が増えてきた。ほぼ満員だ。
【6月30日(木)】
今日はかつて真岡と呼ばれたホルムスクへ向かうことにした。ホルムスクでは日本時代の建物はまったく残っていないようだ。しかしロシア本土とを結ぶ交通の要衝でサハリン第2の都市ということもあり、訪問してみる価値はあると思った。ホルムスクへは7時15分発のバスを昨日予約してある。
6時半に宿を出発して歩いて駅横のバス乗り場へ向かった。 -
駅前のレーニン広場のレーニン像。
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ユジノサハリンスク駅。
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バスターミナルの横にある売店で朝食をとることにした。
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ソーセージロールとコーヒー。90ルーブル(150円)。
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ホルムスクへ向かうバスは乗客が少ないからかマルシュルートカ(乗り合いワゴン車)だった。
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ユジノサハリンスクは快晴だがホルムスクへ向かう途中の峠は霧に覆われ視界が悪くなってきた。でも雨雲はなさそうだ。
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ホルムスクに到着したがすっきりしない天気で肌寒い。半袖短パンで来たのは失敗だった。風が服と寒くて仕方ない。現地の人はみんなジャケットを着ている。時間とともに暖かくなることを期待したいが晴れる気配はない。歩いていると暖かくなるだろう。
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かつて「マオカ」だったという案内と碑。
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港の方へ行ってみることにした。
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ホルムスクの桟橋にはちょうどロシアからの鉄道連絡船が入港しているところだった。
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貨車の積み卸し作業は見ることはできなかったが、列車を積み込むため甲板が口を空いている光景は見応えがある。
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ホルムスク駅は完全に駅舎が取り壊され跡形もない。
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ここでも王子製紙の工場が残る。
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ホルムスクは平らな場所がなく、海沿いに細長く開けた街だ。
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レーニン広場は高台にあり、周辺にはショッピングセンターや官庁の建物がある。
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ホルムスクからどこかへ向かう列車。車両は富士重工製のディーゼルカーだ。
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海岸沿いに続くメインストリートとされるソヴィエツカヤ通りを散策。
古い家屋が残るが日本時代のものではないようだ。ホルムスクでは日本時代のものを探すのは難しい。 -
港に接岸されたロシア本土とを結ぶ鉄道連絡船。
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11時のバスでユジノサハリンスクへ戻ることにした。ホルムスクのバスターミナル。
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出発10分前に切符を買おうとしたら一番後ろの席になってしまった。ぎりぎり席を確保できたようだ。危うく立ったまま2時間バスに乗る羽目になるところだった。ホルムスクとユジノサハリンスクの間は人の行き来が多い割にバスの本数が少ない。
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ホルムスクから1時間半。午後1時前にユジノサハリンスクに戻ってきた。ホルムスクとは違い快晴でぽかぽか陽気だ。
駅前にはD51が静態保存されている。 -
その横に鉄道博物館があるので入ってみた。
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新旧のユジノサハリンスク(豊原)駅舎の写真。
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ユジノサハリンスクとホルムスクとの間は険しい峠を越えるのでループ上の路線が敷かれていた。
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豊原時代の町の中心の地図。
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管理人のおじさん。ちなみに博物館は入場無料だ。
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鉄道博物館から少し離れた場所に屋外の車両展示場がある。入り口がわからなかったが工事の人が柵の南京錠を開けてくれた。
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ラッセル車などが展示されている。
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サハリン用の小型のロシア製機関車。
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ラッセル車の向こうに色は変だが見慣れた車両がある。
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1993年に日本から寄贈されたというキハ58気動車。
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車内には入れず、のぞき込むと車内の座席は再利用されるのか、すべて取り払われていた。
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昼食はメトロカフェというカフェテリアでボルシチとビーフストロガノフを食べてみた。入り口には旧ソ連諸国で見られるメトロの入り口のロゴが掲げられている。
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店内は地下にあるというくらいで地下鉄のポスターが張ってある程度だ。それ以上の演出はない。でも食事はおいしかった。
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その後日本時代から残る建物を利用した郷土博物館の見学にも向かった。1937年に建てられ日本時代は「樺太庁博物館」の建物だった。
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扉には菊の紋章が残る。
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アイヌ関連の展示物。
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これもアイヌ関連。
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間宮林蔵関連
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あとは自然のブース
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その後ガガーリン公園に行ってみた。
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ユジノサハリンスクの憩いの場になっている。
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ここはカリフォルニアかと思う雰囲気だ。
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ここで日本語を勉強しているという女の子に知り合った。ナスチャ(真ん中の子)と名乗る子はまだ始めたばかりで片言の日本語だが、意思の疎通が取れて少しホッとした。日本とロシアの友好のためにがんばって勉強してほしい。
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8時に宿へ戻ったらちょうど水が復旧した。夕食は近くの中華料理屋へ行ってみた。だがチャーハンを頼んだのに量が少なくいまいちだ。値段もカフェテリアのロシア料理と比較すると割高感がある。ホステルの近くには外食するところがない。それが難点だ。
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【7月1日(金)】
宿の交差点の近くから空港行きのバスに乗り込んだのは7時半頃。
空港までは63番のバスで20分ほどだ。 -
空港に到着。
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狭い空港内はチェックインの人であふれかえっている。ほとんどはノヴォシビルスクへ向かう乗客だ。
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これから向かうノヴォシビルスクには大学があり、サハリンの人にとっては一番身近な大都会なのかもしれない。利用するのはS7航空で値段も高くない。ちなみにノヴォシビルスクまで38000円だ。
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機内食に中途半端なホットミールが出された。
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ユジノサハリンスクを出て6時間。ノヴォシビルスクの町並みを見下ろしながら着陸態勢に入った。オビ川に広がる大都会だ。
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10時半にノボシビルスクに着陸した。
ノヴォシビルスクはシベリアの新しい街という意味を持つ。シベリアの西の端に位置しでユジノサハリンスクから所要6時間弱。サハリンとの時差は5時間。シベリアを一気に空路で横断したことになるがここからモスクワはまだまだ遠い。ロシアの広さを思い知らされる。でも飛行機を使えばあっという間で時間短縮ができるのは助かる。
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