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2020年2月15日(土)の午後2時頃、プエルトリコ(Puerto Rico)のサンファン国際空港(Aeropuerto Internacional San Juan)。まずは到着ロビーでWifiを探すが、事前に調べた通り無料Wifiはなしで、有料のみ。いや、今の時代、お金取るんかい! ここもUberあるんで、無料Wifiがあれば利用したかったし、実際、有料で繋いでも帰りに利用したUberの料金から推測すると10US$くらいは安く済ませることが出来るのだが、この時点では分からなかったし、カード情報を入れたりしなければならないので手間が掛かるので、あっさり諦めてタクシー移動にする。<br /><br />タクシーは固定料金になっており(下の写真1)、到着ロビー前のタクシー乗り場で、ディスパッチャーがどこへ行くのか、何人かを確認して、タクシーを振り当てている。サンファン旧市街(Old San Fun)までは21US$に空港利用費が3US$、さらにキャリーオンバッグであろうが大きなスーツケースであろうが荷物代が1US$で合計25US$取られる(下の写真1)。距離(約5㎞)を考えると結構高い。<br /><br />向かっているサンファン(San Juan)はプエルトリコ(Puerto Rico)の主都で、人口は市域で35万人。都市圏では250万人でプエルトリコ全体の2/3を占める(いずれも2015年のデータ)。プエルトリコ島(Isla Puerto Rico)の北東沿岸に位置しており、旧市街はサンファン島(Isleta de San Juan)の西半分に形成された。この島最大の港湾都市で、島の産業・経済の中心であり、また長い歴史とビーチを持ち、文化の中心・観光の拠点として担う役割も大きい。<br /><br />サンファン(San Juan)はスペイン語で聖ヨハネ(Juan el Bautista)を意味し、キリスト教の聖人であるヨハネに由来する名前で、スペイン語圏の国々や米国の旧スペイン領圏でよく地名に用いられている。元々は1943年にこの島に初上陸したコロンブス(Cristoforo Colombo)が島の名前としてサンファンバウティスタ(San Juan Bautista)と命名した。その後1508年になってスペイン人の入植が始まり、最初の入植地はサンファン湾(Bahia de San Juan)の南、現在のグアイナボ(Guaynabo)のプエブロビエホ(Pueblo Viejo)辺りに造られた。しかし、衛生面に問題があり、アクセスも悪かったことから、1年後にサンファン島に新しい町の建設が始まり、カナリア諸島(Islas Canarias)にあるプエルトリコデグランカナリア(Puerto Rico de Gran Canaria)に地理的に似ていると云うことでプエルトリコデサンファンバウティスタ(Puerto Rico de San Juan Bautista)と命名された。しかし、島の名前と町の名前は混同して使われ、1521年に、プエルトリコが島を、サンファンバウティスタが町をそれぞれ区別して指すようになり、やがてバウティスタが省略されて現在の名前となった(年号には諸説あり)。<br /><br />スペイン植民地時代には、サンファン港はスペインと新大陸のスペイン領を結ぶ重要な中継港で、それ故に列強による攻撃を受けることが多かった。まずは1595年と1598年にはイングランドに攻撃され、2度目には占領されるが、指揮官の疲弊と病気で占領は長くは続かなかった。次いで1625年、オランダの攻撃を受けるが防衛に成功した。1797年にはイギリスが三たび攻撃を仕掛けてきたが、その時も防衛した。このような状況の中で、18世紀後半から19世紀初頭にかけて、サンファンはスペインとの自由貿易を通じて成長を続けた。<br /><br />1898年、米西戦争が勃発し米軍の爆撃を受け、この町は占領され、米国の勝利により島全体が米国領となる。20世紀に入り、市域は旧市街の市壁の外側からサンファン島を越えて広がり、地域ごとの多様性に富む都市へと変貌した。サンファン島に繋がるコンダド(Condado)地区は大西洋のビーチに面し、ホテルやコンドミニアムが集中しており、コンダド湖(Laguna del Condado)を挟んだ南側のミラマール(Miramar)地区は住宅街だがコンベンションセンター(Puerto Rico Convention Center)もある。さらに南のリオピエドラス(Rio Piedras)地区は1850年代に別の町として建設されたが1951年にサンファンに合併され、住宅街の中に国内最古で最大のプエルトリコ大学リオピエドラス校(University of Puerto Rico - Rio Piedras Campus)キャンパスが広がっている。<br /><br />最後、旧市街の手前から渋滞となるが、それでも空港から20分ほどでホテルに到着。このタクシーはトヨタの海外専売車のシエナ(Sienna)だった(下の写真2)。宿泊するホテルはフォルタレサスイーツ(Fortaleza Suites Old San Juan)。サンファン旧市街、コロン広場(Plaza Colon)に近いフォルタレサ通り(Cell de la Fortaleza)にある4つ星ホテルで、旧市街だけでなく桟橋までもすぐ。歴史的なスタイルの建物(表紙写真)に10室あり、高速インターネットアクセス可。共同キッチンでコーヒーなどを飲める。ただ、全室に個別のテラス、専用バルコニーがあり、海の景色を眺めることができるとあったが、私が泊まった部屋は窓もなかった。サンファンはホテルが高く、1泊で16,671円もしたのに全然コスパは良くなかった。<br /><br />この日の朝に読んだメールで3時まではフロントがいないが何時に着くかと来てたので、飛行機の到着予定時間を返信しており、2時半過ぎだが誰かいるかと思ったのだが、誰もいなくて玄関から入れない。この時は確認できなかったが、私の返信に対しての返信は来ておらず、あのやり取りは何だったんだろう・・・<br /><br />ホテルの前でただ待っていても暑いし、ホテルの隣りに土産物屋があった(下の写真3の手前、青い庇の店で、奥の茶色い壁の建物がホテル)ので、冷房も効いてるし、入って時間潰しすることにする。結構いいTシャツが3.99US$であったし、土産用の手鏡とか革の小銭入れとかを購入してるとちょうどいい時間になった。そう云えば、この店で普通に英語で会話できるので、この町では皆さん英語を話せるのかと聞いたらもちろんと答えられた。おまけにジャマイカ英語と違ってスペイン語訛りも感じられない普通のアメリカ英語に聞こえ、ここはまだスペイン語の世界かと覚悟していたのだが、一気に安心した。これで、ここから先は全て英語の世界だ。サントドミンゴも結構英語は通じたし、今回の旅は言葉は楽だった。2年ちょっと前に南米を5週間回った時には、英語が全然通じないことも多々あり、やはり大変だったし、基本英語だと、やはり安心する。<br /><br />3時ちょっと前、少し早いかなと思いながら戻ったら今度は大丈夫だった。無事チェックイン。広い廊下にソファーが置かれ、キッチンもあり、確かにいい感じではある(下の写真4)。ただ、床掃除をしてるので、ちょっと待てと云われて、結局30分ほどソファーで待たされた。まあ、この日は6時前にマリーナに行くまでは、ヒマなので問題なかったのではあるが。3時半頃やっと部屋に入る。<br /><br /><br />次の予定までは少し時間があるので、とりあえず観光に出掛けるが続く。

プエルトリコ サンファンへ(To San Juan, Puerto Rico)

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2020/02/15 - 2020/02/15

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ちふゆ

ちふゆさん

2020年2月15日(土)の午後2時頃、プエルトリコ(Puerto Rico)のサンファン国際空港(Aeropuerto Internacional San Juan)。まずは到着ロビーでWifiを探すが、事前に調べた通り無料Wifiはなしで、有料のみ。いや、今の時代、お金取るんかい! ここもUberあるんで、無料Wifiがあれば利用したかったし、実際、有料で繋いでも帰りに利用したUberの料金から推測すると10US$くらいは安く済ませることが出来るのだが、この時点では分からなかったし、カード情報を入れたりしなければならないので手間が掛かるので、あっさり諦めてタクシー移動にする。

タクシーは固定料金になっており(下の写真1)、到着ロビー前のタクシー乗り場で、ディスパッチャーがどこへ行くのか、何人かを確認して、タクシーを振り当てている。サンファン旧市街(Old San Fun)までは21US$に空港利用費が3US$、さらにキャリーオンバッグであろうが大きなスーツケースであろうが荷物代が1US$で合計25US$取られる(下の写真1)。距離(約5㎞)を考えると結構高い。

向かっているサンファン(San Juan)はプエルトリコ(Puerto Rico)の主都で、人口は市域で35万人。都市圏では250万人でプエルトリコ全体の2/3を占める(いずれも2015年のデータ)。プエルトリコ島(Isla Puerto Rico)の北東沿岸に位置しており、旧市街はサンファン島(Isleta de San Juan)の西半分に形成された。この島最大の港湾都市で、島の産業・経済の中心であり、また長い歴史とビーチを持ち、文化の中心・観光の拠点として担う役割も大きい。

サンファン(San Juan)はスペイン語で聖ヨハネ(Juan el Bautista)を意味し、キリスト教の聖人であるヨハネに由来する名前で、スペイン語圏の国々や米国の旧スペイン領圏でよく地名に用いられている。元々は1943年にこの島に初上陸したコロンブス(Cristoforo Colombo)が島の名前としてサンファンバウティスタ(San Juan Bautista)と命名した。その後1508年になってスペイン人の入植が始まり、最初の入植地はサンファン湾(Bahia de San Juan)の南、現在のグアイナボ(Guaynabo)のプエブロビエホ(Pueblo Viejo)辺りに造られた。しかし、衛生面に問題があり、アクセスも悪かったことから、1年後にサンファン島に新しい町の建設が始まり、カナリア諸島(Islas Canarias)にあるプエルトリコデグランカナリア(Puerto Rico de Gran Canaria)に地理的に似ていると云うことでプエルトリコデサンファンバウティスタ(Puerto Rico de San Juan Bautista)と命名された。しかし、島の名前と町の名前は混同して使われ、1521年に、プエルトリコが島を、サンファンバウティスタが町をそれぞれ区別して指すようになり、やがてバウティスタが省略されて現在の名前となった(年号には諸説あり)。

スペイン植民地時代には、サンファン港はスペインと新大陸のスペイン領を結ぶ重要な中継港で、それ故に列強による攻撃を受けることが多かった。まずは1595年と1598年にはイングランドに攻撃され、2度目には占領されるが、指揮官の疲弊と病気で占領は長くは続かなかった。次いで1625年、オランダの攻撃を受けるが防衛に成功した。1797年にはイギリスが三たび攻撃を仕掛けてきたが、その時も防衛した。このような状況の中で、18世紀後半から19世紀初頭にかけて、サンファンはスペインとの自由貿易を通じて成長を続けた。

1898年、米西戦争が勃発し米軍の爆撃を受け、この町は占領され、米国の勝利により島全体が米国領となる。20世紀に入り、市域は旧市街の市壁の外側からサンファン島を越えて広がり、地域ごとの多様性に富む都市へと変貌した。サンファン島に繋がるコンダド(Condado)地区は大西洋のビーチに面し、ホテルやコンドミニアムが集中しており、コンダド湖(Laguna del Condado)を挟んだ南側のミラマール(Miramar)地区は住宅街だがコンベンションセンター(Puerto Rico Convention Center)もある。さらに南のリオピエドラス(Rio Piedras)地区は1850年代に別の町として建設されたが1951年にサンファンに合併され、住宅街の中に国内最古で最大のプエルトリコ大学リオピエドラス校(University of Puerto Rico - Rio Piedras Campus)キャンパスが広がっている。

最後、旧市街の手前から渋滞となるが、それでも空港から20分ほどでホテルに到着。このタクシーはトヨタの海外専売車のシエナ(Sienna)だった(下の写真2)。宿泊するホテルはフォルタレサスイーツ(Fortaleza Suites Old San Juan)。サンファン旧市街、コロン広場(Plaza Colon)に近いフォルタレサ通り(Cell de la Fortaleza)にある4つ星ホテルで、旧市街だけでなく桟橋までもすぐ。歴史的なスタイルの建物(表紙写真)に10室あり、高速インターネットアクセス可。共同キッチンでコーヒーなどを飲める。ただ、全室に個別のテラス、専用バルコニーがあり、海の景色を眺めることができるとあったが、私が泊まった部屋は窓もなかった。サンファンはホテルが高く、1泊で16,671円もしたのに全然コスパは良くなかった。

この日の朝に読んだメールで3時まではフロントがいないが何時に着くかと来てたので、飛行機の到着予定時間を返信しており、2時半過ぎだが誰かいるかと思ったのだが、誰もいなくて玄関から入れない。この時は確認できなかったが、私の返信に対しての返信は来ておらず、あのやり取りは何だったんだろう・・・

ホテルの前でただ待っていても暑いし、ホテルの隣りに土産物屋があった(下の写真3の手前、青い庇の店で、奥の茶色い壁の建物がホテル)ので、冷房も効いてるし、入って時間潰しすることにする。結構いいTシャツが3.99US$であったし、土産用の手鏡とか革の小銭入れとかを購入してるとちょうどいい時間になった。そう云えば、この店で普通に英語で会話できるので、この町では皆さん英語を話せるのかと聞いたらもちろんと答えられた。おまけにジャマイカ英語と違ってスペイン語訛りも感じられない普通のアメリカ英語に聞こえ、ここはまだスペイン語の世界かと覚悟していたのだが、一気に安心した。これで、ここから先は全て英語の世界だ。サントドミンゴも結構英語は通じたし、今回の旅は言葉は楽だった。2年ちょっと前に南米を5週間回った時には、英語が全然通じないことも多々あり、やはり大変だったし、基本英語だと、やはり安心する。

3時ちょっと前、少し早いかなと思いながら戻ったら今度は大丈夫だった。無事チェックイン。広い廊下にソファーが置かれ、キッチンもあり、確かにいい感じではある(下の写真4)。ただ、床掃除をしてるので、ちょっと待てと云われて、結局30分ほどソファーで待たされた。まあ、この日は6時前にマリーナに行くまでは、ヒマなので問題なかったのではあるが。3時半頃やっと部屋に入る。


次の予定までは少し時間があるので、とりあえず観光に出掛けるが続く。

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  • 写真1 空港からのタクシー料金

    写真1 空港からのタクシー料金

  • 写真2 空港からのタクシー

    写真2 空港からのタクシー

  • 写真3 土産物屋とホテル

    写真3 土産物屋とホテル

  • 写真4 ホテル廊下

    写真4 ホテル廊下

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