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2020年2月16日(日)の朝10時半過ぎ、プエルトリコ(Puerto Rico)サンファン(San Juan)。サンクリストバル要塞(Castillo de San Cristobal)の観光を終えて、今度はサンファン島(Isleta de San Juan)の北西角に位置するエルモロ要塞(El Morro)に向かう。<br /><br />北岸を囲む外壁の上を西に進むが、ちょっと寄り道。コレヒオデパルヴロス(Colegio de Parvulos)は貧しい子供たちのための学校。1861年から1865年に掛けて建てられたもの。サンフスト通り(Calle San Justo)は北側の外壁から南の湾岸まで真っ直ぐ続いており、坂道の先には海とさらにその向こう岸が見える。<br /><br />その東にはサンフアン博物館(Museo de San Juan)。かつては美術歴史博物館(Museo de Arte de Historia de San Juan)と呼ばれていた。1855年から市場が開かれていた場所に1979年に建てられたもので、この建物の中庭ではコンサートやフェスティバルがよく開かれるそうだが、事前情報では月曜以外は昼休みの1時間を除いて9時から4時まで開いてるはずだったのだが、閉まっていて中庭に入ることさえ出来なかった。博物館の東側の通りの突き当りにはプエルトリコの国旗にペイントされたドアがあり、旗門の小路(Callejon de la Puerta Bandera)と呼ばれるインスタ映えスポットの一つ。<br /><br />さらに東に進むとクイントセンテナリオ広場(Plaza del Quinto Centenario)。トーテム広場(Plaza del Totem)とも呼ばれる。1992年に新世界500周年を記念して造られたもので、2段になっており、上の段にはテルリコトーテムポール(Totem Telurico)が建ち、下の段には噴水がある。トーテムポールは高さ12メートルあり、粘土で造られており、先住民族の文化をイメージしている。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.3893727957363866&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />広場の向かいの出店でミネラルウォーターを1.50US$で買って咽を潤し、いよいよエルモロ要塞へ。ここから岬の先にある要塞までは広々とした草原が広がっているが、北の海岸沿いの一段下にはサンファン墓地(Cementerio Santa Maria Magdalena de Pazzi)がある。2区画あり、西側の区画の墓地の中央には、19世紀に建設された明るいピンク色のドームを持つ新古典様式の礼拝堂があり、礼拝堂を囲むように墓石が並んでいる。墓石の装飾には、神の意志や言葉を伝える存在とされる天使像が多く使われているそうだ。<br /><br />これは結構壮大な光景。お墓なんだが、見てて飽きない。墓標の白さと海と空の青、さらに草原の緑のコントラストがすごい。墓地の中にも降りて行けるのだが、同じ道を戻ってこなければならないことが容易に予想されて気力が起きなかった。この日は結果的に3万歩以上歩いたし、多分この時点で2万歩近かったと思うし、正解かな?<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.3893736464029682&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />11時10分過ぎ、ようやくエルモロ要塞の入口に到着。正式にはサンフェリペデルモロ要塞(Castillo San Felipe del Morro)。スペイン黄金世紀の最盛期に君臨したフェリペ2世(Felipe II)に敬意を表して命名された。エルモロは岬という意味で、要塞があるサンファン島北西部の岬のこと。1539年建築開始で、1589年にいったん完成したが、追加工事が続き最終的には1783年完成。完成当時はカリブ最強の要塞と云われた、スペインが新大陸に築いた最大の要塞。海賊や他国軍からの防衛のために造られもので、アフリカからの黒人奴隷が数多く従事させられた。1983年に「ラ・フォルタレサとプエルトリコのサンフアン歴史地区(La Fortaleza and San Juan National Historic Site in Puerto Rico)」の一部として世界文化遺産に登録された。<br /><br />要塞の前に掘られた空堀に掛る橋を渡り、大きなライオンの紋章が飾られた立派な門を潜ると受付。入場料はサンクリストバル要塞と共通なので、10US$のレシートを見せて素通り。黄色い壁に囲まれた内庭に入るとここがメインプラザで、要塞の5階に当たる。この要塞は6階建てで、海面からの高さ42m、厚さ6mの外壁を持ち、400基を超える大砲が設置されていた。要塞内には、兵舎、倉庫、牢獄などが設置され、それらを結ぶ迷路のような地下道があり、最大で4500人もの人々が避難できた。<br /><br />まずはメインプラザを囲む最上階の6階へ。西側にはサンファン湾(Bahia de San Juan)の入口となるバル海峡(Bar Channel)が見え、南側には広い草原が広がる。なかなか壮大な景色。東側にはムーア様式の洒落た灯台がある。1846年からここには灯台が設置されていたが、2代目の灯台が1898年の米西戦争(Spanish-American War)で米軍の砲火により損傷したため、1908年に米国により現在のものが建てられた。<br /><br />東側から5階に降り、さらに螺旋階段で4階に降りる。岬の先端に突き出した部分で、砲台が置かれていたところ。先からは岬の先端が見下ろせ、砲台の間には見張り用の哨舎も造られている。余談だが、プエルトリコの車のナンバープレートは結構お洒落で、この要塞の哨舎がデザインされているものもあった。砲台の内側は3階のパティオになっており、ここは主に生活の場だったようだ。さらに建物の中を通って2階から要塞の一番先端の1階まで降りられる。帰りは、このまま別の出口から出られないかと期待したが、予想はしてたが、また5階まで上がるしかなかった。そう云えば、この1階の部分で、この旅出て初めて日本語が聴こえてきた。ボストンから来られたと云う若い親子連れの方だった。詳しくは聞いていないが駐在員の方だと思う。うちの家族にもそういう時期があったなあと30年前を少し思い出す私。<br /><br />入場してから30分ほどで観光終了。草原を横切って街に向かうが、途中に1625年にオランダに攻められた時の記念碑があった。サンファンは、16世紀末から18世紀末までこのオランダの来襲以外にもイギリス(16世紀はまだイングランド)に3度攻められ、1598年にはいったんはイングランドに占領されたのだが、その時は街の東側(まだサンクリストバル要塞はなかった)から陸路で攻められたのが原因で、この要塞が破られた訳ではなかった。米西戦争の時代には兵器が格段に進歩しており、灯台が壊れるなど被害は受けているが、この要塞が破られて(スペインが)負けたと云うこともなく、その意味では破られることのない要塞だったと云えるかな?<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.3893747080695287&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />朝からの二つの大きな要塞観光がようやく終了、街の観光に進むが、続く。

エルモロ要塞周辺(El Morro, San Juan, Puerto Rico)

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2020/02/16 - 2020/02/16

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ちふゆ

ちふゆさん

2020年2月16日(日)の朝10時半過ぎ、プエルトリコ(Puerto Rico)サンファン(San Juan)。サンクリストバル要塞(Castillo de San Cristobal)の観光を終えて、今度はサンファン島(Isleta de San Juan)の北西角に位置するエルモロ要塞(El Morro)に向かう。

北岸を囲む外壁の上を西に進むが、ちょっと寄り道。コレヒオデパルヴロス(Colegio de Parvulos)は貧しい子供たちのための学校。1861年から1865年に掛けて建てられたもの。サンフスト通り(Calle San Justo)は北側の外壁から南の湾岸まで真っ直ぐ続いており、坂道の先には海とさらにその向こう岸が見える。

その東にはサンフアン博物館(Museo de San Juan)。かつては美術歴史博物館(Museo de Arte de Historia de San Juan)と呼ばれていた。1855年から市場が開かれていた場所に1979年に建てられたもので、この建物の中庭ではコンサートやフェスティバルがよく開かれるそうだが、事前情報では月曜以外は昼休みの1時間を除いて9時から4時まで開いてるはずだったのだが、閉まっていて中庭に入ることさえ出来なかった。博物館の東側の通りの突き当りにはプエルトリコの国旗にペイントされたドアがあり、旗門の小路(Callejon de la Puerta Bandera)と呼ばれるインスタ映えスポットの一つ。

さらに東に進むとクイントセンテナリオ広場(Plaza del Quinto Centenario)。トーテム広場(Plaza del Totem)とも呼ばれる。1992年に新世界500周年を記念して造られたもので、2段になっており、上の段にはテルリコトーテムポール(Totem Telurico)が建ち、下の段には噴水がある。トーテムポールは高さ12メートルあり、粘土で造られており、先住民族の文化をイメージしている。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.3893727957363866&type=1&l=223fe1adec

広場の向かいの出店でミネラルウォーターを1.50US$で買って咽を潤し、いよいよエルモロ要塞へ。ここから岬の先にある要塞までは広々とした草原が広がっているが、北の海岸沿いの一段下にはサンファン墓地(Cementerio Santa Maria Magdalena de Pazzi)がある。2区画あり、西側の区画の墓地の中央には、19世紀に建設された明るいピンク色のドームを持つ新古典様式の礼拝堂があり、礼拝堂を囲むように墓石が並んでいる。墓石の装飾には、神の意志や言葉を伝える存在とされる天使像が多く使われているそうだ。

これは結構壮大な光景。お墓なんだが、見てて飽きない。墓標の白さと海と空の青、さらに草原の緑のコントラストがすごい。墓地の中にも降りて行けるのだが、同じ道を戻ってこなければならないことが容易に予想されて気力が起きなかった。この日は結果的に3万歩以上歩いたし、多分この時点で2万歩近かったと思うし、正解かな?
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.3893736464029682&type=1&l=223fe1adec

11時10分過ぎ、ようやくエルモロ要塞の入口に到着。正式にはサンフェリペデルモロ要塞(Castillo San Felipe del Morro)。スペイン黄金世紀の最盛期に君臨したフェリペ2世(Felipe II)に敬意を表して命名された。エルモロは岬という意味で、要塞があるサンファン島北西部の岬のこと。1539年建築開始で、1589年にいったん完成したが、追加工事が続き最終的には1783年完成。完成当時はカリブ最強の要塞と云われた、スペインが新大陸に築いた最大の要塞。海賊や他国軍からの防衛のために造られもので、アフリカからの黒人奴隷が数多く従事させられた。1983年に「ラ・フォルタレサとプエルトリコのサンフアン歴史地区(La Fortaleza and San Juan National Historic Site in Puerto Rico)」の一部として世界文化遺産に登録された。

要塞の前に掘られた空堀に掛る橋を渡り、大きなライオンの紋章が飾られた立派な門を潜ると受付。入場料はサンクリストバル要塞と共通なので、10US$のレシートを見せて素通り。黄色い壁に囲まれた内庭に入るとここがメインプラザで、要塞の5階に当たる。この要塞は6階建てで、海面からの高さ42m、厚さ6mの外壁を持ち、400基を超える大砲が設置されていた。要塞内には、兵舎、倉庫、牢獄などが設置され、それらを結ぶ迷路のような地下道があり、最大で4500人もの人々が避難できた。

まずはメインプラザを囲む最上階の6階へ。西側にはサンファン湾(Bahia de San Juan)の入口となるバル海峡(Bar Channel)が見え、南側には広い草原が広がる。なかなか壮大な景色。東側にはムーア様式の洒落た灯台がある。1846年からここには灯台が設置されていたが、2代目の灯台が1898年の米西戦争(Spanish-American War)で米軍の砲火により損傷したため、1908年に米国により現在のものが建てられた。

東側から5階に降り、さらに螺旋階段で4階に降りる。岬の先端に突き出した部分で、砲台が置かれていたところ。先からは岬の先端が見下ろせ、砲台の間には見張り用の哨舎も造られている。余談だが、プエルトリコの車のナンバープレートは結構お洒落で、この要塞の哨舎がデザインされているものもあった。砲台の内側は3階のパティオになっており、ここは主に生活の場だったようだ。さらに建物の中を通って2階から要塞の一番先端の1階まで降りられる。帰りは、このまま別の出口から出られないかと期待したが、予想はしてたが、また5階まで上がるしかなかった。そう云えば、この1階の部分で、この旅出て初めて日本語が聴こえてきた。ボストンから来られたと云う若い親子連れの方だった。詳しくは聞いていないが駐在員の方だと思う。うちの家族にもそういう時期があったなあと30年前を少し思い出す私。

入場してから30分ほどで観光終了。草原を横切って街に向かうが、途中に1625年にオランダに攻められた時の記念碑があった。サンファンは、16世紀末から18世紀末までこのオランダの来襲以外にもイギリス(16世紀はまだイングランド)に3度攻められ、1598年にはいったんはイングランドに占領されたのだが、その時は街の東側(まだサンクリストバル要塞はなかった)から陸路で攻められたのが原因で、この要塞が破られた訳ではなかった。米西戦争の時代には兵器が格段に進歩しており、灯台が壊れるなど被害は受けているが、この要塞が破られて(スペインが)負けたと云うこともなく、その意味では破られることのない要塞だったと云えるかな?
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.3893747080695287&type=1&l=223fe1adec


朝からの二つの大きな要塞観光がようやく終了、街の観光に進むが、続く。

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