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2020年2月16日(日)のお昼時、プエルトリコ(Puerto Rico)サンファン(San Juan)の旧市街(Viejo San Juan)。昼食をどこで食べようかと考えた時に思い出したのが、昨晩行こうとして混んでて入るのを諦めたプエルトリコ料理のレストラン、ライセス(Raices)。お昼に一人なら座れるんじゃないかと思ったら、正解。すんなりカウンターに座わる。プエルトリコでメジャーなメダージャビール(Medalla Light)で喉を潤し、トマトベースのスープにたっぷりの肉や野菜と御飯が入ったプエルトリコやお隣のドミニカ共和国(Republica Dominicana)でメジャーな地元料理のアソパオ(Asopao)に調理用バナナのプランテン(Platano)を揚げて潰して味付けしたモフォンゴ(Mofongo=Mashed Green Plantains)。ともに私好みの味で美味しかったんだけど、とにかく量が多い。完食に近いところまで食べたけど、完全に食べ過ぎで、この日は夜になっても全然お腹が空かなかったわ(下の写真)。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.3900917593311569&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />1時半頃、昼食を終えて、ビエホサンファンの観光再開。まずは宿泊しているホテルのあるラフォルタレサ通り(Calle de la Fortaleza)の西の端にあるラフォルタレサ(La Fortaleza)へ。ここはかつてのスペイン総督官邸で、現在は知事官邸となっている。建設が始まったのが1533年で、町を守る要塞の一部の総督官邸として1540年に完成した。以後、現在まで継続的に使用されている新世界最古の官邸で、これまで170人以上の総督、知事が暮らしている。1640年に壁の外側にあった礼拝堂が取り壊され、建物の壁に統合されたので、サンタカタリーナ宮殿(Palacio de Santa Catalina)とも呼ばれる。1822年に正式に総督官邸となり、1846年に大幅な改築を実施し、軍事的性格を帯びていた部分は、王宮の入口と変わった。<br /><br />最後のスペイン総督リカルド・デ・オルテガ(Ricardo de Ortega)は米国に屋敷を明け渡す前に自らの剣で持って時計を破壊した。それがスペインによるプエルトリコ統治の終焉の時刻であった。米国統治下でも知事官邸として使用され続け、1961年にはジョン・F・ケネディ(John F. Kennedy)大統領夫妻が滞在した。その他オランダの第5代国王(女王)ユリアナ(Juliana)やスペインのフアン・カルロス1世(Juan Carlos I)夫妻も賓客として滞在したことがある。<br /><br />平日にはガイド付きのウォーキングツアー(所要30分で有料)で内部見学できるらしいが、この日は日曜なので表から柵越しに建物を眺めるだけ。薄い紫色の壁がシックでいい感じ。正面左手に見えるのが建物の壁に統合されたと云う礼拝堂か? ラフォルタレサの前のラフォルタレサ通りの上は大きなプエルトリコ国旗で覆われており、これもいい感じ。1907年に建てられたらしい長老派教会(San Juan&#39;s Presbyterian Church)の薄緑色の壁の建物も可愛らしい。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.3900902109979784&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />ラフォルタレサ通りからお昼前に下ってきたクリスト通り(Calle del Cristo)を今度は上り、さっき寄ったサンファン大聖堂(Cathedral de San Juan)の前を通ってサンホセ広場(Plaza San Jose)に戻る。初代総督ポンセ・デ・レオン(Juan Ponce de Leon)の像が建つ。1797年のイギリスの3度目の来襲を防いだ時に奪った大砲を溶かして作られたもの。公園の東側には1973年に17年間を過ごしたプエルトリコで亡くなったスペイン人のチェロ奏者、パブロ・カザルス(Pablo Casals)を記念した博物館(Museo de Casals)があったが、2014年に新市街に移転した。<br /><br />広場の北側はサンホセ教会(Iglesia de San Jose)。新大陸の中で2番目に古く、ドミニコ会の聖アクィナス修道院礼拝堂として1532年に建設された。その後1858年にイエズス会(Societas Iesu)の教会となり、1887年にはヴィンセンシオの宣教会(Congregacion de la Mision)の教会となった。南国らしい白い外壁は当初からではなく、建設からしばらく経った後に、サンファンの強い日射しを反射させる目的で、スペイン風に塗り替えられたもの。改装中だった。広場に銅像が建つポンセ・デ・レオンの遺体が1559年から1912年にサンファン大聖堂(Cathedral de San Juan)に移されるまで眠っていた。<br /><br />教会のさらに北側に並ぶのはナショナルギャラリー(Galeria National)。ドミニコ会(Orden de Predicadores)の復元された聖アクィナス修道院(Monasterio de Santo Tomas de Aquino)の一部を使用したギャラリーで、18世紀から1960年代までのプエルトリコの絵画の最大のコレクションを収容してる。中庭を囲んで4つの部屋から成り立っており、修道院に飾られていた宗教画、プエルトリコの画家の油彩画、1950から60年代の現代アート、写真などが展示されている。と書いたが、中には入ってない。薄紫の壁がしゃれてる。<br /><br />広場の南の道を東に進み、最初の三差路、サンホセ通り(Calle San Jose)を南に折れるとすぐに旗の扉(La Puerta de la Bandera)がある。朝、サンクリストバル要塞(Castillo de San Cristobal)からエルモロ要塞(El Morro)に向かう途中にあった旗門の小路(Callejon de la Puerta Bandera)と同じようにプエルトリコの国旗がペイントされたドア。ここは2012年にローゼンダ・アルバレス(Rosenda Alvarez)によって空き家のドアに描かれたもので、ここもインスタ映えスポットとして有名。ただし、こちらは2016年に作者によって白と黒に塗り替えられた。壁に描かれた人々の間の白黒の国旗は、独特の雰囲気。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.3893727957363866&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />そこからさらに南に3ブロックほど下ると、東側にアルマス広場(Plaza de Armas de San Juan)が広がる。1521年に造られ、軍事訓練に使われていたことから武器(Armas)の広場と呼ばれるようになった。1851年に現在のような公共の広場に改修された。四季を表わす4つの大理石像が置かれた噴水がある。この像は1856年に造られたもので、元々は公園の四隅に置かれていた。冬の像、南国のプエルトリコだが、寒そう。<br /><br />そして、この広場の真ん中、北側に建つのが市庁舎(Casa de la Alcaldia de San Juan)。1604年から1789年まで段階的に建築され、1840年にスペイン、マドリード(Madrid)の市庁舎のレプリカのファザードが追加された。植民地時代の新古典主義建築様式。中庭があり、公開されているそうだが、どうやって入るか分からなかった。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.3900902109979784&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />サンファン観光終了し、いよいよクルーズ船に乗船へ続く

プエルトリコ ビエホサンファン続き(Viejo San Juan(Cont.), Puerto Rico)

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2020/02/16 - 2020/02/16

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ちふゆ

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2020年2月16日(日)のお昼時、プエルトリコ(Puerto Rico)サンファン(San Juan)の旧市街(Viejo San Juan)。昼食をどこで食べようかと考えた時に思い出したのが、昨晩行こうとして混んでて入るのを諦めたプエルトリコ料理のレストラン、ライセス(Raices)。お昼に一人なら座れるんじゃないかと思ったら、正解。すんなりカウンターに座わる。プエルトリコでメジャーなメダージャビール(Medalla Light)で喉を潤し、トマトベースのスープにたっぷりの肉や野菜と御飯が入ったプエルトリコやお隣のドミニカ共和国(Republica Dominicana)でメジャーな地元料理のアソパオ(Asopao)に調理用バナナのプランテン(Platano)を揚げて潰して味付けしたモフォンゴ(Mofongo=Mashed Green Plantains)。ともに私好みの味で美味しかったんだけど、とにかく量が多い。完食に近いところまで食べたけど、完全に食べ過ぎで、この日は夜になっても全然お腹が空かなかったわ(下の写真)。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.3900917593311569&type=1&l=223fe1adec

1時半頃、昼食を終えて、ビエホサンファンの観光再開。まずは宿泊しているホテルのあるラフォルタレサ通り(Calle de la Fortaleza)の西の端にあるラフォルタレサ(La Fortaleza)へ。ここはかつてのスペイン総督官邸で、現在は知事官邸となっている。建設が始まったのが1533年で、町を守る要塞の一部の総督官邸として1540年に完成した。以後、現在まで継続的に使用されている新世界最古の官邸で、これまで170人以上の総督、知事が暮らしている。1640年に壁の外側にあった礼拝堂が取り壊され、建物の壁に統合されたので、サンタカタリーナ宮殿(Palacio de Santa Catalina)とも呼ばれる。1822年に正式に総督官邸となり、1846年に大幅な改築を実施し、軍事的性格を帯びていた部分は、王宮の入口と変わった。

最後のスペイン総督リカルド・デ・オルテガ(Ricardo de Ortega)は米国に屋敷を明け渡す前に自らの剣で持って時計を破壊した。それがスペインによるプエルトリコ統治の終焉の時刻であった。米国統治下でも知事官邸として使用され続け、1961年にはジョン・F・ケネディ(John F. Kennedy)大統領夫妻が滞在した。その他オランダの第5代国王(女王)ユリアナ(Juliana)やスペインのフアン・カルロス1世(Juan Carlos I)夫妻も賓客として滞在したことがある。

平日にはガイド付きのウォーキングツアー(所要30分で有料)で内部見学できるらしいが、この日は日曜なので表から柵越しに建物を眺めるだけ。薄い紫色の壁がシックでいい感じ。正面左手に見えるのが建物の壁に統合されたと云う礼拝堂か? ラフォルタレサの前のラフォルタレサ通りの上は大きなプエルトリコ国旗で覆われており、これもいい感じ。1907年に建てられたらしい長老派教会(San Juan's Presbyterian Church)の薄緑色の壁の建物も可愛らしい。
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ラフォルタレサ通りからお昼前に下ってきたクリスト通り(Calle del Cristo)を今度は上り、さっき寄ったサンファン大聖堂(Cathedral de San Juan)の前を通ってサンホセ広場(Plaza San Jose)に戻る。初代総督ポンセ・デ・レオン(Juan Ponce de Leon)の像が建つ。1797年のイギリスの3度目の来襲を防いだ時に奪った大砲を溶かして作られたもの。公園の東側には1973年に17年間を過ごしたプエルトリコで亡くなったスペイン人のチェロ奏者、パブロ・カザルス(Pablo Casals)を記念した博物館(Museo de Casals)があったが、2014年に新市街に移転した。

広場の北側はサンホセ教会(Iglesia de San Jose)。新大陸の中で2番目に古く、ドミニコ会の聖アクィナス修道院礼拝堂として1532年に建設された。その後1858年にイエズス会(Societas Iesu)の教会となり、1887年にはヴィンセンシオの宣教会(Congregacion de la Mision)の教会となった。南国らしい白い外壁は当初からではなく、建設からしばらく経った後に、サンファンの強い日射しを反射させる目的で、スペイン風に塗り替えられたもの。改装中だった。広場に銅像が建つポンセ・デ・レオンの遺体が1559年から1912年にサンファン大聖堂(Cathedral de San Juan)に移されるまで眠っていた。

教会のさらに北側に並ぶのはナショナルギャラリー(Galeria National)。ドミニコ会(Orden de Predicadores)の復元された聖アクィナス修道院(Monasterio de Santo Tomas de Aquino)の一部を使用したギャラリーで、18世紀から1960年代までのプエルトリコの絵画の最大のコレクションを収容してる。中庭を囲んで4つの部屋から成り立っており、修道院に飾られていた宗教画、プエルトリコの画家の油彩画、1950から60年代の現代アート、写真などが展示されている。と書いたが、中には入ってない。薄紫の壁がしゃれてる。

広場の南の道を東に進み、最初の三差路、サンホセ通り(Calle San Jose)を南に折れるとすぐに旗の扉(La Puerta de la Bandera)がある。朝、サンクリストバル要塞(Castillo de San Cristobal)からエルモロ要塞(El Morro)に向かう途中にあった旗門の小路(Callejon de la Puerta Bandera)と同じようにプエルトリコの国旗がペイントされたドア。ここは2012年にローゼンダ・アルバレス(Rosenda Alvarez)によって空き家のドアに描かれたもので、ここもインスタ映えスポットとして有名。ただし、こちらは2016年に作者によって白と黒に塗り替えられた。壁に描かれた人々の間の白黒の国旗は、独特の雰囲気。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.3893727957363866&type=1&l=223fe1adec

そこからさらに南に3ブロックほど下ると、東側にアルマス広場(Plaza de Armas de San Juan)が広がる。1521年に造られ、軍事訓練に使われていたことから武器(Armas)の広場と呼ばれるようになった。1851年に現在のような公共の広場に改修された。四季を表わす4つの大理石像が置かれた噴水がある。この像は1856年に造られたもので、元々は公園の四隅に置かれていた。冬の像、南国のプエルトリコだが、寒そう。

そして、この広場の真ん中、北側に建つのが市庁舎(Casa de la Alcaldia de San Juan)。1604年から1789年まで段階的に建築され、1840年にスペイン、マドリード(Madrid)の市庁舎のレプリカのファザードが追加された。植民地時代の新古典主義建築様式。中庭があり、公開されているそうだが、どうやって入るか分からなかった。
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サンファン観光終了し、いよいよクルーズ船に乗船へ続く

  • 完食に近いところまで食べた昼食

    完食に近いところまで食べた昼食

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