2020/03/01 - 2020/03/02
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この旅行記のスケジュール
2020/03/01
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バスでの移動
15:45 クスコからバスでオリャンタイタンボへ向かう
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16:30 チンチェーロという村で土産店に寄り、伝統的染色の実演を見る
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電車での移動
19:04 オリャンタイタンボからペルーレイルでマチュピチュへ
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20:45 マチュピチュ村着
2020/03/02
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12:00 ホテルでランチ
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電車での移動
14:55 ペルーレイルでオリャンタイタンボへ
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【この旅行記の概要】
3/1(日)
15:45 クスコからバスでオリャンタイタンボへ向かう
16:30 チンチェーロという村で染色の実演をする店に立ち寄る
18:00 オリャンタイタンボ着
19:05 ペルーレイルでオリャンタイタンボからマチュピチュ村へ
20:45 マチュピチュ村着 〈ホテル エル・マピ泊〉
3/2(月)
06:00 マチュピチュ村散策
07:45 ホテル出発し、シャトルバスでマチュピチュ遺跡へ
08:25~11:20 マチュピチュ遺跡観光
12:00 ホテルでランチ
14:55 ペルーレイルでオリャンタイタンボへ
【全旅程】
・2/28(金)
自宅出発、成田に前泊 〈ラディソン成田 泊〉
・2/29(土)
成田から空路、ロサンゼルス乗り継ぎでリマへ 〈ホリデイ・イン エアポート 泊〉
・3/1(日)
リマから空路、クスコへ〔クスコ市内観光〕
バスでオリャンタイタンボへ 列車でマチュピチュへ 〈エル・マピ 泊〉
・3/2(月)
バスでマチュピチュ遺跡へ〔マチュピチュ遺跡観光〕
バス、列車を乗り継いで、クスコへ 〈シマ クスコ ホテル 泊〉
・3/3(火)
クスコからララヤ峠を経てブーノへ 〈リベルタドール ラーゴ チチカカ 泊〉
・3/4(水)
チチカカ湖クルーズ〔ウロス島観光〕
バスで国境の町デサグアデロを経てラ パスへ
ラ パスから空路、ウユニへ 着後4WDでホテルへ 〈クリスタルサマニャ 泊〉
・3/5(木)
〔ウユニ塩湖観光〕 〈クリスタルサマニャ 泊〉
・3/6(金)
〔ウユニ観光〕空路ラパスへ〔ラパス市内観光〕 〈エウロパ 泊〉
・3/7(土)ラパスから空路、クスコ乗り継ぎリマへ
ショッピング、夕食後空港へ
・3/8(日)
リマから空路、ロサンゼルスで乗り継ぎ成田へ
・3/9(月)
成田空港着
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
PR
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13:40 バスでクスコを出発。
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途中のチンチェーロ村で織物やセーター等を売る土産店に寄った。
伝統的な染色の工程を実演して見せてくれ、美味しいコカ茶も振る舞ってくれた。
レストランで出されたものと違い、緑茶の様な色で味も良かった。 -
アンデスの伝統的な染め物の実演。
最初に、植物の根を摺って洗剤を作り、毛糸をもみ洗いする。。 -
インカ帝国の時代から、伝統的な織物は、色鮮やかな美しい色が使われていた。
赤い色の染料はCochinilla (コチニーヤ)という ウチワサボテンに付く虫から作る。
ウチワサボテンに付く虫を潰すと手が真っ赤になる。 -
毛糸が見事に赤く染まった。
あまり買いたいものもなかったが、ドル紙幣用の小型の財布を購入した(7ドル)。
美味しいお茶も頂いたし、観光客が購入する土産物は村人にとって貴重な現金収入になるだろうから、少しは貢献しないとね。 -
再びバスに乗り、50kmほど離れたオリャンタイタンボへ向かう。
車窓から見えたここは、展望所かな? -
ウルバンバ川によって形成された地域を通って行く。
チチカカ湖が発祥のインカ文明は、ウルバンバ谷の肥沃な土地を利用することで、南米大陸の広大な地域を支配する力を得た。
それ故、インカ帝国にとっての「聖なる谷」と呼ばれる。 -
アンデス山脈を源流とするウルバンバ川はマチュピチュを通り、アマゾンの大河に合流する。
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レンガ造りの簡素な建物が見えるくらいで、途中に大きな村などは見られない。
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ウルバンバ川が形成した渓谷沿いにはいくつものインカ遺跡が点在する。
標識に「MARAS」や「MORAY」の文字と遺跡のマークが見える。
段々畑状の塩田跡「マラス塩田」や、すり鉢状の段々畑の「モライ遺跡」が有名。 -
「聖なる谷 」からは素晴らしいアンデス山脈の景色を見ることができる。
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ウルバンバの村かな。
人も三輪自動車も多い。 -
ウルバンバの谷の真ん中に位置するオリャンタイタンボに到着。
山の崖のような所に石の倉庫のような遺跡が見えた。
オリャンタイタンボにも巨石を並べたインカ遺跡があるらしい。 -
オリャンタイタンボの広場でバスを降り、駅へ向かう。
レストランやカフェが並ぶ駅前通り。 -
オリャンタイタンボ駅。
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駅の中にあるEL ALBERGUEというホテル。
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私達が乗車する客車は、屋根に窓があるビスタドーム号。
列車に持ち込める荷物に制限がある為、2日分の荷物をリュックに入れ、スーツケースはクスコに置いてきた。 -
発車まで時間が有ったので、ペルーレイルの先頭車両を見に行く。
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18:45 ペルーレイルでマチュピチュ村へ向かう。
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列車内。
シートがゆったりとしていて、なかなか快適だった。
座席指定で、窓側に座れなかったので、外の景色は見れず。
もっとも、すぐに暗くなってしまったが。 -
21:00 マチュピチュ駅に到着。
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駅前広場のオブジェか?
ベンチの背もたれがマチュピチュ遺跡の絵柄となっていた。 -
坂を上ってホテルへ(振り返って駅方向を写す)。
-
宿泊するホテル「エル・マピ」。
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チェックイン前にホテルのレストランで生演奏を聞きながら夕食。
飲み物はビール(6ドル)を注文。 -
ホテルにチェックイン。
シンプルで清潔な部屋にダブルベッド。
ベッドの上にはルイ・パスツールの「何かに驚かされることは、発見に向けた心の最初のステップ」とフランス語で表示されていた。
電気パネルヒーターが有って部屋は暖かかった。 -
バスタブは無く、固定式のシャワーのみ。
部屋の壁だけでなく、シャワーカーテンや鏡などに様々なメッセージがあった。
鏡の表示は邪魔だな。 -
冷蔵庫があるのは嬉しい。
冷たい水が飲める。 -
3/2(月)
ここのホテルも朝食は4時から。
5:30にホテルレストランで朝食。
野菜や果物が多くて良かった。 -
6:00 朝食時は雨が降っていたが、止んだので、ホテルを出る。
木の枝で囲われたホテル「 エル・マピ」。 -
朝のマチュピチュ村を散策。
-
バーベキュー店の前にカエルのゴミ箱。
ちゃんと分別収集されている。 -
村の奥に天然温泉「Banos Termales」があった。
ここから先に行くには、チケットが必要。
プール式の温泉で水着着用だが、正真正銘の硫黄の温泉。
ただし、お湯の温度は31度~38度でとてもぬるいらしい。 -
マチュピチュ村には石の彫刻がたくさん見られた。
-
大きな石を切ってしまうのではなく、石を避けるように建てられた建物。
-
マチュピチュとその建設を命じたインカ皇帝パチャクティかな?
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アグアス・カリエンテス川沿いの遊歩道にも様々な彫刻や彫像が見られる。
-
インカ神話によるクスコの初代国王MANCO CAPAC像。
-
民芸品市場の入り口にパチャクティの息子トゥパック・ユパンキの小さな像。
市場はまだ開いていない。 -
ここにもパチャクティの息子トゥパック・ユパンキの像。
山の方は雲が垂れ込めている。 -
マチュピチュ村は、人口約6000人の小さな村。
温泉があるからか、現地語ではアグアス・カリエンテス(お湯)と呼ばれる。
山の中の渓流沿いにホテルが建ち並び、どこか日本の温泉街のような雰囲気。
この村の初代村長は日本人でマチュピチュ村の開発や整備に尽力したのだという。 -
マチュピチュ駅まで歩いてきた。
周囲の山はガスっていてよく見えない。 -
駅近くの歩道上に立つインカ皇帝のポール。
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マチュピチュ駅。
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インカ皇帝とインカ時代の信仰の中で最も大事にされたコンドル、ピューマ、ヘビの像。
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カラフルな「MACHUPICCHU」の看板。
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こんな川の中の石にも彫刻。
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土産店などが並ぶインカ・パチャクティ通り。
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マッサージ店も多く、カタカナの看板も目立つ。
マチュピチュ遺跡を観光して筋肉痛になる日本人が多いのか(笑)。 -
ホテルに戻る。
バーやレストラン、ロビーは通りに面しているが、客室はその通りから離れた場所に位置しているので、とても静かだった。 -
7:45にホテルを出て、シャトルバス(往復24ドル)でマチュピチュ遺跡へ。
マチュピチュ村からマチュピチュ遺跡までを結ぶ「ハイラム・ビンガム・ロード」と呼ばれる山道を行く。
マチュピチュ遺跡の発見者ハイラム・ビンガムの名前にちなんでつけられた。
しかし、ビンガムより10年ほど前に、ペルー人農夫により発見されており、ベンガム自身もこれを認めている。 -
ウルバンバ川に架かる橋を渡り、ここから九十九折の山道を上っていく。
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未舗装の道路は状態も悪く、バスはかなり揺れた。
乗り物酔いする人にとっては厳しかったようだ。 -
下を流れるウルバンバ川が霧の間から見える。
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マチュピチュ遺跡は標高2400mにあり、麓の村からは約400mの標高差がある。
-
遺跡入り口に到着。
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インカの人々と同じ経験をしたい、山登りが大好きという人は麓から歩いて登ることも可能なようだ。
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遺跡入り口にある唯一のホテル、ベルモント・サンクチュアリ・ロッジ。
1泊3食付きで10万円以上と私には縁の無い高級ホテル。 -
遺跡内にはトイレが無いので、観光前に有料トイレ(2ソレス)に行くおばさん達。
荷物預り所(5ソレス)もある。 -
遺跡入口。
マチュピチュ遺跡の入場チケットは8:00入場で12:00までと時間指定。
8:25に入場し、約3時間の短い観光だった。
添乗員から渡された入場券には152ソレス(約5000円)と記されていた。 -
入り口近くにいくつかのプレートがあった。
左上に、「マチュピチュ 1450年ー1540年」、中央上に「1911年マチュピチュ発見者ハイラム・ビンガム」その下に「2011年発見から100週年」のプレート。
マチュピチュは1450年頃、インカ皇帝バチャクティの時代に造られたが、1540年頃にはマチュピチュから忽然と人々が消えてしまう。
その後、400年近く人知れず長い眠りについていたが、1911年に発見された。 -
遺跡入り口から少し歩くと最初の建物が見えてくる。
-
長い石の階段があり、その先に霧に包まれた急峻な山が見える。
-
コルカと呼ばれる貯蔵庫が斜面に並ぶ。
-
屋根を葺いて復元されたコルカ。
手前から延びる石の並びは水路か。
雨の多いこの地域で、マチュピチュの保存状態が良いのは100本以上の水路が雨水を逃したからだという。 -
イチオシ
坂を上がると視界が開け、霧に囲まれたマチュピチュ遺跡が現れた。
マチュピチュは3061mのマチュピチュ山(ケチュア語で「老いた峰」)と2690mのワイナピチュ(同じく「若い峰」)を結ぶ尾根にある。
麓からその姿を見ることが出来ない為、「幻の天空都市」などと言われる。 -
斜面に整然と並んだ段々畑。
畑ではじゃがいもやとうもろこし、コカの葉などが生産され、コルカで保管された。 -
上から段々畑を見下ろす。
急斜面の段々畑は、山崩れを防ぐ目的もあったという。 -
「太陽の門」へ続く石畳のインカ道。
-
リャマが目の前にいた。
マチュピチュ遺跡に生息する代表的な動物だが、チリの会社がCM 撮影用に連れてきたものが増えたのだという。
耳にタグが付いていて、管理されているようだ。 -
更に写真を撮ろうとしたら、そっぽを向いて、お尻を向けるリャマ。
「おーい、写真撮りたいから、こっち向いて」。 -
リャマは振り返ることなく、斜面を静かに去って行った。
-
かなりの高さがある段々畑の段差。
石、軽石、川砂、土の4層からなり、水はけを良くする工夫がなされている。
突き出た石は上の段に上がる階段か? -
霧が薄くなりワイナピチュ山が見えてきた。
「見張り小屋」とその手前の「儀式の石」が遠くに見える。 -
見張り小屋の近くから見るワイナピチュとマチュピチュ遺跡。
左下の西側の段々畑には、石の壁にニッチ(飾り棚)があり、太陽神への捧げ物が置かれた。 -
首を倒してじっと見ていると、ワイナピチュが人の横顔に見えるらしい。
まあ、見えないこともないが。 -
ワイナピチュの隣のウチュイワイナピチュも横にして見ると、インカで大切な動物とされたピューマの横顔に見えるとも。
-
広角レンズで撮ると、ワイナピチュとマチュピチュ遺跡全体が写る。
マチュピチュ遺跡を後ろからハグしてるようにも見える。 -
その風景の前で楽しそうにハグしている新婚カップル(笑)。
ウイルス感染の危険がある「濃厚接触」とはこういう状況を指すのではないか?
新コロナウイルスのニュースでは、ある程度の時間、会話をしたり、一緒に食事をしただけで感染者との「濃厚」接触と報道されるが、違和感を感じるのは私だけ? -
もう一組の新婚カップル。
まあ、新婚さんはご自由にどうぞ。 -
前日体調崩された碧さんも、今日は元気にマチュピチュ観光。
笑顔も衣装もいいねえー。 -
由香里さんも、笑顔で観光。
-
イチオシ
霧が晴れ、青空も見えてきた。
-
日当たりの良い東側に広がる段々畑(アンデネス)。
急斜面に段々畑を作るのも、ここで農作業するのも大変だっただろう。 -
マチュピチュ遺跡を見下ろす高台から石段を下って、市街への正門方向へ。
マチュピチュ遺跡は農耕区域と居住区域がはっきりと分けられている。 -
正門付近にいたリャマ。
まだ、子供かな?
まつげが長くぱっちりした目が特徴。
もともと標高の高い涼しい場所に生息するリャマにとって、マチュピチュは暑くて快適な場所では無いらしい。
確かに毛がフサフサして、見た目も暑苦しい。 -
マチュピチュ遺跡の正門。
-
ガイドに門からワイナピチュを入れた記念写真を撮ってもらう。
リュックにカメラバックと、ツアー客の中で一番荷物が多かった私。
写真はスマホだけという人が多く、荷物は軽そうだった。 -
正門近くの「カリャンカ(訪問者の休憩所)」。
-
振り返って、見張り小屋とマチュピチュ山を仰ぎ見る。
山頂付近にはまだ雲がある。 -
梯子に上って、点検作業か?
石が落ちてきたら危ないからな。 -
左側に三角形の石積みが並ぶ。
石工の「作業小屋」とされている。
右側は自然の岩をうまく利用した「大岩の壁」。 -
壁や建物の石は硬い花崗岩が使われ、それを更に硬いヘマタイトという石で加工したらしい。
石と石がピッタリと合うように、階段部分も石が段差に嵌まるように加工されている。 -
遺跡を広く見渡せる場所に出た。
左下方向に花崗岩を切り出す石切場。
左下の石のサークルは作業小屋があったとされる場所。
その先に「神聖な広場」、その右に緑が美しいメイン広場と居住区が広がる。 -
「神聖な広場」は「神官の館」「主神殿」「3つの窓の神殿」に囲まれている。
「神聖な広場」の先の階段を上がった所(左上)がマチュピチュ遺跡で最も高い場所。
ここにはインティワタナと呼ばれる日時計がある。
しかし、2019年5月30日から、新たな規制が設置され、遺跡保護の観点からマチュピチュ遺跡の「太陽の神殿」「コンドルの神殿」「インティワタナ」の3か所の入場時間制限が行われていて、行けなかった。
○ インティワタナ ⇒07:00~10:00
○ コンドルの神殿 ⇒10:00~13:00
○ 太陽の神殿 ⇒13:00~16:00 -
右下が、インカ王がマチュピチュを訪れた際に利用した「皇帝の部屋」。
マチュピチュは皇帝パチャクティの離宮として造られたという説が有力。 -
細い迷路のような所も多い。
私は同じツアーの人が写らないように、一番後ろを歩いていた。
ガイディングレシーバーからガイドが説明している声は聞こえるのだが、説明内容と見ている場所が異なるので全く頭に入ってこない。 -
ミラドール(展望所)からの眺め。
ここも、記念写真の定番ポイントらしい。 -
上から見た「太陽の神殿」(TEMPLO DEL SOL)。
クスコで見たコリカンチャの石積みと同じように曲線の石積み。
太陽の神殿内には大きな石があるのが見える。
太陽神殿には窓がふたつあり、正面に見える東の窓からは冬至の日の朝、太陽の光が入り、石を照らすように造られている。
「太陽の神殿」の右隣には「王女の宮殿」。 -
南側の窓からは夏至の日の朝、太陽の光が入り込む。
「太陽の神殿」の周囲は「王女の宮殿」の他「王の別荘」「16の水汲み場」など見どころが集まっている。 -
「太陽神殿」の左後方に見える山がプトゥクシ山。
左端に滑り台のような「聖なる石」が見える。 -
「太陽の神殿」の下部にはミイラを安置する墓だったと考えられている洞窟がある。
ハイラム・ビンガムは王家の墓だと考えたが、王家のものかどうかは不明。 -
アンデネス(段々畑)とコルカ(貯蔵庫)を先ほどと反対側から。
-
この大きな石は、ベッドかそれとも何かの儀式に使われたものだろうか?
-
写真を撮っていて、気づくと周りに誰もいないということもあった。
初めのうちは添乗員が最後尾を歩いて私を見守っていたが、暫くして見捨てられた(笑)。
ツアーの皆さんは、どこを曲がって行ったのだろう? -
「作業小屋」方向の石積みを仰ぎ見る。
-
「女王の宮殿」周辺かな?
迷路のように入り組んでいる。 -
壁から飛び出ている石の出っ張りは屋根を取り付ける為のもの。
丸太で屋根の骨組みを作り、イチュというイネ科の植物を使って屋根を葺いた。
復元された屋根を葺いた建物を見るとよく分かる。 -
屋根を葺いた“ワイラナ(準備室)。
その右隣に太陽の神殿がちょとだけ見えている。 -
正面左は裏から見た「太陽の神殿」の石積み。
神聖な場所には、同じ形の四角い表面が滑らかな石が使われた。
マチュピチュ遺跡で一番美しい石積みらしい。
「太陽の神殿」は午前中は入れず、「女王の宮殿」は最後尾を勝手に歩いていたので見逃したのかもしれない。 -
通路の反対側は「皇帝の部屋」。
皇帝パチャクティが利用したとされるが、証拠はない。
皇帝の部屋にしては上部の石積みが雑な気がするが。 -
「皇帝の部屋」の入り口近くに加工された巨大な石があった。
この出っ張りには、何か重いものか、貴重なものを掛けたのだろう。 -
「皇帝の部屋」にはCASA DEL INKA(インカの家)の案内板があった。
-
2箇所が円形に加工された石。
石臼のように見えるが、月や星の軌道を観測する天体観測の跡とも。 -
細い通路の先に当時としては画期的な水洗トイレが有ったが、立ち入り禁止だった。
-
「ビスカッチャ」がじっとこちらを見ていた。
アンデスウサギとも呼ばれるが、ハムスターと同じネズミの仲間。
食用にされ、結構美味いらしい。 -
広場の東側の庶民の居住区とワイナピチュ。
階段、ワイナピチュと天に上っていくように見える。 -
地下の基礎部分の石組みを見せる場所か。
建物の土台を地下深くまで掘り下げ、粉砕した石を敷いて水はけを良くする工夫がなされているのがよく分かる。 -
中央にテーブルのような石。
綺麗な壁の横にテーブルのような大きな石が置かれたり、壁に立て掛けられたりしてある。
「主祭壇」の隣に広がるこの場所は、何に使われたのだろう? -
メイン広場ではリャマがのんびりと過ごしている。
広場の奥の小さな段々畑では、農作物の品種改良の研究が行われていた。 -
ミニ植物園にはトケイソウの実が生っていた。
-
メイン広場の先に「3つの入り口の家」がある貴族の居住区が見える。
-
「未完成の神殿」の先にワイナピチュ。
「未完成の神殿」は建築途中で放棄され、土台の石積みのみ残る。 -
「主神殿」の向こうに見えるのが「インティワタナ(日時計)」のある高台。
右に見える石造りの壁が「3つの窓の神殿」なのだが、全体を撮っていない。
左奥に見えている小さな菱形の石は、南十字星を示していると言われている。
旅行前にガイドブック等見てこなかったので、撮影スポットを随分と外している。 -
メイン広場から撮影した「3つの窓の神殿」。
-
「主神殿」の壁の端の方が崩れかけているが、崩壊はしていない。
ペルーは環太平洋火山帯に含まれていて、日本と同様、地震も多い。
石工は耐震構造と排水に対する知識を活かして石を組んだらしい。
地震が起こると、揺れに伴って踊るように石が衝突しあい、最終的に元の位置に納まるような構造になっている。
このような構造でなければ、マチュピチュ遺跡の多くの建造物は崩壊していただろうと言われている。 -
「神官の館」の向こうに見張り小屋とマチュピチュ山。
その山頂からの眺めは絶景らしいが、登る人は少ない。 -
石切場には切り出した石がゴロゴロ。
石工が、様々な方向から石目を見極めて、切り出したのだろう。
しかし、切り出した石をどうやって運んだのだろう?
インカ人は運搬用の家畜や鉄製の道具、車輪を使用していなかったとされている。 -
「主神殿」の壁だったかな。
大きな石の間に小さな石を嵌め込んで石積みの強度を上げている、といった説明だった気がする。 -
メイン広場から見上げるアンデネス(段々畑)は、見事としか言いようがない。
上部ではじゃがいも、下部ではトウモロコシというように高低差を利用した農業が行われた。 -
ワイナピチュの登山口。
登ることができるのは、一日400人までと決められているので予約が必要。
山頂付近に段々畑や建物が見えるが、険しい山道の奥に「月の神殿」と呼ばれる洞窟を利用して造られた神殿があるそうだ。 -
ワイナピチュ登山口付近にある「ワイラナ」。
三方に壁がある「ワイラナ建築」と呼ばれる様式で建てられた小屋。 -
ワイナピチュ登山口の列はなかなか進んでいない。
左に「聖なる岩」と呼ばれる一枚岩。 -
マチュピチュ遺跡は山に囲まれているが、周囲の雲霧林は成長が早く、まだ知られていない道や遺跡が隠れているかもしれないという。
-
遺跡内は、階段を昇り降りする場所も多く、暑さも手伝ってかなり体力を消耗する。
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バスで上ってきたハイラム・ビンガムロードがよく見える。
-
遺跡の東端は断崖絶壁。
下を流れるウルバンバ川もよく見える。 -
マチュピチュ遺跡ではこのように自然の石をそのまま利用した建造物もいくつかあった。
-
「神聖な広場」へと続く階段。
「神官の館」と「3つの窓の神殿」の一部が見えている。
居住地区から見ると「神聖な広場」がかなり高い場所にあることがよく分かる。 -
「コンドルの神殿」。
左下のコンドルの顔のような形をした石は、生贄の儀式に使われたらしい。 -
「コンドルの神殿」はコンドルが羽を広げたような石積みからなる建物。
一説には牢獄だったと言われるが、確かなことは分かっていない。 -
「ビスカッチャ」がここにも。
2匹同時に見られるのは珍しいらしい。
後ろから見ると尻尾が長く、ネズミの仲間だと納得。 -
最後にマチュピチュ遺跡の東側を振り返って、出口へ。
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往きと同じようにバスでハイラム・ビンガムロードを下り、マチュピチュ村へと戻る。
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ホテル エルマピに戻り、ビュッフェランチ。
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飲み物は、宿泊者用ウェルカムドリンク券でピスコサワー。
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食後は右下に見える駅前の民芸品市場に行き、土産物等を見て回る。
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一人で店番していた女の子の店で、軽くて嵩張らないカラフルな絵柄の鍋敷きを3枚購入。
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ホテルに戻り、出発までレストランでつまみ無しで生ビールを飲みながら休憩。
立ち上がろうとしたら、足がつった(痛っ)。
運動不足を痛感。 -
14:55 マチュピチュ村からペルーレイルでオリャンタイタンボへ向かった。
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