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2020年2月15日(土)、お昼の12時半過ぎ、ほぼ定刻(12:40)にドミニカ共和国(Republica Dominicana)サントドミンゴ(Santo Domingo)のラスアメリカス国際空港(Aeropuerto Internacional de Las Americas)を飛び立つ。このフライトはこちらに来てから過去何回か利用したジェットブルー(jetBlue)。このフライトだけは他のフライトと別に取って日本円で2万ほどだった。なお、ジェットブルーに付いては以下のリンクの旅行記参照。<br />https://4travel.jp/travelogue/11465954<br /><br />使用機材はエンブラエル(Embraer)190-100AR(表紙写真)。ブラジルの航空機メーカーのエンブラエルが開発した小型ジェット旅客機で、最大乗客数は114人。2005年にジェットブルーへ初引き渡し。ジェットブルーは100機発注し、100機オプションで発注したこの機種開発の後ろ盾となったローンチカスタマー(Launch Customer)。日本でもJAL系のジェイエア(J-AIR)が2016年から使用している。初めて乗ったような気がするが、定かではなし。<br /><br />向かっているのはこの旅2ヶ国(正確には国と地域)目となるプエルトリコ(Puerto Rico)。正式にはプエルトリコ自治連邦区(Estado Libre Asociado de Puerto Rico)。主都はサンフアン(San Juan)。米国の自治的・未編入領域(Organized Unincorporated Territory)で、米国政府により管理されるが、いずれの州および連邦直轄の特別区にも属さず、また限定された主権を持つアメリカ先住民族の土地に属さない行政区画。政治的にはコモンウェルス(Commonwealth of Puerto Rico)という米国主権下の属領もしくは保護領で、自治政府による内政は認められるが国防や外交は米国が行う地位にある。漢字表記では波多黎各。<br /><br />国名はスペイン語で「豊かな美しい港(Puerto de un rico)」から来ており、一説ではコロンブス(Cristoforo Colombo)がこの島に着いた時に「なんて美しい港なんだ(!Que Puerto Rico!)」と叫んだことに由来すると云われている。アメリカに併合されて以降、一時はポートリコ(Port Rico)あるいはリッチポート(Rich Port)とも表記されていたが、1932年に英語でも現在の名前となった。<br /><br />国土面積約9100平方㎞。西インド諸島(Indias Occidentales)の一部の大アンティル諸島(Antillas Mayores)の一番東にあるプエルトリコ島(Isla Puerto Rico)および周辺の小島で構成されている。プエルトリコ島は大アンティル諸島で一番小さく、約8900平方㎞で四国の約半分の大きさ。ヴァージン海峡(Virgin Passage)を隔てて東にヴァージン諸島(Virgin Islands)が、モナ海峡(Canal de la Mona)を隔てて西にドミニカ共和国(Republica Dominicana)が存在する。ヴァージン海峡に浮かぶ約150平方kmのビエケス島(Isla de Vieques)と約30平方kmのクレブラ島(Isla Culebra)は併せてスパニッシュヴァージン諸島(Islas Virgenes Espanolas)とも呼ばれる。北側は大西洋(Oceano Atlantico)のバミューダトライアングル(Bermuda Triangle)となり、南側は南米大陸までの間のカリブ海(Mar Caribe)が広がる。<br /><br />プエルトリコ島は火山島で、川が多い。国内最高峰の1,338mのプンタ山(Cerro de Punta)をはじめとする1,000m級の山脈があり、東西に走る中央山脈(Cordillera Central)によって分割されている。島の40%が山岳地帯で、35%が丘陵、平野部は25%だがほとんどが北部沿岸地帯にある。亜熱帯の熱帯海洋性気候で、平均気温は25.4℃ほどで過ごしやすい。北部は雨が多く、熱帯雨林が形成されており、南部は乾燥し、サバナが形成されている。8月から10月にはしばしばハリケーンが襲来し、多大な被害をもたらす。<br /><br />人口は約370万人。先住民タイノ族(Taino)や奴隷として連れて来られたアフリカ系黒人、ヨーロッパ系白人、中国人などの血が混じっているが、スペイン系が3/4ほど。早くから白人と黒人の結婚が認められてきたので、混血が多い。スペイン侵略以前に3万人いたとされるタイノ族の純血は早々と絶えたが、今も混血としては残る。米国パスポートを持ち、米ドルを使っているため、米国民としての意識は高く、プエルトリカン(Puerto Ricans)と呼ばれる。<br /><br />公用語はスペイン語と英語の両方だが、教育はスペイン語で行われ、英語を話せない人が多いそうだが、観光地では問題ないと云うか、完全にアメリカ英語の世界だった。なお、プエルトルコのスペイン語はカナリア諸島(Islas Canarias)で話されるスペイン語の影響を強く受けているほか、ドミ共同様、先住民や奴隷として連れて来られたアフリカ系黒人の言葉や、さらに英語の影響も受けているそうだが、私には無縁の話。宗教はキリスト教徒が97%で、その85%がローマカトリック(Ecclesia Catholica)と云われる。<br /><br />他のカリブ諸島(Islas Caribes)同様に紀元前4000年からタイノ族が南米大陸から渡来して住んでおり、現在のプエルトリコ島は「勇敢なる君主の国」を意味するボリケン(Boriken)、またはボリンケン(Borinquen)と呼ばれていた。1493年にコロンブス(Cristoforo Colombo)一行が上陸し、聖ヨハネ(Juan el Bautista)にちなんでサンファンバウティスタ(San Juan Bautista)島と名付けた。1508年からスペイン人の入植が始まり、その後に開かれた現在のサンファンがプエルトリコ(Puerto Rico de San Juan Bautista)と命名されたが、島の名前と町の名前が長い間混同して使われ、1746年頃までに島の名前がプエルトリコになり、町がサンファンとなった。<br /><br />当初は金が採掘され、1570年代に金が掘りつくされると以降はラテンアメリカでも珍しい定住型の農業植民地となった。この時期からスペイン植民地の防衛拠点としても整備され、18世紀までイギリスやオランダの海賊の襲撃を跳ね返し続けた。19世紀に入るとラテンアメリカ(Latinoamerica)各地でスペイン人を親として現地で生まれたクリオージョ(Criollo)による独立運動が起こるが、プエルトリコはその動きから逃げ出したスペイン王党派難民が増え、人口が増加し、独立運動は起らなかった。この時期、サトウキビのプランテーションが奨励されたが進まず、奴隷制は継続されたものの、大規模な導入までには至らなかった。<br /><br />19世紀後半になると、同じくスペイン植民地が続いていたキューバと連動して独立運動が盛んになり、1898年に自治政府が成立するが、その直後に米西戦争(Spanish-American War)が勃発し、米国領土となる。1903年に民政府が成立するが、知事を米国大統領が任命する直轄領となる。20世紀半ばには独立運動が激化するが制圧され、事態を重く見た米国は1952年にコモンウェルスとして内政自治権を付与した。<br /><br />コモンウェルスでは、住民は米国国籍を保有するが、所得税の納税義務を持たず、大統領選挙の投票権はない。合衆国下院に本会議での採決権を持たない任期4年の代表者(Resident Commissioner)を1人送り出せる。行政権は知事が有し、知事は普通選挙によって選出され、任期は4年で再選規定はない。現在の知事は19年8月に就任したワンダ・バスケス・ガルセド(Wanda Vazquez Garced)氏でプエルトリコで2人目の女性知事。立法権は両院制の議会が有し、上院・下院の二院制。自治拡大派と州昇格派の二大政党となっているが、独立指向の政党も存在している。過去何度か州昇格を問う住民投票が行われているが、成立していない。独自の軍事組織は持たず、多数の米軍基地が立地しているほか、陸空合わせ約1万人の州兵部隊(Puerto Rico National Guard)もある。<br /><br />外交権はない。2018年のGDP成長率はマイナス4.6%。主要産業は観光、製薬、酒造業、農漁業などで、観光業の占める割合が大きい。ジャマイカも同じであるが、米国本土移住者からの送金が大きな収入源となっている。電圧とプラグは日本と同じ。車は左ハンドル右側通行で米国と同じだが、標識の距離表示はマイルではなくkmが使われている。<br /><br />通貨は米国ドル。国旗は1952年にコモンウェルスとなった際に制定されたもので、キューバの国旗と赤と青が逆になっており、元々は1892年に考案されたもの。3つの赤の縞模様が政府の三権、すなわち立法府、行政、司法機関に栄養を与える血を表し、2つの白の縞模様が個人の自由とバランスのとれた権利を表わす。青い三角は三権によって表される共和党政府で、白い星がプエルトリコ連邦を表す。青の部分は元々は水色だったが、制定時に星条旗と同じ青に変更された。<br /><br />野球が最もポピュラーなスポーツで、100名以上の選手が米国MLBで現在活躍しており、過去には数百名の選手がいた。日本のプロ野球でも現在(2020年)、横浜DeNAベイスターズでソト(Neftali O. Soto)が活躍している。過去大洋ホエールズで70年代後半に活躍したミヤーン(Felix Millan)や80年代後半に活躍したポンセ(Carlos Ponce)もプエルトリコ出身。2013年の第3回大会まではWBC(World Baseball Classic)の開催地にもなっており、第3回、第4回、連続準優勝。第3回では準決勝で3連覇を狙った日本を破っている。<br /><br />バスケットボールも盛んで、男子はオリンピック出場9回、2004年アテネオリンピックでは米国ドリームチームを倒した最初のチームとなり、米国の五輪での連勝記録を24で止めた。オリンピックでは16年リオオリンピックのテニス女子シングルスでモニカ・プイグ(Monica Puig)がプエルトリコ初の金メダルを獲得した。その他、ボクシングで銀1、銅5、レスリングで銀1、陸上競技で銅1を獲得している。冬季オリンピックにも参加しているが、まだメダルはない。<br /><br />1969年に「雨のささやき(Rain)」をヒットさせたホセ・フェリシアーノ(Jose Feliciano)、郷ひろみの「GOLDFINGER &#39;99」の原曲「リヴィンラヴィダロカ(Livin&#39; la Vida Loca)」のリッキー・マーティン(Ricky Martin)もプエルトリコ出身。<br /><br />私がプエルトリコと聞いて思い出すのは1961年公開の映画「ウエスト・サイド物語(West Side Story)」。シェイクスピア(William Shakespeare)の「ロミオとジュリエット(Romeo and Juliet)」を1950年代のニューヨーク(New York)を舞台に、ポーランド系移民の不良少年少女グループとプエルトリコ系移民不良少年少女グループの対立に置き換えたアカデミー賞(Academy Awards)作品賞(Best Picture)受賞作品。私が見たのは1974年のリバイバル公開の時だったが、「Puerto Rico My heart&#39;s devotio」で始まるリタ・モレノ(Rita Moreno)演じるプエルトリコ系グループのシャーク団(Sharks)リーダーの恋人アニタ(Anita)が中心となって歌って踊る「アメリカ(America)」という曲が好きな曲の一つだった。今回ジャマイカに来ることになるまでは、明確にどこにあるかは分かってなかったが、プエルトリコを初めて知ったのはこの曲だった。<br /><br />在留邦人は2008年には70人ほどだったそうだ。JICAから協力隊の派遣実績はない。日本より13時間遅れで、サマータイムは採用していない。飛んできたドミニカ共和国と同じ。<br /><br />1時間ほどのフライトでほぼ定刻(13:41)にサンファン国際空港(Aeropuerto Internacional San Juan)に到着。プエルトリコの主都サンファンの空の玄関口で、正式名は「ルイス・ムニョス・マリン国際空港(Aeropuerto Internacional Luis Munoz Marin)、IATAコード:SJU。サンファンの南東5㎞のカロライナ(Carolina)に位置し、3000m級と2400m級の滑走路を各1本持つ。年間の利用乗客数はカリブ海地域では一番多い840万人(2017年)で、日本だと8位の中部国際空港セントレアの1200万人より少なく、9位の鹿児島空港の600万人より多い(2018年データ)。1955年にプエルトリコ国際空港(Aeropuerto Internacional de Puerto Rico)として開港。1985年に初代民選知事に因んで現在の名前に改称された。<br /><br />この空港は到着して進むとまず自動パスポートコントロール(Automated Passport Control; APC)端末があり、入国自動審査を受けた後に荷物受け取りとなり、その後に最終的な入国審査となっていて、多くの空港とちょっと違っている。私は荷物を預けようとしたが、別途費用が掛かると云われてキャリーオンにしたので、荷物を待ってる人たちを横目に入国審査に進んですごくスムーズだった。税関も問題なく抜け、30分も掛からずにプエルトリコに入国。<br /><br /><br />サンファンに向かうが、続く。

プエルトリコへ(To Puerto Rico)

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2020/02/15 - 2020/02/15

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ちふゆ

ちふゆさん

2020年2月15日(土)、お昼の12時半過ぎ、ほぼ定刻(12:40)にドミニカ共和国(Republica Dominicana)サントドミンゴ(Santo Domingo)のラスアメリカス国際空港(Aeropuerto Internacional de Las Americas)を飛び立つ。このフライトはこちらに来てから過去何回か利用したジェットブルー(jetBlue)。このフライトだけは他のフライトと別に取って日本円で2万ほどだった。なお、ジェットブルーに付いては以下のリンクの旅行記参照。
https://4travel.jp/travelogue/11465954

使用機材はエンブラエル(Embraer)190-100AR(表紙写真)。ブラジルの航空機メーカーのエンブラエルが開発した小型ジェット旅客機で、最大乗客数は114人。2005年にジェットブルーへ初引き渡し。ジェットブルーは100機発注し、100機オプションで発注したこの機種開発の後ろ盾となったローンチカスタマー(Launch Customer)。日本でもJAL系のジェイエア(J-AIR)が2016年から使用している。初めて乗ったような気がするが、定かではなし。

向かっているのはこの旅2ヶ国(正確には国と地域)目となるプエルトリコ(Puerto Rico)。正式にはプエルトリコ自治連邦区(Estado Libre Asociado de Puerto Rico)。主都はサンフアン(San Juan)。米国の自治的・未編入領域(Organized Unincorporated Territory)で、米国政府により管理されるが、いずれの州および連邦直轄の特別区にも属さず、また限定された主権を持つアメリカ先住民族の土地に属さない行政区画。政治的にはコモンウェルス(Commonwealth of Puerto Rico)という米国主権下の属領もしくは保護領で、自治政府による内政は認められるが国防や外交は米国が行う地位にある。漢字表記では波多黎各。

国名はスペイン語で「豊かな美しい港(Puerto de un rico)」から来ており、一説ではコロンブス(Cristoforo Colombo)がこの島に着いた時に「なんて美しい港なんだ(!Que Puerto Rico!)」と叫んだことに由来すると云われている。アメリカに併合されて以降、一時はポートリコ(Port Rico)あるいはリッチポート(Rich Port)とも表記されていたが、1932年に英語でも現在の名前となった。

国土面積約9100平方㎞。西インド諸島(Indias Occidentales)の一部の大アンティル諸島(Antillas Mayores)の一番東にあるプエルトリコ島(Isla Puerto Rico)および周辺の小島で構成されている。プエルトリコ島は大アンティル諸島で一番小さく、約8900平方㎞で四国の約半分の大きさ。ヴァージン海峡(Virgin Passage)を隔てて東にヴァージン諸島(Virgin Islands)が、モナ海峡(Canal de la Mona)を隔てて西にドミニカ共和国(Republica Dominicana)が存在する。ヴァージン海峡に浮かぶ約150平方kmのビエケス島(Isla de Vieques)と約30平方kmのクレブラ島(Isla Culebra)は併せてスパニッシュヴァージン諸島(Islas Virgenes Espanolas)とも呼ばれる。北側は大西洋(Oceano Atlantico)のバミューダトライアングル(Bermuda Triangle)となり、南側は南米大陸までの間のカリブ海(Mar Caribe)が広がる。

プエルトリコ島は火山島で、川が多い。国内最高峰の1,338mのプンタ山(Cerro de Punta)をはじめとする1,000m級の山脈があり、東西に走る中央山脈(Cordillera Central)によって分割されている。島の40%が山岳地帯で、35%が丘陵、平野部は25%だがほとんどが北部沿岸地帯にある。亜熱帯の熱帯海洋性気候で、平均気温は25.4℃ほどで過ごしやすい。北部は雨が多く、熱帯雨林が形成されており、南部は乾燥し、サバナが形成されている。8月から10月にはしばしばハリケーンが襲来し、多大な被害をもたらす。

人口は約370万人。先住民タイノ族(Taino)や奴隷として連れて来られたアフリカ系黒人、ヨーロッパ系白人、中国人などの血が混じっているが、スペイン系が3/4ほど。早くから白人と黒人の結婚が認められてきたので、混血が多い。スペイン侵略以前に3万人いたとされるタイノ族の純血は早々と絶えたが、今も混血としては残る。米国パスポートを持ち、米ドルを使っているため、米国民としての意識は高く、プエルトリカン(Puerto Ricans)と呼ばれる。

公用語はスペイン語と英語の両方だが、教育はスペイン語で行われ、英語を話せない人が多いそうだが、観光地では問題ないと云うか、完全にアメリカ英語の世界だった。なお、プエルトルコのスペイン語はカナリア諸島(Islas Canarias)で話されるスペイン語の影響を強く受けているほか、ドミ共同様、先住民や奴隷として連れて来られたアフリカ系黒人の言葉や、さらに英語の影響も受けているそうだが、私には無縁の話。宗教はキリスト教徒が97%で、その85%がローマカトリック(Ecclesia Catholica)と云われる。

他のカリブ諸島(Islas Caribes)同様に紀元前4000年からタイノ族が南米大陸から渡来して住んでおり、現在のプエルトリコ島は「勇敢なる君主の国」を意味するボリケン(Boriken)、またはボリンケン(Borinquen)と呼ばれていた。1493年にコロンブス(Cristoforo Colombo)一行が上陸し、聖ヨハネ(Juan el Bautista)にちなんでサンファンバウティスタ(San Juan Bautista)島と名付けた。1508年からスペイン人の入植が始まり、その後に開かれた現在のサンファンがプエルトリコ(Puerto Rico de San Juan Bautista)と命名されたが、島の名前と町の名前が長い間混同して使われ、1746年頃までに島の名前がプエルトリコになり、町がサンファンとなった。

当初は金が採掘され、1570年代に金が掘りつくされると以降はラテンアメリカでも珍しい定住型の農業植民地となった。この時期からスペイン植民地の防衛拠点としても整備され、18世紀までイギリスやオランダの海賊の襲撃を跳ね返し続けた。19世紀に入るとラテンアメリカ(Latinoamerica)各地でスペイン人を親として現地で生まれたクリオージョ(Criollo)による独立運動が起こるが、プエルトリコはその動きから逃げ出したスペイン王党派難民が増え、人口が増加し、独立運動は起らなかった。この時期、サトウキビのプランテーションが奨励されたが進まず、奴隷制は継続されたものの、大規模な導入までには至らなかった。

19世紀後半になると、同じくスペイン植民地が続いていたキューバと連動して独立運動が盛んになり、1898年に自治政府が成立するが、その直後に米西戦争(Spanish-American War)が勃発し、米国領土となる。1903年に民政府が成立するが、知事を米国大統領が任命する直轄領となる。20世紀半ばには独立運動が激化するが制圧され、事態を重く見た米国は1952年にコモンウェルスとして内政自治権を付与した。

コモンウェルスでは、住民は米国国籍を保有するが、所得税の納税義務を持たず、大統領選挙の投票権はない。合衆国下院に本会議での採決権を持たない任期4年の代表者(Resident Commissioner)を1人送り出せる。行政権は知事が有し、知事は普通選挙によって選出され、任期は4年で再選規定はない。現在の知事は19年8月に就任したワンダ・バスケス・ガルセド(Wanda Vazquez Garced)氏でプエルトリコで2人目の女性知事。立法権は両院制の議会が有し、上院・下院の二院制。自治拡大派と州昇格派の二大政党となっているが、独立指向の政党も存在している。過去何度か州昇格を問う住民投票が行われているが、成立していない。独自の軍事組織は持たず、多数の米軍基地が立地しているほか、陸空合わせ約1万人の州兵部隊(Puerto Rico National Guard)もある。

外交権はない。2018年のGDP成長率はマイナス4.6%。主要産業は観光、製薬、酒造業、農漁業などで、観光業の占める割合が大きい。ジャマイカも同じであるが、米国本土移住者からの送金が大きな収入源となっている。電圧とプラグは日本と同じ。車は左ハンドル右側通行で米国と同じだが、標識の距離表示はマイルではなくkmが使われている。

通貨は米国ドル。国旗は1952年にコモンウェルスとなった際に制定されたもので、キューバの国旗と赤と青が逆になっており、元々は1892年に考案されたもの。3つの赤の縞模様が政府の三権、すなわち立法府、行政、司法機関に栄養を与える血を表し、2つの白の縞模様が個人の自由とバランスのとれた権利を表わす。青い三角は三権によって表される共和党政府で、白い星がプエルトリコ連邦を表す。青の部分は元々は水色だったが、制定時に星条旗と同じ青に変更された。

野球が最もポピュラーなスポーツで、100名以上の選手が米国MLBで現在活躍しており、過去には数百名の選手がいた。日本のプロ野球でも現在(2020年)、横浜DeNAベイスターズでソト(Neftali O. Soto)が活躍している。過去大洋ホエールズで70年代後半に活躍したミヤーン(Felix Millan)や80年代後半に活躍したポンセ(Carlos Ponce)もプエルトリコ出身。2013年の第3回大会まではWBC(World Baseball Classic)の開催地にもなっており、第3回、第4回、連続準優勝。第3回では準決勝で3連覇を狙った日本を破っている。

バスケットボールも盛んで、男子はオリンピック出場9回、2004年アテネオリンピックでは米国ドリームチームを倒した最初のチームとなり、米国の五輪での連勝記録を24で止めた。オリンピックでは16年リオオリンピックのテニス女子シングルスでモニカ・プイグ(Monica Puig)がプエルトリコ初の金メダルを獲得した。その他、ボクシングで銀1、銅5、レスリングで銀1、陸上競技で銅1を獲得している。冬季オリンピックにも参加しているが、まだメダルはない。

1969年に「雨のささやき(Rain)」をヒットさせたホセ・フェリシアーノ(Jose Feliciano)、郷ひろみの「GOLDFINGER '99」の原曲「リヴィンラヴィダロカ(Livin' la Vida Loca)」のリッキー・マーティン(Ricky Martin)もプエルトリコ出身。

私がプエルトリコと聞いて思い出すのは1961年公開の映画「ウエスト・サイド物語(West Side Story)」。シェイクスピア(William Shakespeare)の「ロミオとジュリエット(Romeo and Juliet)」を1950年代のニューヨーク(New York)を舞台に、ポーランド系移民の不良少年少女グループとプエルトリコ系移民不良少年少女グループの対立に置き換えたアカデミー賞(Academy Awards)作品賞(Best Picture)受賞作品。私が見たのは1974年のリバイバル公開の時だったが、「Puerto Rico My heart's devotio」で始まるリタ・モレノ(Rita Moreno)演じるプエルトリコ系グループのシャーク団(Sharks)リーダーの恋人アニタ(Anita)が中心となって歌って踊る「アメリカ(America)」という曲が好きな曲の一つだった。今回ジャマイカに来ることになるまでは、明確にどこにあるかは分かってなかったが、プエルトリコを初めて知ったのはこの曲だった。

在留邦人は2008年には70人ほどだったそうだ。JICAから協力隊の派遣実績はない。日本より13時間遅れで、サマータイムは採用していない。飛んできたドミニカ共和国と同じ。

1時間ほどのフライトでほぼ定刻(13:41)にサンファン国際空港(Aeropuerto Internacional San Juan)に到着。プエルトリコの主都サンファンの空の玄関口で、正式名は「ルイス・ムニョス・マリン国際空港(Aeropuerto Internacional Luis Munoz Marin)、IATAコード:SJU。サンファンの南東5㎞のカロライナ(Carolina)に位置し、3000m級と2400m級の滑走路を各1本持つ。年間の利用乗客数はカリブ海地域では一番多い840万人(2017年)で、日本だと8位の中部国際空港セントレアの1200万人より少なく、9位の鹿児島空港の600万人より多い(2018年データ)。1955年にプエルトリコ国際空港(Aeropuerto Internacional de Puerto Rico)として開港。1985年に初代民選知事に因んで現在の名前に改称された。

この空港は到着して進むとまず自動パスポートコントロール(Automated Passport Control; APC)端末があり、入国自動審査を受けた後に荷物受け取りとなり、その後に最終的な入国審査となっていて、多くの空港とちょっと違っている。私は荷物を預けようとしたが、別途費用が掛かると云われてキャリーオンにしたので、荷物を待ってる人たちを横目に入国審査に進んですごくスムーズだった。税関も問題なく抜け、30分も掛からずにプエルトリコに入国。


サンファンに向かうが、続く。

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