1989/11/04 - 1989/11/08
79位(同エリア1799件中)
ほいみさん
表紙の写真は「ネムルトダー」
この時トルコに行ったのは、これを見るのが一番の目的。
当時、写真集を見て興味を持つまで、その存在を全く知らなかった。
私が訪れた直前、世界遺産に認定された。
- 旅行の満足度
- 4.0
-
ロンドンからカルカッタまで陸路で行く・・・っていう当時流行った旅。
イスタンブールからイラン国境までは、どうやってもデカいトルコを横断するしかない。私はアンカラ→カッパドキア→エルズルム→ドゥバヤジットのバス旅を選んだ。
カッパドキアは、こんな写真しか残ってない。 -
カッパドキア見学には、当時の私にとっては高過ぎる現地ツアーに入るしかなかったが、そんな?ことに金を使うなら美味しいもの食べたい…という育ち盛りだった。
今思うと、どうやって見学したのかなぁ? -
で、どうやって見学したのか、ちょっとだけ写真が残ってた。
どうしたことか、岩をくり抜いて作った家にも招待されてる様だ。 -
子供が持ってるのは、平たいパンみたいなもの。
ご飯食べてけば~・・とか泊まってけば~・・・って言われたけど、急ぎ旅?だったので断ってしまった。
これも今になって思えば、民泊のお誘いだったのかもね。
ここまでは1977年の話。 -
で、今回の旅に戻る・・・っていっても1989年と十分に古いのだが。
多分「ユルギップ」に泊まったと思う。
写真は初体験、ターキシュッシュバス。
風呂はやっぱ日本が一番! -
今回はいくら高くても、カッパドキア周遊ツアーに参加するぞ!
それくらいの金はある! と思ったら、客があんたしかいないから催行出来ません。うちのスタッフがクルマで周って上げるからどう? そりゃぁ高いけどさ!
なんてったって、この時は社会人。
そ、それくらいの金はあるさぁ! -
で、若いスタッフとふたりで周遊。
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1977年に初めて来た時には、あまりに不思議な眺めだったので、帰国後、本屋なんかでカッパドキアの写真はよく見た。
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で、楽しみにして再び来たのだが「あ~写真で見たことがある」「そのまんまじゃん」
な~んて、最初は感心してたんだけど、なんか今イチ感激が無い。 -
もしかして、こういうのって実際に現場に来るまでに、いろいろ調べちゃいけないのかな・・・と思った。
その思いは今でも続いてる。 -
それにしても、カッパドキアは広い。
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こんな天井も
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地下都市と、ちょっと腹が出たドラーバー兼ガイド・・・名前は忘れた。
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で、これって最初に住んじゃった人のものになるのかなぁ?
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暗くなる頃、街に戻った。
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夕飯、奢ってやったさ。
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この旅では平均して、こんなホテルに泊まってた・・・1000円が基準?
何処へ行くにも、最低でも夏用の寝袋は持つ。
寝袋を持つか持たないかで、旅のスタイルが変わると思う。
2000年頃からは優雅な旅をしているが、なぜか寝袋必須(しかも冬用)なのが不思議。
昨年は4回・4ヵ国に行ったが、寝袋が要らなかったのはバングラディッシュだけだった。 -
トルコに行った最大目的は、ネムルトダーへ行くこと。
当時はまだあまり有名ではなく、しかも凄い山の中なので「どうやって行くの?」状態。今ならネットで検索すれば、手取り足取り教えてもらえるのにね。
で、とりあえずは最寄りの町、アディヤマンに向かう。 -
アディアやマンでバスを乗り換え、キャハタへ。
いろいろ聞いた結果、ネムルトダーへの公共交通機関は無い…とのこと、想像はしてたけど。
これが不思議なことに、この親父らが○○ホテルで聞いてみな・・・という。
で、行ってみたら、明日、6人のオーストラリア人グループが、クルマをチャーターしてネムルトダーに行くから、それに混ぜてくれるように交渉して上げる・・・だと。
ラッキー! と言っていいのだろうか?? -
なんだか簡単に解決してしまったぞ。
でも、英語国人グループの中に1人は疲れるなぁ。
朝8時に出発。 -
途中、小さな村で早めの昼ご飯。
外国人キタ~・・・みたいな。 -
と、オーストラリア人たちが、子羊〆るから、見ろよ日本人!
え~・・昼間っから羊殺して食うのか、って思ったら、たまたまこの家の人が他の用で〆てたらしい。
しかし、さすが肉食人種!
じ~っと観察しながら「俺っちはここにナイフ刺すぜ」とか「もっとちゃんと血を抜けよ」なんって言ってる。 -
で、ここで焼肉出されても、そうは食えね~ぞ・・・ワイン無いし。
なんて心配してたら、超質素なランチだった。 -
この家のオヤジがキツネ?持って来て「買ってよ」だってさ。
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ネムルート山が見えた。
円錐部分は人工的に造ったって話だけど・・・ほんと? -
ネムルトダーは不思議な遺跡で、私が知る限り、他のどこの遺跡とも違う。特に後ろにそびえる人工の山が不思議。
書くと長いので、興味のある方は検索してみてね・・・行きたくなるよ。 -
これね
wikipediaによれば
山頂部は小石が積み上げられているが、この小石は像を作った際に出た石材の破片を再利用したと見られている。
ネムルト山の山頂部分にアンティオコス1世の墓があり、玄室も存在するという説は現在も考古学界に支持されているが、小石を人工的に積み上げて造られているため、崩落の危険性が非常に高く、発掘後の復元の可能性が低いことから、発掘調査ができないという結論に達している。玄室自体も小石を積み上げて造られていると推定されており、盗掘防止のための措置と見られている。このような建造技術は現代には伝わっていないため、復元は不可能という意見が大半を占める(それ以前に、崩落の危険性から発掘ができないとされる)。 -
大きな頭部がゴロンとしてるのも、十分に不思議だけどね。
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この旅で訪れた直前に世界遺産に認定された。
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大きさはこんな感じ
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今ならスマホだね。
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トルコからシリアに抜けるには、ガジアンテップから国境を越えてシリアのアレッポに向かうのが一般的。
陸路で国境を超えるとき、特に途上国?ではマイナーな国境だと、交通の便が悪かったり、手続きにやたら時間が掛かったりするから、限られた時間内に確実に旅の予定をこなすなら、メジャーな国境を選んだ方がいい。 -
で、今回はちょっとマイナーなルートを選んでみた。
国境へ向かう交通機関を聞く。
2時間で、ウルファの町、そこから1時間で国境のアクチャカレ(たぶん)という小さな町に着いた。
この町は国境に接していて、町外れに国境事務所があり、ここで出国審査を受ける。トラブルを避けるために、暫くはカメラをバッグにしまっておく。
出国スタンプを押して貰ったら、国境の中立地帯を500mくらい歩く。この間、絶対に写真を撮るな・・・って脅される。正直に従ったので、この間の写真はない。今なら撮っちゃうけどね。 -
ところで、トルコ料理店は厨房に入って、目で確かめて注文出来るからいいよね
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シリアへの入国検査は「優しいが」厳しかった・・・なぜか血まで採られたぞ!
1時間以上掛かって、シリア側の国境の町へ。
なかなか興味深そうな村だったので、見学したかったのだが、乗り合いタクシーが客を集めていた。ラッカに行くという、この次は夕方までないだろう・・・と焦らせる。
いやいや、アレッポに行きたいんだけど、と聞くとそれは明日の朝にあるかもしれない。とりあえずラッカに行け・・・う~ん、ラッカって何処? ってまま乗ってしまった。 -
国境の村は凄く小さかったんだけど、そこから出たら延々と人の気配が無いところを走る。
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羊はやたらいたけどね
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秘境っぽい?
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またキタ~
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避けない
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町が見えて来た。
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ラッカに着いたぞ~
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で、地図でラッカを調べたら、行こうと思ってた「アレッポ」とぜんぜん方向違いじゃんね。
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まぁ、アレッポには行きたかったけど、特に用があった分けじゃないからいいけどね。
で、明日はどっちへ行こうか?? -
おじちゃん、靴磨かない?
残念、スニーカーなんだよね。
というわけで、シリアに入りました。
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この旅行記へのコメント (8)
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- フィーコさん 2021/05/11 23:45:31
- ネムルトダー
- ほいみさん こんばんは。
ネムルトダーへ行かれたのですか。
それも1989年に!すごいなぁ。
私も行きたかったのですが、日本から10年前位に出ていたツアー(私が見かけただけですけど)高いわ設定日が少ないわで行けませんでした。日程も長かったので休みが取れなかったのもあります。
頭がゴロンゴロン見てみたい。
フィーコ
- ほいみさん からの返信 2021/05/12 11:14:03
- RE: ネムルトダー
- お早うございます。
当時は今みたいにネットでいろいろ検索ってことが無かったので、本屋で立ち読みして「なんだこれ? これって何処だ?」 どうやって行くんだろう。とりあえずは最寄りの町まで行ってみよう…みたいな感覚でした。で、ネムルトダーに行ったのでシリアにも変なところから入っちゃうとか。
> 頭がゴロンゴロン見てみたい。
ンゴロンゴ…って読んじゃいました。
当時は見学者も我々だけだったんだけど、今はどんなになってるのかなぁ・・・なんてったって世界資産!
ほいみ
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- トゥーバーズさん 2020/06/26 09:56:23
- なつかしかったです
- はじめまして。ほいみさま
(何回かいいねをいただいたりさせていただいたりはしております)
おそらくこの数年後、私もトルコにいきました。直行便ができるかできないかくらいなので、たぶん90~91年頃の話ではないかと思いますが…
半年くらいかけてバックパックでイスタンブールから左回りにずーっと回っていきました。私はガジアンテップまではいきましたが、アレッポまではいかずでした。
シリア付近は、街の雰囲気や建物の屋根の形などがだんだん変わっていって、興味深かった気がします。
国境付近の夜行バスで、夜中に検問に会い、眠かったので思いっきり非協力な態度をしたら、バスから引きずりだされて銃つきつけられて、ホールドアップされたまま荷物検査されたり、いやはや、色々あったなあと懐かしく思い出しました。
ほいみさまのお写真にある羊の風景や、ロカンタシーの雰囲気、街角のチャイしてるおじさんたちの様子は、まさに当時の雰囲気そのままで、とても懐かしかったです。
では。
- ほいみさん からの返信 2020/06/26 12:33:50
- RE: なつかしかったです
- 初めまして。
トルコに半年?って、かなりの思い入れですね。
私は90・91年は海外旅行自粛の年で、ニュージーランドに行ったくらいかなぁ。93・94年にはヨーロッパに行きました。
トルコは好きな国のひとつで、行ってないところがたくさんあるので、この後も行くことがあると思っていたのですが、それっきりになっちゃいました。黒海沿いの町にも行ってみたかったのですが。
ああいう?国の国境付近は何かと物騒かな。
シリアは社会主義で、けっこう閉鎖的だったりしたし。
この後、流れ的に?ヨルダンに向かったのですが、当時はな〜んと陸路の国境は閉鎖中とか。あの辺りは、いろんなことがあるから事前調査が必要だったのかも。
kの旅はもうしばらく続きます・・・見てやって下さい。
ほいみ
-
- アルカロイド ダリルさん 2020/06/26 01:06:39
- ロード オブザ リングの世界?
さすがは、ほいみさん!
なんか、すごい所へ行っていますね? ロード オブザ リングの撮影地みたいな? ネムルトダーって、今でもマイナーなんですね? 知らんかったわ~トルコって広いですね?
もろ、インスタ映え~な山じゃないですか? モアイみたいに首がゴロゴロで、映画の撮影地みたいな匂いが、ハンパないじゃないですか? なんで、人工の山をてっぺんに築いたのでしょうか? 不思議?
お灸の練習のため、円錐形を見ると、つい火を付けたくなるダリル
- ほいみさん からの返信 2020/06/26 09:04:28
- Re: ロード オブザ リングの世界?
- おはようございます。
ネムルトダー、今では最寄りの町からのツアーもあるし、現地にはお土産物屋さんもあるようです。私が行ったときは、遺跡以外何もなく、どこでも入り放題・触り放題で、山にも登ってみようかと挑戦したけどガラガラで危険でした。
本文中にも追加しておきましたが、この遺跡の特殊性の一部をwikiからコピペしておきました。念のため?ここにも貼っときますね。読んだら行きたくなると思います。
山頂部は小石が積み上げられているが、この小石は像を作った際に出た石材の破片を再利用したと見られている。 ネムルト山の山頂部分にアンティオコス1世の墓があり、玄室も存在するという説は現在も考古学界に支持されているが、小石を人工的に積み上げて造られているため、崩落の危険性が非常に高く、発掘後の復元の可能性が低いことから、発掘調査ができないという結論に達している。
玄室自体も小石を積み上げて造られていると推定されており、盗掘防止のための措置と見られている。このような建造技術は現代には伝わっていないため、復元は不可能という意見が大半を占める(それ以前に、崩落の危険性から発掘ができないとされる)・・・ wikiより。
-
- 猫大好きさん 2020/06/25 22:18:16
- シリア、ラッカ、アレッポ~
- コロナ禍が終わっても絶対に行けないところ!
ほいみ青年すごかったのね~
ネムルトダー?初めて見ました
ネムルノダと言う薬は知ってるけどネ
中東の人ってヒゲとターバンで怖そうに見えるけど
お家にご招待とか 見かけによらない?
ほいみさんは人に好かれると言うことは
先入観にとらわれないからなんでしょうか。。。
- ほいみさん からの返信 2020/06/25 23:27:38
- RE: シリア、ラッカ、アレッポ?
- 今晩は。
この頃は36歳くらいだから「青年」じゃないかも。まぁ、青年団には入れそうですが。
ネムルトダーは、今でもマイナーな部類かなぁ。
トルコのメジャーコースからは微妙に外れてるかも。
イスラムの男どもは、見た目はなんですが誠実だと思います。グロバルナ今はどうか知らないけどね。お茶飲む?戸言われれば絶対に断らない、ご飯食べると言われれば遠慮しないし、当時はスマホ無いから、現地人に聞かなきゃ始まんないしね。
この旅は、帰りの飛行機はオープン、特にコースも決めない寝袋旅ということで、最後のバックパッカー旅だったのかなぁ・・・と今になって懐かしいです。
ほいみ
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