2020/02/10 - 2020/06/23
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swalさん
【写真】沖縄タイムズ6月23日 慰霊の日特別号より
沖縄か・・・
JALの素晴らしい超ヒット企画、どこかにマイル
二月まさかの、また!?沖縄
沖縄に決まりました、が何故か一番多い
このいい歳したオヤジ放浪は、小中学校に始まったSL撮影
高校時代は炭鉱町や広島を歩いた
そして大学に入り沖縄に出会う
今の旅の原点は沖縄だった
かれこれ四十数年
数えはしないけど、多分2年ぐらいはいるのかな沖縄
コバルトブルーの海
三線から流れる島の唄
そして基地 OKINAWA
そこに生きる穏やかで優しい島の人たちがいた
あの戦争から四半世紀が経つ
75年前、沖縄での地上戦
そんな戦争があったんだよな
とっくの過去
遠い昔のような日常があるように思えた
年老いた母に沖縄の旅話をする
小学校で新潟高田に戦争疎開した母
東京大空襲、焼夷弾で親戚が苦しみながら亡くなった話
何回も聞いた
母に沖縄の話をすると
クドイぐらいいつも
◯◯ちゃんさ
お母さんね、小学校の時に先生から沖縄戦の話しを聞いてね
余りにものショックで
寝られず毎日泣いちゃってね、と
いつも、今日はじめて話すかのように
話す母
一度沖縄行こうと誘った
お母さんはこんな年になっても、沖縄だけは行けないよ
ごめんね
と母が言う
この歳になり
そうか・・
そういうことなんだ・・・沖縄
・ ・ ・ ・ ・
1941年12月、日本軍のハワイ真珠湾奇襲から始まった太平洋戦争
日本は統治していた南太平洋の島々を1944年から次々と失った
アメリカ軍は日本本土に向けて侵攻を続ける
すでに制空権、制海権、空と海を完全に制し、さらに圧倒的な兵力を持つアメリカに、日本に勝ち目は全く無かった
そして昭和20年・1945年本土防衛を至上命令に
住民を巻き込んだ悲惨極まりない沖縄戦が始まる
3月26日阿嘉、座間味、27日渡嘉敷島に上陸、住民の集団自決
4月1日、米軍は本島中部の現読谷村、嘉手納町、北谷町一帯に圧倒的兵力を持ち上陸
即日嘉手納飛行場(現嘉手納基地)、読谷飛行場(今は道路に)を占拠し、本土攻撃の前線基地にする
西海岸中部から東海岸に進行し2日で本島を南北に分断
その後、日本軍司令部ある首里(今の首里城界隈地下洞窟)陥落を目指し、圧倒的兵数と火力武器で南進
対して、日本軍は子供達を含めた住民を矢面に
竹杖と自爆弾のゲリラ戦で戦う
多大な住民を巻き添えにする
首里での本部決戦を回避
南部に後退
さらなる持久戦方針に転換
首里司令部が落ちれば、即本土決戦になる
一日でも沖縄戦を長引かせと
この南部持久戦がさらに悲惨極まりない戦いになった
沢山の子供たちの夢、未来、幸せ、は消えた
追い詰められ、逃げ場も無くさまよい壕に隠れる
見つけられ、砲弾を投げ込まれた、火炎放射器で・・
どうせ殺されるならと、沢山の集団自決も多数あった
・ ・ ・ ・ ・
1944年 8月23日 対馬丸事件 学童疎開船対馬丸、米軍の潜水艦攻撃を受け沈没
千数百人の幼い命が海に消えた
1944年10月10日 対馬丸から49日目、沖縄大空襲 那覇市9割焼失 ・ ・ ・ ・ ・
1945年 3月23日 米軍本島及び周辺諸島へ本格空爆開始
1945年 3月26日 慶良間諸島上陸
1945年 4月 1日 本島中西部嘉手納・読谷一帯に上陸
米軍主部隊はその後南下し司令部のある首里へ
嘉数高地制圧(現宜野湾普天間基地一望嘉数高台) 前田高地制圧(現浦添市、浦添城址跡公園)
1945年 5月22日 首里司令本部南部へ撤退、悲惨な南部戦に突入
5月31日 米軍首里総司令部を占拠
6月10日 米軍より「降伏勧告」も総司令官返答せず
1945年 6月23日 総司令官、参謀摩文仁にて自決、組織的沖縄戦終了
沖縄戦慰霊の日
なんでこんなにも沖縄に行きながら
正面に向かい旅をして来なかったんだろうか
2日間歩こう
全然ストーリーなくまとめられていないけど、その時の想いを記した沖縄の二月の2日間から今日慰霊の日までの、三回の沖縄
平和の願いと誓いの旅だった
-
一週間前にあのどこかにマイルを
北九州、沖縄、山口宇部、鹿児島の四ヶ所でプチっと
北九州、山口宇部なら宗方大社へ
鹿児島なら宮崎恋ヶ浦だな
まさか沖縄は無いだろうと -
あれ
沖縄かと・・
去年のベトナムから何か
そう言うことなんだな -
8:15発905便で那覇へ
搭乗率50%ぐらいかな
バランスの関係だろうけど、後方はかなり混んでいた羽田空港 第1旅客ターミナル 空港
-
雲の間に、奄美大島から
加計呂麻島、与路島、請島が
今日は素晴らしいルートを飛ぶ
あの加計呂麻は人間魚雷の発射地だった
加計呂麻のスタートもそんな旅だった
そうだ加計呂麻島行こう、時間が止まった島へ・心の旅
https://4travel.jp/travelogue/10854943与路島 名所・史跡
-
那覇アプローチ今日は南から
あとで行く糸満を眼下に -
ルフトレンタカー
こないだもここだった
楽天から4日間5250円
お店は瀬長島入口から左に糸満近くにある
前回もだけど、とてもが手際よく好感度なレンタカー店だ -
ランチはここ
糸満の沖縄食堂に決めていた
やっぱり沖縄は、ローカル食堂がいいさ
その地の暮らしにちょっと混ざれるような気がして -
サンマ亭へ
この構えがタマラナイ
なんでサンマ亭なのかは聞き忘れたサンマ亭 グルメ・レストラン
-
みそ汁、550円を
定食じゃ無くて、みそ汁しか飲まない?? -
ハイ!みそ汁
ご存知の方も多いでしようが、沖縄は定食と書いてなくてもご飯が付ますから
じゃ、みそ汁定食は??
おかずが別にさらに1~2品付く
だから、みそ汁は単品と思い、ご飯にみそ汁、おかずにゴーヤチャンプル!みたいな頼み方すると大変ことになる
注文のご飯、みそ汁のご飯、ゴーヤチャンプルのご飯、計ご飯が三杯
そしてこんなみそ汁に、さらにゴーヤチャンプルに付く汁物がもう一杯
そしてゴーヤチャンプルが出てきますから
サンマ亭のみそ汁定食はポーク(スパム、そうランチョンミートのこと)、目玉焼、キャベツ千切で
みそ汁中身は、もやし、キャベツ、にんじん、ポーク、蒲鉾、豚肉
もやし味が結構でて美味い -
こんな店内
年配のご夫婦がやってるいい店だったな
弁当は400円で人気のよう -
さあ行こう
本島の南の端、喜屋武岬(きゃんみさき) -
このあたり喜屋武集落中心かな
ガラーンとした広い広場だけ
最南端にある集落
徳村商店さしみ、昔ながらの沖縄の商店が残っていた -
殺伐とした道を走る
何かが違う・・ -
途中具志川城跡
具志川城跡 (糸満市) 名所・史跡
-
具志川城跡は沖縄本島最南端の糸満市喜屋武の海岸断崖にある三方を海に囲まれた城跡
琉球の歴史の場所 -
喜屋武岬へ
沖縄らしい道、かなり凸凹、対抗注意
南部独特の雰囲気
長閑な沖縄らしいキビ畑の中を走る
後から知る、この長閑な道
喜屋武の農道
攻撃に逃げ惑う人たちで溢れていた
目の前でお母さん、お父さんが殺される・・
泣きながら裸で呆然と立ちすくむ子どもがいた・・
「行き場を失う人びと」NHKスペシャル 沖縄戦全記録より -
喜屋武岬
1945年6月23日、南部摩文仁に追い詰められた司令部総司令官牛島中尉は力尽き「最後まで敢闘せよ」を残し幹部と自決
組織戦はこの日をもって尽きる
この南部に追い詰められた住民は、戦火の中逃惑い
逃げ場なく、多く住民がこの崖から飛び降りた
喜屋武(キャン)は限度・到達を意味するらしい
今は本島南の果て、なんとも綺麗な海なんだ・・・喜屋武岬 自然・景勝地
-
さらっと描いて書いている
重いな、重すぎる・・
ああ嫌だ -
岬の先端には、1969年(昭和44年)に建立された慰霊碑、平和の塔が
自分はとても南部戦跡ドライブコースなんて回ってこれないな -
喜屋武岬はここ
本島最南端の岬 -
時は流れ
なんてのどかな道なんだろうか
界隈には、まだ供養されない沢山のお骨が眠っているだろう
75年たった今でも、沢山遺骨が発掘されていると聞く
発骨・遺品を探す沢山のボランティアの方がいると
ああ・・、そんなことさえも知らなかった -
ひめゆりの塔
嫌だな
行きたくない・・ -
修学旅行か
久しぶりに見る学生服
何を焼きつけて帰って行くのだろう
この子ども達の未来に、平和あれと願わずにはいられない
沢山の何があったかを、脳裏に刻んでいって欲しいと思う -
入口
これを読んだだけで
もうダメ・・ -
ひめゆりの塔へ
塔というより碑
占領下につくられた
そういう事なんだろうひめゆりの塔 名所・史跡
-
この下にある洞窟岩「ガマ」と呼ばれる自然でできた洞窟
陸軍病院第三外科壕があった洞窟
沖縄末期、沖縄各地の女学校などから、負傷兵看護に駆り出されたひめゆり学徒隊
6月中旬には、追い詰められた南部で突如の学徒隊解散命令を出す
ひめゆり学徒隊の子ども達は行き場を失い、戦火の中を逃げ惑う
逃げ場もなく追い詰められた子ども達は南の端のこの濠の中に逃げ込む
6月19日アメリカ軍兵士が、逃げ場の無いこの濠に手榴弾を投げ込む
96人のうち87人もの尊い若い命が消えた
この壕で・・・
どんな想いで逃げ込み、絶望の中に
そんな、沖縄がそこらじゅうにあった -
あちこちに慰霊の碑があった
なんとも平和な75年目の今日
柔らかな日差しが差し込む -
ひめゆり平和祈念資料館
入りたく無いな・・
カッコ悪いけど涙が溢れて止まらない
若い青年達が目立った
皆、真剣だ
若い男子がこみ上げてくるものがあったんだろう
拭いもせず涙をボロボロ流していた・・
ああ、戦争は嫌だ
亡くなられた方々が守ってくれたんだな
だから今日を生きる
書きようが無い・・・ひめゆり平和祈念資料館 美術館・博物館
-
負ける本土決戦を少しでも伸ばそうと
その犠牲、全てがこの沖縄にあった
泣けてくる・・
人より多くの沖縄を歩いたと思う
でも沖縄の人達は、多くを語らない
聞いこともほとんどなかった
苦難を「なんでかね~」と優しく笑って話す
それぞれのこころに行き場の無い魂が眠っているんだな、と思った -
ひめゆりの塔からすぐ
最後に日本軍が追い詰められた司令部があった摩文仁
絶壁にある摩文仁の丘
広い公園に平和祈念堂が立つ麻文仁の丘、平和祈念堂 by swalさん平和祈念堂 名所・史跡
-
摩文仁の丘、ひめゆりの搭、喜屋武岬と西側すぐに続く
-
摩文仁の丘から
75年前地獄絵だったこの海
なんと綺麗な珊瑚礁なんだろう -
75年目の春が来ようとしている
-
沖縄平和祈念資料館へ
願いは
多く、たくさんの若い人たちへ
ひめゆり平和祈念資料館とここ沖縄平和資料館に来て
見て
聞いて
こころに残して欲しい
と思う沖縄県平和祈念資料館 美術館・博物館
-
24万人もの亡くなった
そのお一人おひとりの
将来の希望と夢
そして幸せな家庭があった
ああ、嫌だ -
平和の礎
沖縄戦で亡くなられた全ての方の氏名を刻んだ碑
どのくらいの歳月がかかったことか
沖縄の想いの全てがここに
この碑にあると思った -
碑は海近くから始まる
メイン園路、その中心線は沖縄組織戦が終わった6月23日
「慰霊の日」における日の出の方位に合わせてつくられたという -
これは、とてもとても残念だったな
なんでなのかな・・
亡くなられた韓国の方々の慰霊碑があった
正直、この場所で、こういう告知
とても違和感を感じた
こんなところで、こんな嫌な気持ちにさせないでくれ
どうかしている
悲し過ぎる国だ、と思った -
ところどころにハイビスカスが綺麗に咲く
なんて平和な今日なんだろうか
思い切って来て良かった -
八重瀬公園へ
南部で一番高い八重瀬岳麓にある公園へ八重瀬公園 公園・植物園
-
本島南部で一番高い八重瀬岳(183m)にある公園
南部戦跡の砦であった山
頂上からは那覇市街から首里一望
ちょうど今が桜の時期らしい -
その登り口に白梅学徒看護隊の濠(ガマ)がある
沖縄戦では、深刻な兵力不足で、子供達生徒も兵力として戦いに動員された
男子は14歳からなんの訓練や知識も無いまま戦場に
女子は看護隊として負傷した兵士の手当てに動員された白梅学徒看護隊の壕 名所・史跡
-
この壕の中に
中南部には沢山のガマがある
ガマは避難場所であり、また兵士が身を隠しゲリラ戦を行う隠れ家でもあった
南部には数百のガマがあったと聞く
ここに第一野戦病院が
こんなところが病院なんて
なんと500人もの負傷兵が収容されていたと聞く
どんなに劣悪な環境だったことか
病院の体などなしていない -
階段を上がるとすぐ公園があった
-
桜がチラホラ咲いていた
あまりにも少なく寂しい桜だったな -
第一野戦病院跡
-
今日の宿に向かう
那覇の東、与那原(よなばる)
与那原は那覇と南東部島尻を結ぶ交通の要所の町 -
到着
古民家を改造したゲストハウス東浜
受付は韓国からきている青年
ちょっとの期間ヘルパーしていると
日本語はバッチリで
聞くとおっと!大邱出身
こないだ行ったよ、から話が弾む
夜は色々、韓国の本音と若い人の考え方、今の韓国を話してくれた
ゲストハウスはやっぱりいいな
なんだかんだでもう10年なりますとオーナー
そとのテラスも解放的ないい宿
ちょっと寒いけど民宿アガイ浜 宿・ホテル
-
ベッド4つのドミトリールーム
今日は宿泊すくないので貸切でどうぞと
ラッキー!
一泊1,190円なり -
近くに大きなモールがあり
スーパーかねひで仕入れ
沖縄チェーンで食料品なら、かねひでが一番かな -
今晩はこれで
ビンチョウマグロとソデイカ
タコライスに沖縄そば、塩煎餅も
まさひろの二号瓶を
〆て1,482円 -
共有リビングで
好きだなこういう空間
今日はガラガラで
居心地いい
来てよかったの一日だった
途中で韓国のヘルパー、インくんが来て遅くまでいい時間を
日本が好きと言うこともあるだろうけど
なるほどね、と思うバランス感覚
良く世界の中の韓国、日韓関係を客観的に見ているな
今の韓国の若い人の大半の、本当のとこの民意を話してくれた
安心した
ただ思っていることが言えないと
そうだろうな、と察した
いい与那原の夜 -
おはよう
いい天気
ちょうど窓から朝日が -
昨日食べなかった沖縄そばで軽いモーニングを
一緒だったご夫婦
同輩ぐらい旦那さん
神奈川から来ていると、数年前に会社を辞めてここに泊まりながら漁師をやっていたと聞く
ビックリ!
沖縄のこのあたりでのソデイカ漁が凄いらしい
南方小笠原近海まで小さい船で船長と二人、1~2カ月漁にでるらしい
コミュニュケーションがもう大変と
揺れるから棺桶みたいな中に寝て
イカは船上冷凍し
相当な高値で売れ御殿が建つと聞いた
尖閣の問題もあり、別に漁に出ると国からかなりの補償金が出ると・・
全く別世界の話
儲かるから、若いのが結構やるけど、皆、陸に上がると全部つかっちゃうんだよな(笑)と話してくれた
そんな人生もあるんだ、と -
ありがとう、インくん
写真送るねとアドレス交換をして
君達の世代で隣組なんだから仲良くやってくれと伝え -
与那原には昔、軽便鉄道が来ていたらしい
そんな記念館があった与那原町立軽便与那原駅舎展示資料館 美術館・博物館
-
飲食店街のオリオン通り
オーナーに是非と勧められたけど、昨日は行かなかった
そのかわりいい話が聞けた夜
オリオン通りはまた次回に -
昔ながらの沖縄、が残る飲み屋街があった
-
ちょっとジェフに寄ろう
南部に数店あるファーストフードチェーンジェフ 与那原店 グルメ・レストラン
-
モーニングコーヒー
朝はミルクロール付き、260円
こんなローカルな時間もいい -
与那原の西隣の南風原(はえばる)へ
本島で唯一海に接してない町 -
南風原文化センターへ
南風原文化センター 美術館・博物館
-
南風原の沖縄戦
展示館がある -
かつての沖縄の人達から
そういうことなんだろうと思う
「日本の勢力拡大」 -
夜戦病院が再現されていた
上手く伝わるように撮れてない・・ -
青酸カリは宝だっと・・・
何故なら一瞬に死ねるからと
大切に紙に包んで戦場に向かう沢山の兵士の方々がいたと聞く
正気ごとには思えない
皆、死以外の選択はなかった
ああ・・・ -
資料館を後に南風原陸軍病院壕跡へ
涙が止まらない -
爆弾降り仕切る中、女学校の救護隊が食料を担いで野戦病院へ運んだ飯あげの道
これでも整備に整備されているハズ
草木に覆われた急坂だった -
山を超えて
野戦病院20号壕
事前に行政に申し込んでしか見学出来ないらしいが行ってみた
ガイドさんがいらして気持ち良く入れて頂ける事に
ありがたい
沖縄陸軍病院 南風原壕群20号
もし行かれる方いれば、南風原町立南風原文化センターに事前問い合わせを -
沖縄陸軍病院 南風原壕群20号
-
タイミングだったのかな
良かった
ヘルメットをかぶり、懐中電灯を
中は真っ黒
案内の方が懐中電灯照らし一つ一つ丁寧に説明頂いた -
ムッとした湿気
ちょっと息苦しい
75年前
どんな劣悪環境だったか察するに余りある
病院などとは
それなりに整備されている今でさえ
ああ、悲惨過ぎる・・ -
見学の為に、きっちりと安全対策されていた
-
戻ると若い人達が
この後ろ姿に
なにか凄く
凄く嬉しく
目頭が熱くなってしまった
是非、若い人に訪ねて欲しい -
ガイドの方が是非行ってほしいという碑だった
ああ・・ -
ガイドさんか聞いた、前田高地の話が頭に残り
南風原から那覇市街を抜けて -
那覇の北隣の浦添へ
浦添城址への坂を上がる浦添ようどれ 名所・史跡
-
前田高地という丘陵がある
浦添城址と一帯に
最近延長になったゆいレール浦添前田駅からもすぐ浦添城跡 名所・史跡
-
本島の中部から南部にかけて
サンゴ礁が隆起して形づくられた石灰岩の岩盤が連なっている
艦砲射撃でも崩れないほどの強固な岩盤
そういう岩盤でできた高台が中部にはいくつもある
その一つがここ前田高地
南進してきたアメリカ軍と、全ての地獄を集めたと言われた前田高地の闘いがあった
この高地の後ろ数キロに首里がある
日本軍総司令本部防衛の大きな牙城だった -
左彼方には、読谷から嘉手納、北谷の綺麗な海が一望だ
あの海岸にアメリカ軍が4月1日上陸
約3週間でここ前田高地まで南進して来た
なんとも平和、のどかな今日
何にも沖縄のこと知らなかったんだ、自分・・ -
轟音が
あの普天間基地に降りるヘリだった
もう75年たった
戦争の勝ち負け
こういうことなんだ・・ -
沢山の小さな入口のガマが残っていた
この多くのガマに隠れ戦う
中南部の闘いの全てだったと
このガマにも日本軍が身を潜めていたのだろう
前田高地での戦いも圧倒的な火力武器に対して、竹槍と爆弾を持って突っ込むというゲリラ戦抵抗だった
住民は「斬り込み」といい、背中に爆弾を背負い竹槍で最前線に、真っ先に駆り出されたと聞く -
映画ハクソーリッジの舞台にもなった
長閑な沖縄の街並みが一望 -
早咲きの桜が綺麗に咲いていた
-
前田高地
現ゆいレール浦添前田駅北側すぐの高台
司令部のあった首里まで直接で4km -
浦添城址観光の施設
浦添ようどれ館へ浦添グスグようどれ館 美術館・博物館
-
丁寧に説明して頂けた
沖縄戦の資料があった
砲弾の破片
ビックリした、持ってあまりの重さに
これが高温の熱を帯び、火の玉のように人の身体を襲った
想像するだけで身震いがした -
ハクソーリッジ
観光地と言ういい方だけは裂けて欲しいな、と思った -
58号線に出て中部を北上
北谷、広大な嘉手納基地を右に、読谷村へ -
今日のランチはここ
読谷裏通りにあるおふくろ食堂おふくろ食堂 グルメ・レストラン
-
おばあは国頭の大宜味村から来たらしい
-
豆腐ちゃんぷるを
500円なり -
美味しかった
豆腐ちゃんぷる
美味しい -
食堂からすぐ
この読谷村からアメリカ軍が上陸
その碑がある -
対岸は嘉手納
左奥には広大な嘉手納基地が
南部に上陸せず、ここ中部西海岸に上陸したアメリカ軍
嘉手納と読谷のふたつの飛行場を占拠する -
この西海岸に何百隻の艦艇
中部からの上陸は、読谷にある旧読谷飛行場、そして現嘉手納基地で嘉手納飛行場をいち早く占拠して、本土攻撃の前線基地に -
読谷村の上陸地点
-
碑が並ぶ
この海に -
読谷村役場へ
生憎休日だった -
旧読谷飛行場跡へ
役場すぐの直線道路
アメリカ軍が上陸して即日、占領したひkぞう -
滑走路の今
-
語りつくせないドラマのこの道なんだなと思った
-
ここ
-
たった2日だけど沖縄戦跡を歩いた
泣けて泣けて
仕方なかった
戦争は終わっていない
あの沖縄戦
書けないな・・
沖縄の苦悩の歴史なんて
基地の問題もある
全てはあの沖縄戦から始まった
忘れてはいけないな
と思った -
今日は名護の屋我地島に泊まる
なんと20歳台の青年がゲストハウスを経営する
素晴らしい
お客さんも皆若い
一生懸命だ
夜半まで息子世代の若い人達と楽しい夜だった
こんな沖縄も始まっている
頑張れ!!
こんな平和な夜を
いつまでも
そんな願い一杯の夜だった
明日からは、おまけツアーで沖縄を続けようゲストハウス笑縁門 宿・ホテル
-
その2
2月24日に沖縄
どこかにマイルでまたまた沖縄へ
天皇陛下もいらした那覇の対馬丸記念館
あらゆる悲劇が
そこいらじゅうから対馬丸記念館 美術館・博物館
-
あのトカラ列島悪石島北西10kmで
あのトカラの旅、全く知らなかったよ -
ああ・・
そうだったんだ
トカラ、悪石島沖で -
ああ・・
-
天皇陛下もいらした
尊いな・・
この一枚になにか全てが救われる
そんな気持ちで一杯になった -
悪石島西沖で悲劇は起こった・・
トカラを旅した
知らなかった
なんなの自分、と
何時の日か慰霊に行こう -
誰も来ない館内
受付の方が、わざわざ来て頂き、よろしかったらビデオ流しましょうかと
ありがたい
なんか気持ちが通ったのかな、と
でも嫌だな
また、泣いてしまうから -
亡くなった子供たちの写真が
皆、優しい笑顔で・・
お母さん、お父さんの不安を知らずに乗船
内地にいけば電車に乗れる、雪を見られると大はしゃぎだったと
泣けて、泣けて、見られない
その無念
・・
那覇の港で、不安の中見送ったお母さん、お父さんの気持ちを思うと胸が張り裂けそうになった -
一切に
緘口令
対馬丸のことは、絶対しゃべるな、国家からの命令
ああ、戦争は人を凶気にしてしまう -
慰霊碑、小桜の塔へ
公園の一角にあった
ああ、知らなかった沖縄が沢山
いい旅をさせて頂いているな旭ヶ丘公園 公園・植物園
-
綺麗に咲く
子供達の将来に
戦争のない平和な世の中を
願いを込めて、津島丸記念館をあとに -
その3
6月21日
どこかにマイルではありません
75年目の夏、沖縄へ
この沖縄は外せなかった
コロナ?
まっ解除されたからいいけど
ごめんなさい
優先順位が違うので
飛ぶ、という予定でいた -
梅雨明けだけど、カラッとではない
中部残波岬から読谷、嘉手納、北谷が
75年前、米軍はあの海岸から上陸したんだな、と
あまりにも今日は海、綺麗 -
松尾のゲストハウス月桃に
コバルト荘の息子さん経営の宿
個室で一泊2,000円
チャリが無料で
今日、明日に二ヶ所行きたいところがあり
ありがたいチャリ那覇で泊まるなら松尾の月桃がおススメ by swalさん民宿 月桃 宿・ホテル
-
いよいよ75年目の夏
慰霊の日、7月23日
オリオンビール会長が語る75年目
重い・・
琉球新報21日朝刊 -
DFSやブランド店が並ぶ
一大ショッピングゾーンのゆいレールおもろまちおもろまち駅 駅
-
DFSのあるギャラリアT裏、紳士服の青山の前に、水道タンクがあるちょっと緑の生い茂った丘がある
-
ここが沖縄戦最後の砦、決戦跡のシュガーローフ
この高地で東の首里司令本部を守る10日近い戦闘が繰り広げられた
米軍は三千人近い死者と千人を超える精神疲労病者を出した悲劇の戦闘地 -
あらゆる地獄を一度に集めたというこの丘
下には再開発のショッピングモールが並ぶ -
当時のシュガーローフ
今のおもろまち、ギャラリアT北側あたりから
wikipediaより -
偶然に皆既日食
ちょっと太陽撮ったら
乱反射なにかで、こんな感じに撮れた -
ガラガラの国際通りでデモ
辺野古基地阻止
日米核安保反対
安倍政権打倒・・
頭悪いんで、この人達の言っている意味が良く分からない -
2日目
太平通りの上原パーラー上原パーラー グルメ・レストラン
-
150円弁当
美味い -
バスターミナルまで歩き、那覇バス市内一日券を
660円
一回240円なので、三回乗れば元が取れる -
今日はここ旧海軍壕跡へ
那覇の隣り、豊見城の高台にある
・・以下、デジカメ写真が上手くアップ出来ないので・・ -
当時の海軍は、空と海の両部隊
ここ豊見城司令部は小禄空港(今の那覇空港)を防衛の拠点だったところ
1945年6月、南部に逃げ遅れた海軍司令部はここ豊見城司令部壕に篭る
包囲され逃場を失う
6月13日、司令官大田少将ら幹部、手榴弾で自決
その際、沖縄島民の献身的作戦協力を最後に記した電報を残す -
豊見城の大変眺めのいい高台にある
米軍から前後左右から包囲され玉砕する -
バスセンター上に立派な県立図書館がある
壕から戻るバスの車内で、女子高生が二人話していた
あした誕生日なんだよねー
でもおめでとうじゃないじゃんさ
毎年喜んでケーキ食べれないから、いつも今日がケーキなんだよねー(笑)
明日6月23日沖縄慰霊の日だ -
那覇図書館の資料は半端無かった
-
前回コロナで休館
今日はちょっと午後から図書館に -
懐かしいむつみ橋交差点脇のかどやへちょっと小腹
300円の沖縄そば
変わらない値段
美味い -
おお沖縄のオヤジポスター
カメジロー
瀬長亀次郎だ
沖縄をこよなく愛する男だったな
好きだった -
おはよう
2020年6月23日朝
雨だ
予報通り -
摩文仁の丘
平和公園、平和の灯 -
農連市場食堂へ
仲尾次で、旧農連市場からある店
ゆし豆腐、美味い
今日は、平和式典が行われる平和公園摩文仁の丘に行く
たっぷり食べよう
ご飯おかわり、サービスだった -
と、凄い豪雨に
ああ、この雨酷すぎ
参った
今日はレンタカーはしない
バスで行こうと思った
糸満で乗り換え
本数も少ない
そして凄い雷が・・
近い -
アーケードも水浸しで
あ~あ -
急に止む
急げ、急げ
晴れてきたよ
青空だ -
ちょっと乗り間違え
同じ糸満行、時間に来たので飛び乗る
東風平(こちんだ)経由じゃん
ヤバ
ちょっと大回りしながら南部を走る -
司令部が首里撤退後一時こもった八重瀬岳を
-
糸満ロータリーで乗り換える
ギリギリ間に合った
暑い、刺すような真夏の日差しが南部に注ぐ -
静かだ
-
ちょっと乗っているね
約半数が平和公園で一緒に降りた -
平和祈念式典会場
摩文仁の丘平和公園
大変綺麗に整備されている素晴らしい公園だよ -
例年は五千人近くが参列すると聞く
今年は代表して150名が参列するようだ -
号外が配られる
そうだね・・ -
今年は安倍総理、広島、長崎市長はビデオメッセージで参加
首里高校の女子学生が
心打つ詩を朗読してくれた
染みるな・・
会場とはロープ一本だけ、一緒に参加しているのと同じだった
広い公園の会場回り、テント外で300名ぐらいの方々と共に平和を祈る
もっと来ているかと思った -
40分の式典が終わる
閉会の辞
そしてなんで??
不思議だな
こういう事ってあるんだなと
終わりを告げ、1分もしないうちに晴れていた摩文仁の丘に
土砂降りの雨が -
祈念堂から祈念資料館へ
資料館、今日は無料で混んではいないものの定員数で、30分待ち
あんなに広いのに・・
まあ、いい
皆、立場がだから
二月に行ったので、ならまた
そして晴れてきたよ
何か、不思議
梅雨明けの沖縄はこんなもんだけど
でも
いや、そういう日なんだな、と
思った
海の前平和の礎(火)へ -
ああ、綺麗なサンゴ礁
絶対忘れまい
この海でのことを -
慰霊塔の前で
あの曲「花」が流れる
喜納昌吉
40年前、与那国の民宿ふくやまで飲んで語り明かした
若い四人が三線メロディで歌う
ああ、いい歌、いい時を歌う
そして「月桃の花」
今日どうしても聞きたかった曲なんだ
どうしても、聞きたくある民謡歌手に一昨日連絡したけど繋がらずで・・
感動している
この地に、今日といい日に来て本当に良かった -
なんと平和な75年目の摩文仁の丘なんだろうか
-
亡くなられた方の名前を刻む慰霊の碑
その前で
撮ってごめんなさい
必ず伝えますから、と -
その名前を擦りながら
沢山のご馳走を用意して語りかけているよ
ああ
もういい・・
一杯になってしまったよ -
二月からの沖縄
行くと決めいた今日
たまたまの沖縄タイムズ号外
「戦の記憶 次代に」
そうだね
これが一番の写真かと、
悔しく亡くなられた多くの方の叫び
真正面に受け止めて
今に生きている
その使命として
少しでも、少しでも
語り継ぐ
歴史のリレーのランナーでいよう
いたい
そんな
沖縄の旅だった
2020.6.23
沖縄、摩文仁の丘にて
この子供達に平和な日々が続けと
月桃の花
https://m.youtube.com/watch?v=CU_7oazntME
youtube「国吉なおみさんが児童生徒といっしょに月桃の花を歌う」より
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この旅行記へのコメント (19)
-
- ぽっちさん 2020/12/01 21:47:47
- 戦争がもたらしたこと
- swal様こんにちは、ぽっちです。
沖縄慰霊の旅行記拝読いたしました。
そう遠くもない昔の、凄惨な沖縄の事実を目にする度、胸が締めつけられます。
私も何度か沖縄へ足を運びまして、数多ある壕、陸軍病院南風原壕やチビチリガマには近くまで行き手をあわせてきたことを思い出しました。
何かできるわけでもなく、その場に立ち当時の背景を感じることしかできませんでしたが、swal様の旅行記のように事情と感情を記し伝えていくことが大切だなと改めて実感いたしました。
沖縄戦をはじめ戦争のもたらすこと全てを、少しでも多くの方々に知っていただきたいとまた強く感じました。
貴重な旅行記をありがとうございます。
- swalさん からの返信 2020/12/02 16:58:27
- RE: 戦争がもたらしたこと
- ぽっちさん
こんにちは!!
いつも、ありがとうございます
ぽっちさんも沖縄慰霊の旅をなさっていたんですね
なにか共通の想いがあるのかも知れませんね
段々と戦争体験者も減り
色々な事に歯止めが出来なくなる世の中が
来るのではととても心配しています
子供の将来にも、戦争の無い平和な時代が続く事を
祈るばかりです
- swalさん からの返信 2020/12/02 16:58:42
- RE: 戦争がもたらしたこと
- ぽっちさん
こんにちは!!
いつも、ありがとうございます
ぽっちさんも沖縄慰霊の旅をなさっていたんですね
なにか共通の想いがあるのかも知れませんね
段々と戦争体験者も減り
色々な事に歯止めが出来なくなる世の中が
来るのではととても心配しています
子供の将来にも、戦争の無い平和な時代が続く事を
祈るばかりです
-
- KIKIさん 2020/08/12 14:14:39
- 語り継がないといけない事。
- swal様
初めまして。
yae☆八重様の旅行記から訪問させて頂きました。
日本が受けた敗戦の事。戦後生まれ(といっても私の幼いころ 商店街ではアコーディオンを弾き軍歌を歌う傷痍軍人がおられました。)の私であっても 次の世代に伝えていかないといけないのですが。
ついつい自分の人生が辛かった分目先の楽しい事に惑わされてしまいます。
沖縄、グアム、サイパン この場所には楽しい事だけで訪れてはいけないなと改めて考えました。 平和ボケしている自分が恥ずかしい。
孫がもう少し大きくなったら 今の穏やかな生活を送れている陰には沢山の方々の犠牲が有ったことを伝えていかないとと強く思いました。
旅行記に書いてくださり 有難うございます。
重ねてお礼申し上げます。
- swalさん からの返信 2020/08/12 21:22:21
- RE: 語り継がないといけない事。
- KIKIさん
こんにちは!
メッセージありがとうございます
凄く嬉しいです
KIKIさんとはきっと近い世代ですね
旅しながら
ああ、そう言う事があったんだを知り
子供や孫(まだです・笑)たちの
将来に平和な世界が続いて欲しい
そう祈るばかりですよね
今はコロナ、コロナで
近くの国からの脅威を知らされない
大丈夫なのかな?
と心配しています
次の世代に、幸多かれです
メッセージありがとうございました
これからもよろしくお願いします
-
- 琉球熱さん 2020/06/30 22:49:53
- 今こそ
- swalさん、こんにちは
沖縄好きだからこそ避けて通れない史実。
それでも、戦跡だけで旅行記を作る人は少ないと思います。
今でも続く沖縄の『戦後』、沖縄戦から今日に至るまでの事実をきちんと見て行けば、沖縄県民を非難することなど到底できないと思いますが、悲しいかな、嫌沖縄の風潮を煽る輩も多く、何より戦中戦後の沖縄が経験してきたことに無頓着な人が多すぎます。
一方では、沖縄の中での分断もあり、混沌とした今だからこそ、沖縄戦とその後の沖縄県民が味わった苦難に思いを馳せるべきでしょう。
私も沖縄に行けば必ず戦跡もしくは関連施設に立ち寄っています。
戦跡は南部に集中していますが、米軍上陸の地である読谷にも多くの戦跡がありますね。swalさんも訪問した渡久地の浜には特攻艇秘匿陣地跡もあります。ちょうどswalさんが訪問した「上陸の地碑」の真下です。
読谷村役場のそばには掩体壕も残されています。
ようどれ館はまだ行ったことがないので、機会があれば訪問したいと思います。
swalさんが見かけた若い人たち、彼らの感性に期待したいですね。
長々と失礼しました。
---------琉球熱--------
- swalさん からの返信 2020/07/02 11:27:09
- RE: 今こそ
- 琉球熱さん
こんにちは!
メッセージありがとうございます
お名前の通り沖縄には大変な想いがあることと思います
戦後75年経ち、戦争を体験した方々も少なくなりました
昨今、日本を取り巻く環境もガラリと変わり、嫌な世の中に
沖縄や広島長崎の悲劇をこころに刻みながらも
これから起こり得る脅威に
自分の国は自分達で守らなければ・・と
色々思うこの頃です
これからも、よろしくお願いいたします
-
- チーママ散歩さん 2020/06/28 18:30:37
- Swalさん はじめまして。
- このたびは私の「幼稚園の絵日記」のような旅行記にお立ち寄りいただき
「いいね」を頂きありがとうございました。
Swalさんにお邪魔してこの沖縄を巡る旅を拝見して、今まで何度も行った沖縄
ですが、何も知らなかった、深く知ろうとせずにいた自分が恥ずかしく
感じました。
日本軍だけでなく、沖縄の方達は、女性・子供・皆が生きながらに離別を決意し
戦い・・・多くの方が命を落とした歴史の舞台。
ひめゆりの塔の資料館では時間をかけ資料を読み漁り、手記を目にして心熱くなり
涙したけれど、こうやって自分の見てきた、聞いたことを何も残せず、これからの
人に何も伝えることすらしていない自分が恥ずかしいな。。。と。
見晴らしの素敵な海に面した場所で。大切な命の眠る場所で 記念写真など・・・。
ただ 「綺麗な海だった」「おさしみのお魚がカラフルでさすが南国」などと
幼稚園生の絵日記のような陳腐な言葉しか感想ができない自分。
歴史などあまり詳しくない私だけど、鹿児島に行けば知覧特攻平和会館へ、
土浦の予科練平和記念館など、また特攻隊の方の講演会など足を運んで様々な
場所へ、日本の過去を知ろうと足を運んでみましたが、私には今だ何も出来て
いません。 何も書けていません。。。。
今回この旅行記を見て本当に心打たれました。
歴史のリレーランナー 頑張ってください。 またお邪魔いたします。
ぬちどぅ宝
チーママ散歩より
- swalさん からの返信 2020/06/29 20:15:38
- RE: Swalさん はじめまして。
- チーママ散歩さん
こんばんは!
熱いメッセージをありがとうございます
それぞれのこころの中に
戦争と平和
刻んで残していければ、ですよね
嫌な世界に突入して
子供たちの未来に、平和と幸せあれ
と願わずにはいられません
茨城大好きです
常磐ズ、でした
つくばは万博の頃、東京24区と呼ばれてました
懐かしいな
これからもよろしくお願いします!
-
- yae☆八重さん 2020/06/26 11:03:31
- 読んでいて苦しくなりました
- swalさんの叫び声が、泣き声が聞こえてくるような旅行記
私も泣きながら読みました。
たった一回ひめゆりの塔に行っただけで
沖縄戦をわかったつもりでいた自分が恥ずかしい。
戦争で犠牲になった人の事を忘れてはいけない。
この旅行記を国民全員に読んでいただきたい。
そう強く思いました。
- swalさん からの返信 2020/06/26 19:47:13
- RE: 読んでいて苦しくなりました
- yae⭐八重さん
こんばんは!
そしていつもありがとうございます
凄く凄く嬉しいメッセージを
ありがとうございました
今、この平和な時代に
何一つ不自由無く暮らし
楽しく生きている
人として歴史を正しく知り
少しでも伝えていく
しなくちゃなと
こころ揺さぶられる
沖縄って、何もかもがそういう
ところですね
これからもよろしくお願いします!
- swalさん からの返信 2020/06/26 20:44:31
- RE: RE: 読んでいて苦しくなりました
- 動画添付忘れました
石垣出身の歌手国吉なおみさんと子供たち
ご覧ください
https://m.youtube.com/watch?v=CU_7oazntME
- yae☆八重さん からの返信 2020/06/28 10:06:25
- 動画ありがとうございます
- 動画拝見しました。
子供たちの歌声がいいですね!
子供たちの為にも、戦争のない世の中にしなければと思います。
来月、沖縄に行く予定です。
犠牲になった方々に祈りを捧げたいと思っています。
- swalさん からの返信 2020/06/28 17:32:00
- RE: 動画ありがとうございます
- わざわざありがとうございます
「月桃の花」いい曲、子ども達といい動画だな
と思いまして
来月、夏全開の沖縄楽しみですね
最高の時期に
やっぱり八重山ですよね(笑)
旅行記今から楽しみにしています!!
- yae☆八重さん からの返信 2020/06/28 17:52:03
- いえ、それが
- 来月は、八重山ではなく本島なんです(^^;
真夏を楽しんできます♪
- swalさん からの返信 2020/06/28 18:15:55
- RE: いえ、それが
- 本島ですか、珍しい(笑)
かなり空いていますから最高です!
いい旅を
-
- キュウヘイさん 2020/06/24 20:35:24
- 勉強になりました!
- 私もよく沖縄へ旅行に行きます。ですが戦争については無頓着でした。
この記事を見て、胸を突かれる思いになりました。
私の両親は奄美(与路)出身でした。
すぐそこまでアメリカの脅威が近づいていた事実を考えると
私自身も今生まれて生きている有難さを感じました。
今度沖縄へ行く際は必ず
戦争の犠牲となってしまった方々へ
せめてものご挨拶をして行きたいと思います。
- swalさん からの返信 2020/06/25 08:15:03
- RE: 勉強になりました!
- キュウヘイさん
おはようございます!
いつもありがとうございます
与路の旅は何よりでしたね
加計呂麻も薩川湾など軍事施設も多かったものの被害無く良かったです
沖縄行かれることあれば、南部戦跡含め是非回ってみてください
沖縄は、あらゆる悲惨が集まったところでした
嫌な世の中に突入して来ましたが、子供たちの未来に
戦争の無い平和な時代が続く事を願うばかりです
- キュウヘイさん からの返信 2020/06/25 15:10:31
- Re: 勉強になりました!
- おっしゃる通りですね。
平和の尊さが後世に伝わる事を願います。
冒頭の親子の写真がそれを物語るようでした。
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